人名用漢字の新字旧字:「扣」と「控」

2018年 5月 24日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

第158回 「扣」と「控」

旧字の「控」は常用漢字なので、子供の名づけに使えます。新字の「扣」は、常用漢字でも人名用漢字でもないので、子供の名づけに使えません。旧字の「控」は出生届に書いてOKですが、新字の「扣」はダメ。どうして、こんなことになってしまったのでしょう。

昭和17年6月17日、国語審議会は標準漢字表を、文部大臣に答申しました。標準漢字表は、各官庁および一般社会で使用する漢字の標準を示したもので、部首画数順に2528字が収録されていました。標準漢字表の手部には「控」が含まれていて、その直後にカッコ書きで「扣」が添えられていました。「控(扣)」となっていたわけです。簡易字体の「扣」は、「控」の代わりに使っても差し支えない字、ということになっていました。

158hikae-old.png昭和21年4月27日、国語審議会に提出された常用漢字表1295字では、手部に旧字の「控」が含まれていて、新字の「扣」は含まれていませんでした。国語審議会が11月5日に答申した当用漢字表でも、旧字の「控」だけが含まれていました。翌週11月16日に当用漢字表は内閣告示され、旧字の「控」は当用漢字になりました。ところが、官報に掲載された当用漢字表では、「控」の穴かんむりは、中が「八」の形になっていました。印刷局が官報に使っていた活字が、たまたまそういう字体だったのです。

昭和23年1月1日に戸籍法が改正され、子供の名づけに使える漢字が、この時点での当用漢字表1850字に制限されました。当用漢字表には旧字の「控」が収録されていたので、「控」(中が「八」)は子供の名づけに使ってよい漢字になりました。新字の「扣」は、子供の名づけに使えなくなってしまいました。

昭和24年4月28日に内閣告示された当用漢字字体表では、旧字の「控」が収録されていましたが、穴かんむりは元に戻っていました。当用漢字表の「控」と、当用漢字字体表の「控」で、微妙な字体差ができてしまったため、どちらが子供の名づけに使えるのかが問題になりましたが、この問題に対し法務府民事局は、どちらも子供の名づけに使ってよい、と回答しました(昭和24年6月29日)。

昭和56年3月23日、国語審議会が答申した常用漢字表1945字には、旧字の「控」が収録されていました。昭和56年10月1日に常用漢字表は内閣告示され、旧字の「控」は常用漢字になりました。この際に、当用漢字表の「控」(中が「八」)は、子供の名づけに使えなくなりました。その一方で新字の「扣」は、常用漢字にも人名用漢字にもなれなかったのです。

平成23年12月26日、法務省は入国管理局正字13287字を告示しました。入国管理局正字は、日本に住む外国人が住民票や在留カード等の氏名に使える漢字で、JIS第1~4水準漢字を全て含んでいました。この結果、日本で生まれた外国人の子供の出生届には、旧字の「控」に加えて、新字の「扣」も書けるようになりました。でも、日本人の子供の出生届には、旧字の「控」はOKですが、新字の「扣」はダメなのです。

