人名用漢字の新字旧字:「亀」と「龜」

2017年 7月 6日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

第136回 「亀」と「龜」

昭和15年12月15日、国語協会は『標準名づけ読本』を発表しました。『標準名づけ読本』は、やさしくわかりやすい名前を子供につけることで国字運動の一翼を担おう、という意図のもとに編纂されたもので、端的に言えば、子供の名づけに用いる漢字を500字に制限しようとするものでした。この500字の中に、旧字の「龜」が含まれていました。

昭和17年6月17日、国語審議会は標準漢字表を、文部大臣に答申しました。標準漢字表は、各官庁および一般社会で使用する漢字の標準を示したもので、部首画数順に2528字が収録されていました。標準漢字表の龜部には「亀」が含まれていて、その直後に、カッコ書きで「龜」が添えられていました。「亀(龜)」となっていたわけです。簡易字体の「亀」は、旧字の「龜」に代えて一般に使用すべき漢字、ということになっていました。

昭和21年11月5日、国語審議会は当用漢字表1850字を、文部大臣に答申しました。この当用漢字表には、しかし、新字の「亀」も、旧字の「龜」も、収録されていませんでした。当用漢字表は、翌週11月16日に内閣告示されましたが、やはり「亀」も「龜」も収録されていませんでした。そして、昭和23年1月1日に戸籍法が改正された結果、「亀」も「龜」も、子供の名づけに使えなくなってしまったのです。

昭和26年3月13日、国語審議会のもと発足した固有名詞部会では、子供の名づけに使える漢字を、当用漢字以外にも増やす方向で議論が進みました。固有名詞部会は『標準名づけ読本』の500字をチェックし、500字のうち75字が当用漢字に含まれていないことを確認しました。この75字の中に、旧字の「龜」が含まれていたのです。固有名詞部会は、この75字に17字を加えた92字を、追加すべき人名用漢字として国語審議会に報告しましたが、「龜」は簡易字体の「亀」で代えることにしました。これを受けて、国語審議会は昭和26年5月14日、人名漢字に関する建議を発表しました。翌週25日、この92字は人名用漢字別表として内閣告示され、新字の「亀」が子供の名づけに使えるようになりました。

一方、旧字の「龜」は、子供の名づけに使えない、と思われていました。これに対し、昭和36年12月15日、当時の栃木県今市市の戸籍事務担当者は、今市市長経由で宇都宮地方法務局長に対し、旧字の「龜」を名に含む出生届を受理してよいかどうか、照会をおこないました。法務省民事局長の回答(昭和37年1月20日)は、旧字の「龜」も受理してさしつかえないが、なるべく新字の「亀」で出生届を提出させるよう指導してほしい、というものでした。

ところが、昭和56年5月14日の民事行政審議会答申は、この回答を覆すものでした。子供の名づけには、新字の「亀」だけを認め、旧字の「龜」は使うべきでない、という答申だったのです。昭和56年10月1日の常用漢字表内閣告示と同時に、戸籍法施行規則が改正され、新字の「亀」だけが人名用漢字になりました。旧字の「龜」は、この日をもって子供の名づけに使えなくなりました。

平成23年12月26日、法務省は入国管理局正字を告示しました。入国管理局正字は、日本に住む外国人が住民票や在留カード等の氏名に使える漢字で、13287字を収録していました。この13287字の中に、新字の「亀」と旧字の「龜」が含まれていたのです。この結果、日本で生まれた外国人の子供の出生届には、新字の「亀」に加え、旧字の「龜」も書けるようになりました。でも、日本人の子供の出生届には、新字の「亀」はOKですが、旧字の「龜」はダメなのです。

【筆者プロフィール】

安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

http://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。


『日本国語大辞典』をよむ―第11回 文豪のことば①:永井荷風が使った語

2017年 7月 2日 日曜日 筆者: 今野 真二

第11回 文豪のことば①:永井荷風が使った語

 2016年9月30日から、永井荷風『来訪者』(1946年、筑摩書房)を読み始めた。いろいろな本を平行して読むことにしているので、なかなか読み進まないが、次のような行りがある。「踊子」という作品であるが、「浅草の楽隊になりさがつてしまつた」男と、「花井花枝と番組に芸名を出してゐるシヤンソン座の踊子」と、その妹の「千代美」との話であるが、あまり露骨な表現は避け、少し短めに文を引用しておく。

 1の「楽座」はどういう語を書いたものだろう、とまず思った。読み進むうちに、2にゆきあたり、「ガクザ」という語を書いたものであることがわかった。ほんとうは初めて出て来たところに振仮名を施してほしいが、振仮名があっただけよかったと思うことにしよう。ここで『日本国語大辞典』にあたってみたが、「らくざ(楽座)」は見出しになっているが、「がくざ(楽座)」はなっていなかった。『日本国語大辞典』が大規模な辞典であるだけに、この語は見出しになっているかどうか、ということがつねに気になる。さらに読み進めていくと3にゆきあたった。1と2とから「オーケストラボックス」のような場所が「ガクザ(楽座)」であろうと見当をつけていたが、3をみて、だいたいそれでよさそうだと思った。ところが、さらに読み進めていくと4にゆきあたった。4では漢字列「楽座」に「バンド」という振仮名が施されている。この「楽座(バンド)」で少しわからなくなった。『日本国語大辞典』の見出し「バンド」の〔二〕には「一組の人々。一団。特に楽団。ふつう軽音楽演奏の楽団。また、その演奏」とある。つまり「オーケストラボックス」というような語義の「バンド」は『日本国語大辞典』の記事からは見つけることができない。あるいは楽師がいる場所をも「バンド」と称することがあったのかもしれない。

1 舞台下の楽座から踊子が何十人と並んで腰をふり脚を蹴(け)上げて踊る、(108ページ)

2 楽屋口で田村と別れ、わたしは舞台下の楽座(がくざ)へもぐりこむと、後一回で其日の演芸はしまひになります。(132〜133ページ)

3 やがて入梅になる。暫くすると突然日の照りかゞやく暑い日が来ました。わたし達の家業には暑い時が一番つらいのです。楽師の膝を突合せて並んでゐる芝居の楽座(がくざ)は夏のみならず、冬も楽ではありません。看客の方から見たら楽器さへ鳴らしてゐればいゝやうに見えるかも知れませんが、寒中は舞台下から流れてくる空気の冷さ、足の先が凍つて覚えがなくなりますが、夏の苦しさに較べればまだしもです。(144ページ)

