金田一京助博士記念賞

金田一京助博士記念賞の由来

社史『三省堂の百年』(1982年刊行)より

金田一賞設定される

三省堂全体が沈滞している時期にも二、三の特筆すべき話題はあった。その一つが「金田一京助博士記念賞」の設定である。「日本及び周辺諸民族の言語または関連文化についてのすぐれた研究」を対象に、原則として年に一点授賞される同賞は、金田一京助博士記念会の主催するもので、三省堂は社長室に事務局をおく後援の形であった。しかし、金田一博士と、三省堂の縁は深いものがあるので、ここでも博士と賞について触れておきたい。

金田一京助は、一八八二年(明治十五年)岩手県の生まれ。東大在学中からアイヌ語研究を志し、明治三十九年以来、たびたび樺太・北海道において現地調査をおこない、アイヌのワカルパ・コポアヌ、知里幸恵、金成マツらの協力を得て、口頭伝承文学、ユーカラ、アイヌ語資料の収集をおこない、昭和七年「アイヌ叙事詩ユーカラの研究」によって学士院恩賜賞を受賞した。同十年、文学博士、二十三年学士院会員、二十九年文化勲章を受章。三省堂からは、『明解国語辞典』『明解古語辞典』『三省堂国語辞典』『辞海』などを編著・出版したほか、「アイヌ叙事詩ユーカラ集」(全九巻)、「金田一京助選集」(全三巻)があり、主要な著者の一人であった。その博士と三省堂の関係は、明治四十一年にはじまる深いものだった。

すなわち、博士は東大を卒業した翌年、金沢庄三郎の紹介で当時牛込東五軒町にあった三省堂の日本百科大辞典編修所に入り、百科の校正係として明治四十一年から倒産までの五年間勤めているのである。

“百科”倒産後、しばらく疎遠となったが、昭和になってから『辞海』の編者として再び週に二日、半日ずつ編修所に通い、戦後は、一時国語教科書界を席捲した「中等国語」を執筆した。その後も顧問として博士は、三省堂を指導したが、四十六年十一月十四日午後八時三十分、動脈硬化による意識障書を起こして療養中、気管支肺炎を併発して永眠された。三省堂は博士の恩顧に報いるため、同十一月二十三日、東京・青山斎場において、社葬をもって長逝を送った。

金田一賞の企画が発表されたのは、一周忌に当たる四十七年十一月十四日、東京・椿山荘で催された「故金田一京助先生をしのぶ会」の席上であった。なお、記念賞と合わせて『金田一京助先生思い出の記』(A5判四四〇ページ、二五〇〇円、金田一京助博士記念会編)も刊行されている。

第一回授与式の模様第一回の記念賞は、田村すゞ子(早稲田大学講師、語学教育研究所)の「アイヌ語沙流方言の人称の種類」ほか一連のアイヌ語研究に対して授賞。表彰式は四十八年五月十八日、東京・九段のホテルグランドパレスで盛大に挙行された。

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