【筆者プロフィール】

安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

http://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。


『日本国語大辞典』をよむ―第34回 「に同じ」

2018年 5月 20日 日曜日 筆者: 今野 真二

第34回 「に同じ」

『日本国語大辞典』をよんでいると時々「に同じ」に出会う。例えば次のような見出し項目の語釈中に「に同じ」とある。

あいくろしい【愛―】〔形口〕[文]あいくろし〔形シク〕(「くろしい」は接尾語)「あいくるしい」に同じ。

あいこうしゃ【愛好者】〔名〕「あいこうか(愛好家)」に同じ。

あいこくきって【愛国切手】〔名〕「あいこくゆうびんきって(愛国郵便切手)」に同じ。

あいじょ【愛女】〔名〕「あいじょう(愛嬢)」に同じ。

アイスアックス〔名〕({英}ice ax(e))「ピッケル」に同じ。

アイストング〔名〕({英}ice tongsから)「こおりばさみ(氷挟)」に同じ。

あいつぼ【藍壺】〔名〕「あいがめ(藍瓶)」に同じ。

あいづぼん【会津本】〔名〕「あいづばん(会津版)」に同じ。

あいびん【哀愍・哀憫】〔名〕「あいみん(哀愍)」に同じ。

アウトグループ〔名〕({英}outgroup)「がいしゅうだん(外集団)」に同じ。

 上に10例を示したが、いろいろな「に同じ」がありそうなことがわかる。辞書である語Yを調べて「Xに同じ」にゆきあたるとちょっとがっかりするかもしれない。そこにはたいてい語釈が記されておらず、見出しXを改めて調べないといけないことが多いからだ。すぐそばに見出しXがあればいいが、見出しYと離れたところにある場合は、「ちょっとめんどうだな」と感じることがある。1冊の辞書の中でもそうなのだから、全13冊である『日本国語大辞典』の場合は、別の巻になってしまうことがあり、なおさらそのように感じるかもしれない。しかし、これはしかたがないことだろう。

 見出しYには語釈が置かれておらず、見出しXを参照することが指示されているという場合、見出しYを「参照見出し」、見出しXを「本見出し」と呼ぶことがある。「参照見出し」はもちろん参照用の見出しということで、これを置くことによって、辞書内の見出し項目同士がより緊密に結びつくことになる。しかしその一方で、上のような、辞書使用者の「ちょっとめんどうだな」につながることもある。見出し「あいづぼん」を使って、もう少し具体的に考えてみよう。「あいづぼん」は「あいづばん(会津版)」の参照を指示している。「あいづばん」の語釈中に「直江板」がみられるので、「なおえばん」及び「なおえぼん」、さらには「ようぼうじばん」もみてみることにする。

あいづばん【会津版】〔名〕慶長年間に上杉景勝の家臣直江山城守兼続が会津米沢で銅活字を用いて刊行した書籍。慶長一二年(一六〇七)に刊行された「文選」は名高い。普通には直江板という。会津本。

なおえばん【直江板】〔名〕江戸時代、慶長一二年(一六〇七)、直江兼続がわが国で初めて銅活字を用いて印刷させた書籍。要法寺板。直江本。

なおえぼん【直江本】〔名〕「なおえばん(直江板)」に同じ。

ようぼうじばん【要法寺版】〔名〕版本の一つ。慶長年間(一五九六~一六一五)、京都要法寺で、一五世日性が刊行した銅活字の版本。「文選」「論語集解」「沙石集」「和漢合運図」「法華経伝記」「天台四教儀集註」「元祖蓮公薩埵略伝」などがある。

 上の各見出し項目をみる限りでは、見出し「なおえばん」と「ようぼうじばん」との関わりがわかりにくいのではないだろうか。見出し「なおえばん」には何らの説明なく、「要法寺板」とあるので、それこそ「同じものかな」と思いそうだが、見出し「ようぼうじばん」には直江板、直江本とどうかかわるかが記されていない。『日本古典籍書誌学辞典』(一九九九年、岩波書店)を調べてみると、直江兼続は京都の要法寺に依頼して直江板を作っていたことがわかる。見出し「ようぼうじばん」にそのことを記す必要がないのだとすれば、見出し「なおえばん」の語釈において「京都要法寺に依頼して作成していた」というようなことを記しておくか、あるいはもうそのことにはまったくふれないか、どちらかだろうか。『日本国語大辞典』のように規模が大きい辞書の見出し項目同士のつながりを整えようとするとかなり大変そうだ。そうした調整は地味ではあろうが、辞書使用者にとっては、ありがたい調整といえよう。もっと細かいこととしていえば、「なおえばん」の語釈には「要法寺板」とあり、見出し「ようぼうじばん」に添えられた漢字列は「要法寺版」であるといった点も気にならないではない。

