コンサイス英和辞典 第13版

定価
3,520円
(本体 3,200円+税10%)
判型
A6変型判
ページ数
1,632ページ
ISBN
978-4-385-10146-0
寸法
16.7×9.6cm
  • 改訂履歴
    2001年11月15日
    普通版 発行
    2002年4月20日
    革装 発行

80年の歴史を誇る小型英和の代表!

木原研三 編

  • 大改訂・ページ増により現代語を大幅に取り入れ、俗語、日常語から専門語まで、約13万項目を収録。
  • 成句・用例も充実させ、この一冊で新聞・雑誌から本格的な読書までほとんどの使用場面に対応。
  • 伝統に裏付けされた編集で簡潔・明解な語釈は英語→日本語の切り換えをスムーズに短時間に可能にする。

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特長

さらに詳しい内容をご紹介

まえがき

「新コンサイス英和辞典」の前回の改訂は1985年であったが,その際の改訂は小規模にとどまったので,今回のような全面改訂は1975年以来で,実に25年ぶりである.その間それまでの編者佐々木達先生の御逝去を見,後事を托された筆者は余事を悉く抛ち本書の改訂に力を注いで,漸くここにその刊行を見るに至ったのである.

「三省堂コンサイス」の発刊以来の眼目は手ごろな携帯版の中に最大量の正確な情報を盛り込むことであった.その方針は今も変わらないが,ここ数年の科学,特に情報技術,生化学,医学などにおける長足の進歩は常に新語・新語義の発生を伴っているので,これをすべてカバーすることは本書のスケールをもっては到底不可能なことは言うまでもない.我々の苦心の半分は何を捨てるかにあったと言ってもよい.それでもなお256ページの増加を見たのはconciseを旨とする本書の著者としては残念なことであったが,その分だけ有用性が増していると信じる.

編集に際しては,英米の最新の辞典・事典を参照するのはもちろん,英米の新聞のCD-ROMの検索によって用法の確認も怠らなかった.また一橋大学Davenport教授との定期的な会合によりnative speakerからでなくては得られない類の教示を受け,在来の英和辞典の不備を正したことも一再にとどまらない.この点,教授に心からお礼を申し上げたい.

本書成るに当たっては,執筆に,校閲に,専門語検討に,資料調査に,多数の方々の助力を仰いだ.その御芳名は次ページに記して感謝を申し上げたい.編者の年齢から見て,この辞典の大きな改訂はこれが最後になるであろう.「紙の辞書」の今後の運命がどうなるか予断を許さないが,本書が今後も改訂を重ねて長く生命を保ち続けることを願ってやまない.

最後になったが,長年にわたってこの仕事に携わり編集作業を遂行していただいた三省堂編集部の諸氏,特に入貝良一君(及び最終段階において山口守君)にその労を多とし,深い謝意を表したい.

2001年10月

 木原研三

コンサイス英和辞典の歴史

  1. 袖珍コンサイス英和辞典 神田乃武・金沢久共編
    1922(大正11).8.25発行 コンサイス判 羊皮革装 684頁 定価2円
     
  2. 増訂コンサイス英和辞典 神田乃武・金沢久共編 三省堂編輯所増訂
    1926(大正15).9.1発行 コンサイス判 羊皮革装 782頁 定価2円40銭
     
  3. 新コンサイス英和辞典三省堂編輯所編
    1929(昭和4).9.l発行 コンサイス判 羊皮革装 1,114頁 定価2円50銭
     
  4. 改訂コンサイス英和新辞典 三省堂編輯所編
    1934(昭和9).l.20発行 コンサイス判 羊皮革装 1,122頁 定価2円50銭
     
  5. 最新コンサイス英和辞典 石川林四郎編
    1938(昭和13).2.5発行 コンサイス判 羊皮革装 1,176頁 定価3円
     
  6. 最新コンサイス英和辞典(新語篇つき) 石川林四郎編
    1947(昭和22).3.30発行 コンサイス判 紙クロース装 1,210頁 定価120円
     
  7. 最新コンサイス英和辞典改訂版(標準簡易表記) 三省堂編修所編
    1951(昭和26).9.l発行 コンサイス判 紙クロース装 1,186頁 定価380円
    1952(昭和27).6.10新コンサイス判 発行 紙クロース装 1,246頁 定価380円
     
  8. 最新コンサイス英和辞典(ジョーンズ式発音表記) 三省堂編修所編
    1955(昭和30).5.5発行 新コンサイス判 紙クロース装 1,280頁  定価380円
     
  9. 最新コンサイス英和辞典改訂版 三省堂編修所編
    1959(昭和34).1.10発行 コンサイス判 ビニール装 1,328頁 定価480円
     
  10. 最新コンサイス英和辞典第10版 三省堂編修所編
    1966(昭和41).1.1発行コンサイス判テキソン合成皮革装 1,344頁 定価650円
    1970(昭和45).1.1新装版発行 テキソン合成皮革装 1,344頁 定価880円
     
