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『新明解日本語アクセント辞典』の内容より

『新明解日本語アクセント辞典』を編集して

秋永一枝

 (「ぶっくれっと」148号より。初版刊行時に書かれたもの。)

この十数年、メモと鉛筆を手放せないのが習い性となっている。新語を見ればメモをとり、気になるアクセントを聞けば生育地を調べ、不明な語のアクセントは人に尋ねた。歌舞伎の口上などには欠かさず行って、誰がバンドー(坂東)と言い、誰がンドーと言うか、役者の家と年齢をたしかめた。私にとってこれらは日常的なことで、別段苦にもならず、むしろ楽しい作業だった。

 この辞書の執筆で心がけたのは、解説がないのだから分りにくいものはなるべく注や用例を付けて、その補ないをするという事だった。特に宛漢字のないもの(a)や同じもの(b)は、注や用例に求めるよりない。例えば次のように。

(a)チャンチャン(仕事を〜とする)
チャンチャン<チャンチャンコ【和服】

(b)ンマイ 三枚(一枚・二枚・〜)

 サンマイ 三枚【料理】(〜におろす)

 放送や辞書によっては、魚のほうも数と同じ扱いにしている。その言葉に馴染みがなければ数から類推するのだろうが、番町皿屋敷のお菊じゃあるまいし「ンマイにおろす」はないだろう。料理のサンマイを「三枚おろし」の略とみるか、「一体・一流・三方(台)」のように数詞の意義が薄くなって熟語のようになったものとみるか。「三枚おろし」の語は日葡辞書にはあるが他に古い用例があまり無さそうだが、「三枚におろす」ほうは狂言・浄瑠璃・歌舞伎その他用例が多く、こちらが一般的で、そこから「三枚おろし」の語ができたと考えて、法則番号は「省略」の10にしなかった。  

 あとがきにも記したように、日常その言葉に馴染みのない人の類推アクセントよりも、生きて使われているアクセントこそがその言葉本来の姿だと考えているので、今の「三枚におろす」はサンマイのみでンマイは《新は》にもしていない。

 同様に、若い人に使われていない「オシメリ 御湿り(良い〜だ)」も従来の平板型のみでオメリは入れず、「ッチン 雪隠(=便所)」も類推アクセントのセッチンは入れてない。但し、若年層も使用語であるお節料理は「オセチ、《新はオチ》」のように新しいアクセントも採用した。暮に放送で頻出する新しいアクセントの攻勢には、伝統的なアクセントも為すすべがない。この頃、「夕やけこやけの赤とんぼ」の曲でアが高いのは変だという人がいるが、前の版と同じく「アカトンボ」、《古はカトンボ》」のように伝統的な型も記しておいたので、作曲された当時はアが高かったのだと理解して頂けるだろう。

 さてこの版(注:初版のこと)は、本文のみで七万五千語となってしまった。辞書という性格上新語の追加は止むを得ないが、あまりにも多い和製語を含めた外来語の増加には閉口した。介護関係一つをとってみても、介護士・介護保険・終末医療などはともかく、デイケア・ケアプラン・ターミナルケア・バリアフリーなど、年寄りが相手ということを考えてほしいものだとつくづく思う。ただこの類には、外来語に多い平板型が増えてない点がまだ救われる。

 ずっと以前から平板型が優勢のピアノ・モダン・アルバム・ライオンなどは《古はアノ、ヤノ》のように頭高型を《古は…》としたが、パート・メール・モップ・サークル・メーカー・ジャケット・スニーカー・カウンセリングなどは、年齢だけではなく話者による偏りがある。そこでこの類の平板型は《新は…》として一括処理することにした。

 この《古は》とか《新は》というのは、あくまでもその語の古い型と新しい型という目安であり、具体的な年代を示すものではない。ただここで困るのは新しい語が新しい型で発信されてしまうもので、ガーデニングなどはこの型でのみ放送され広まったから、止むを得ず新古の注記なしということになった。

 また一般の辞書よりも俗語を多く入れたのも、発音を知るための辞書として当然のことと思う。オベンチャラ・スッテンテン・オッコチル・モチャゲル・デッカイなど、放送では(アナウンサーなどに)禁句でも演劇や朗読の際には必要であろう。新語・俗語ではないが、「四合瓶」や「鼻提灯」などの家庭語が辞書類に全くないのも驚いたことだった。

 初版から固有名詞が入れてあるのも、この種の辞書としては珍しいほうだろう。去年のテレビでは、ソガゴロー、ソガジューローと「ノ」を入れずに発音しているアナウンサーがいたが、そのうち、ソガイルカやタイラキヨモリも出てくるに違いない。その点でも、歴史上の人物や多出する県名、地名の発音やアクセントを示しておくことは有用だと思っている。