 さて、直江兼続が、京都の要法寺に依頼して作った古活字版のことを「あいづばん(会津版)」と呼んだり、「あいづぼん(会津本)」と呼んだり、あるいは「なおえばん(直江板)」と呼んだり、「なおえぼん(直江本)」と呼んだりすることがある、ということだろう。それは「呼ばれているもの」が同じ、ということだ。「あいづばん(会津版)」を説明するならば、「会津で出版された版本」、「なおえばん(直江板)」を説明するならば、「直江兼続が出版にかかわった版本」ということだろうから、説明のしかた、つまり「観点」が異なる。言語表現は「観点がすべて」というと言い過ぎになるだろうが、それでもそういう面がたぶんにある。「ものが同じなんだからどう表現しても同じ」というのは少し乱暴な感じがする。これはある地域で昆虫の「カマキリ」を「カマギッチョ」と呼ぶということとは異なる。それは一般的には「方言」ととらえられている現象で、(そこに「観点」がからんでいることはあるが)言語の地域差とみる。

 「同じ」ということはどういうことなのだろう、と考え始めると、それが奥深い問いであることに気づく。辞書をよむことによって、哲学的な思索に導かれることもありそうだ。

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※特に出典についてことわりのない引用は、すべて『日本国語大辞典 第二版』からのものです。引用に際しては、語義番号などの約物および表示スタイルは、ウェブ版(ジャパンナレッジ http://japanknowledge.com/)の表示に合わせております。

◆この連載の目次は⇒「『日本国語大辞典』をよむ」目次へ

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【筆者プロフィール】

今野真二(こんの・しんじ)

1958年、神奈川県生まれ。高知大学助教授を経て、清泉女子大学教授。日本語学専攻。

著書に『仮名表記論攷』、『日本語学講座』全10巻(以上、清文堂出版)、『正書法のない日本語』『百年前の日本語』『日本語の考古学』『北原白秋』(以上、岩波書店)、『図説日本語の歴史』『戦国の日本語』『ことば遊びの歴史』『学校では教えてくれないゆかいな日本語』(以上、河出書房新社)、『文献日本語学』『『言海』と明治の日本語』(以上、港の人)、『辞書をよむ』『リメイクの日本文学史』(以上、平凡社新書)、『辞書からみた日本語の歴史』(ちくまプリマー新書)、『振仮名の歴史』『盗作の言語学』(以上、集英社新書)、『漢和辞典の謎』(光文社新書)、『超明解!国語辞典』(文春新書)、『常識では読めない漢字』(すばる舎)、『「言海」をよむ』(角川選書)、『かなづかいの歴史』(中公新書)がある。

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【編集部から】

現在刊行されている国語辞書の中で、唯一の多巻本大型辞書である『日本国語大辞典 第二版』全13巻(小学館 2000年~2002年刊)は、日本語にかかわる人々のなかで揺らぐことのない信頼感を得、「よりどころ」となっています。
辞書の歴史をはじめ、日本語の歴史に対し、精力的に著作を発表されている今野真二先生が、この大部の辞書を、最初から最後まで全巻読み通す試みを始めました。
本連載は、この希有な試みの中で、出会ったことばや、辞書に関する話題などを書き進めてゆくものです。ぜひ、今野先生と一緒に、この大部の国語辞書の世界をお楽しみいただければ幸いです。隔週連載。


フィールド言語学への誘い:ザンジバル編 第8回 フィールドでの生活

2018年 5月 18日 金曜日 筆者: 古本 真

フィールド言語学への誘い:ザンジバル編 第8回 フィールドでの生活

 現在[注1]、調査のためザンジバルに滞在中です。今回は、フィールドでの生活がどんなものであるかを知ってもらうために、村でのある1日の生活を紹介したいと思います。

6:00 a.m.:起床
モスクから響くアザーン(お祈りの時間を知らせる合図)、夜明けを告げる鶏の鳴き声、起き出してきた家の人たちの物音で目を覚ます。ザンジバルの朝は早い。この時間は、メールのチェック、書きかけの論文の修正、朝の調査の準備(あらかじめ用意してきた質問事項の見直し)を行う。

