第42回金田一京助博士記念賞
松浦年男氏『長崎方言から見た語音調の構造』に対して
授賞理由
松浦年男『長崎方言からみた語音調の構造』(2014年3月 ひつじ書房刊)
本書は、長崎方言の語音調(語アクセント)をテーマに、外来語、(一般)複合語、二字漢語、人名、アルファベット関連語彙(アルファベット単独形、同頭文字語、同複合語)、及び和語を取り上げ、その規則と構造の解明を目的としたものである。項目により調査世代・人数・語数は異なるが、70代から20代の9名の話者から集めた資料に基づいている。
長崎方言は、A型とB型の2種類の型をもつ2型アクセントであり、同時にその代表とされてきた鹿児島方言とかなり異なる点もあることは古くから知られていたが、その詳細は、東京方言と対比させながら分析した本書の出現を待たなければならなかった。
著者はまず、A型、B型を2種類の「トーン」(語声調)であると規定し、位置が有意味な狭義の「アクセント」と区別する。そして、複合語・和語を除く外来語等のすべてにおいて、東京方言で語頭の2モーラ内にアクセントがあれば長崎方言ではA型、東京方言でそれ以外(第3モーラ以降かアクセントなし)であれば長崎方言ではB型であるという対応関係(対応率は8割前後)を見出し、それは両方言に共通の規則が働いているからだと解釈した。その規則とは、次末音節が特殊拍を含む重音節ならばそこに、特殊拍を含まない軽音節ならばもう一つ前の音節にアクセントを置けという、ラテン語アクセント規則と同じものである。次に、複合語は、鹿児島方言のように前部要素のA/Bがそのまま複合語のA/Bにはならず、前部がA型でも複合語全体が長くなるとB型になるとされてきた。しかし実は、A型の前部要素はその長さが関わり、2モーラまでは複合語もA型を保持するが、3モーラ以上になると複合語はB型になることを明らかにし、前部要素の最終モーラにアクセントを与えよという複合語規則にその理由を求めた。一方、3モーラ語を対象とした和語については、他と異なって、概略、東京方言でアクセントがなければA型、あればB型という別の対応関係(対応率は6割程度)があるした。そして、まとめとして、長崎方言は「トーン」言語ではあるが、これらの規則を適用した派生中間段階では「アクセント」をもつと見て、従来の類型に納まりきれないタイプであると主張している。
本書の分析は全体として詳細で、外来語、二字漢語等に音節構造や種々の環境における聞こえ度の観点を適用した解釈は新見に富む。複合語の音調の仕組みについて前部要素の長さが関与することを明らかにした点も評価される。今後、N型アクセントの類型論、トーンとアクセントの類型論にも影響を与え得る論である。
一方で、片や外来語・二字漢語等、片や和語で東京方言との対応関係が大きく異なることを指摘しながら、両者の関係についての説明がないのは惜しまれる。和語と(一般)複合語とアルファベット複合語の連関も同様である。テーマを「語音調」に限定したためか、N型アクセントに特徴的な助詞連続付きの「文節音調」への言及が皆無で、前部要素の長さが関わる複合語音調規則との関連の有無も今後の課題となっている。
しかしながら、これらを差し引いても、長崎方言語音調の興味深い特性を明らかにした功績は大きく、本選考委員会は本書を金田一京助博士記念賞にふさわしいものと判断した。
受賞の言葉
松浦年男
このたびは第42回金田一京助博士記念賞を賜ることになり、大変光栄に思うとともに、賞の名となっております金田一京助先生はもちろんのこと、歴代の受賞者の名前を前にし、この上なく身の引き締まる思いでございます。
今回受賞対象となりました拙著『長崎方言からみた語音調の構造』は、2007年に長崎市にて行った調査の結果をまとめた博士論文の改訂版となります。しかし、この研究はもちろん2007年の調査だけでできているわけではなく、始まりはさらに10年近く前までさかのぼることになります。
