第43回金田一京助博士記念賞
石崎博志氏『琉球語史研究 』に対して
授賞理由
石崎博志『琉球語史研究』(2015年3月 好文出版刊)
本書は、文献資料に基づいて16世紀以降の琉球語(琉球方言)の音韻史に迫ったものである。琉球語の文献資料は、仮名で書かれた「仮名資料」と、漢字・ハングル・ローマ字で書かれている対音・対訳資料である「外国(語)資料」に大別されるが、その外国資料が本書の対象となっている。仮名資料と違って外国資料は規範や伝統から離れて現実の音声を表記する傾向が強いという研究上の利点を活かし、記述者側の言語の音体系と表記法がもつ限界に配慮しながら慎重に分析を進めることにより、多くの新しい見解を提示している。
全体は第1部の「資料篇」と第2部の「語史篇」からなる。資料篇では陳侃『使琉球録』をはじめとする漢語資料が中心をなし、申叔舟『海東諸国記』などのハングル資料、「アグノエル語彙」やクリフォード、ベッテルハイムなどのローマ字資料も扱う。そこに見られるのは徹底した校勘作業であり、特に漢語文献内の継承項目と修正・追加項目を峻別することにより、先行文献からの影響を排除し、その時代の言語実態を反映する項目に焦点を当てている。加えて、記述者の言語が方言差の大きい中国語のどの方言であったかを琉球語と音訳漢字の特徴から帰納的に導き出し、無批判に官話音を前提とする研究を修正している。
具体的には、琉球語最古の漢語資料ともされた『琉球館訳語』が、実はまず陳侃『使琉球録』(1535)の「夷語」が『日本館訳語』を参照して編纂され、その「夷語」を主、『日本館訳語』を副として利用して成立したものとする。また、『中山伝信録』の「琉語」の音訳漢字が編者の徐葆光の方言に近い蘇州の呉方言を基礎としていること、潘相『琉球入学見聞録』ではそれが南方官話に変わっていること、李鼎元『琉球訳』の音訳字は琉球人が南方官話に基づいて付けた可能性が高いことを示している。これらの作業により、琉球語史研究の基盤を確かなものにした点が特筆される。
それらを活用した語史篇では、ハ行音が[p]から[?]に変化したことが確認できるのは『中山伝信録』(1721)で、それから[h]への変化は「クリフォード語彙」(1818)あたりからであること、キ>チの変化が明確に確認できるのは『琉球訳』(1800)であることを明らかにしている。母音が3母音化したのは『琉球訳』以降で、ほぼそのころに連母音も長母音化しているとする。最後に、「アグノエル語彙」の分析結果までを概観して、16世紀初頭から20世紀初頭までの琉球語の変化は比較的緩やかで、それ以降の現代までの変化が急激で大きなものであったとまとめている。口語方言の比較研究による再建では、その変化が「いつ」起こったのかを明らかにするのは困難であるが、それを文献上から明らかにした功績は大きい。
その音価推定や音変化の説明に異論・再考の余地は残り、今後の課題である。また、現代首里方言の音形の掲載に多数のミスがあり、論拠に影響するものもあるのは残念である。
しかし、本書が緻密な文献学的考察によってこれまでの研究水準を飛躍的に高めたことは疑う余地がない。選考委員会は、本書を金田一京助博士記念賞に値するものと判断する。
受賞の言葉
石崎博志
このたびは第43回金田一京助博士記念賞を受賞する栄誉にあずかり、身の引き締まる思いです。選考委員の先生方、そして関係者の方々に、心より御礼申し上げます。
思えば、私が琉球語の研究を始めたのは、1997年に琉球大学に赴任してからでした。当初は琉球王国で使われた官話を研究するため、文献目録を編んでおりましたが、とりわけドイツ人言語学者の琉球語の記述、それも琉球語がヨーロッパに紹介された最初期の資料が眼をひきました。2000年に発表した「クラプロートの琉球語研究について」と題した論文が、私の琉球語研究の第一歩になります。この内容は拙著『琉球語史研究』では割愛しましたが、足かけ15年、琉球語の研究にたずさわったことになります。
拙著は2014年に関西大学東アジア文化研究科に提出した博士論文を基礎としております。拙著は主に琉球語の音声変化を明らかにすることを試みたものです。本研究テーマは、伊波普猷、服部四郎など錚々たる先学が手がけたものであり、こうした先学の研究成果を、テキスト・クリティックと新たな資料、そして今日的な観点で再検討し、1500年から現代までの変遷を跡付けました。分析に使用したのは、朝鮮語、中国語、琉球語、フランス語、英語の諸資料であり、特に1930年に沖縄にやってきたフランス人、シャルル・アグノエルの資料と出会えたことは、このうえない僥倖でした。
私の学問の基礎には、中国語学、特に中古音の研究があります。特に日本において精緻を極めた『切韻』系韻書の文献学的研究と中古音研究の手法は、明示こそされておりませんが拙著にも生かされております。それは漢語資料を扱う際に先行資料から継承された箇所と増補された部分を峻別し、編纂時の言語が反映された部分を分析する方法です。文献に向き合う姿勢は、恩師・慶谷壽信先生、佐藤進先生、中村雅之先生の薫陶を受けて培われたものです。また内田慶市先生は、博士論文の審査を快諾して下さり、とても助けられました。そして、拙著の上梓は好文出版の尾方社長の存在なくしては語れません。大変に手間の掛かる本を刊行して下さいました。
そして大学の同僚や、学会の友人、三線の師匠や兄弟子をはじめとする沖縄の友人・知人から多大なる恩恵をうけました。沖縄は私に全てを与えてくれた。そう言っても過言ではありません。本賞の受賞を心から喜んで下さった沖縄の方々と、この栄誉を分かち合いたいと存じます。
金田一先生のご業績、歴代受賞者のご研究を拝見し、本賞の重みを改めて感じております。日本の学術をとりまく環境が厳しさを増すなか、本賞の受賞者として恥じることのない研究を進めることが自分にはできるのか、重圧と不安を感じております。しかし、学問に誠実に向き合い、研究の喜びを一人でも多くの方々と分かち合いながら前進していきたいと思います。簡単ではありますが、受賞の言葉といたします。
(いしざき・ひろし 琉球大学法文学部准教授)
受賞者略歴
石崎博志(いしざき・ひろし)氏は、1970年生まれ。
東京都立大学人文科学研究科博士課程中退。博士(文化交渉学)。
現在、琉球大学法文学部准教授。専門は中国語史、琉球語史。
贈呈式
2015年12月19日 東京ドームホテル(東京都文京区)にて