『日本国語大辞典』をよむ―第2回 対語

2017年 2月 26日 日曜日 筆者: 今野 真二

第2回 対語

 前回は最後に「対語(たいご/ついご)」についてふれたが、具体例を1つしか挙げられなかったので、今回はその続きのようなかたちで述べてみたい。前回も述べているが、「対語」とは「対(つい)になっていることば」である。「カクダイ(拡大)」と「シュクショウ(縮小)」は語義が「反対」であるので、「反対語/対義語」などと呼ばれる。「反対語/対義語」も2つの語が対(つい)になっているので、「対語」であるが、語義が「反対」になっていなくても、「ヤマ(山)」「カワ(川)」のように対になっている語はある。前回は「ヒヤヤッコ(冷奴)」の対語として「アツヤッコ」があるという話題だった。これと似たケースとして「ヒヤムギ(冷麦)」と「ヌクムギ(温麦)」がある。『日本国語大辞典』には次のように記されている。

ぬくむぎ【温麦】あたためたつゆに入れて食べる麺類。冷麦(ひやむぎ)に対していう。

ひやむぎ【冷麦】細打ちにしたうどんを茹(ゆ)でて水で冷やし、汁をつけて食べるもの。夏時の食糧とする。ひやしむぎ。

 上では、積極的に「↔」符号をもって両語が「対語」であることを示してはいないが、「ぬくむぎ」には「冷麦(ひやむぎ)に対していう」とあって、現代も食べ物として存在し、したがって語としても存在している「ヒヤムギ」によって「ヌクムギ」を説明しようとしている、と思われる。それに呼応するように、「ひやむぎ」の説明は「ぬくむぎ」の説明よりも具体的で、かつ「ぬくむぎ」を参照させようとはしていない。「対」といっても、実際には両語がまったく「均衡」を保っていることはむしろ少ないように思われる。これも言語のおもしろいところだ。

 山形県山形市にある立石寺は「山寺」と呼ばれる。松尾芭蕉が「閑さや岩にしみ入る蟬の声」という句をつくったといわれている所だ。この場合の「山寺」は一般名詞のような固有名詞のような趣きがあるが、「山寺の和尚さん」というような時の「ヤマデラ」は一般名詞である。『日本国語大辞典』では「ヤマデラ」の語義を「山にある寺。山の中の寺院。さんじ」と説明している。さて、この「ヤマデラ」の対語は? 先には「ヤマ(山)」と「カワ(川)」とが対になる、と述べたが、この場合は「ノ(野)」が対になる。『日本国語大辞典』には次のような見出し項目がある。

のでら【野寺】(山寺に対して)野中にある寺。

 上でも「↔」符号は使われていないが、「ヤマデラ」と対になっていることが記されている。ある(よく使われている)語を一方に置いて新しい語ができあがる場合、最初からあった(よく使われている)語が何であったかによって、「対」の形成のされかたも異なってくる。

 斎藤茂吉に次のような短歌作品がある。

(なら)わか葉照りひるがへるうつつなに山蚕(やまこ)は青(あを)/く生(あ)れぬ山蚕は

 大正2(1913)年に東雲堂から出版された第一歌集『赤光』に収められている作品だ。塚本邦雄は『茂吉秀歌 『赤光』百首』(1977年、文藝春秋)において、茂吉の「この昆虫への愛著は顕著である」(148ページ)と述べている。

 『日本国語大辞典』は「ヤマコ(山蚕)」を「昆虫「くわご(桑蚕蛾)」の異名」と説明し、使用例として先に示した斎藤茂吉の短歌作品をあげている。『日本国語大辞典』は飼育種である「(カイ)コ(蚕)」に対しての「ヤマコ」であると積極的には説明していないが、語構成上はそのようにみえる。また、昆虫として追究すると、大型の蛾である「ヤマガイコ(山蚕)」も存在するようであるが、それはそれとする。

 語構成に話を戻せば、他にも、シャクヤク(芍薬)に似て山に生えるものを「ヤマシャクヤク」、山野に生えるツツジを「ヤマツツジ」と呼ぶなど、類例は少なくない。ちなみにいえば、現在は絹糸の元となる繭をつくる昆虫は「カイコ」であるが、これは「飼い蚕(こ)」で、「コ」という昆虫を飼い慣らしたものが「カイコ(飼蚕)」である。『万葉集』巻第12、2991番歌の「垂乳根之母我養蚕乃眉隠」と書かれている箇所は現在、「たらちねのははがかふこのまよごもり」と読まれている。つまり『万葉集』の頃にすでに養蚕が行なわれていたということだ。

 「ノ(野)」と「ヤマ(山)」とが対になったり、飼育種に対して、「ヤマ」が対になったり、「カワセミ」という鳥に対しては「ヤマセミ」がいて、この場合であれば「ヤマ(山)」と「カワ(川)」とが対になったりと、対語の「対」もさまざまだ。

 ヤマネという小動物をご存じだろうか。『日本国語大辞典』には次のようにある。

やまね【山鼠】𪘂歯目ヤマネ科の哺乳類。体長約七センチメートル。ネズミに似ているが尾が長く長毛を有する。(中略)冬は木の穴などで体をまるめて冬眠し、刺激を与えても容易に目をさまさない。本州以南の山林に分布する日本の固有種。(下略)

 「ヤマネ」の「ヤマ」は〈山〉であろう。「ネ」は〈ネズミ〉のはずだ。ネズミはもともと野原にいるものだとすると、それをわざわざ「ノネ(野鼠)」という必要はない。『日本国語大辞典』は〈野鼠〉という語義をもつ「ノネ」を見出し項目としていない。それはそういうことだろう、などと想像する。しかし「ノネズミ」という語はある。『日本国語大辞典』は「ノネズミ」の対語として「イエネズミ(家鼠)」をあげている。複雑になってきた。しかしこうやって、例えば「対語」という概念をもとにあれこれと考えてみるということは楽しいことだと思う。