4 夜十二時頃に座元(ざもと)から蕎麦か饂飩(うどん)のかけを一杯づつ出します。蕎麦屋の男がその物を看客席へ持運んで来るのを見るや、舞台にゐる者はわれ先に下りて来て、中には楽座(バンド)の周囲(まはり)に立つたまゝ食べ初めるものもあります。(157ページ)

 ここまでは、少々の疑問を含みながら、「ガクザ(楽座)」という語があって、おそらくその語義は「オーケストラボックス」にちかいもので、それが『日本国語大辞典』には見出しとなっていない、という話題であった。

 「ガクザ(楽座)」が『日本国語大辞典』に見出しとなっていなかったので、いわばはずみがついて、「踊子」を読みながら、「これはどうだろう」と思う語について、『日本国語大辞典』にあたってみた。すると108ページから160ページの間に使われていた次のような語が『日本国語大辞典』の見出しになっていないことがわかった。

5 当人の述懐によれば十六の時、デパートの食堂ガールになり宝塚少女歌劇を看て舞台にあこがれ、十八の時浅草○○館の舞踊研究生になつた。(109ページ)

6 雪も今朝(けさ)がた積らぬ中にやんでしまつたのを幸、これから姉妹(きやうだい)して公園の映画でも見歩かうと云ふので、三人一緒に表通の支那飯屋で夕飯をたべ、わたしだけ芝居へ行きました。(112〜113ページ)

7 話題を転じようと思つた時、隣のテーブルにゐる事務員らしい女連の二人が、ともども洋髪屋の帰りと見えて壁の鏡に顔をうつして頻に髪を気にしてゐるので、(126ページ)

8 「お前も、もうパマにしたら。きつと似合ふよ。」(126ページ)

9 前以て振附の田村から約束通り月々三十円秘密に送つてくるので、わたしは花枝と相談して千代美を近処の姙婦預り所へ預けて世話をして貰ふことにしました。(160ページ)

 6は現在の「チュウカリョウリヤ(中華料理屋)」にあたる語と思われる。「シナ(支那)」は現在では使用しない語であろうが、過去においてこうした語があったということは知っておいてよいだろう。7の「ヨウハツヤ(洋髪屋)」は現在であれば「ビヨウイン(美容院)」であろう。8は現在の「パーマ」であることはすぐわかる。

 9などはいわば施設名であるので、そういう施設がなければ語も存在しない。いろいろな施設名をすべて見出しとすることはできないといえばできないのでこの語が『日本国語大辞典』の見出しになっていないことは当然かもしれない。

 やはりおもしろいのは5の「ショクドウガール(食堂ガール)」だろう。文脈からすると「エレベーターガール」と同じような、職業名に思われる。

 永井荷風の「踊子」は1948年に井原文庫として刊行されている。この頃の語を『日本国語大辞典』が見出しとしていないわけではないと考えるが、まだ歴史的にとらえる時期にはなっていないかもしれない。

 今自身が使っている語、自身の身のまわりで使われている語には注意が向きやすい。また「内省」もはたらくので、微細な変化にも気がつきやすい。それゆえ(といっておくが)、現代日本語の観察、分析も盛んに行なわれる。現在は過去の日本語よりも「今、ここ」の日本語に関心が向けられていると(少なくとも筆者には)感じられるが、それでも過去の日本語についての観察、分析も行なわれている。明治時代は「やっと」過去としてとらえられるようになったように思うが、大正時代、昭和時代は明らかな「過去」とはまだ思いにくいかもしれない。そこが『日本国語大辞典』の「エアポケット」なのだろうか。しかしそれはいたしかたないことと思う。

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※特に出典についてことわりのない引用は、すべて『日本国語大辞典 第二版』からのものです。引用に際しては、語義番号などの約物および表示スタイルは、ウェブ版(ジャパンナレッジ http://japanknowledge.com/)の表示に合わせております。

◆この連載の目次は⇒「『日本国語大辞典』をよむ」目次へ

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【筆者プロフィール】

今野真二(こんの・しんじ)

1958年、神奈川県生まれ。高知大学助教授を経て、清泉女子大学教授。日本語学専攻。

著書に『仮名表記論攷』、『日本語学講座』全10巻(以上、清文堂出版)、『正書法のない日本語』『百年前の日本語』『日本語の考古学』『北原白秋』(以上、岩波書店)、『図説日本語の歴史』『戦国の日本語』『ことば遊びの歴史』『学校では教えてくれないゆかいな日本語』(以上、河出書房新社)、『文献日本語学』『『言海』と明治の日本語』(以上、港の人)、『辞書をよむ』『リメイクの日本文学史』(以上、平凡社新書)、『辞書からみた日本語の歴史』(ちくまプリマー新書)、『振仮名の歴史』『盗作の言語学』(以上、集英社新書)、『漢和辞典の謎』(光文社新書)、『超明解!国語辞典』(文春新書)、『常識では読めない漢字』(すばる舎)、『「言海」をよむ』(角川選書)、『かなづかいの歴史』(中公新書)がある。

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【編集部から】

現在刊行されている国語辞書の中で、唯一の多巻本大型辞書である『日本国語大辞典 第二版』全13巻(小学館 2000年~2002年刊)は、日本語にかかわる人々のなかで揺らぐことのない信頼感を得、「よりどころ」となっています。
辞書の歴史をはじめ、日本語の歴史に対し、精力的に著作を発表されている今野真二先生が、この大部の辞書を、最初から最後まで全巻読み通す試みを始めました。
本連載は、この希有な試みの中で、出会ったことばや、辞書に関する話題などを書き進めてゆくものです。ぜひ、今野先生と一緒に、この大部の国語辞書の世界をお楽しみいただければ幸いです。隔週連載。


続 10分でわかるカタカナ語 第17回 タスク

2017年 7月 1日 土曜日 筆者: もり・ひろし & 三省堂編修所

10分でわかる「タスク」の意味と使い方

どういう意味?

 「やるべき作業」という意味です。

もう少し詳しく教えて

 タスク(task)はもともと英語で、「やるべき作業」を意味します。

 この言葉のニュアンスは、類義語と比べることで理解できます。「作業」を意味するカタカナ語には、「ワーク(work)」「ジョブ(job)」「タスク」などがあります。このうちワークは「作業一般」を表す概念(英語では不可算名詞の扱い)。いっぽうジョブやタスクは「具体的なやるべき作業」をさします(英語では可算名詞の扱い)。このうちタスクに限り「課せられたもの」「困難なもの」というニュアンスが伴う場合があります。

どんな時に登場する言葉?

