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「三省堂中国名言名句辞典 新版」の内容より

  • 『三省堂中国名言名句辞典』新版

編者より

大島 晃

《自著自讃 小社PR誌 ぶっくれっと No.128》より

「人生 字を識るは憂患の始めなり」(「石蒼舒酔墨堂」詩)と詠じたのは、北宋の蘇軾、号は東坡である。時に三十四歳、文字を識った人間のうめき、知恵の果実を食うことの憂愁を歎ずるこの句は、その後の東坡の人生を象徴するかのような警句となった。すなわちその文声はしだいに高くなったが、やがて政争の渦の中で筆禍事件を起し、先には黄州に老いては海南島に二度の配流に遭い、許されて帰る旅の途中でその波乱の生涯を終った。

「人生 字を識るは胡塗(こ/と)(うやむや)の始めなり」は、一九三五年、魯迅の最晩年の第十三評論集『且介亭雑文二集』に収める評論の一つ。自ら断るように、蘇東坡の句を魯迅がもじったもので、伝統的な古文の学修による不用意な古語の使い方が、いかに曖昧な文章を生み出すかを批判する。蘇東坡の成句を踏まえてそれをもじることによって、この評論の題名はそれ自体で読書人の陥り易い性癖を突いた含蓄のある警句となっている。一つの成句の上に、また一つの成句が生まれたのである。

さかのぼって、唐代に生まれた風変りな詩集『寒山詩集』はすべて無題の詩で寓意と嘲戯に富む作品を含み、それ故に禅家に広く愛好されたが、その中に先の東坡の成句に見合う内容を詠ずる詩がある。「書を読むも豈に死を免れんや書を読むも豈に貧を免れんや

何を以てか字を識ることを好む字を識れば他人に勝ればなり丈夫字を識らざれぱ身を安んずべき処なし黄連(根がにがい植物)蒜醤(さん/しよう)(にんにくのもろみ漬け)に揺く忘計す是れ苦辛なるを」

蘇東坡がこの詩を目にしていたかどうかは不明であるし、先の成句がこの詩を意識するかどうかも定かでない。ただ、東坡の成句の生まれる前に、このように読書・学問の苦しみや辛さを詠じ切った詩人が存在したこと、それがどう関わっているのか、自ずと考えてみたくなる。一つの成句がどのような精神的土壌や背景を伴って生まれてくるのか、と辿ろうとするのは、言わば中国の思想や文学・歴史の世界に分け入って行くことでもある。

この数年、名言名句や故事ことわざ、成語の辞典の発刊が盛んなように思う。我が国のみならず中国でも文革後、数多くの警語名句詞典や名詩佳句集、成語辞典が刊行されている。これが目覚しく変化する社会にあっていかなる意味を持つものなのか、以前より興味深く思っている。俗にコピーの時代と言われて久しいが、短い句に含蓄深く、人生一般の機微を穿つ人生のコピーということであろうか。

元来、中国においても日本においても学問は基本的に読書の学であった。読書の学は経典を中心にした古典の尊重であり、それは記誦の学としての性格を色濃く有している。とくに中国の場合、経典の一字一句が聖人による不滅の道理を内含するという意識は、ほとんど変動することなく二千年に及んだ。従ってその思惟の構造は経典の道理をいかに読解するかという形を取り、その自己の思想の表出もまた経典に依拠するものであった。このあり方は狭く経学に限定されることなく、言語表現一般に及んでいるとして過言ではあるまい。

翻って漢字は一字が一音節で一語義を表している。この言語の性格として表現を豊かにし広げようとするとき、先行の漢語表現を踏まえた意義の重層性こそ最も有効な方法となろう。いわゆる典拠表現は漢語の修辞法として漢字漢語の特性から必然的に派生するものではないか。数字の熟語・成語や一、二句の成句はその数倍以上の字句分の内容、イメージを内含することが可能となる。それは読書の学、記誦の学と相俟って自著自讃増殖され続けて来た表現である。

今般の本書の刊行に当っては、古人の英知の集積として磨かれた至言という面だけではなく、それを生み出し醸成して来た中国古典の思惟と表現の地平に誘うための辞典であることを目指している。

(おおしま・あきら 上智大学教授)