 最後に1つ。『万葉集』の歌人に「山辺赤人(やまべのあかひと)」という人物がいることはご存じだろうと思う。江戸後期の狂歌師、斯波孟雅(しばたけまさ)(1717~1790)は色黒だったので、「浜辺黒人(はまべのくろひと)」を号としたとのこと。いやはやふざけた対語ではないか。こんなことも『日本国語大辞典』を読むとわかる。

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※特に出典についてことわりのない引用は、すべて『日本国語大辞典 第二版』からのものです。引用に際しては、語義番号などの約物および表示スタイルは、ウェブ版(ジャパンナレッジ http://japanknowledge.com/)の表示に合わせております。

◆この連載の目次は⇒「『日本国語大辞典』をよむ」目次へ

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【筆者プロフィール】

今野真二(こんの・しんじ)

1958年、神奈川県生まれ。高知大学助教授を経て、清泉女子大学教授。日本語学専攻。

著書に『仮名表記論攷』、『日本語学講座』全10巻(以上、清文堂出版)、『正書法のない日本語』『百年前の日本語』『日本語の考古学』『北原白秋』(以上、岩波書店)、『図説日本語の歴史』『戦国の日本語』『ことば遊びの歴史』『学校では教えてくれないゆかいな日本語』(以上、河出書房新社)、『文献日本語学』『『言海』と明治の日本語』(以上、港の人)、『辞書をよむ』『リメイクの日本文学史』(以上、平凡社新書)、『辞書からみた日本語の歴史』(ちくまプリマー新書)、『振仮名の歴史』『盗作の言語学』(以上、集英社新書)、『漢和辞典の謎』(光文社新書)、『超明解!国語辞典』(文春新書)、『常識では読めない漢字』(すばる舎)、『「言海」をよむ』(角川選書)、『かなづかいの歴史』(中公新書)がある。

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【編集部から】

現在刊行されている国語辞書の中で、唯一の多巻本大型辞書である『日本国語大辞典 第二版』全13巻(小学館 2000年~2002年刊)は、日本語にかかわる人々のなかで揺らぐことのない信頼感を得、「よりどころ」となっています。
辞書の歴史をはじめ、日本語の歴史に対し、精力的に著作を発表されている今野真二先生が、この大部の辞書を、最初から最後まで全巻読み通す試みを始めました。
本連載は、この希有な試みの中で、出会ったことばや、辞書に関する話題などを書き進めてゆくものです。ぜひ、今野先生と一緒に、この大部の国語辞書の世界をお楽しみいただければ幸いです。隔週連載。


人名用漢字の新字旧字:「吊」と「弔」

2017年 2月 23日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

第127回 「吊」と「弔」

旧字の「弔」は常用漢字なので、子供の名づけに使えます。新字の「吊」は、常用漢字でも人名用漢字でもないので、子供の名づけに使えません。「吊」と「弔」は、そもそもは新旧の関係にあったらしいのですが、現代では「つる」と「とむらう」で使い分けるようです。

昭和21年11月5日、国語審議会は当用漢字表1850字を、文部大臣に答申しました。当用漢字表は、弓部に旧字の「弔」を収録していましたが、新字の「吊」は収録されていませんでした。翌週11月16日に当用漢字表は内閣告示され、旧字の「弔」は当用漢字になりました。

昭和22年9月29日、国語審議会は当用漢字音訓表を、文部大臣に答申しました。当用漢字音訓表は、当用漢字表1850字の音訓を定めたもので、「弔」には、「チョウ」と「とむらう」という音訓が付けられていました。この結果、「弔」を「つる」と読むことが、できなくなってしまったのです。

昭和23年1月1日に戸籍法が改正され、子供の名づけに使える漢字が、この時点での当用漢字表1850字に制限されました。当用漢字表には旧字の「弔」が収録されていたので、「弔」は子供の名づけに使ってよい漢字になりました。新字の「吊」は、子供の名づけに使えなくなってしまいました。

それから半世紀の後、平成16年3月26日に法制審議会のもとで発足した人名用漢字部会は、「常用平易」な漢字であればどんな漢字でも人名用漢字として追加する、という方針を打ち出しました。この方針にしたがって人名用漢字部会は、当時最新の漢字コード規格JIS X 0213(平成16年2月20日改正版)、文化庁が表外漢字字体表のためにおこなった漢字出現頻度数調査(平成12年3月)、全国の出生届窓口で平成2年以降に不受理とされた漢字、の3つをもとに審議をおこないました。新字の「吊」は、全国50法務局のうち出生届を拒否された管区は無かったものの、漢字出現頻度数調査の結果が949回で、JIS X 0213の第1水準漢字だったので、人名用漢字の追加候補となりました。

平成16年6月11日、人名用漢字部会は、578字の追加案を公開しました。この578字の中に、新字の「吊」が含まれていました。ところが、7月9日までおこなわれたパブリックコメントの結果、「吊」を人名用漢字に追加すべきでないというコメントが、15通も寄せられました。これを根拠に、人名用漢字部会は、「吊」を人名用漢字の追加候補から削除しました。平成16年9月8日、法制審議会は人名用漢字の追加候補488字を答申しましたが、この中に「吊」は含まれていませんでした。

平成23年12月26日、法務省は入国管理局正字13287字を告示しました。入国管理局正字は、日本に住む外国人が住民票や在留カード等の氏名に使える漢字で、JIS第1~4水準漢字を全て含んでいました。この結果、日本で生まれた外国人の子供の出生届には、旧字の「弔」に加え、新字の「吊」が書けるようになりました。でも、日本人の子供の出生届には、旧字の「弔」はOKですが、新字の「吊」はダメなのです。

