金田一京助博士記念賞

第38回金田一京助博士記念賞

岡風F子氏 『日本語指示詞の歴史的研究』に対して

授賞理由

岡風F子『日本語指示詞の歴史的研究』

授賞対象となった著書『日本語指示詞の歴史的研究』(以下では「本書」)は、現代語で研究が盛んである日本語のコレ・ソコ・アノなどの指示詞につき、コウ・ソウ・アアなどの指示副詞を中心に、古代から現代に至るその具体的な形式を総合的に調査し、その変遷に関して周到な考察を施している。本書で評価すべき主要な内容は、以下の4点である。

  1. 指示副詞の具体的な形式の消長を、特に変化の大きかった中世から近世にかけての 時期の資料を精査し、明らかにした。
  2. 指示副詞の指示詞としての用法を、直示用法、観念用法、照応用法の3種の用法に 区分し、歴史的変化を丁寧に調査し、記述した。
  3. 指示副詞の副詞としての用法の歴史的変化を調査し、カク系列からコ系へ、サ系列 からソ系へ、ア系列からア系への変遷の過程を記述した。
  4. 指示副詞の周辺的な用法である感動詞的用法、あいまい用法、否定対極用法などが 古代語サ系列においてのみあるということについて、その理由を説明し得ている。

この中で最も注目されるのは、指示副詞の指示詞としての用法の歴史的変化に関する記述である。これまで、指示代名詞と指示副詞の双方を含む指示語(いわゆるコソア)の使用区分として、常識的に人称領域による区別や距離の遠近による区別が受け入れられていたのに対し、本書は先行研究を継承しつつ「直示」「観念」「照応」の3種の用法による区分を採用した。それにより、古代語指示副詞のカク系列、サ系列の2系列から現代語の指示副詞のコ系、ソ系、ア系への3系列への変化をみごとに整理して記述することに成功した。すなわち、指示代名詞と指示副詞とがこの3用法において、中古から関連を保ちつつ、現在の体系が形成されたとされる。

この3種の用法の枠組みの設定がすべて授賞者の独創であるというのは、いささか褒めすぎであるかもしれない。その点に関し、先行研究との継承関係についてやや記述が不足している憾みがないとは言えない。しかしながら、自らの精力的な調査とそれに対する洞察とに基づき、独自の区分を創出したことは、高く評価することができる。

このように、本書は指示詞の変遷を対象としたはじめての本格的な研究である。しかも、現代語の分析も丁寧に行われており、指示詞の歴史的な研究という点においてこれまでの水準をはるかに超えるものと言うことができる。本研究の構想の大きさおよびその達成の度合いに対して、金田一京助博士記念賞を授賞するに値すると判断する。

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受賞の言葉

岡風F子

岡風F子氏近影

このたびは、第38回金田一京助博士記念賞の栄誉に浴し、身に余る光栄に存じますとともに、大変恐縮しております。関係各位に謹んでお礼を申し上げます。

 

今回、賞を頂くことになりました拙著『日本語指示詞の歴史的研究』は指示詞について、特に指示副詞を中心に現代・古代語の用法と、上代から現代までの歴史的変化をまとめたものです。この研究の始まりは、神戸大学大学院博士前期課程の頃に遡ります。

 

現代語では、「こう・そう・ああ」等の指示副詞は、「これ・それ・あれ」等の指示代名詞と同じくコ・ソ・アの3系であるのに、なぜ古代語の指示副詞は「かく・かやう」「さ・さやう」等とカク・サの2系しか存在しないのか、また中古のサ系列を現代語に訳してみると、ソ系のみでなく、なぜア系に解釈できるものがあるのか、そのような疑問から指示副詞の研究を始めました。

 

修士論文では、この古代語の指示副詞サ系列を中心に考察をおこない、大阪大学大学院博士後期課程に進学後には、指示副詞のみではなく、指示代名詞まで含めた指示体系全体の考察に進みました。研究を続けるうちに、この古代語の2系の指示副詞は、すでに3系あった指示代名詞と深く関係しながら中世に大きく転換し、次第に3系へと体系的に整っていくというダイナミックな変化をしていることが明らかになりました。また、用法について、古代語の指示代名詞ソ系列・指示副詞サ系列は直示用法を持っていなかったのですが、先の変化と同じく、両者とも中世に直示用法を獲得していくという変化をしていたこと等も明らかになっていきました。このように、一見すると違った体系に見える、古代語の指示代名詞コ・ソ・カ(ア)3系と指示副詞カク・サ2系は現代語と同じく別の体系ではなく、歴史的にお互いに影響を与えあいながら、ともに用法と形を変えてきたことが分かりました。そのような姿が見えてきた時には、本当に嬉しかったことを今でも覚えています。

 

私は大学院に在学中、「言語研究も科学でなければならない」という金水敏先生のお考えのもと、歴史的な資料をただ記述するだけではなく、内省の効く現代語の分析を通して構築した理論をもって、古代語の用法と変化の本質を探っていくというという立場から研究を続けて参りました。この指示副詞の研究については、指示詞としての「何かを指示する」という用法と、副詞としての統語的な用法の二つの側面を同時に扱わなければならないこと、さらに指示詞は現代語において多くの議論があり、古代語は未だ研究が進んでいないこと、また副詞については現代語でも未だ分からないことが多いといった、難しい問題をいくつも越えなければなりませんでした。私がこの研究をどうにか進めることができたのは、今回の賞の推薦者でもあり、神戸大学大学院からの指導教官でもあった金水先生が、指示詞研究の第一人者であったこと、そしてその先生のご指導を賜ることができたからであると思います。また先生のゼミに所属することにより、田窪行則先生をはじめとする国内外の高名な研究者の方々とお会し、ご指導を賜ることができる環境であったことも幸運であったと感じております。そして、平成15年にどうにか、拙著のもとになる博士論文を提出し、修了後もこの研究を続け、遅くなったのですが、やっと今年、平成22年に出版いたしました。

 

もちろん、ここまで続けてきた古代語の研究は、現代語の知識だけでおこなえるものではありません。古代語の研究には、古典資料の扱い方・読解等と様々な専門的な知識が必要となります。この力をつけることができたのは、大阪大学大学院に在学中、前田富祺先生、蜂矢真郷先生、岡島昭浩先生に多大なるご指導を頂いたからであると思います。特に蜂矢先生には、大阪大学大学院博士後期課程の6年間、また国語学助手としての2年間、多くのご指導と励ましを頂きました。今回、賞を頂く拙著のもとになった論文の大部分は、その8年間に執筆したものです。改めて感謝申し上げたいと思います。

そしてまた、こうして研究を続けてこられたのは、家族の支えがあってのことであるとも感じております。

 

最後に、指示詞の研究を10年以上続けてきたのですが、指示詞の語の種類は多く、用法は多様であり、まだまだ明らかにしなければならないことを多く残しております。これまで憧れであった金田一賞を頂くということを、もう一度、身に深く受け止め、今後とも賞の名に恥じぬよう、いっそう研究に精進していきたいと存じます。本当にありがとうございました。

(おかざき・ともこ 就実大学人文科学部准教授)

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受賞者略歴

岡侮≠ヘ、1967年生まれ。大阪大学大学院博士後期課程修了。博士(文学)。現在、就実大学人文科学部准教授。

贈呈式

2010年12月12日 東京ドームホテル(東京都文京区)にて

第38回贈呈式写真