 作業や仕事にかかわる場面で登場する言葉です。またコンピューターの分野では「処理の実行単位」という意味でタスクという言葉が登場します。

どんな経緯でこの語を使うように?

 大正時代に出版された外来語辞典に掲載されている例もありますが、一般に広まったのは1990年代後半以降のことでした。まずコンピューター用語として使用が広がり、その後、一般的な「作業」の意味でも使われるようになりました。

タスクの使い方を実例で教えて!

タスクを使った表現のいろいろ

 次のような表現が可能です。「タスクを始める」「タスクを開始する」「タスクを実行する」「タスクをこなす」「タスクに集中する」「タスクを中断する」「タスクをやめる」「タスクを終える」「タスクを終了する」「タスクを繰り返す」。いずれの場合も「タスク」を「作業」に置き換え可能である点に注目してください。

「タスク管理」

 ビジネスマンの中には、自身がこれから行うべき作業・行動を一覧表にまとめて管理する人もいます。これを「タスク管理」と呼びます。近年ではスマートフォンなどで「タスク管理アプリ」や「タスク管理ツール」を活用する人も増えているようです。

コンピューターの「タスク」

 コンピューターの分野では「処理の実行単位」をタスクと呼んでいます。しかしながらこの用語は、同じコンピューターの分野でも、技術分野やシステムによって定義が異なる場合やそもそも定義があいまいな場合があるので注意が必要です。

 複合語もあります。例えばコンピューター分野での「タスク管理」とは「タスクの実行を制御するための機能」のこと。また「マルチタスク(multi task)」とは「複数のタスクを並行して実行する仕組み」をさします。

 お使いのパソコンの基本ソフトが『ウィンドウズ』シリーズである場合は「タスクバー」「タスクトレイ」「タスクマネージャー」などの用語に馴染みがあるかもしれません。ここでいうタスクとは、おおむね「実行中のプログラム」のことをさします。

 なお「タスクを実行する」「タスクを中断する」「タスクを終了する」などの表現は、コンピューターの分野でもそのまま利用できます。これらに加えて「タスクを起動する」「タスクを生成する」「タスクを切り替える」など、この分野に固有の表現も存在します。

「タスクフォース」

 「特別な目的のため臨時に編成するチーム」をタスクフォース(task force)と呼びます。TF と略す場合もあります。

 本来は軍隊用語のひとつ。特別任務を遂行するために、通常の組織とは別に編成する「特別部隊」や「機動部隊」を指します。部隊を意味する「フォース」という語を含むのはこのためです。

 転じてビジネスや行政などの分野でも「特別作業班」のことをタスクフォースと呼ぶようになりました。例えば日本政府は2009年に「JAL(日本航空)再生タスクフォース」を、また2010年に「自殺対策タスクフォース」を設置しています。いずれも「緊急かつ困難な課題(企業再生や自殺対策)を解決するために臨時で編成される少人数の組織」をさしています。「タスクチーム」と言う場合もあります。

言い換えたい場合は?

 基本的には「作業」「仕事」「処理」「課題」「行動」などの言葉で言い換え可能です。例えばビジネスの文脈で登場する「タスク管理」は「作業管理」「行動管理」と言い換えることができます。

 コンピューター分野のタスクは、無理に言い換えをしないほうが無難です。言及しようとする分野でタスクがどのように定義されているのか(いないのか)を確認したうえで、「処理の実行単位」「実行中のプログラム」などの補足を適切に行うのがよいでしょう。

 タスクフォースは、軍事的文脈では「特別部隊」、一般的文脈では「緊急対応チーム」などと言い換えることが可能です。

雑学・うんちく・トリビアを教えて!

タスクの理解率 国立国語研究所が2006年にまとめた『「外来語」言い換え提案』によれば、タスクの意味を理解する人は「全世代」「60歳以上」のいずれも25%未満でした。適切な言い換えや認知率の向上が求められるカタカナ語のひとつといえるでしょう。

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【筆者プロフィール】

もり・ひろし & 三省堂編修所

■もり・ひろし
 新語ウォッチャー(フリーライター)。鳥取県出身。プログラマーを経て、新語・流行語の専門ライターとして活動。『現代用語の基礎知識』(自由国民社)の「流行観測」コーナーや、辞書の新語項目、各種雑誌・新聞・ウェブサイトなどの原稿執筆で活躍中。

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【編集部から】

 「インフラ」「アイデンティティー」「コンセプト」等々、わかっているようで、今ひとつ意味のわからないカタカナ語を詳しく解説し、カタカナ語に悩む多くの方々に人気を博したコンテンツ「10分でわかるカタカナ語」が、ふたたび帰ってきました。
 「インテリジェンス」「ダイバーシティー」「エビデンス」など、日常生活の中で、新たなカタカナ語は引き続き、次々に生まれています。世の中の新しい物事は、カタカナ語となって現れてくると言っても過言ではありません。
 これら悩ましいカタカナ語をわかりやすく考え、解説してゆきます。
 毎週土曜日更新。

【関連書籍】

●『コンサイスカタカナ語辞典 第4版』
定評あるカタカナ語辞典の第4版。約56,300語収録。詳細は こちら

●『見やすいカタカナ新語辞典』
大きく見やすい活字でカタカナ新語が引ける。約13,000語収録。詳細は こちら


広告の中のタイプライター(10):Fox Visible Typewriter No.24

2017年 6月 29日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

タイプライターに魅せられた男たち・補遺

『Popular Mechanics』1911年4月号

『Popular Mechanics』1911年4月号(写真はクリックで拡大)

「Fox Visible Typewriter No.24」は、フォックス(William Ross Fox)率いるフォックス・タイプライター社が、1908年頃に発売したフロントストライク式タイプライターです。1888年にフォックス・マシン社を創業して以来、フォックスは、トリマーや製粉機あるいは自転車などを、ミシガン州グランドラピッズで作り続けてきました。加えて、フォックス・タイプライター社を併設し、アップストライク式タイプライターを製造・販売していたのですが、「Underwood Standard Typewriter No.5」の爆発的ヒットに触発されたのか、フロントストライク式タイプライターの製造も始めたのです。