8:30 a.m.:チャイ①(朝ごはん)
家のお母さんが用意してくれた朝ごはんを食べる。この日のメニューは、ふかしたサツマイモ、トマトの炒めもの、それとあまり香りがしないけど砂糖のたくさん入った紅茶。血糖値が急に上がって眠気に襲われる。ちなみに「チャイ (chai)」 は、お茶だけでなく軽食も指す。

9:30 a.m.:調査①
いつものおじさんのところに調査に行く。このおじさんには、ずっと前から調査に協力してもらっている。昨日のうちに電話でアポをとっておいた。調査では、用意してきた例文が自然であるかを確認したり、文や語の発音をしてもらう。調査時間は大体いつも90分。これくらいがお互いの体力と集中力の限界。

0:00 p.m.:調査のまとめ
子供たちから「写真撮って」攻撃にあったり、道中出会った大人たちに挨拶をしながら帰宅。家に着くと、パソコンを開き音声データを保存して、この日の調査で確認した文、調査の最中に新たにでてきた語や表現を記録する。こうした作業は、できるだけ早くやっておいたほうがいい。確認し忘れたことがあれば、次の日の調査で聞くことができるし、ノートの半端なメモからでも何を聞いたかすぐに思い出せる。日本に帰ってからまとめてやろうと思っても、何を聞いたかなかなか思い出すことはできない。人間は忘れる生き物である。なにより汚いメモをみるなんて、めんどくさくてあとになったら絶対やらない。

1:00 p.m.:チャイ②
調査のまとめをしてるときに、近所のおばさんから牛乳を売りつけられる(1.5リットルで約100円)。その牛乳に砂糖をいれて沸かしてもらい、朝と同じサツマイモとトマトの炒め物でチャイ(軽食)をとる。日本の昼食にあたる時間帯に、簡単な食事をとることが多い。

1:30 p.m.:昼寝
作業がひと段落したところで昼寝。

3:00 p.m.:床屋に行く
家の子供の自転車に乗せてもらって、床屋に行く。昨日村に着いてから、家のお母さんや隣の家のおばさんからしきりに「いつ髪を切りに行くの」と聞かれる。ここでは、男の長い髪は好まれないらしい。水浴びをするにも短い方が都合がいい。髪型はいつも通り、ジェラード(イングランドのサッカー選手)風。最初にこの床屋に来た時は、壁に貼られたスポーツ選手の写真の中からモデルとしてジェラードを選んだ。こんな写真は、ザンジバルのどこの床屋にも貼られている。ちなみにスワヒリ語で髪の多寡は、「長い」「短い」ではなく、「大きい」「小さい」という形容詞で表される。


ザンジバルの田舎の床屋

4:00 p.m.:知り合いに挨拶
床屋の近くに住む知り合いのところに行って、村に来たことを伝える。

5:00 p.m.:食事
家に帰って食事をとる。今日のメニューは、ダガー(小魚)のスープと白飯。白飯からはココナツの香りがする。米は、ココナツの削りカスを濾(こ) して絞りだされた水と塩をいれて炊かれる。1日のメインの食事は、午後2時から4時くらいにとることが多い。この日は出かけていたためちょっと遅め。

8:00 p.m.:調査②
隣の家に住むおばさん(家のお父さんのお姉さん)と発音の調査。ただひたすら用意してきた文を発音してもらう。退屈な調査だからか、おばさんは時折うつらうつらして、発音が曖昧になることもしばしば。時間も遅いので、1時間ほどで調査を切り上げる。この日は、近くの井戸掘りをみんなで見物していて調査を始めるのが遅れた。明日はもう少し早く始められるだろうか。

9:00 p.m.:チャイ③
寝る前にその日の最後の食事をとる。この日は昼の残りのダガーのスープとパンと紅茶。

10:00 p.m.:就寝

コラム5:1時は7時?