  11. 新コンサイス英和辞典 佐々木達編
    1975(昭和50).9.15発行 新コンサイス判 新合成皮革装 1,376頁 定価2,200円
     
  12. 新コンサイス英和辞典第2版 佐々木達・木原研三編
    1985(昭和60).3.20発行 新コンサイス判 新合成皮革装 1,376頁 定価2,300円
     
  13. コンサイス英和辞典第13版 木原研三編
    2001(平成13).11.15発行 新コンサイス判 新合成皮革装 1,632頁 定価3,200円

辞書づくりのむずかしさ

「ぶっくれっと」創刊号(1975年9月10日 発行)より

木原研三

 学窓を出て間もないころ、恩師のお手伝いに辞書編集に参加させていただいてから約三十年の間、断続的とはいえ何らかの英語辞書の編集に関係してきた私であるが、かけだしのころに比べて辞書づくりのむずかしさが幾分なりとも減ったという実感はない。ただひたすらに誤り無きを期するだけで私などの乏しい精力は使い果たされてしまうというのが偽らざる状況である。私が関係してきたのは主として英和辞書で、以下述べることも英和辞書編集を通じての経験におのずから限定されることを前もってご了承いただきたい。

「親がめこけたら…」

 国語学者が国語辞典を作る場合と違って我々が英和辞書を書く場合、自分がファーストハンドに知らない事柄について海外の辞書の語釈を頼りに筆を進めることが多い。実際、昭和の初期に英和辞書を書いた人たちはPODやCODをせっせと翻訳していたそうであるが、これらの辞書の定義や説明は、その語句が実際に使われている文脈なしにはnative speakerでない者にとってはしばしば難解であり、これが英和辞書における誤りの原因となるケースが少なくない。このような誤りを犯すのを避けるには、回り道のようであるが、独自に用例を集めてその文脈の中で当該語句の意味を判断するよりほかに方法はない。

 このような地道な方法を取らずに安易な引写しをしたために英和辞書編集者の犯した誤りはまことに多い。一例を挙げれば、have two strikes against one という成句に「ツーストライク・ワンボールを取られる」という訳を与えている辞書がある。これなど He had two strikes against him というような用例さえ見ればこのような誤訳など起こるはずがないのである。

 これとちょうど反対のケースが slip one over on という成句である。ウェブスター二版に既に出ている句であるが、戦後いち早く出た辞典が気をきかしたつもりでこれを slip a person over on と変えて出したため、以後この成句を載せた英和辞書は(手許に十五点ほどあるが)二点を除いてことごとく間違ってしまった。もちろんこの one は日本語で「一本取られる」という場合の「一」のようなもので、人称一般を指しているのではない。

 まさに「親がめこけたら」の典型的なケースで、いったいこれらの辞書の編集者は何を見て書いているのだろうかと疑いたくなる。ところで右に挙げた例外の二点は「三省堂ホルト」と「小学館ランダムハウス」とで、両者とも特定の外国辞書の日本語版であることはいかにも意味深長ではないか。

 もちろん、このような誤りは、執筆者に十分な学識があれば犯すことのないものであるが、神ならぬ身には思い違いということもある。そのような場合、よるべき用例の有無は決定的な重要性を持ってくる。

第一に用例の収集

 およそ辞書づくりの第一歩が用例の収集であることは自明の事実であるが、英和辞書編集の場合、範とすべきモデルが既に多く存在するため、この基礎作業がとかくなおざりにされる。それどころではない。ある英和辞典の序文でその編者は最近出版された英米の辞書を幾つか挙げて、それらの業績を適宜摂取したなどとうそぶいているが、これなど正に辞書づくりの何たるかを解さぬ人の言であろう。

 その適切な例文やシャープな語釈の故に私が日ごろ愛用している「新明解国語辞典」もその背後に100万に近い用例の収集があると聞く。もちろん私のささやかな収集はそれに比すべくもないが、それでもこの30年ほどの間に徐々に集まった用例によって、今回の「新コンサイス英和辞典」改訂になにがしかの寄与をすることができたのは幸いであった。

 しかし欧米の一流の出版社の辞書編集部では平生から完備した用例収集を心がけているらしく、私が昨年訪英の際見学したオックスフォード大学出版部の OED New Supplement 編集部の用例収集も見事なものであった。

 私がそれほど珍しいとは思われないある単語について、どうして New Supplement に入れなかったのかと、案内してくれる編集員の一人に訊ねると、彼はずらりと並んだ用例カード箱のわきに置かれた Rejected Cards の箱からその単語の用例カード数枚を引き出し、用例が少ししかないので入れなかったのだろうと立ち所に答える。やっぱり本場は違うものだと感心した次第である。

