袖珍コンサイス和英辞典 復刻版

品切れ
定価
3,520円
(本体 3,200円+税10%)
判型
A6変判
ページ数
836ページ
ISBN
4-385-10106-X

大正12年、関東大震災が起きた9月1日付けで刊行

コンパクトな和英辞典の代名詞となった『袖珍コンサイス和英辞典』の復刻版。

石川林四郎 編

  • 大正12年、関東大震災が起きた9月1日付けで刊行され、コンパクトな和英辞典の代名詞となった『袖珍コンサイス和英辞典』の復刻版。
  • インディア紙を使用。
  • 創業120周年を記念して英和辞典とともに復刻。

特長

さらに詳しい内容をご紹介

『袖珍コンサイス和英辞典』を読む

武藤康史(むとう・やすし 評論家)
(「ぶっくれっと149号」掲載)
 「ぶっくれっと」一覧

 広く普及したものほどあとになって忘れられ易い――とは何かにつけて言えるだろうが、私は辞書について特にそれを感じて来た。忘れられ易いばかりでなく、実物を見るのも困難になる。二、三十年前にいわゆるベスト・セラーだった通俗小説や実用書などを古書店で探すのが難しいとはよく言われることだが、それと同じくらいの、あるいはもっと多くの部数が出ていた国語辞典、漢和辞典、英和辞典、和英辞典などを見つけることもしばしば絶望的に困難である。よく使い込まれた辞書ほどボロボロになり、古書店に売りにくい、というような事情が働くのだろうか。昔からの本を所蔵する大きな図書館でも、昔の辞書はなかなかない。やはり酷使され、廃棄されるという運命をたどったものが多いのか、などと思ってみたりする。

 だからこのたび、大正十一年刊の神田乃武・金澤久共編『袖珍コンサイス英和辞典』と大正十二年刊の石川林四郎編『袖珍コンサイス和英辞典』のそれぞれの復刻版が出たのは朗報だ。

 小島義郎『英語辞書の変遷』(研究社、平成十一年刊)においても、《「コンサイス」といえば携帯用小型英和・和英辞書の代名詞》で、《抜群の知名度があり、その影響力も多大であった》と認めつつ、《第二次大戦以前の版を手に入れることは非常に難しくなっている》と歎息していた。なぜなら、《戦火によって消失した》という理由ばかりではない、《戦争中から戦後にかけて、配給のきざみ煙草や吸い殻を解体したものを巻くのに『コンサイス』のインディアペーパーが最適だったので、多くが煙草に巻かれて灰になってしまったからである》と言う。

 その貴重な『コンサイス』の初版である。英和・和英どちらも興味津々だが、私はまず和英のほうに目を通してみた。

『コンサイス英和』は大正十一年に初版が出たあと、大正十五年に増補版を出し、そして昭和四年には『新コンサイス英和辞典』として版を改めたが、『コンサイス和英』の改訂は遅く、昭和七年、『新コンサイス和英辞典』が出るまでは、この大正十二年版が使われていた。手もとにある『新コンサイス英和辞典』の昭和五年の第二十刷(奥付の表示では《二十版》)を見ると、巻末に『コンサイス和英辞典』の広告が載っている。《コンサイス型・836頁》というのも初版のページ数と同じだ。

《コンサイス英和辞典の姉妹編として、すでにあまねく世に喧伝されてゐる本書は、実に「和英辞書」として能ふかぎりにその職能を尽くしてゐる。 コンサイスの英和をお待ちなら姉妹篇の和英をお使ひ下さい。》

 と宣伝惹句がある(《姉妹編》《姉妹篇》と字が異るのも原文のまま)。次に《特色》が箇条書きになっているが、まず、

《1. 語数十万、最新語を尽く網羅し、廃語死語を艾除し最近慣用の外来語を附録す。》

 とあって、この《最新語》とは日本語の最新語ということだろう。大正十二年と言えばまだ『広辞林』は出ておらず、明治四十年初版、明治四十四年改訂の『辞林』の「四十四年版」が一冊本の国語辞典としては恐らく最も普及していた時期である。その時期に『コンサイス和英』がいち早く採録した日本語にどんなものがあるかを知りたかった。