スワヒリ語で時間は1から12までの数字とsaa「時」という語を組み合わせて表されます。ただし、私たちが言いたい時間は、数字とこのsaaを組み合わせるだけでは言えません。例えば、1はmojaと言いますが、ザンジバルの人とsaa moja(時を表す語と数字の順番は日本語と逆です)に待ち合わせをしても、おそらく1時にその人には会うことはできないでしょう。これは、スワヒリ語で表される時間と、私たちが使う時間表現との間には、6時間の差があるためです。スワヒリ語で、saa mojaと言った場合、それは朝か晩の7時を指します。このような時間表現が使われている正確な理由は不明ですが、朝と晩の7時に最初の数字1が、6時に最後の数字12が割り当てられていることから、1日を太陽が出ている時間(昼間)と、沈んでいる時間(夜間)に分けていることがみてとれます。

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[注]

  1. この記事の執筆時(2017年10月頃)

◆この連載の目次は⇒「フィールド言語学への誘い:ザンジバル編 」目次へ

【筆者プロフィール】

■古本真(ふるもと・まこと)

1986年生まれ、静岡県出身。大阪大学・日本学術振興会特別研究員PD。専門はフィールド言語学。2012年からタンザニアのザンジバル・ウングジャ島でのフィールドワークを始め、スワヒリ語の地域変種(方言)について調査・研究を行っている。
最近嬉しかったことは、自分の写真がフィールドのママのWhatsApp(ショートメッセージのアプリ)のプロフィールになっていたこと。

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【編集部から】

今回はフィールド調査中の古本さんの生活を紹介していただきました。メールをチェックしたり、調査結果をまとめたり、一見、日本での研究生活と大きくは変わらないようです。しかし、近所の人に到着の挨拶をしたり、子供たちの「写真撮って」攻撃にあったり、日本での生活よりも人に会ったり話したりする機会が多いみたいですね。来月は連載をお休みし、次回は7月の第3金曜日に公開します。どうぞお楽しみに。


広告の中のタイプライター(32):Remington Standard Typewriter No.2

2018年 5月 17日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

タイプライターに魅せられた男たち・補遺

『Illustrated Phonographic World』1893年11月号

『Illustrated Phonographic World』1893年11月号
(写真はクリックで拡大)

「Remington Standard Typewriter No.2」は、ウィックオフ・シーマンズ&ベネディクト社が1882年に発売したタイプライターです。E・レミントン&サンズ社の「Remington Type-Writer No.2」を継承したもので、発売当初は「Remington Standard Type-Writer No.2」だったのですが、上の広告の時点ではレミントン・スタンダード・タイプライター社が製造をおこなっており、ブランド名もハイフンなしの「Remington Standard Typewriter No.2」になっていました。

「Remington Standard Typewriter No.2」は、いわゆるアップストライク式タイプライターです。プラテンの下に、38本の活字棒(type bar)が円形に配置されていて、キーを押すと、対応する活字棒が跳ね上がってきます。活字棒は、プラテンの下に置かれた紙の下にインクリボンごと叩きつけられ、紙の下側に印字がおこなわれます。打った文字をその場で見ることはできず、プラテンを持ち上げるか、あるいは数行分改行してから、やっと印字結果を見ることができるのです。活字棒の先には、活字が2つずつ埋め込まれていて、プラテンの位置によって、大文字と小文字が打ち分けられます。「Upper Case」キーを押すと、プラテンが機械後方(オペレータから見て奥)へ移動し、その後は大文字や記号が印字されます。「Lower Case」キーを押すと、プラテンが機械前方(オペレータから見て手前)へ移動し、その後は小文字や数字が印字されます。また、キーボードの左上方には、取り外し可能なバネが付いており、このバネによって「Lower Case」キーを不要にできます。このバネを使うと、「Upper Case」キーを離した瞬間、バネの力でプラテンが機械前方に戻ってくるので、「Lower Case」キーを押す必要が無くなるのです。