「Fox Visible Typewriter No.24」は、44キーのフロントストライク式タイプライターで、円弧状2列に配置された44本の活字棒(type arm)と、その上にかぶさる「THE FOX」の金文字が特徴的です。活字棒は、タイプバスケットの手前に26本、奥に18本が配置されています。各キーを押すと、対応する活字棒が立ち上がって、プラテンの前面に置かれた紙の上にインクリボンごと叩きつけられ、紙の前面に印字がおこなわれます。これにより、打った文字がその瞬間に見えるのです。44本の活字棒には、それぞれ活字が2つずつ埋め込まれていて、シフト機構により、88種類の文字が印字できます。通常は小文字や数字が印字されるのですが、キーボード最下段の左右端にある「SHIFT KEY」を押すと、タイプバスケット全体が持ち上がって、大文字が印字されるようになるのです。

キー配列は基本的にQWERTY配列で、上の広告のキーボードでは、最上段の数字側は23456789-¢/、シフト側は“#$%_&’()@⅛と並んでいるようです。次の段は、小文字側がqwertyuiop½⅞、大文字側がQWERTYUIOP¼¾と並んでいます。その次の段は、小文字側がasdfghjkl;⅝、大文字側がASDFGHJKL:⅜と並んでいます。最下段は、小文字側がzxcvbnm,.=、大文字側がZXCVBNM?.+です。また、黒赤2色のインクリボンにより2色の印字が可能で、キーボード最上段の左端(「2」の左側)にある赤いキーで印字を赤に、その次の段の左端(「Q」の左側)にある黒いキーで印字を黒に、それぞれ切り替えることができます。キーボード最上段の右端(「/」の右側)が「MARGIN RELEASE」キー、その上方のフロントパネル前面にあるのが「BACK SPACER」キーです。

フォックス・タイプライター社は、「Fox Visible Typewriter No.24」の標準価格を、100ドルに設定していました。500日間で割ると、1日20セント。ただ、日曜や祝日を除いて500日間となると、約20ヶ月が必要となるはずなのですが、上の広告では、そこまでは触れていなかったようです。

【筆者プロフィール】

安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

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モノが語る明治教育維新 第12回―文部省発行の家庭教育錦絵 (2)

2017年 6月 27日 火曜日 筆者: 唐澤 るり子

第12回―文部省発行の家庭教育錦絵 (2)

 文部省が家庭教育のために発行した錦絵のうち、この回では江戸期の伝統を引き継いだ1・2・3のシリーズについて、具体的に見ていきます。

 1の「衣食住之内家職幼絵解之図(いしょくじゅうのうちかしょくおさなえときのず)」は家の建築を扱い、設計から上棟までのプロセスを段階的に説明した9枚と、左官、鍛冶屋、畳屋といった造作(ぞうさく=障子・畳・床の間・柱など、建物の内装部分)を担った職人の仕事紹介11枚で構成されています。

 幼児と家づくり、少し意外な組み合わせですが、江戸期には、種々の職人の姿を集めた「職人尽(づくし)」を絵解きしたものが人気でしたし、寺子屋でも往来物『番匠往来』を使って建築資材や基本用語を学びました。家を建てることはいつの時代も人生の大仕事であり、その基礎的知識を幼少期に授けることも重要と考えられていたのでしょう。子どもにとっては遊びの少ない時代でしたし、目に見えて刻々と変化する普請場(ふしんば)は身近なワンダーランドとして、面白かったのかもしれませんね。

 「衣食住之内家職幼絵解之図」とシリーズ名が付されていること、曜斎国輝(二代歌川国輝)と絵師の名前が記され、描いた人物が特定できるところが他のシリーズと違います。描かれている家づくりは江戸期からの伝統的な手法で、文明開化の要素といえるのは、瓦の製造に加え煉瓦が紹介されていること、丁髷の他に断髪した散切り頭(ざんぎりあたま)の職人が描かれている程度です。


(写真はクリックで拡大)

 2の農林・養蚕では日本の代表的な産物である米・茶・絹(蚕)、それに糊として用いられる蕨(わらび)、材木としてはもちろん、その葉はお線香にもなる杉の生育法と用途を紹介しています。どれも伝統的な方法で、絵図中にも開化的な要素は見受けられず、1と同様に散切り頭の人物が描かれている程度です。


(写真はクリックで拡大)

 3の教訓・道徳では、善行を勧め、悪行を戒める題材が取り上げられています。善行は「早朝の掃除」「勉強する童男(わらべ)」「勉強する家内(かない)」「出精する家内」「心切(しんせつ)なる童女(わらべ)」の5枚、悪行は「狡戯(わるあそび)をなす童男」「小盗(こぬすみ)する者」「争闘(あらそい)を好む童男」「粗暴の童男」「難渋者ヲ侮辱(はずかし)ムル童男」「疎漏より出来(しゅったい)する怪我」の6枚です。このシリーズは「早朝の掃除」以外は画題のみで、詞書(ことばがき)がありません。他ではある説明文を付けなかったのは、絵を見ながらしていいこと悪いことを親が子に諭して導いてほしい、との思いがあったからではないでしょうか。どれも常識的な教えではありますが、学制が布(し)かれて1年、勧学の意図は見て取れます。絵図中の開化度は1・2に比べては高く、西洋の物品が描かれているものも登場します。「心切なる童女」では、御者に鞭(むち)うたれながら走り抜ける馬車が大きく描かれ、後ろ姿の男性が持つ緑の西洋傘が何とも印象的です。

 この時代、職人の世界や農村では江戸のままであるのに比べ、都市では文明開化が着実に進んでいることを感じさせる一枚です。

◆この連載の目次は⇒「モノが語る明治教育維新」目次へ

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【筆者プロフィール】

『図説 近代百年の教育』

唐澤るり子(カラサワ・ルリコ)

唐澤富太郎三女
昭和30年生まれ 日本女子大学卒業後、出版社勤務。
平成5年唐澤博物館設立に携わり、現在館長
唐澤博物館ホームページ:http://karasawamuseum.com/
唐澤富太郎については第1回記事へ。

※右の書影は唐澤富太郎著書の一つ『図説 近代百年の教育』(日本図書センター 2001(復刊))

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【編集部から】

東京・練馬区の住宅街にたたずむ、唐澤博物館。教育学・教育史研究家の唐澤富太郎が集めた実物資料を展示する私設博物館です。本連載では、富太郎先生の娘であり館長でもある唐澤るり子さんに、膨大なコレクションの中から毎回数点をピックアップしてご紹介いただきます。「モノ」を通じて見えてくる、草創期の日本の教育、学校、そして子どもたちの姿とは。
更新は毎月第二火曜日の予定です。


続 10分でわかるカタカナ語 第16回 サステナブル

2017年 6月 24日 土曜日 筆者: もり・ひろし & 三省堂編修所

10分でわかる「サステナブル」の意味と使い方

どういう意味?