 するとたとえば、

《bomukaigi 防務会議(バウムクワイギ)the National Defence Council》

《niko-pon にこぽん主義 smile-and-pat policy;curry-favourism》

 などということばは『辞林』になく、大正十四年刊の『広辞林』に、

《(ぼうむ-かいぎ[防務会議](名)《大正三年大隈内閣の設立にかかり、爾後開設せられず》軍備に関する重要事項を審議し、軍事と外交及財政との調和を図るを目的とする合議機関、内閣総理大臣を議長とし、外務大臣・大蔵大臣・陸軍大臣・海軍大臣・参謀総長・海軍軍令部長を以てこれを組織す。》

《{ にこぽん(名)《故公爵桂太郎の応接振りの世評より起こる》にこにこして相手の肩を「ぽん」と叩きながら、いかにも親しげに応接して機嫌をそらさぬこと。――志ゅぎ[―主義](名)誰彼の差別なく安価に愛嬌を振りまく主義。》

 と載っていることを知る。

 また『コンサイス和英』には《chugaeri 宙返(チウガヘリ)》の見出し語があり、その用例として、

《宙返する to turn somersault;loop,the loop.》

《宙返飛行 looping the loop;loop;a loop-the-loop flight.》

《宙返飛行家 an air looper;a stunt airman.》

 が並んでいる。『辞林』では「宙返り」は「宙」の子見出しに、

《――がへり [宙返](名)地に接せず、虚空にて身体をひるがへすこと。》

 と載るだけだったのに対し、『広辞林』では、

《ちゅう-がへり[宙返](名)(一)虚空にて身体をひるがへすこと。もんどりうつこと。とんぼがへり。(二)飛行機の空中に於ける逆転。》

 と飛行機のことも加えられている。『辞林』の明治四十四年から『広辞林』の大正十四年までのあいだに飛行機がよく飛ぶようになり、飛行機が宙返りすることも知られ、国語辞典に新たな語釈が必要になった。『コンサイス和英』はそういう変化をいち早く反映していたわけだ。

 しかし、何も『広辞林』に載る新しい語や意味を一足先に載せているというだけが『コンサイス和英』の取り柄なのではない。今の例でも《宙返飛行》《宙返飛行家》は『広辞林』では子見出しにもなかった。国語辞典は意味のわかり切った複合語をいちいち取り上げないが、和英辞典は必要に応じて載せる。《宙返飛行家》などという人が大正十二年にはいたらしいことがわかるのも『コンサイス和英』のおかげである。

『コンサイス和英』には、

《hagitorigoyomi 剥取暦 a block-calendar.》

 という項目があったが、『広辞林』には「はがしごよみ」はあっても「はぎとりごよみ」はない。また、

《nikka 日貨(―クワ)Japanese goods.》

 という項目があり、

《日貨排斥 a boycott of Japanese goods.》

 という用例もあったが、『広辞林』には「日貨」はない。

 さらにまた、《chikuonki 蓄音器》の項にあった、

《無号筒蓄音器 a hornless gramophone.》

《語学練習用蓄音器 a language-phone.》

 あるいは《denwa 電話》の項にあった、

《電話呼出料 the charge for calling a person to the telephone.》

 あるいは《doro 泥》の項にあった、

《泥水社会の女 a demi-mondaine.》

 あるいは《fusho 負傷》の項にあった、

《負傷兵運搬車 an ambulance(-wagon[-cart]).》

 あるいは《jidosha 自動車》の項にあった、

《自動車打球戯 an autopolo;a motor-polo.》

《自動車競技場 a motor drome.》

《自動車置場 a garage.》

《踏乗自動車 an autoped.》

 あるいは《shimai 姉妹》の項にあった、

《姉妹要塞 mutually-supporting fortresses.》

 ……などの用例はいずれも『広辞林』にはなく、当時のほかの国語辞典にも見当らないものがあり、『コンサイス和英』は貴重な記録になっている。

 和英辞典はその時代に実際に使われている形を示すのでなければ意味がない。たとえば『辞林』に、

《(ゑん-ぴ[猿](名)手をのばしてものをつかむときの手の称。》

 という項目があったが、『コンサイス和英』では、

《enbi 猿(エンビ)を伸ばして stretcing out ones (long) arm(s).)