【筆者プロフィール】

安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

http://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。


広告の中のタイプライター(1):IBM Electromatic

2017年 2月 16日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

タイプライターに魅せられた男たち・補遺

19世紀末から20世紀にかけて、一世を風靡したタイプライター。21世紀の今は、ほとんど実物を目にすることが無くなりました。そんなタイプライターを、当時の雑誌や新聞の広告から拾い上げるのが、この連載「広告の中のタイプライター」。タイプライターが日常生活の一部だった時代を、ちょっとだけ覗いてみましょう。

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『Fortune』1934年2月号(写真はクリックで拡大)

1933年6月20日、IBM (International Business Machines Corporation)は、エレクトロマチック・タイプライターズ社を買収、同社の「Electromatic」をIBMブランドとして販売しはじめました。「IBM Electromatic」は「ALL ELECTRIC」(完全電動)を売りにしていて、広告にも「電気」をイメージした「ビカビカの雷マーク」が青く描かれています。全ての動作がキーボード上のキーで電気的におこなわれる、というのが「IBM Electromatic」の売りで、すなわち、各文字の印字やシフト機構だけでなく、キャリッジ・リターンも、改行も、タブ機構も、バックスペースも、全てが電動だったのです。

「IBM Electromatic」は、フロントストライク式の電動タイプライターで、大文字26種類、小文字26種類、数字10種類、記号20種類が印字可能です。キー配列は、大文字と小文字がQWERTY配列になっており、最上段に数字が1234567890と並んでいて、そのシフト側に記号が!@#$%¢&*()と並んでいます。すなわち、「@」が「2」のシフト側にあって、これが「IBM Electromatic」のキー配列を特徴づけていました。「P」のすぐ右のキーには、ハイフン「-」のシフト側にアンダーライン「_」が載せられています。「L」のすぐ右のキーには、セミコロン「;」のシフト側にコロン「:」、そのすぐ右のキーには、シングルクォート「」のシフト側にダブルクォート「」が載せられています。「M」のすぐ右のキーはコンマ「,」で、シフトを押してもコンマのままです。そのすぐ右のキーはピリオド「.」で、シフトを押してもピリオドのままです。そのすぐ右のキーには、「/」のシフト側に「?」が載せられています。コンマとピリオドがダブっているため、82種類の文字が42個のキーに載っているのです。

「IBM Electromatic」では、全ての文字幅は同一で、たとえば、「l」も「W」も同じ文字幅で印字されました。また、印字される文字の濃さが全て同一となるよう、常に同じ濃さで、活字棒(type arm)がプラテンの前面を叩くようになっていました。キーを押す力の強さを揃える必要はなく、最大20枚までのカーボンコピーが可能というのが謳い文句でした。右端の「CARRIAGE RETURN」キーは、キャリッジ・リターンと改行を同時におこなうもので、重いキャリッジを手で戻す必要が無くなったのです。

1933年発売の「IBM Electromatic」は、IBMにとって最初のタイプライターでした。その後のIBMタイプライターは、「IBM Electromatic」の路線を踏襲し、電動タイプライターを次々に発売していくことになるのです。

【筆者プロフィール】

安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

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モノが語る明治教育維新 第7回―国語掛図に見る洋学派VS国学派

2017年 2月 14日 火曜日 筆者: 唐澤 るり子

第7回―国語掛図に見る洋学派VS国学派

 第3回で明治6年発行の第三単語図をご紹介しましたが、今回はこの国語掛図について深掘りしていきます。実はこの単語図、とても短命だったのです。

 「国語」という教科名が正式に用いられるようになったのは、明治33年になってからのこと。学制期のこの時期、師範学校制定の下等小学教則では、第5回で紹介した『小学読本』などを学ぶ前段階として、単語図や連語図といった掛図を用いて、まず言葉の勉強をするように定めています。

 明治6年発行された単語図は全部で8枚、西洋文明を積極的に摂取しようとする開明派の師範学校編集局が、ペスタロッチの教育思想を取り入れ、子どもが目で見て直観的に理解できるように絵図を中心にして作成しました。第一単語図と第二単語図は歴史的仮名遣いを教えるため、第三単語図から第八単語図までは子どもに身近な事物の性質や用途を問答形式で学ばせるために、漢字もしくはカタカナで表記しています。

 ところが翌7年になると改正版が文部省から出版され、師範学校版はたった1年で廃版となってしまいました。具体的に改正部分を見てみると、全210の単語のうち、単語そのものの変更が4か所、表記の変更が29か所あります。第三単語図では表記変更は次の9か所です。

(写真はクリックで拡大)

  
明治6年・師範学校版              明治7年・文部省版              

  檎(明治6年版)→林檎(明治7年版)
  柘榴→石榴
  黄瓜→胡瓜
  カボチャ→南瓜(注)
  水瓜→西瓜
  大根→蘿蔔
  人参→胡蘿蔔
  蕪菜→蕪
  牛房→牛蒡

これを見ると、小学入門として入学したての子どもが学ぶにはより漢字が難しくなっているように思いませんか。特にカタカナで書かれた表記は、第三単語図のカボチャの他にも、コップ→鍾、マンテル→上着、シャップ→帽、ズボン→短胴服(チョッキのこと)と変更され、師範学校版が積極的に用いたカタカナ表記を文部省版は完全になくしてしまいました。

 改正版がより難解になっているのは、連語図も同じです。学校では単語図の次に、単語を使って短句を並べた連語図を学びますが、師範学校版が口語体なのに対して、文部省版は文語体に変更されています。

(写真はクリックで拡大)