拙著の中心となっているトピックは語音調でございます。語音調はいわゆるアクセントとお考えくださって結構です。私がこの語音調に関心を持ったのは大東文化大学の学部3年生で、早田輝洋先生の講義を受けていたときです。授業で日本語は橋と箸のように単語によってアクセントが決まっているという話が出ました。このとき、そうしたら「あああああ」から「んんんんん」まで全部のパターンを覚えているのは大変どころか無理だろう、さて、いったいどうなっているのだろうかという非常に素朴なことを考えていました。もちろんこれらの多くは、拙著でも言及しておりますいわゆる外来語アクセント規則によって記述できるものなのですが、当時はこういったことを非常に不思議に思っておりましたし、この疑問はその後の私の研究の方向性を決めるものになりました。
しかし、実は卒業論文どころか修士論文でも語音調は扱っておらず、上海語の分節音、特に母音を中心に取り組んでおりました。ただ、その中でも修士1年のときに行ったアクセントに関する勉強会において、長崎県島原市の出身の方に簡単なアクセント調査をする機会がありました。これも拙著で扱っているのですが、長崎や鹿児島の語音調は語内で急激に下がるか下がらないかという2つのパターンしかありません。その中で複合語の語音調について調べました。当時の勉強会では先ほども名前の出ました早田先生のご著書などで出された仮説について検討しておりました。その仮説からすると、「メロン」のように単独で下がるパターンの単語から「メロン泥棒」のようにこの単語が前に来る複合語を作ると、語音調としては前の単語のものと同じ、つまり下がるパターンになるはずなのですが、協力して頂いた方はそのようにはなりませんでした。しかし、全ての複合語がこのように予測と異なっていたかというとそういうこともなく、予測どおりのものもあり、当時は大変混乱しました。
この謎をどう解くか。そのヒントとなったのは先ほど申し上げました学部時代の興味、すなわち無意味な音の連続や外来語でした。なにか関係することがあればと思い、外来語や無意味語の語音調を調べてみたところ、どうも語の長さが関わりそうだということになり、それを突破口に複合語の謎も解けました。ただ、このとき考えていた外来語と複合語の関係そのものはその後誤っていたことが分かり、表に出ることはなかったのですが、複合語に関してはこの調査結果が後の拙著の第4章へと繋がっていきました。
拙著で扱っている全てのテーマがこのようなストーリーを持っているわけではありませんが、様々な語種を調べていくことの重要さを比較的早い時期に知ることができたのは非常に幸運でした。また、このように調査の対象を広げていき、そこでの結果をまとめていくことは、私1人の力ではとうてい叶うものではありません。学部時代の指導教員である早田輝洋先生や、大学院時代の指導教員である久保智之先生をはじめ、菅豊彦先生、稲田俊明先生、坂本勉先生、上山あゆみ先生、高山倫明先生など九州大学の先生方からのご指導頂き、また、先ほど挙げましたように、九州大学言語学講座では多くの勉強会が開かれており、その場ももちろん日常の院生生活の中で仲間たちと切磋琢磨しあえたことは非常に幸運でした。そうしてまとめていった研究成果は学会や研究会で発表していきましたが、その場でも上野善道先生、木部暢子先生をはじめとした諸先生方と議論し、励ましの声を頂きました。また、今回の成果を本の形に出版できたのは、ひつじ書房の松本功さん、渡邉あゆみさんより助けをいただけたことが大きいです。そして、私が研究活動を続けて来られたのは、もちろん家族からの理解と支援があってのことです。以上の方々に改めて感謝申し上げたいと思います。
このたびこのような名誉ある賞を頂きましたが、たとえば、長崎と鹿児島の中間にある天草方言の語音調の研究など、まだやるべきことは多く残されております。今後も研究に邁進し、金田一賞の名に恥じぬよう成果を積み重ねていきたいと思います。
(まつうら・としお 北星学園大学文学部准教授)
受賞者略歴
松浦氏は、1977年生まれ。
九州大学大学院人文科学府言語・文化専攻(博士後期課程)単位取得退学。博士(文学)。
現在、北星学園大学文学部准教授。
贈呈式
2014年12月20日 東京ドームホテル(東京都文京区)にて