 辞書づくり、特に小型辞書の編集での最大の難関はスペースの制限であろう。限られたスペースに最大量の有効な情報を盛りこまねばならぬ編集者は、さながら翼を切られて飛ぶことを強いられる鳥の思いである。あれこれとメキャニカルな手段でスペースを切りつめてもそれには限度がある。最後は有効性の少ないと思われる情報を省くほかないが、その判定がむずかしい。こんな単語はいらないと思っても、それはたまたま自分がその単語に出会ったことがないだけのことかもしれない。

 このようなことを書きつらねればそれこそ際限がないのであるが、要するに辞書編集者のぐちだと言われればそれまでの話だ。むしろ沈黙して、でき上がった結果に語らせるにしかずである。

国語学者へのお願い

 一つ、執筆中にしばしば感じたことであるが、国語学関係の方々にお願いがある。それは英和辞書を書いたことのある人ならだれでも経験したことと思われるが、英語の語句を前にして頭をひねっても、適切な訳語がなかなか思い浮かばないことがある。

 このような時、もし英語なら Roget のThesaurus が助けてくれる。これは英語の全語彙を概念によって分類したもので、意味上類似した語句がまとめて並べてあり、索引によって該当するグループを探し当て、そこに羅列してある語句を見ていけば自分の求めているのにピッタリの語句が見つかるという仕組みになっている。英米人は主としてこれを作文に利用するので、初版出版後100年以上たった今日でも需要は衰えず、新しい改訂版が絶えず出版されているのである。ドイツ語ではもっと学術的な Dornseiff, Der Deutsche Wortschatz があり、フランス語では Dictionnaire analogique というような標題で類似の書が売り出されている。

 私は訳語を考えながら、こういう辞書が日本語にあったらどれだけ労力が節減されることであろうか、またどれだけ良く洗練された訳語を得ることができただろうかと思わざるを得なかった。

 なるほど我々にも国立国語研究所の「分類語彙表」や東京堂の「類語辞典」があるが、これらは今述べた目的にはほとんど役立たない。20回引いて満足な答が得られるのが1回ぐらいの効率では割に合わないので、ついにはどちらも敬遠してしまうことになった。現代の教養ある日本人の使う全語彙を網羅してそれを意味に従って分類した辞書、そういう辞書をぜひ作ってもらいたいものである。

「辞書の限界」ということ

 最後に、やや主題から離れるが、辞書の限界ということについて一言したい。自分で辞書を書きながら辞書の限界について特に近ごろ痛感するからである。これは例えば happy に当たる日本語がないといった種類の個々の単語の意味範囲の問題とはいささか異る性質の問題である。

 私の勤務する女子大のクラスで使っていた英文法の教科書に She is not the kind of girl to encourage lovers という文があった。クラスの学生だれに当てても「彼女は恋人を激励するタイプの女ではない」という訳しか出てこない。確かに辞書で encourage を引けば「激励する、鼓吹する、元気づける」といった訳語しか出ていないのである。

 そこで、こんな恋の手管を教えるのは僕の月給の中には入っていないことなのだがと前置きして、異性から言い寄られた場合、女性はある程度好感を持っていても単に coyness からそっけない態度をとることがある―そう期待されていた時代もあった―が、それを続けると男性のほうが気落ち( lose heart )して女性から離れてしまう恐れがある。そこで女性のほうとしても適当に男性に「気を持たせる」ように振舞う必要があるわけで、それがつまり encourage することなのだ、決して末は総理大臣になれとか大学者になれと言って「激励する」ことを指しているのではない、と説明すると、学生一同あっけにとられたような顔をするのであった。

 実際、辞書というものは言語事実の最大公約数的なものしか記載できないので、辞書と現実のテキストとの間には越え難いギャップがある。例文を提示し、語のニュアンスを説明し、類義語との異同を指摘するなど、辞書の側からこのギャップをいかに埋めようと努力しても、そのギャップを越えることはできない。

 右の例で言えば encourage のあのようなコンテクストでの意味まで辞書は面倒見きれないのだ。結局コンテクスト、それを把握する読者の人生経験の広さと深さだけがこのギャップを越えさせるのである。辞書にある訳語で置きかえるだけで英語が日本語になるというのだったらこんなに楽なことはない。

 辞書はこのギャップを飛び越えるための踏切り台であり、英語を学ぶ者は、辞書から学ぶべきものをすべて学んだ末に辞書を越えなければならない。そこに初めてテキストの完全な理解があるということを銘記すべきであろう。

(きはら けんぞう・お茶の水女子大学教授・「新コンサイス英和辞典」編集協力者)