    
 明治6年・師範学校版              明治7年・文部省版            

「手習を致しましやう」が「手習すべし」と堅苦しい表現に変わり、これも子どもへの教え方としては時代に逆行しているようにみえます。

 これらの改正の裏には、洋学派が占めていた師範学校に対する、国学派の圧力があったといわれています。当時の国学派の権力者黒川真頼(まより)が、口語体の言葉など自然に覚えるものであり、しかも「五年十年過ゆくとかかる文体は用ゐるべくもをもはれず」と断じ、将来役に立たない文体を教えることになると横やりを入れたのです。維新の大業に一翼を担った国学派の意見を、文部省が無視できなかったのでしょう。このため端緒では進歩的だった国語教育が古風に逆戻り、読本に口語体が用いられるようになるのは、文部省編纂『読書(よみかき)入門』『尋常小学読本』発行の明治20年ごろまで待たなければならなかったのです。

★おまけ

 スイカを水瓜と書く人に夏目漱石がいます。

(写真はクリックで拡大)

単語図で明治6年に水瓜と教えられたものが、7年には西瓜と変更されるわけですから、漱石はこの短命に終えた師範学校版を学んだ貴重な一人ではないかと、一人推察して楽しんでいます。他にキュウリを胡瓜と書かずに師範学校版と同じに黄瓜と書いています。慶応3年生まれの漱石は、明治7年12月に7歳で浅草の戸田学校に入学していますから、8月発行の文部省版でも不思議はないのですが、師範学校版びいきの私としては願いも込めて、漱石の作品の表記チェックをしているところです。(右写真は『漱石全集第一巻吾輩は猫である』漱石全集刊行会、昭和3年刊行 より。)

(注)写真の冊子では「南瓜子」となっていますが、実際の掛図では「南瓜」となっています。掛図を書き写した際の写し違いと思われます。

(出典)
師範学校版:『師範学校小学教授法全』田中義廉・諸葛信澄閲、明治6年、雄風舎蔵版。
文部省版:『師範学校改正小学教授方法』東生亀次郎、明治9年。

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【筆者プロフィール】

『図説 近代百年の教育』

唐澤るり子(カラサワ・ルリコ)

唐澤富太郎三女
昭和30年生まれ 日本女子大学卒業後、出版社勤務。
平成5年唐澤博物館設立に携わり、現在館長
唐澤博物館ホームページ:http://members3.jcom.home.ne.jp/kmuseum/
唐澤富太郎については第1回記事へ。

※右の書影は唐澤富太郎著書の一つ『図説 近代百年の教育』(日本図書センター 2001(復刊))

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【編集部から】

東京・練馬区の住宅街にたたずむ、唐澤博物館。教育学・教育史研究家の唐澤富太郎が集めた実物資料を展示する私設博物館です。本連載では、富太郎先生の娘であり館長でもある唐澤るり子さんに、膨大なコレクションの中から毎回数点をピックアップしてご紹介いただきます。「モノ」を通じて見えてくる、草創期の日本の教育、学校、そして子どもたちの姿とは。
更新は毎月第二火曜日の予定です。


漢字の現在:河津の「滝」(たる)の歴史

2017年 2月 13日 月曜日 筆者: 笹原 宏之

漢字の現在 第298回 河津の「滝」(たる)の歴史

 前回の『豆州志稿』を明治期に活字に組んで刊行した『増訂豆州志稿』巻6-46オにも、似ている記述が確かめられた。ここでは、「大瀑(オホタル)」「初景瀑(シヨケイタル)」「釜瀑(カマタル)」の3つの「瀑」の字にタルという振り仮名が付されている。そして、「方言瀧ヲたるト呼フ蓋(けだし)垂(タ)ルヽ義也」とある。

(画像は一部を切り取ったものです。
クリックすると全体を表示します)

国立国会図書館デジタルコレクション『増訂豆州志稿 巻之6』「瀑布」についての箇所(国立国会図書館ウェブサイトから転載)
国立国会図書館デジタルコレクション
『増訂豆州志稿 巻之6』より
「瀑布」についての箇所の一部
(国立国会図書館ウェブサイトから転載)

 そうすると、「エビ滝」は、明治以降、資料があまりないのだがことによると戦後の命名かもしれない。

 こういう少しの好奇心と比較的簡単な調べさえあればある程度の情報が手に入る時代になった。そういう便利な時代あって、歴史と地理と言語にまつわる事実を、もっと観光に活かしたらよいのにと、もったいなく思う。

 

人間文化研究機構国文学研究資料館『豆州志稿』より248コマめ
「大瀑布」の「瀑布」の字の右側に、「タル」と振り仮名がある。また、「方言ニタキヲタルト云盖シ垂(タルヽ)ノ義也」とある。

人間文化研究機構国文学研究資料館『豆州志稿』より249コマめ
「洞山瀑布」の「瀑布」の字の右側に、「タル」と振り仮名がある。

国立国会図書館デジタルコレクション『増訂豆州志稿 巻之6』(46オは47コマめ)
「大瀑(オホタル)」「初景瀑(シヨケイタル)」「釜瀑(カマタル)」の3つの「瀑」の字にタルという振り仮名が付されている。「方言瀧ヲたるト呼フ蓋垂(タ)ルヽ義也」との記述もある。

 

 路線バスを待って、駅まで向かう。修善寺へと行くバスも出ている。途中のバス停名も、新鮮だ。「冷水(ひやみず)」なんて地名は、聞いた覚えがなかった。看板もあれこれと目に入る。「鈑金」はもとの「板金」とともに日本中で見かけ、地域性のない位相表記、位相文字のようだ。

 「古笹原商店」がある。「古笹原」は名字だろうか。笹原温泉もあるそうなので、地名から来たものだろうか。「美よし」は、旅館、割烹、飲み屋、小料理店にありがちな頭文字を漢字、それ以外を平仮名にするという表記法で、「川ばた」、逆に「いし田」などもある。メモに写しながら、「美」も「よし」と読める(美子など)、「三好」あたりを良い意味の字(佳字)に、そして料理店らしく役割表記的に変えたものか、などと想像してみる。「美美」とも当て字で書けることを前提に、一つを活かして。あるいは一つずらしてこの表記に決めたのだろうか。いや直感的に一瞬のうちに決めたのかもしれない。もしかしたら画数占いで、なんていう決め方も今はありそうだ。

