金田一京助博士記念賞

第40回金田一京助博士記念賞

高田三枝子氏 『日本語の語頭閉鎖音の研究』に対して

授賞理由

高田三枝子『日本語の語頭閉鎖音の研究――VOTの共時的分布と通時的変化――』

「ガ(蛾)」と「カ(蚊)」のような日本語の語頭閉鎖音の区別を「有声性の対立」と規定して、それらの発音で声帯振動がどの時点から始まるか(これをVoice Onset Time = VOTと言う)を音響的に分析し、その地域差と世代的変化を明らかにしたのが本書である。

分析対象とした資料は「全国高校録音調査」と「指標地域録音調査」である。前者は1986〜89年に高校生とその祖父母の音声(共通語形の読み上げ)をカセットテープに吹き込んでもらった通信調査(井上史雄による)で、ほぼ全県に及ぶ約700人のデータがある。著者はこれを「地域広域的資料」と位置づけて活用し、分析可能な443人分について語頭閉鎖音をもつ30語を測定した。後者は、その結果を受けて自ら選んだ東北・北関東・関東・近畿・九州及び雲伯の6地点において1916〜2001年生まれの各世代に渡る465人に面接調査(2006年度)をして得たもので、分析語はやはり30語で1語だけ異なる。これを「世代連続的資料」と位置づける。両資料を合わせることで、語頭閉鎖音のVOTの全国的な分布と約100年間にわたる変化が、大規模な音声データに基づいて分析可能となった。

その音響分析に基づき音声学・音韻論、言語地理学、社会言語学の多様な観点から綿密な考察を進めた結果、語頭有声閉鎖音のVOT値に関わる5つの要因(出身地域、世代、性別、調音位置、後続母音)のうち、地域差と世代差の2つが大きく関わっていることが判明した。まず、高年層では地域差があり、東北(VOTがプラスの値を取る半有声音)対その他(VOTがマイナスの完全有声音。関東以西、特に近畿が代表)に大きく分けられること、一方、若年層ではそれが大きく変化して、一言でまとめると、東京も近畿も含めて全国が東北地方の半有声音タイプに移行していることが明らかになった。すなわち、有声音の声帯振動の開始が遅れてVOT値が無声音のそれと重なり合う方向への変化、言い換えれば「半有声音化」が進んでいるという、誰も予測しなかった結論が得られたのである。

普通は気付かず、話者も意識できない音変化の進行の様子を具体的に示した画期的な業績である。この現象に部分的に気付いていた研究者はいたにしても、全国規模で起こっていることを音響分析によって疑いのない形で初めて明らかにした功績は大きい。その論証は手堅く、統計検定もし、工夫を凝らした図表を駆使して説得力のある形で述べている。

強いて言うとすれば、最初から有声/無声の対立という前提ではなく、むしろ伝統的な「清濁の対立」と緩やかに捉えてその弁別特徴を追求した方が考察がより進んだのではと思われること、また、音韻レベルと音声レベルを結びつけるマッピング理論を援用しそれに種々の改良を加えているが、現象を分かりやすく表示する効果は上げているものの、理論的な説明には至っていないと見られる点が惜しまれる。しかしながら、ともに今後の課題であって、著者が明らかにした事実がもつ意義をいささかも減ずるものではない。

本書は、その研究成果はもとより、研究手法の面でも他に大きな影響を与えるものと考えられる。正に金田一京助博士記念賞に相応しいものと評価するゆえんである。

 

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受賞の言葉

高田三枝子

千葉謙悟氏近影

このたびは、名誉ある第40回金田一京助博士記念賞を賜りまして、選考委員、関係者の方々に、こころより御礼申し上げます。第40回という節目にこの場に立てたということにも、この賞の歴史と重みを感じ、身の引き締まる思いです。

今回賞をいただいた『日本語の語頭閉鎖音の研究』がこのような栄誉を得るまでにはたいへん多くの方々のご厚意を受けました。まず申し上げなければならないのは、このような研究では、その一次資料を得ることが非常に重要な部分を占めております。今回の研究では、ここにおいでの井上史雄先生から全国高校録音資料をお借りし、また邊姫京さんに手伝っていただいて指標地域録音資料を作成することで、研究の基礎となる資料を得ることができました。これらの資料作成においては、話者となっていただいた方々をはじめとし、調査の仲介をしていただいた各地の方々がいらっしゃいます。今回は3歳から92歳までのおよそ1200名もの多くの方々に録音に参加いただきました。こうした方々のご協力なしには、決して成しえない研究でした。改めて心より感謝申し上げます。

研究を進める過程においても、多くの方々のご助言、ご助力を頂きました。賞をいただいた研究は私の博士論文がもとになっております。指導教官であった井上史雄先生、富盛伸夫先生、また研究のきっかけを作ってくださった鮎澤孝子先生をはじめとして、多くの先生方に在学中、また今に至るまで、さまざまな形でご指導、ご支援いただいております。そしてこの研究を本という形で世に出すことができたのはくろしお出版の池上達昭さん、荻原典子さんの御協力によるものです。また、経済的な支援をはじめ、精神的にも学問・研究を続ける環境を提供してくれたのは家族であり、良い家族に恵まれたことに誇りを感じ、また感謝しております。

今ここに挙げた以外にも、とても言いつくすことはできないほど、本当に多くの方々にお世話になってここまでたどり着くことができました。心から感謝申し上げます。

今回、賞を頂いた『日本語の語頭閉鎖音の研究』は、よく知られている観察対象を、ありふれた観点から、平易な手法で観察したものです。観察対象は、「破裂音の有声性」ということで、これは言語一般に普遍的に見られる事象です。日本の中でも、一般に清音と濁音として、古くより広く知られた、非常にポピュラーな概念であるといえます。地域差と世代差、変化といった観点は、これも言わずと知れた、社会科学においてあまりにも基本的な観点です。そして音響的手法ですが、これは一見、難解なイメージを持たれるかもしれませんが、VOTというパラメータは、実は非常に単純な、わかりやすい手法で観察できるパラメータで、それこそパソコンを操作できる人ならだれでも、現代では小学生でさえ観察できるような事象です。ソフトもフリーで手に入ります。つまり極端な言い方をすれば、誰でもできる研究、とも言え、その意味で私は、テーマに、ここに立たせてもらっているとも言えます。

テーマに立たせてもらっていると言いましたが、これは観察対象と観点、手法の組合せの問題とも言えます。実は、言語音声の研究において、音響的特徴を時空間的な多様性の観点から分析するという組み合わせは、意外なことに、いまだ散見的で取り組むべき課題が多く残っています。今回の研究では、日本語という言語にまさに今起きている、興味深い変化を見つけることができました。そしてこうした一つ一つの事象の観察の積み重ねは、通時体を視野に含めた、言語の全体像を求める一つの手段であり得ると考えます。

私の研究の道はまだ緒に付いたばかりで、まだまだその先は見えません。しかし音響的手法を用いた音声の多様性という課題、研究者としては宝の山とも言えると思いますが、これが目の前にある以上、取り組まなくてはなりません。金田一賞の名に恥じぬよう、今後も着実に研究を進めていきたいと思っております。

(たかだ・みえこ 愛知学院大学文学部専任講師)

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受賞者略歴

高田氏は1977年生まれ。

東京外国語大学大学院博士後期課程単位取得退学。博士(学術)。

現在、愛知学院大学文学部専任講師。

贈呈式

2012年12月16日 東京ドームホテル(東京都文京区)にて

第40回贈呈式写真