 「(環境・社会・経済の面で負荷が少なく)持続可能な」ということです。「サステイナブル」「サスティナブル」とも書きます。

もう少し詳しく教えて

 サステナブル(sustainable)はもともと英語で、「持続可能な」という意味です。

 この「持続可能な」とは「そのやり方が将来も継続できる」ことを意味します。多く、環境を中心とする分野において言われます。例えば「サステナブルな社会」と言った場合、それは「将来にわたって持続可能な社会」のことをさします。より具体的に言うと「環境を保護して資源も浪費しないことにより、将来世代も現役世代と同じように発展の恩恵を受けながら暮らせる社会」のことです。

どんな時に登場する言葉?

 環境問題などの「社会的課題」を語る際に、よく登場する言葉です。ここでいう社会的課題には、環境・資源・エネルギー・貧困・教育・人権などの課題が含まれます。

 例えば資源の分野では「サステナブルな水産資源の管理(=水産物の乱獲をやめること)が必要」などの文が登場します。また人権の分野では「工場をサステナブルに運営するため、劣悪な労働条件を見直した(=低賃金や過剰労働などを排した)」のような言い方も登場します。

 いっぽう経営分野で限定的に登場するサステナブルも存在します。例えば「サステナブル成長率」(持続可能成長率=内部投資のみで実現できる成長の比率:企業価値を評価する指標のひとつ)のように、会社の継続可能性について言う場合がこれに当たります。

どんな経緯でこの語を使うように?

 サステナブルという言葉が注目されたきっかけは「持続可能な開発(sustainable development)」という概念にありました。これは「『持続可能性』と『開発』は両立できる」という考え方、つまり「『環境保全』と『社会の発展』は両立できる」という考え方をさします。もっと言えば「『将来世代』と『現役世代』の利益は両立できる」とも言っているわけです。

 この概念が提唱されたのは1987年のことでした。国連の「環境と開発に関する世界委員会(通称、ブルントラント委員会)」が本概念を中核に据える提言を行ったのです。以後サステナブルという言葉は「環境」や「社会的課題」と深く結びつけて使われています。

 なお日本の新聞記事(注:毎日・朝日・産経・読売調べ)で、サステナブルの登場頻度が増えたのはゼロ年代(2000年〜09年)以降のことです。

サステナブルの使い方を実例で教えて!

サステナブルな社会

 持続可能性が求められる物事について「サステナブルな社会」「サステナブルなライフスタイル」などのように表現できます。

サステナブルケミストリー

 サステナブルを含む複合語もあります。例えばサステナブルケミストリー(sustainable chemistry)とは「持続可能な社会づくりに貢献する化学」のこと。環境保護に役立つあらゆる化学的手法(廃棄物・二酸化炭素排出の抑制、省エネ、エネルギーの効率化、自然エネルギーの利用、再利用素材の活用など)をさします。このほかサステナブル建築、サステナブルデザイン、サステナブル経営などの複合語もあります。

SDGs

 sustainable を含む略語(頭文字語)も存在します。例えば SDGs は Sustainable Development Goals の略で「持続可能な開発目標」のこと。国連が2015年に採択した国際目標を指します。これは2001年の MDGs(ミレニアム開発目標)を引き継ぐ新しい目標。「貧困の解消」「飢餓の解消」「健康や福祉の実現」「教育機会の確保」「ジェンダーの平等」など17の目標および169のターゲット(具体的な目標達成基準)が掲げられています。

サステナビリティー

 形容詞の sustainable に対して、名詞形である sustainability という言葉が存在します。カタカナ語で表すと「サステナビリティー」「サスティナビリティー」となります。多くの場合は「持続可能性」と言い換えることが可能です。

言い換えたい場合は?

 ほとんどの場合「持続可能」を使って言い換えることが可能です。例えば「サステナブルな発展」は「持続可能な発展」と表現できます。ただし「持続可能」と言い換えただけでは、「持続可能な開発」の概念が伝わらないかも知れません。その場合は適宜、「環境負荷の少ない」「将来にわたって利益享受できる」といった補足説明を加えると良いでしょう。

雑学・うんちく・トリビアを教えて!

ISO 26000 企業の社会的責任(CSR)という概念があります。これは企業が果たすべき責任を、経済的責任や法的責任だけでなく、より広範な社会的責任(すなわち「持続可能な開発」への寄与)に広げようとする考え方をさします。この社会的責任について、国際標準化機構(ISO)が2010年に ISO 26000と呼ぶガイドラインを策定しました。企業を始めとする「あらゆる組織」を対象に、持続可能性にかかわる項目を含めた、社会的責任の観点から遵守すべき事柄をまとめた手引書です。

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【筆者プロフィール】

もり・ひろし & 三省堂編修所

■もり・ひろし
 新語ウォッチャー(フリーライター)。鳥取県出身。プログラマーを経て、新語・流行語の専門ライターとして活動。『現代用語の基礎知識』(自由国民社)の「流行観測」コーナーや、辞書の新語項目、各種雑誌・新聞・ウェブサイトなどの原稿執筆で活躍中。

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【編集部から】

 「インフラ」「アイデンティティー」「コンセプト」等々、わかっているようで、今ひとつ意味のわからないカタカナ語を詳しく解説し、カタカナ語に悩む多くの方々に人気を博したコンテンツ「10分でわかるカタカナ語」が、ふたたび帰ってきました。
 「インテリジェンス」「ダイバーシティー」「エビデンス」など、日常生活の中で、新たなカタカナ語は引き続き、次々に生まれています。世の中の新しい物事は、カタカナ語となって現れてくると言っても過言ではありません。
 これら悩ましいカタカナ語をわかりやすく考え、解説してゆきます。
 毎週土曜日更新。

【関連書籍】

●『コンサイスカタカナ語辞典 第4版』
定評あるカタカナ語辞典の第4版。約56,300語収録。詳細は こちら

●『見やすいカタカナ新語辞典』
大きく見やすい活字でカタカナ新語が引ける。約13,000語収録。詳細は こちら


人名用漢字の新字旧字:「愛」と「㤅」

2017年 6月 22日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

第135回 「愛」と「㤅」

135love.png新字の「愛」は常用漢字なので、子供の名づけに使えます。旧字の「㤅」は、常用漢字でも人名用漢字でもないので、子供の名づけに使えません。旧字の「㤅」は、下部に夊がくっついて「𢙴」になり、上部の旡が変化して「𢜤」さらには新字の「愛」になった、と考えられていますが、細かいことはわかりません。