 最初、ひらがなで、「だるだるだんだん橋」を見たときには、意味が読み取れなかった。「滝々段々橋」という表示板を見て、漢字があったのか、と思い、家でパンフレットを整理していたときにきちんと意味もつかめた。あれらの滝が流れる川の名は、一度も見聞きしなかったが、もらった観光パンフレットで確かめたところ、本谷(ほんたに)川だった。「谷」はヤではなくタニだ。その下流は、河津川のようで、カワの重なりが多少気になる。しかし各地に大川川、中川川、小川川などもあり、その英語名はと考えると、この辺りはそういうものと考えることもできそうだ。

 「七滝茶屋」「釜滝茶屋」などの店や「七滝高架橋」、「大滝温泉」「七滝温泉」、「谷津(やつ)温泉」などもあった。帰宅後に、もらったパンフレットを眺め返して気づくことは、予習不足で面倒くさがりの身には多い。今回初めて、伊豆半島の中央部にまで旅行に出かけていたのだった。

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【筆者プロフィール】

『漢字の現在』 『国字の位相と展開』笹原宏之(ささはら・ひろゆき)
 早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』、この連載がもととなった『漢字の現在』(以上2点 三省堂)、『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)、編著に『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)などがある。『漢字の現在』は『漢字的現在』として中国語版が刊行された。最新刊は、『日本人と漢字』(集英社インターナショナル)。

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【編集部から】
漢字、特に国字についての体系的な研究をおこなっている笹原宏之先生から、身のまわりの「漢字」をめぐるあんなことやこんなことを「漢字の現在」と題してご紹介いただいております。前回は「河津の「滝」(たる)」でした。

この連載への質問、また「ここでこんな字が使われていた」などの情報は、問い合わせフォーム( http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/support/question.html )から、「漢字の現在」への質問・情報である旨を記してご投稿ください。


『日本国語大辞典』をよむ―第1回 はじめに

2017年 2月 12日 日曜日 筆者: 今野 真二

第1回 はじめに

 「『日本国語大辞典』をよむ」というタイトルは、具体的にはどういうことをしようとしているかがわかりにくいともいえるので、連載を始めるにあたって、「口上」のようなものを述べておくことにしよう。

 2010年12月に三省堂から『そして、僕はOEDを読んだ』という本が出版された。アモン・シェイ(Ammon Shea)という人物が書いた『READING THE OED: ONE MAN, ONE YEAR, 21,730 PAGES』という本を田村幸誠が翻訳したものだ。「OED」は『The Oxford English Dictionary』のことで、1989年には20巻から成る第2版が刊行されている。この20巻の「OED」、総計21,730ページ を、一人で、1年間をかけて読み通したという本が『そして、僕はOEDを読んだ』である。

 この本は、ある月曜の朝に60キログラムを超える20巻のOEDがアモン・シェイのアパートに届くところから始まる。『日本国語大辞典』第2版全13巻(14巻は索引等が載せられている別巻なので、これは除く)は量ってみると、そこまでの重量はないが、総ページ数は20,000ページぐらいなので、こちらはまずまず「OED」20巻にちかい。

 『日本国語大辞典』第2版は、現在刊行されている国語辞書で最大規模のものである。この『日本国語大辞典』第2版(以下第1版のことを話題にする場合のみ版の別を示す)のみが大型辞書といってよい。『広辞苑』を大型辞書と思っている人がいるかもしれないが、『広辞苑』は中型辞書である。アモン・シェイは1年間で「OED」を読んだことになっているが、20,000ページを1年間で読破するためには、1か月に1,600ページ以上を読まなければならない。アモン・シェイは「一日に八時間から一〇時間、OEDと向き合っていた」(16ページ)とのことであるが、大学の教員である筆者にはそのようにすることはできない。実際にきちんとメモをとりながら『日本国語大辞典』を読み始めたのは、2015年9月24日からであるが、2016年4月1日から2017年3月31日までは勤務先の大学から「特別研究期間」を認めていただき、授業担当や会議等から離れることができた。その期間を有効に使いながら、現時点では、2018年の1月ぐらいに、『日本国語大辞典』全13巻をよんだ結果をまとめられればと思っている。

 上ではもう『日本国語大辞典』を読むことになってしまっているが、筆者がどうしてそのようないわば「暴挙」をしようと思ったかについても少し説明しておこう。筆者はこれまでに『漢語辞書論攷』(2011年、港の人)、『明治期の辞書』(2013年、清文堂出版)、『辞書からみた日本語の歴史』(2014年、ちくまプリマー新書)、『辞書をよむ』(2014年、平凡社新書)、『超明解!国語辞典』(2015年、文春新書)など辞書を「よむ」ということをテーマとした本を出版させてもらっている。古辞書から現代出版されている辞書まで、さまざまな辞書を読みながら、いろいろなことを考えた。そうしたいわば「経験」に基づいて『日本国語大辞典』を読んだら『日本国語大辞典』がどのような辞書にみえるか、ということがまず考えたことだ。『日本国語大辞典』を「よむ」といっても、どのような読みかたをするかによって、それに必要な時間も変わってくる。そこで、2018年の1月ぐらいには、『日本国語大辞典』を読み、その結果をまとめ終わるという目標を設定し、それに合わせたペースを保つように心がけた。もっと時間を費やせば、「よみ」はまた変わってくるだろう。気がつくことも当然増えることが予想される。とにかく、上のような目標のもとに『日本国語大辞典』を読んだ、その結果を少しずつここに書いていくことにする。