 となっていて、「猿」だけの訳語はなく、「猿を伸ばして」という句の訳を示している(「猿」のよみは両様あり、『コンサイス和英』は《enpi》の空見出しも立てている)。「猿」などという語は「猿を伸ばす」という言い方以外ではまず使わないわけで、「猿」だけの意味を取り上げても仕方がない。『辞林』は一語だけの語釈にこだわって堂々めぐりのような書き方になってしまっている。

「俯仰」ということばの場合、『辞林』は、

《(ふ-ぎやう[俯仰](名)下へ向くと上へ向くと。ふすとあふぐと。「―天地に愧ぢず」。》

 とよく使われる言い方も挙げていた。『コンサイス和英』は、

《fugyo 俯仰(フギャウ)天地に愧ぢず God knows,but I have done wright. I call heaven to witness that my conscience is clear.》

 とその慣用句の訳だけを示している。

 ほかにも「逐鹿」の訳語は出さずに《逐鹿場裡に打って出る》の訳を示し、「奮迅」の訳語は出さずに《獅子奮迅の勢で》の訳を示す、などの例がある。「(励)声」を引くと、《声一番》、《輪奐》を引くと《輪奐(―クワン)の美を尽した》、「泰山」を引くと《国家を泰山の安きに置く》だけの訳がある。

 今では耳遠くなった表現もあるが、当時はこういう言い方がよく使われていたのだろう。そんなこともわかる。

 見出し語の直訳もあり、用例もある、というもののほうがもちろん多い。

《hoso 捕鼠》を見たら、《catching rats.》という訳のほかにこんな用例が載っていた。

《捕鼠一匹に付五銭 5 sen for every rat caught》

 ネズミ一匹つかまえるごとに五銭くれるという、貼り紙か何かの文句なのだろう。「捕鼠」は『広辞林』にもなく、『日本国語大辞典』(第一版)にもないが、このころ使われていたことばらしい。実際に使われていることばなら載せる、というのが和英辞典の面白いところである。

「調剤」を引くと《処方調剤仕候 Prescriptions made up》という用例があった。これも貼り紙か。

「ふさはしい」を引くと《軍人の妻にふさはしい》、「いい」を引くと《活動するには洋服(の方)がいい》、「嫌疑」を引くと《独探の嫌疑を受ける》、「さあ」を引くと《さあ浅草へ来た》などという例文があらわれるのも時代色が出ている。《hakushi 博士》を引いたら《故医学博士文学博士森林太郎氏 the late Dr.Rintaro Mori,M.D.,Ph.D.》と、この辞書刊行の前の年に亡くなった?R外が登場した。

 文語体の用例もある。「段」を引くと《此段御通知申上候》、「持参」を引くと《此小切手持参人に御支払可申候》など。改まった手紙は文語で書かれた時代なのだから当然だが、訳文は平易である。先ほど引いた『コンサイス和英』の広告の《特色》はこう続いていた。

《2. 一語一句適訳を施し、難語難句を明快に訳し自在なカレントイングリツシユのみを用ひてある。》

 そして次は、

《3. 集約的編輯法の極致を尽したので語の索引至便、類語の比較応用自由である。》

 となるのだが、これは一部の漢字語は頭字一字でまとめて掲げているということで、たとえば《kun- 君-》のもとに君寵・君位・君権・君命・君民・君王・君思・君父……などが並んでいる。こういうまとめ方が引き易いとも限らないが、「凡例」では、こうすることによって《徹底的に紙面節約の一事を断行したり》と謳われていた。

《特色》は次の二つで終っている。

《4. 精巧な縮小写真凸版とし純白インディアペーパーに印刷したれば極めて鮮明。

 5. 弊社一手使用権附艶消羊革に美術的意匠(特許)を凝らしたれば体裁頗る優美。》

 表紙では丸いわくの中に書名が配されている。意匠登録してあるということだろう。八十年を経て見ても確かに優美だと思う。