『日本国語大辞典』は「からすのぎょうずい」を次のように説明しています。
からすの行水(ぎょうずい) 風呂に入って、ゆっくり洗うこともしないで、すぐに出てしまうことのたとえ。烏浴び。*談義本・銭湯新話〔1754〕一・宇賀神の利生話「わっさりと目出たい事を咄ましょ、サア御出と烏(カラス)の行水(キャウズイ)つれ立て上り」*洒落本・大抵御覧〔1779〕「唐の帝の温泉宮ちっとはそれにも似た物烏烏(カラス)のぎゃうずいする様にちょっと入てはききめが見へず」*譬喩尽〔1786〕二「鴉の行水(ギャウズヒ)」*滑稽本・浮世風呂〔1809~13〕二・序「烏(カラス)の行水(ギャウズイ)早拵、ざっとながして云爾」
使用例としてあげられているのは、18-19世紀の文献なので、その頃にはすでに使われていたことがわかります。1781(天明元)年には『烏行水諺草(からすのぎょうずいことわざぐさ)』という黄表紙も出版されています。
現在では「ギョウズイ(行水)」がそもそも「わからない」ということになるかもしれません。『日本国語大辞典』の見出し「ぎょうずい」も掲げておきましょう。
ぎょうずい[ギャウ‥] 【行水】〔名〕(1)神事や仏事などの前に、きよらかな水で身体を清めること。潔斎(けっさい)。*吾妻鏡‐弘長三年〔1263〕一一月八日「僧正断二五穀一。伴僧有二一日三箇度行水一」*日前宮文書‐永和元年俊長卿譲補委細日記〔1375〕(古事類苑・神祇九二)「十七日、早々御行水御忌あり、行連に同処其沙汰あり」*幸若・いふき〔室町末~近世初〕「ふうふともにわけけづり、ぎゃうすひせさせまいらせて」*わらんべ草〔1660〕一「外清浄は、行水などして、身のあかをさって、あたらしき衣をきるを云」(2)湯や水をたらいなどに入れ、その中で簡単に体の汗などを洗い流すこと。また、その湯や水。《季・夏》*玉葉‐嘉応三年〔1171〕二月一八日「今日心地無二別事一、仍行水」*平家物語〔13C前〕三・法皇被流「今夜うしなはれなんずとおぼしめすぞ。御行水をめさばやとおぼしめすはいかがせんずる」*親元日記‐寛正六年〔1465〕一二月二一日「若君様御湯めす〈小林〉於二御座敷一御たらい行水也」*浮世草子・好色一代男〔1682〕七・六「行水(ギャウズイ)の御裸身(はだかみ)みるに、久米の仙もこんな事成(なる)べし」*俳諧・俳諧古選〔1763〕追加「行水も日まぜになりぬ虫の声〈来山〉」(3)((2)をつかうように)風呂にざっとはいりすぐにあがることのたとえ。(以下略)
もともとは(1)〈神事や仏事などの前に水で身体を清めること〉で、それが(2)〈たらいに湯や水を入れて、その中で簡単に体を洗うこと〉になり、それが(3)〈風呂からすぐあがること〉に転じていったと思われます。
さて、カラスが行水をするのか? と思いますが、これはカラスが水浴びをしていることを「カラスの行水」と呼んだのでしょう。カラスが他の鳥よりも水浴び時間が短いのかどうか、それも疑問ですが、人の目につきやすかったのかもしれません。とにかく、人間が風呂に入って、短時間ででてくることを「カラスノギョウズイ」と呼ぶことが江戸時代頃からあったということです。『日本国語大辞典』の「からすのぎょうずい」の説明の最後に「烏浴び」という語が置かれています。この「からすあび」も見出しになっています。
からすあび【烏浴】〔名〕「からす(烏)の行水」に同じ。*雑俳・伊勢冠付〔1772~1817〕文化一〇「桃尻人・居風呂もざっとからす浴」
やはり江戸時代の使用例があげられています。
さて、『日本国語大辞典』には「あよく」という見出しもあります。
あよく【鴉浴】〔名〕入浴時間の短いこと。からすの行水。*江戸繁昌記〔1832~36〕二・混堂「隅に踞して盤を前にし、犢鼻を洗濯す知る可し、曠夫(〈注〉ひとりもの)なること。男にして女様、糠を用ひて精滌し〈略〉人にして鴉浴、一洗、径に去る」
中国語では「烏」は〈カラス(の総称)〉で「鴉」は〈ハシブトガラス〉で、違いがあったと思われますが、日本語の中では「烏」「鴉」には明確な違いはないと思われます。見出し「あよく(鴉浴)」の使用例として、寺門静軒の『江戸繁昌記』があげられています。『江戸繁昌記』は漢文で書かれており、「人にして鴉浴」の箇所は「人而鴉浴」となっており、「鴉浴」に振仮名は施されていません。新日本古典文学大系『江戸繁昌記 柳橋新誌』(1989年、岩波書店)は「鴉浴」に「あよく」と平仮名で振仮名を施しています。「凡例」には「適宜平仮名で歴史的仮名遣いの振り仮名を施した」とあって、本文校訂にともなっての振仮名であることがわかります。
『江戸繁昌記』が漢文で書かれていることからすれば、基調は漢語とみるのが自然です。したがって漢字列「鴉浴」も「アヨク」を文字化したものとみるのが自然でしょう。ただ、『大漢和辞典』は「鴉浴」を掲出していません。だからといって「鴉浴」が漢語ではないとは断言できませんが、漢語であったとしても頻繁に使われるような語ではない、という可能性はあるでしょう。
『江戸繁昌記』の「鴉浴」は文の意味からして、「カラスノギョウズイ」であることはたしかです。となると、まず中国にも日本同様、カラスの水浴びを短い入浴にみたてるというみたてがあって、それを「アヨク(鴉浴)」という語であらわすという「実績」があってほしいところです。『日本国語大辞典』があげている、『江戸繁昌記』2篇の「混堂」にはもともと「ユヤ」という振仮名が施されています。「混堂」は〈ふろば〉のことで、この語は『大漢和辞典』にも『日本国語大辞典』にも載せられています。この「混堂」のくだりは、カラスの鳴き声をひきあいにだしながら始まります。ひょっとしたら、それをうけて、寺門静軒が「カラスノギョウズイ」にあたる漢語風の「アヨク(鴉浴)」という語を作ったのではないか、と「妄想」したり、さらなる「妄想」としては、『江戸繁昌記』の「鴉浴」は「カラスアビ」という和語を文字化したものではないか、などあれこれ考えながら『日本国語大辞典』を読んでいます。