 連載開始にあたって、筆者の用語を説明しておきたい。筆者は辞書は「見出し+語釈」という基本形式に基づいて記述されていると捉えることにしている。これは過去の辞書にも現代刊行している辞書にもあてはめることができる。「見出し+語釈」全体が辞書の一つ一つの「項目」である。筆者のいう「見出し」は英語辞書学では「headword」あるいは「lemma」(レマ)と呼ぶということを大学の同僚の大杉正明先生に教えていただいた。『日本国語大辞典』はかなり丁寧に見出しが実際に使われている文献の名前と実際の使用例とをあげている。この使用例は必ず「よむ」ことにはしなかった。必ず「よむ」のは(当たり前であるが)「見出し」と「語釈」とである。

 連載では、『日本国語大辞典』を読んで筆者が気づいたこと、思ったこと、考えたことをできる限り具体的にとりあげ、述べていきたい。今回は紙面が残り少ないので、ごく少しだけの話になってしまったが、「こんな対義語がありました」ということをとりあげることにする。

 『日本国語大辞典』第1巻に載せられている「凡例」の「語釈について」の四「語釈の末尾に示すもの」の2に「同義語の後に反対語・対語などを↔を付して注記する」と記されている。「対語」は「ついご/たいご」で『日本国語大辞典』は「対(つい)になっていることば」と説明している。さて、『日本国語大辞典』には「あつやっこ(熱奴)」という見出し項目があって、「豆腐を小さく四角に切って熱した料理。湯豆腐(ゆどうふ)。↔冷奴(ひややっこ)」という語釈が配されている。「アツヤッコ」って何? と一瞬思ったが、「ユドウフ」のことだ。現在はもっぱら「ユドウフ」という語を使っているので、かつて「アツヤッコ」があって「ヒヤヤッコ」があったということがあまり意識されなくなっていることがわかる。こういう「発見」がおもしろい。次回から、そうした筆者の「気づき」を「報告」していきたい。

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※特に出典についてことわりのない引用は、すべて『日本国語大辞典 第二版』からのものです。引用に際しては、語義番号などの約物および表示スタイルは、ウェブ版(ジャパンナレッジ http://japanknowledge.com/)の表示に合わせております。

◆この連載の目次は⇒「『日本国語大辞典』をよむ」目次へ

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【筆者プロフィール】

今野真二(こんの・しんじ)

1958年、神奈川県生まれ。高知大学助教授を経て、清泉女子大学教授。日本語学専攻。

著書に『仮名表記論攷』、『日本語学講座』全10巻(以上、清文堂出版)、『正書法のない日本語』『百年前の日本語』『日本語の考古学』(以上、岩波書店)、『図説日本語の歴史』『戦国の日本語』『ことば遊びの歴史』『学校では教えてくれないゆかいな日本語』(以上、河出書房新社)、『文献日本語学』『『言海』と明治の日本語』(以上、港の人)、『辞書をよむ』『リメイクの日本文学史』(以上、平凡社新書)、『辞書からみた日本語の歴史』(ちくまプリマー新書)、『振仮名の歴史』『盗作の言語学』(以上、集英社新書)、『漢和辞典の謎』(光文社新書)、『超明解!国語辞典』(文春新書)、『常識では読めない漢字』(すばる舎)、『「言海」をよむ』(角川選書)、『かなづかいの歴史』(中公新書)がある。

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【編集部から】

現在刊行されている国語辞書の中で、唯一の多巻本大型辞書である『日本国語大辞典 第二版』全13巻(小学館 2000年~2002年刊)は、日本語にかかわる人々のなかで揺らぐことのない信頼感を得、「よりどころ」となっています。
辞書の歴史をはじめ、日本語の歴史に対し、精力的に著作を発表されている今野真二先生が、この大部の辞書を、最初から最後まで全巻読み通す試みを始めました。
本連載は、この希有な試みの中で、出会ったことばや、辞書に関する話題などを書き進めてゆくものです。ぜひ、今野先生と一緒に、この大部の国語辞書の世界をお楽しみいただければ幸いです。隔週連載。


人名用漢字の新字旧字:「宝」と「寶」

2017年 2月 9日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

第126回 「宝」と「寶」

新字の「宝」は常用漢字なので、子供の名づけに使えます。旧字の「寶」は、常用漢字でも人名用漢字でもないので、子供の名づけに使えません。「宝」と「寶」の間には、「寳」や「寚」のような俗字があるのですが、これらの俗字も子供の名づけに使えません。

昭和17年6月17日、国語審議会は標準漢字表を、文部大臣に答申しました。標準漢字表は、各官庁および一般社会で使用する漢字の標準を示したもので、部首画数順に2528字が収録されていました。標準漢字表の宀部には「寶」が含まれていて、その直後に、カッコ書きで「宝」が添えられていました。「寶(宝)」となっていたわけです。簡易字体の「宝」は、「寶」の代わりに使っても差し支えない字、ということになっていました。

昭和21年11月5日、国語審議会が答申した当用漢字表では、宀部に「宝」が含まれていて、その直後に、カッコ書きで「寶」が添えられていました。「宝(寶)」となっていたのです。翌週11月16日に当用漢字表は内閣告示され、新字の「宝」は当用漢字になりました。昭和23年1月1日に戸籍法が改正され、子供の名づけに使える漢字が、この時点での当用漢字表1850字に制限されました。当用漢字表には、新字の「宝」が収録されていたので、「宝」は子供の名づけに使ってよい漢字になりました。旧字の「寶」や俗字の「寳」「寚」は、子供の名づけに使えなくなりました。

昭和56年3月23日、国語審議会が答申した常用漢字表では、やはり「宝(寶)」となっていました。これに対し、民事行政審議会は、常用漢字表のカッコ書きの旧字を子供の名づけに認めるかどうか、審議を続けていました。昭和56年4月22日の総会で、民事行政審議会は妥協案を選択します。常用漢字表のカッコ書きの旧字355組357字のうち、当用漢字表に収録されていた旧字195字だけを子供の名づけに認める、という妥協案です。昭和56年10月1日に常用漢字表は内閣告示され、新字の「宝」は常用漢字になりました。しかし、旧字の「寶」は人名用漢字になれませんでした。旧字の「寶」は、常用漢字表のカッコ書きに入ってるけど当用漢字表に収録されてなかったからダメ、となったのです。