昭和17年6月17日、国語審議会は標準漢字表2528字を、文部大臣に答申しました。標準漢字表は、各官庁および一般社会で使用する漢字の標準を示したもので、心部に新字の「愛」が収録されていましたが、旧字の「㤅」は収録されていませんでした。文部省は12月4日に標準漢字表を発表しましたが、そこでも新字の「愛」だけが含まれていて、旧字の「㤅」は含まれていませんでした。

昭和21年4月27日、国語審議会に提出された常用漢字表1295字には、心部に新字の「愛」が含まれていて、旧字の「㤅」は含まれていませんでした。国語審議会が11月5日に答申した当用漢字表でも、新字の「愛」だけが含まれていました。翌週11月16日に当用漢字表は内閣告示され、新字の「愛」は当用漢字になりました。昭和23年1月1日に戸籍法が改正され、子供の名づけに使える漢字が、この時点での当用漢字表1850字に制限されました。当用漢字表には新字の「愛」が収録されていたので、「愛」は子供の名づけに使ってよい漢字になりました。旧字の「㤅」は、子供の名づけに使えなくなってしまいました。

昭和56年3月23日、国語審議会が答申した常用漢字表1945字には、新字の「愛」が収録されていましたが、旧字の「㤅」はカッコ書きにすら入っていませんでした。昭和56年10月1日に常用漢字表は内閣告示され、新字の「愛」は常用漢字になりました。その一方で旧字の「㤅」は、常用漢字にも人名用漢字にもなれなかったのです。

平成16年4月1日、法務省民事局は『戸籍手続オンラインシステム構築のための標準仕様書』を通達、合わせて戸籍統一文字を発表しました。戸籍統一文字は、電算化戸籍に用いることのできる文字で、当初の時点では、漢字は55255字が準備されていました。この55255字の中に、「愛」「𢜤」「𢙴」「㤅」が含まれていたのです。つまり、コンピュータ化された戸籍の氏名には、「愛」も「𢜤」も「𢙴」も「㤅」も使えるよう、システム上は設計されているのです。けれども法務省は、出生届には新字の「愛」しか許しませんでした。その結果、現在も、子供の名づけに新字の「愛」は使えますが、旧字の「㤅」は使えないのです。

【筆者プロフィール】

安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

http://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。


『日本国語大辞典』をよむ―第10回 語源未詳

2017年 6月 18日 日曜日 筆者: 今野 真二

第10回 語源未詳

 筆者は大学の日本語日本文学科という学科に所属している。この学科では卒業論文を必修科目としているので、毎年卒業論文の指導をしている。指導する学生の数は、10人以上であることがほとんどで、今まで一番多かった年は27人の指導をした。筆者は、3年生の時に、どんなテーマで論文を書くかということを相談する時間を設けて、個別的な相談をするが、そこで学生がやってみたいというテーマとして、「オノマトペ」と「語源」と「若者言葉」が必ずといっていいほどあげられる。

 「オノマトペ」は論文として仕上げるのが案外難しいので、そのように説明をし、日本語の場合「語源」はわからない場合があるから、これもあまりすすめられない旨を伝える。日本語の場合は、同じ系統の言語がわかっていない。したがって、例えば「ヤマ(山)」という語の語源は何か、ということについて考える場合、他言語を援用することができない。となると、日本語の中で考えるしかなく、考察には自ずから限界がある。「ヤマ」という語は「ヤ」「マ」2拍で構成されている。原理的に考えれば、まず1拍の語があって、それが結びついて2拍の語になるはずだ。だから「ヤ」とは何か、「マ」とは何か、ということをつきとめなければならない。

 『日本国語大辞典』には「語源説」という欄が設けられている。『日本国語大辞典』第1巻の「凡例」「語源説欄について」の1.には「文献に記載された語源的説明を集め、【語源説】の欄に、その趣旨を要約して、出典名を〔 〕内に付して示す」とあり、3には「およその趣旨を同じくするものは、共通の要旨でまとめて、〔 〕内にその出典名を、ほぼ時代順に併記する」と記されている。

 さて、見出し「やま」の「語源説」欄をみると、(1)として「不動の意で、ヤム(止)の転〔日本釈名・日本声母伝・和訓栞〕」と記されている。これは「ヤマ」は動かないから、「ヤム」という動詞が転じて「ヤマ」という名詞がうまれた、というような語源説を唱えている文献が3つあることを示している。その他「ヤマ」では12の語源説が記されている。これはあくまでもそういう「説」がある、ということであって、それ以上でもそれ以下でもない。列記されている「説」の中に、現在、認められそうなものが含まれている場合もあろうが、現在は認めにくいものが少なくない。

 上で名前があげられている『日本釈名』は貝原益軒(1630~1714)が著わしたもので、元禄13(1700)年に刊行されている。日本語1100語について語源を説明したものである。学部の学生だった頃、大学の授業でこの書物の名前をきき、神田の古本屋(日本書房)で和本を見ていたらあったので、こういう本が今でも買えるのだと思って、嬉しくなって購入したという記憶がある懐かしい本だ。しかしその「説」はといえば、「タカ(鷹)」は「たかく飛也」とか「ネコ(猫)」の「ネ」は「ネズミ(鼠)」のネで、「コ」は「コノム(好)」の「コ」だというように、「こじつけ」にちかいものが少なくない。やはり日本語の語源はなかなか難しい。

 『日本国語大辞典』をよんでいて次のような項目があった。

めくじら【目―】〔名〕(「くじら」の語源未詳)目の端。目尻。目角(めかど)。めくじ。めくじり。

めくじらを=立(た)てる[=立(た)つ]他人の欠点を探し出してとがめ立てをする。わずかの事を取り立ててそしりののしる。目角に立てる。目口を立てる。めくじを立てる。めくじりを立てる。

 「メクジラヲタテル」は現代日本語でも使う表現だ。筆者も使うことがある。そういえば「メクジラ」の「クジラ」についてはあまり考えたことがなかったな、と思った。目をつりあげた時に、目尻のあたりにできる皺が、クジラの形にみえるのか、とか放恣な想像は頭に浮かぶが、『日本釈名』風かもしれない。

