日本語社会 のぞきキャラくり 顔つき・カラダつき・ことばつき

定価
1,760円
(本体 1,600円+税10%)
判型
四六判
ページ数
208ページ
ISBN
978-4-385-36525-1

使い分けが望まれる敬語表現などとは違って、変わらないことが期待されているもの――キャラ(人物像)。

時には人々が悩み苦しみもするキャラと言葉の関係に迫る、三省堂辞書サイトの人気連載、待望の書籍化。

定延利之 著

キャラクタはことばに宿る

○○らしい顔、○○らしい体、
○○らしい話しかた。

キャラが変わればことばも変わる。

ことばが変わればキャラも変わる。

とりあえずすべてのことばは役割語である。

特長

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著者プロフィール

定延利之(さだのぶ・としゆき)

神戸大学大学院国際文化学研究科教授。博士(文学)。
専門は言語学・コミュニケーション論。従来の研究では見過ごされがちな現象に目を向け、ことさらに観察することにより、研究枠組みの問題点や新しい進展の方向性を検討している。著書に『ささやく恋人、りきむレポーター ―口の中の文化』(岩波書店)、『日本語不思議図鑑』(大修館書店)、『煩悩の文法 ―体験を語りたがる人びとの欲望が日本語の文法システムをゆさぶる話』(ちくま新書)などがある。

まえがき

 子供の頃にむさぼり読んだ赤塚不二夫のマンガでは、イヤミが、
「ミーは金持ちざんす」、
ニャロメが、
「オレと結婚しろニャロメ!!」
と、個性あふれる登場人物たちがそれぞれ独自のしゃべり方をしていた。

  やがて私たちは大人になったが、マンガが非現実な絵空事でしかないと悟ったかというと、必ずしもそうではない。

 私たちが一日のうちで確実に何分の一かの時間を過ごしているインターネット空間は、この赤塚ワールドとあちこちでつながっている。
「拙者ビリヤードに行ってきたでござる」
「ウソだよぴょーん」
など、さまざまなことばが書き込まれ、さまざまなキャラクタが発動される様子は、もはや日常である。

  こういうことばづかいは「最近のことばの乱れ」以外の何物でもなく、「日本語の品格」を落とすから黙殺すべし、というのが常識的な考え方なのかもしれない。だが、ここに、これまでの文法を覆し、大きく進展させかねないものが含まれているとしたら、どうか。

 これまでの文法では「日本語の文の最終末に現れ得るのは終助詞である。終助詞の後に終助詞以外のことばが付くことは無い」と考えられている。「雨だ」の後には終助詞「よ」が付いて「雨だよ」となる。その後に3 まえがき
は終助詞「な」が付いて「雨だよな」となるがもうそれ以上は何も付かない。「雨だ」に終助詞「わ」が付いて「雨だわ」、さらに終助詞「ね」が付いて「雨だわね」となるがそれで終わり、という具合である。

ところが、

「ウソだよぴょーん」
の「ぴょーん」や、
「誰かねぷーん」
の「ぷーん」は、これまでの文法が想定していなかった場所、つまり終助詞(「よ」「ね」)の後に現れる。

 星について学びたいと思う人は、まず、客観的な態度で星を観察しなければならない。星が自分の思い通りの位置・時刻に現れないからといって「最近の星はどうも乱れている」と言うことはできない。

 これと同じように、ことばについて学びたいと思う人は、客観的にことばを観察しなければならない。「最近のことばはどうも乱れている」と言いたいところをとりあえず我慢して、マンガやインターネットのことばを虚心坦懐にながめると、そこに面白いものが見えてくる。

  これまで想定されていなかった環境(終助詞のさらに後ろ)に現れる一群のことばがあるということは、これまで想定されていなかった、「キャラ助詞」とでも言えそうな品詞を発見したかもしれないということである。

  それは文の構造について従来の見解を見直すということ、そもそも文とはどういうものなのかを考え直すということにもつながる。ちょっと、すごいことではないか。

  韓国語や中国語にもキャラ助詞相当のものが見られるが、日本語ほど自由闊達にキャラ助詞が発せられ、キャラクタが発動される言語を他に知らない。日本語社会はまさにキャラクタの社会である。その中で人々がキャラクタに生き、キャラクタに悩む様子をしばし、のぞき見てみよう。