平成16年3月26日に法制審議会のもとで発足した人名用漢字部会は、常用漢字や人名用漢字の異体字であっても、「常用平易」な漢字であれば人名用漢字として追加する、という方針を打ち出しました。この方針にしたがって人名用漢字部会は、当時最新の漢字コード規格JIS X 0213(平成16年2月20日改正版)、平成12年3月に文化庁が書籍385誌に対しておこなった漢字出現頻度数調査、全国の出生届窓口で平成2年以降に不受理とされた漢字、の3つをもとに審議をおこないました。旧字の「寶」は、全国50法務局のうち1つの管区で出生届を拒否されていて、JIS第2水準漢字で、漢字出現頻度数調査の結果が87回でした。俗字の「寳」は、全国50法務局のうち出生届を拒否された管区は無く、JIS第2水準漢字で、漢字出現頻度数調査の結果が77回でした。この結果、「寶」も「寳」も「常用平易」とはみなされず、人名用漢字に追加されませんでした。一方、俗字の「寚」は、そもそもJIS第1~4水準漢字に含まれていないので、追加対象になりませんでした。

平成23年12月26日、法務省は入国管理局正字13287字を告示しました。入国管理局正字は、日本に住む外国人が住民票や在留カード等の氏名に使える漢字で、新字の「宝」や旧字の「寶」、さらには俗字の「寳」「寚」も含んでいました。この結果、日本で生まれた外国人の子供の出生届には、新字の「宝」に加え、「寶」も「寳」も「寚」も書けるようになりました。これに対し、日本人の子供の出生届には、新字の「宝」はOKですが、旧字の「寶」や俗字の「寳」「寚」はダメなのです。

【筆者プロフィール】

安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

http://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。


漢字の現在:河津の「滝」(たる)

2017年 2月 6日 月曜日 筆者: 笹原 宏之

漢字の現在 第297回 河津の「滝」(たる)

 この地の7つの滝の中でいちばん大きな滝である大滝(おおだる)は、落石があって、今は見られないとのことだった。踊り子の像も、母の古い記憶の通りにあった。川端康成は、伊豆の観光業にもたらした功績も実に大きい。伊豆に宿泊し、また住居を構えた文士たちの遺産があちこちにある。

(画像をクリックすると全体を表示します)
小水力
小水力
猪(けものへんの形が少し気になるが、問題ないだろう)
猪(けものへんの形が少し気になるが、
問題ないだろう)
猪汁
猪汁
天城峠
天城峠

 熱海には、文机に傷を付けては苦しみ、熟字訓や造字などに至る彫琢を一字一句に凝らした尾崎紅葉も足跡を残している。「金色夜叉」を読んだことがない人でも、貫一、お宮の像を見ると名台詞とともに感慨に耽ったものだが、最近、大学生たちには知らないという人が増えてきた。いまは文学史で少し覚える程度なのかもしれない。

 河津七滝は、吊り橋と階段が続き、もう川辺を歩くのは十分だった。「七滝温泉ホテル」を含め、ここでは「滝」ばかり書かれているため、旧字体の「瀧」は「ダル」(タル)という読みには合わないような気がしてきた。

 途中のトイレ近くの説明板に、「小水力発電」とあった。ちょっと考えて「小・水力発電」と解釈できたが、トイレという空間的な文脈のせいで、異分析をしてしまう人もいることだろう。とくに看護師さんあたりは、読み取り間違えが多いのではなかろうか(いや、かえって「尿」という字のほうになじみがあるか)。側には、その発電をする新しい水車があった。小学生は、本物の水車は初めて見たと言う。

 6つの滝を堪能したあと、足休めのために食堂に入る。「わさび」(ワサビ)や「猪」という字がいくつも目に入る。せっかくなので、挑戦してみる。

 ジュビエの大もとか、猪の肉は昔聞いたとおり引き締まっていて固く、家畜化して品種改良された豚よりも野味があった。そこここにたわわになっていて、安く売っている「みかん」は食後のデザートとして一層甘く感じられる。

 店を出ると、「天城峠」の文字が道路標識に見えた。下田まで南下すれば、小地名に「乢」ないし「𡴭」のような地域文字(方言漢字)もあったはずだ。柳田国男は伊豆の地名の「たわ」に「嵶」という中国地方の漢字を当てたこともあった。

 タクシーの運転士さんは、名曲「天城越え」はこの辺りを歌っていると話す。「浄蓮の滝(ここはもうタルではなくタキ)」など、挙げる地名にも力が籠もる。60代のその地元訛りを持つ人は、斜面や崖を意味するママという方言は知らないそうで、ガケというとのこと。伊豆の小地名に使われた方言漢字「墹」は、すでに化石化しているようだ。

 「おおだる」など滝のことを「タル」と言うとは、この地の人たちが決まって語ることだが、富山県の西の端で生まれ育った母は、ここの「エビ滝(だる)」もエビタキとしか読まない。この「エビ」は何でもカタカナ表記になっているが、昔はどうだったのだろう。この地だから「海老」か。もしかしたら「蛯」もあった可能性があるが、いかんせん河津七滝の歴史については、言及されたものが地名資料にも、町のサイト、観光パンフレットの類にも見当たらない。

 

 そこで、久しぶりに江戸期の『豆州志稿』を、手早くWEBで国文学研究資料館のサイトにある大和文華館所蔵写本により見ていく。すると、巻6に「瀑布」の項目がある。その中で、「大瀑布」「洞山瀑布」の2つの瀑布の字の右側に、「タル」と振り仮名が書き込まれていた。そして前者に関しては、果たせるかな「方言ニタキヲタルト云盖(けだ)シ垂(タルヽ)ノ義也」とも記載されていた。

