金田一京助博士記念賞

第45回金田一京助博士記念賞

孫在賢氏 『韓国語諸方言のアクセント体系と分布』に対して

授賞理由

孫在賢『韓国語諸方言のアクセント体系と分布』(2017年3月 Chaek-Sarang〈大韓民国〉刊)

本書は,その題目通り,韓国語諸方言のアクセント体系の分布を取り扱った論考で,全6章のうち,第1章の慶尚道方言,第3章の江原道方言,第4章の全羅道方言が中心をなす。  

著者は,まず自らの母方言である慶尚北道大邱方言から記述を始める。語頭長母音音節の前にアクセント(核)があるとする先行解釈を否定し,長母音をアクセントではなく分節音の違いとして捉え直した上で,音節数nよりも1つ多いn+1の型を持つ多型アクセント体系であると解釈する。複合名詞アクセント規則も修正し,2単位形の解釈にも新提案をしている。助詞のアクセント,活用形のアクセント交替も取り扱われている。このn+1の多型アクセント体系は慶尚北道に広く分布し,近接した慶尚南道側にもあると述べる。  

第1章1.2節からは慶尚南道に移る。韓国語諸方言の中で最多のアクセント対立を持つ密陽・昌寧方言を取り上げ,中がAとBの2グループに分かれ,Aは慶尚北道型,Bは後述の慶尚南道型で,両者が合体した体系であることを明らかにする。1.3節以降は,五型アクセントに向かいつつある方言をはじめとして五型と四型のN型アクセント体系を記述し,1.6節でその間の移行過程を推定する。1.7節は三型アクセント体系を扱い,前節までの四型アクセントからではなく,大邱方言の多型体系から型の統合を経て成立したものと見ている。  

第2章咸鏡北道方言で先行報告を確認した後,第3章の江原道方言に進む。ここは従来,一部を除き無アクセント地域とされてきたが,四型,三型,二型,一型の各アクセント体系が分布し,その三型から二型への変化には下降の遅れと型の統合が関わっていると主張する。また,一型アクセントを含む多くの方言が言い切り形/接続形を区別しているという。

全羅道方言を対象とする第4章では,全羅南道に各種の三型アクセントがあることを報告する。慶尚道方言とは違って,多くに言い切り形と接続形の区別があり,長母音音節語・強子音語・弱子音語という語頭音節の分節音が音調に影響を与える点も特徴的である。

第5章は,多数の研究があってこれまで「無アクセント」とされてきたソウル方言を扱い,言い切り形と接続形の区別があることを初めて指摘し,その条件に加えて強子音語であるか否かが分かれば音調型が指定できる「一型アクセント」であると規定している。

最終章に他と異質な「韓国語諸方言一音節語幹用言のアクセント」を置くよりも,韓国語アクセント体系分布図を描いた上で総まとめをしていたら一書として完結したのにと惜しまれる。また,第1章密陽・昌寧方言は,AB両グループを合わせた全体系の音韻解釈がなく,Bに設定した上昇([)の位置づけも不分明である。先行研究の解釈,特に語声調説への見解を示さないままに自説を展開している点も物足りない。文章表現も粗い箇所がある。  

これらの問題点はあるものの,本書が60地点余りの緻密な調査によって韓国語諸方言アクセント体系の分布の大要を明らかにし,従来の研究水準を大きく高めたことは疑いない。選考委員会は,本書を金田一京助博士記念賞に値するものと判断する。