 この項目で「語源未詳」が気になったので、遡って『日本国語大辞典』を調べてみると、全部で47の「語源未詳」があることがわかった。「メクジラ」はそのうちの1つだ。やはり現代も使う語に「オテンバ」がある。この「テンバ」については次のように記されている。

てんば【転婆】〔名〕(語源未詳。「転婆」はあて字)(1)つつしみやはじらいに乏しく、活発に動きまわること。また、そのような女性。出しゃばり女。つつましくない女。おてんば。おきゃん。(2)(―する)あやまちしくじること。粗忽であること。また、その人。男女いずれにもいう。(3)親不孝で、従順でない子。男女いずれにもいう。

 あるいは、これも現在使う「トタン」という語。

トタン〔名〕(語源未詳)(1)亜鉛のこと。(2)米相場の異称。

 「補注」には「(1)(1)については、ふつうはポルトガル語のtutanaga(銅・亜鉛・ニッケルの合金)に由来するとされるが、「日葡辞書」には「Tǒtan(タウタン)〈訳〉白い金属の一種」とあって、この方が古い形だとすると右のポルトガル語とは相当遠くなる。他の別の言語に基づくものか」と記されている。語形などから外来語であろうという予想はできるが、具体的にもとになった語が特定できない場合には「語源未詳」ということになる。

 新しいところでは「ピイカン」がある。

ぴいかん〔名〕(語源未詳。「ピーカン」と表記することが多い)快晴をいう俗語。元来は映画界の隠語か。

 使用例としては「古川ロッパ日記」の昭和19(1944)年6月27日の記事のみがあげられている。俗語も語源はわかりにくくなりそうだ。

 先に47の「語源未詳」があったと記したが、これはオンライン版の検索機能を使ってのことなので、確かな数だ。「語源未詳」と記されている見出しが47しかないということは、多くの見出しに関して、そうした「判断」そのものをしていないということになる。つまり「ヤマ(山)」や「タニ(谷)」ももちろん語源はわからないけれども、そこにはわざわざ「語源未詳」とは記していないということだ。語源説をよむのは楽しいが、語源を厳密に追究することは日本語の場合むずかしい。

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※特に出典についてことわりのない引用は、すべて『日本国語大辞典 第二版』からのものです。引用に際しては、語義番号などの約物および表示スタイルは、ウェブ版(ジャパンナレッジ http://japanknowledge.com/)の表示に合わせております。

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【筆者プロフィール】

今野真二(こんの・しんじ)

1958年、神奈川県生まれ。高知大学助教授を経て、清泉女子大学教授。日本語学専攻。

著書に『仮名表記論攷』、『日本語学講座』全10巻(以上、清文堂出版)、『正書法のない日本語』『百年前の日本語』『日本語の考古学』『北原白秋』(以上、岩波書店)、『図説日本語の歴史』『戦国の日本語』『ことば遊びの歴史』『学校では教えてくれないゆかいな日本語』(以上、河出書房新社)、『文献日本語学』『『言海』と明治の日本語』(以上、港の人)、『辞書をよむ』『リメイクの日本文学史』(以上、平凡社新書)、『辞書からみた日本語の歴史』(ちくまプリマー新書)、『振仮名の歴史』『盗作の言語学』(以上、集英社新書)、『漢和辞典の謎』(光文社新書)、『超明解!国語辞典』(文春新書)、『常識では読めない漢字』(すばる舎)、『「言海」をよむ』(角川選書)、『かなづかいの歴史』(中公新書)がある。

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【編集部から】

現在刊行されている国語辞書の中で、唯一の多巻本大型辞書である『日本国語大辞典 第二版』全13巻(小学館 2000年~2002年刊)は、日本語にかかわる人々のなかで揺らぐことのない信頼感を得、「よりどころ」となっています。
辞書の歴史をはじめ、日本語の歴史に対し、精力的に著作を発表されている今野真二先生が、この大部の辞書を、最初から最後まで全巻読み通す試みを始めました。
本連載は、この希有な試みの中で、出会ったことばや、辞書に関する話題などを書き進めてゆくものです。ぜひ、今野先生と一緒に、この大部の国語辞書の世界をお楽しみいただければ幸いです。隔週連載。


続 10分でわかるカタカナ語 第15回 レジェンド

2017年 6月 17日 土曜日 筆者: もり・ひろし & 三省堂編修所

10分でわかる「レジェンド」の意味と使い方

どういう意味?

 「伝説」または「偉業を成し遂げた人」のことです。

もう少し詳しく教えて

 レジェンド(legend)とは英語で「伝説」のこと。つまり「人々に語り伝えられている話」をさします。日本語では「(伝説のように語り継がれるべき)すぐれた」といったニュアンスで、商品名などに使われています。

 また、「伝説的な人物」というニュアンスから、「偉業を成し遂げた人」といった意味でも使われます。端的に言えば「偉人」のことです。例えば「野球界のレジェンド」といった場合は「野球界の偉大な選手」を意味します。

 ちなみに legend の語源は、ラテン語で「聖人伝」を意味する legenda です。直訳では「読まれるべき」という意味を持っています(参考:『ランダムハウス英和辞典』小学館)。つまり「読まれるべき」ものが「伝説」であり、伝説のように語り伝えられるべき人物が「偉人」ということになるわけです。

どんな時に登場する言葉?

 「伝説」の意味のレジェンドは商品名・創作作品などの分野で、「偉人」の意味のレジェンドは、スポーツ・文化などの分野で登場します。

どんな経緯でこの語を使うように?

 日本語でレジェンドという言葉が好んで使われるようになったのは、1980年代以後のことです。普及の先導役となったのは商品名でした。

 例えば本田技研工業が乗用車のブランド名として「レジェンド」を使い始めたのが1985年のこと。また、宝酒造が焼酎のブランド名として「純レジェンド」(のちの「宝焼酎 レジェンド」)を使い始めたのが1988年のことでした。いずれも、「語り伝えられる(ほどすぐれた)もの」という意味合いによって、レジェンド(伝説)という言葉を「高級感」を演出する手段として使っている点で共通します。

 2014年に開かれたソチ冬季五輪で、7度目のオリンピック出場となるスキージャンプの葛西紀明(かさい・のりあき)選手(当時41歳)が銀メダルを獲得しました。このとき葛西選手に対する称号として、「レジェンド」が一躍注目を浴びました。「伝説的人物」という、この新しい意味の「レジェンド」は、同年の新語・流行語大賞のトップテン入りを果たしました。

リテラシーの使い方を実例で教えて!