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【筆者プロフィール】

『漢字の現在』 『国字の位相と展開』笹原宏之(ささはら・ひろゆき)
 早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』、この連載がもととなった『漢字の現在』(以上2点 三省堂)、『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)、編著に『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)などがある。『漢字の現在』は『漢字的現在』として中国語版が刊行された。最新刊は、『日本人と漢字』(集英社インターナショナル)。

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【編集部から】
漢字、特に国字についての体系的な研究をおこなっている笹原宏之先生から、身のまわりの「漢字」をめぐるあんなことやこんなことを「漢字の現在」と題してご紹介いただいております。前回は「河津で出会った個人文字と方言漢字」でした。

この連載への質問、また「ここでこんな字が使われていた」などの情報は、問い合わせフォーム( http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/support/question.html )から、「漢字の現在」への質問・情報である旨を記してご投稿ください。


古代語のしるべ 第4回 イフク[息吹]

2017年 2月 3日 金曜日 筆者: 蜂矢 真郷

古代語のしるべ 第4回 イフク[息吹]

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【筆者プロフィール】

■上代語研究会
乾善彦・内田賢德・尾山慎・佐野宏・蜂矢真郷(五十音順)の5名。上代日本語の未詳語彙の解明を目指し、資料批判を踏まえて形態論と語彙論の両面からその方法の探求と実践を進めている。
■蜂矢真郷(はちや まさと)1946年生まれ。京都大学卒業、同志社大学大学院修士課程修了、博士(文学)〔大阪大学〕。中部大学教授、大阪大学名誉教授。1998年、第17回新村出賞受賞。著書:『国語重複語の語構成論的研究』(1998.4 塙書房)、『国語派生語の語構成論的研究』(2010.3 同)、『古代語の謎を解く』(2010.3 大阪大学出版会)、『古代語形容詞の研究』(2014.5 清文堂出版)。学生の時、阪倉篤義氏『語構成の研究』(1965.5 角川書店)に接し、複合語であることがあまり認識されていないものを分析することへの興味から、語構成の研究に入ることになった。

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【編集部より】
 昭和42(1967)年以来、約50年の長きにわたって発行しております『時代別国語大辞典 上代編』。おかげさまで、上代の日本語を体系的に記述した辞書として高くご評価いただき、今も広くお使いいただいています。しかし、この50年の間にはさまざまな研究の進展がありました。木簡をはじめとして上代日本語に関する資料が多数発見されたばかりでなく、さまざまな新しい研究の成果は、『万葉集』や『古事記』をはじめとした上代文献の注釈・テキスト、また関連の研究書の刊行など、大きな蓄積を成しています。
 そこで、未詳語彙の解明をはじめ、新たな資料を踏まえて上代日本語の記述の見直しを進めていらっしゃる「上代語研究会」の先生方に、リレー連載をお願いいたしました。研究を通して明らかになってきた上代日本語の新たな姿を、さまざまな角度から記していただきます。辞書では十分に説明し尽くせない部分まで読者の皆さんにお届けするとともに、次の時代の新たな辞書の記述へとつなげていくことを願っています。


タイプライター博物館訪問記:菊武学園タイプライター博物館(21)

2017年 2月 2日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

タイプライターに魅せられた男たち・番外編第31回

菊武学園タイプライター博物館(20)からつづく)

菊武学園の「Monarch Pioneer」

菊武学園の「Monarch Pioneer」

菊武学園タイプライター博物館には、「Monarch Pioneer」も展示されています。「Monarch Pioneer」は、1932年頃から1938年にかけて、モナーク・タイプライター社が販売していたタイプライターです。ただし、この時期のモナーク・タイプライター社は、もはや実質的な生産拠点を持っておらず、菊武学園の「Monarch Pioneer」も、製造はレミントン・ランド社がおこなったと考えられます。

菊武学園の「Monarch Pioneer」右側面

菊武学園の「Monarch Pioneer」右側面

「Monarch Pioneer」の印字機構や筐体は、同時期の「Remington Remie Scout Model」を、かなりの部分で使い回しています。右側面のレバーも、その一つです。「Monarch Pioneer」は、右側面のレバーを手前に倒した状態では、印字できません。右側面のレバーを奥に倒すことで、タイプ・バスケット全体がせり上がります。この状態でキーを押すと、対応するタイプ・アーム(type arm)が、プラテンの前面に置かれた紙の上にインクリボンごと叩きつけられ、紙の前面に印字がおこなわれます。いわゆるフロントストライク式の印字機構であり、打った文字がすぐ読めるのです。

「Monarch Pioneer」右側面のレバーを奥に倒す

「Monarch Pioneer」右側面のレバーを奥に倒す

この「右側面のレバーを倒すことでタイプ・バスケット全体がせり上がる」という機構は、もともとは「Remington Portable No.1」で採用され、その後「Remington Remie Scout Model」や「Monarch Pioneer」にも転用されたものです。菊武学園の「Monarch Pioneer」のタイプ・アームの先には、それぞれ活字が2つずつ埋め込まれています。2つの活字は、上が大文字(および記号)で、下が小文字(および数字)です。キーボード左端の「SHIFT KEY」を押すことで、プラテンが奥へと移動し、大文字(および記号)が印字されるようになるのです。

菊武学園の「Monarch Pioneer」のキーボード左半分

菊武学園の「Monarch Pioneer」のキーボード左半分

「SHIFT KEY」のすぐ上の「SHIFT LOCK」キーを押すと、「SHIFT KEY」が下がりっぱなしになります。菊武学園の「Monarch Pioneer」では、42個のキーはQWERTY配列に並んでいますが、キートップが小文字なのが特徴的です。

【筆者プロフィール】

安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

http://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。


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