このページの先頭に戻る

受賞の言葉

孫在賢氏このたび、言語学・日本語学において長い歴史を持つ「金田一京助記念賞」をいただき、大変光栄に存じますとともに、この上ない喜びを感じております。  

拙著は、そのタイトルにもありますように、韓国語諸方言のアクセント体系とその分布について論じたものです。拙著における私の研究の一番の特徴は、各地方で独自に調査を行ない、全てのデータの収集を自分で行なったことです。この調査に基づいて、朝鮮語諸方言アクセントを共時的な観点から広範かつ網羅的に記述してきました。その成果として新しい資料を豊富に提示し,従来の報告および音韻論的解釈を大幅に修正すると同時に,個々のアクセントタイプの地理的分布を明らかにしました。本研究では、ソウル方言に基盤をおく韓国標準語の研究に加えて、興味深い現象に富みながらも十分な調査がなされないまま消え掛けているソウル周辺の方言アクセントに焦点を当てて、調査・分析を進めてきました。例えば、江原道方言は,そのほとんどの地域がソウル方言と同様,無アクセント地域であると扱われてきました。しかし実際には、四型アクセントをはじめ,三型アクセントと二型アクセントが広く分布していること,及び,慶尚道方言・咸鏡道方言と規則的な対応関係にあることが、私の調査で明らかになりました。その成果の一部については、2004年から現在までの間に、日本言語学会、日本音声学会等で報告を行ない、また、論文として投稿してきました。本書では、これらの学会発表と論文、および博士論文の内容に基づき、そこで得られた結果を整理し直すことで、朝鮮語諸方言のアクセント体系とその分布について全体的に把握することを目指しました。  

拙著における研究をすすめることができたのは、東京大学大学院にて私を指導してくださった上野善道先生のおかげです。上野先生とのご縁は、一通のEメールからでした。当時韓国にいた私は、大学院進学についてのEメールを先生あてにお送りしたのですが、先生は私が日本にいると思われたようでした。お忙しいなか、時間を割いてくださいました。韓国からおうかがいしましたところ、大変驚かれたご様子でした。その後も、大学院の試験や面接を韓国から受けに行きました。今、振り返ってみますと、このように足を運ぶということは、私の現地調査に基づいた研究方法の始まりの始まりだったのではないかとも思います。東大大学院進学後、上野先生のご専門である日本語アクセントの研究手法を韓国語諸方言アクセントの記述に応用し、研究を進めて参りましたが、先生の厳しくも温かいご指導のおかげで、時折迷いながらも、一貫して韓国語アクセントの記述研究を進めてこられました。改めて、心より感謝の意を申し上げます。まだまだ上野先生の教えに応えきれない未熟な者ではありますが、本賞の受賞をもって少しでも先生への恩返しとなっておれば幸いです。  

また、大学院時代には福井玲先生の授業に参加し、そこで学んだことが本研究の基盤となりました。福井先生にここで感謝の意を表します。この授業で金田一春彦先生の日本語アクセントの比較と変化に関する論文を拝読する機会がございました。大変興味深く読ませていただき、この時の感動故に、これまで現地調査を続けてくることができました。このたびは、金田一春彦先生とご縁のある賞をいただくことができ、たいへん嬉しく思っております。  

なお、本日お越しいただいております窪薗晴夫先生には、各種セミナー・学会にて勉強させていただき、音韻論全般における知識や考え方を学びました。厚く御礼を申し上げます。  

東京大学大学院時代に共に朝鮮語のアクセント研究に勤しんだ伊藤智ゆきさん、李文淑さん、李連珠さん、姜英淑さん、車香春さん、および拙著のベースとなっている博士論文の日本語の校正をしてくださった永澤済さん、児倉徳和さんには大変お世話になりました。感謝いたします。  

今回は、私が軸としてきた朝鮮語のアクセント研究にて賞をいただくこととなりました。音韻論を中心とする言語の諸所の事象に関心がある中で、この研究は私が大学院時代以来一貫して行ってきたものです。その意味においてこのたびの受賞は私の研究の原点を見直すきっかけとなり、また今後の研究人生の大きな励みとなりました。同時に身が引きしまる思いでもあります。まだまだ至らないところもありますが、これより一層研究に邁進し、朝鮮語のアクセント研究、そして音韻論研究に貢献していきたい所存です。  

簡単ではありますが、以上をもちまして、挨拶の言葉とさせていただきます。

このページの先頭に戻る

受賞者略歴

孫在賢(そん・じぇーひょん)氏は、1971年生まれ。大韓民国大邱市出身。韓国外国語大学校東洋語大学日本語科卒。東京大学大学院人文社会学系研究科言語学専攻博士課程修了。博士(文学)。現在、徳成女子大学校日語日文学科副教授 (2017年9月より米マサチューセッツ工科大学言語学科客員副教授)。


贈呈式

2017年12月17日 東京ドームホテル(東京都文京区)にて

第45回贈呈式写真

第45回贈呈式写真孫在賢氏