「リビングレジェンド」

 存命中でありながら、生きる伝説となった人物は「リビングレジェンド」(living legend)と言われることがあります。

「○○界のレジェンド」

 また特定分野における偉人・巨匠などのことを「○○界のレジェンド」と表現することも可能です。例えば「角界のレジェンド」「ファッション界のレジェンド」といった具合です。スポーツや文化の世界でよく登場します。

レジェンドを使った命名(1)創作作品編

 創作作品の題名や設定にも、レジェンドがよく登場します。例えば音楽アルバムの題名(ボブ=マーリー『レジェンド』など)、映画の題名(2007年のアメリカ映画『アイ アム レジェンド』、2015年のイギリス映画『レジェンド 狂気の美学』など)、ゲームの題名(『レジェンド オブ レガシー』など)や設定(『妖怪ウォッチ』に登場するレジェンド妖怪など)、特撮・アニメの登場キャラクター(ウルトラマンレジェンドなど)といった例があります。

レジェンドを使った命名(2)スポーツ編

 スポーツ関係の命名でもよく登場します。例えば競馬の馬名(レジェンドハンターなど)、プロレスの選手名(ジョー=レジェンドなど)やグループ名(新日本プロレスのユニット、レジェンド軍など)といった事例が存在します。

言い換えたい場合は?

 「伝説」のレジェンドを言い換える場合は「伝説」「伝承」「言い伝え」などの言葉が使えます。

 いっぽう「偉人」のレジェンドを言い換える場合は「伝説の人物」「伝説的人物」「偉人」「巨匠」「大物」などが使えます。例えば「ファッション界のレジェンド」は「ファッション界の伝説的人物」「ファッション界の偉人」などと言い換えることができます。

雑学・うんちく・トリビアを教えて!

凡例 グラフなどに付記する凡例も「レジェンド」といいます。レジェンドの語源がラテン語の「読まれるべき」であることを考えれば、この意味の存在も理解できることでしょう。

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【筆者プロフィール】

もり・ひろし & 三省堂編修所

■もり・ひろし
 新語ウォッチャー(フリーライター)。鳥取県出身。プログラマーを経て、新語・流行語の専門ライターとして活動。『現代用語の基礎知識』(自由国民社)の「流行観測」コーナーや、辞書の新語項目、各種雑誌・新聞・ウェブサイトなどの原稿執筆で活躍中。

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【編集部から】

 「インフラ」「アイデンティティー」「コンセプト」等々、わかっているようで、今ひとつ意味のわからないカタカナ語を詳しく解説し、カタカナ語に悩む多くの方々に人気を博したコンテンツ「10分でわかるカタカナ語」が、ふたたび帰ってきました。
 「インテリジェンス」「ダイバーシティー」「エビデンス」など、日常生活の中で、新たなカタカナ語は引き続き、次々に生まれています。世の中の新しい物事は、カタカナ語となって現れてくると言っても過言ではありません。
 これら悩ましいカタカナ語をわかりやすく考え、解説してゆきます。
 毎週土曜日更新。

【関連書籍】

●『コンサイスカタカナ語辞典 第4版』
定評あるカタカナ語辞典の第4版。約56,300語収録。詳細は こちら

●『見やすいカタカナ新語辞典』
大きく見やすい活字でカタカナ新語が引ける。約13,000語収録。詳細は こちら


広告の中のタイプライター(9):Corona 3

2017年 6月 15日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

タイプライターに魅せられた男たち・補遺

『Popular Science Monthly』1921年7月号

『Popular Science Monthly』1921年7月号(写真はクリックで拡大)

1912年にスタンダード・フォールディング・タイプライター社が発売した「Corona 3」は、ポータブル・タイプライター市場に一大センセーションを巻き起こし、同社はコロナ・タイプライター社に社名を変更しました。「Corona 3」は、フロントストライク式にもかかわらず、タイプライター本体を小さく折りたたむことが可能で、本体の重さが8ポンド(3.6kg)、キャリーケースが2ポンド(0.9kg)と、出張先や旅行先などへも携帯可能だったのです。

「Corona 3」は、28キーのフロントストライク式タイプライターです。基本となるキー配列はQWERTY配列で、各キーに大文字・小文字・記号(あるいは数字)の3種類の文字が配置されています。上段の10個のキーには、大文字のQWERTYUIOPと、小文字のqwertyuiopと、数字の1234567890が、それぞれ配置されています。中段の9個のキーには、大文字のASDFGHJKLと、小文字のasdfghjklと、記号の@$%!_*/=#が、それぞれ配置されており、左端には「FIG」キーがあります。下段の9個のキーには、大文字側にZXCVBNM.&が、小文字側にzxcvbnm,-が、記号側に()?’”:;.¢が、それぞれ配置されており、左端には「CAP」キーがあります。

28個の各キーを押すと、対応する活字棒(type arm)が立ち上がって、プラテンの前面に置かれた紙の上にインクリボンごと叩きつけられ、紙の前面に印字がおこなわれます。通常の状態では小文字が印字されますが、「CAP」キーを押すとプラテンが持ち上がって大文字が、「FIG」キーを押すとプラテンがさらに持ち上がって記号や数字が、それぞれ印字されます。「FIG」キーのすぐ左側にはシフトロック・ノブがあり、「FIG」キーや「CAP」キーを押しっぱなしで固定できるようになっています。また、本体を折りたたむ際には、「FIG」も「CAP」も押さずに、シフトロック・ノブを固定します。これにより折りたたみ時に、プラテンシフト機構が動かないようにできるのです。

プラテンには、キャリッジリターンのためのノブ等は付いておらず、プラテンそのものを右へ押すことで、キャリッジリターンをおこないます。ただし、プラテンを支える2本のシャフトのうち、向かって右側のシャフトに「BACK SPACE」キーが付いており、これを押すことでプラテンを1文字分戻すことができます。また、黒赤2色のインクリボンにより、2色の印字が可能なのですが、切り替えツマミが左のインクリボン・スプールの右下という、かなり分かりにくいところに付いていました。さらには、本体を折りたたむ手順も、マニュアル無しでは分かりにくいものでした。

それもあって、上の広告にも見える通り、「HOW TO USE CORONA ― The Personal Writing Machine」という16ページの小冊子が、「Corona 3」のキャリーケースに添付されていました。この小冊子には、各部分の機能、折りたたみの手順、さらには、メンテナンスの方法や注意点までが詳細に書かれており、各オペレータが「Corona 3」の機構を自習できるようになっていたのです。

【筆者プロフィール】

安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

http://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。


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