1882年12月時点の「Remington Standard Type-Writer No.2」のキー配列

「Remington Standard Typewriter No.2」の基本キー配列は、上に示すようなQWERTY配列でした。「Remington Type-Writer No.2」と比べると、「M」が「L」の右横から「N」の右横へと移されており、「C」と「X」が入れ替えられていたのです。なお、数字の「1」は小文字の「l」で、数字の「0」は小文字の「o」で、それぞれ代用することになっていました。

上の広告によれば、1892年の時点でウィックオフ・シーマンズ&ベネディクト社は、「Remington Standard Typewriter No.2」を年間3万台、売り上げていました。多少の誇張は含まれるものの、トップシェアだったことは間違いなく、それは、アメリカじゅうにQWERTY配列を広めていく結果となったのです。

【筆者プロフィール】

安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

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絵巻で見る 平安時代の暮らし 第61回『信貴山縁起』「尼君巻」の「庶民の生活」を読み解く

2018年 5月 16日 水曜日 筆者: 倉田 実

第61回『信貴山縁起』「尼君巻」の「庶民の生活」を読み解く

場面:庶民の女性が菜を摘み、洗濯し、糸を紡ぐところ
場所:山和国の奈良街道沿いの民家か
時節:ある年の春

(画像はクリックで拡大)

人物:[ア]水を汲む女 [イ]洗濯する女 [ウ]菜を摘む女  [エ]尼君を見つめる女  [オ]尼君 [カ]従者 [キ]糸を紡ぐ女
建物など:Ⓐ・Ⓦ土壁 Ⓑ・Ⓥ掘立柱 Ⓒ・Ⓧ板屋根 Ⓓ松の木 Ⓔ松葉 Ⓕ稲束 Ⓖ井桁の井戸 Ⓗ釣瓶縄(つるべなわ) Ⓘ割竹形の石の洗濯場 Ⓙ垣 Ⓚ畠 Ⓛ桃 Ⓜ畦道 Ⓝ菜 Ⓞ敷居 Ⓟ柱 Ⓠ上長押 Ⓡのれん Ⓢ土間 Ⓣ台 Ⓤ猫 Ⓨ押さえ木 Ⓩ垂木(たるき)
衣装・道具など:①・⑦・⑩・小袖 ②・⑧・⑪褶(しびら) ③・④・⑨曲物桶(まげものおけ) ⑤柄杓 ⑥布 ⑫・⑱・草鞋 ⑬頭巾 ⑭袿 ⑮杖 ⑯数珠 ⑰・脚絆 ⑲烏帽子 ⑳蓑 四幅袴(よのばかま) 笠  敷物 糸 手すりつむ 紡錘車(つむぐるま) 手押台 手押木 曲物の苧桶(おおけ)

はじめに 前回に続き『信貴山縁起』の「尼君巻」を採り上げます。この巻は命蓮の姉尼君が、弟の安否を案じて故郷の信濃国からはるばる大和国まで旅をして、東大寺の大仏のお告げによって命蓮と再会し、共に出家生活を営むまでを描いています。今回採り上げます場面はその旅の途中で、すでに大和国になっていて、庶民の家や生活が描かれています。

立木に稲束を干す それでは画面右側から見ていきましょう。Ⓐ土壁にⒷ掘立柱、Ⓒ板屋根が見える民家の前にⒹ松の木が植えられています。その枝にはⒺ松葉以外のものが見えますね。これはⒻ稲束で、干しているのです。これを稲木(稲機)といい、柵や木組みを使用することもありました。ただ積み重ねておくよりも、よく乾きますので、平安時代初期には始まっています。稲以外にも、豆類などもこうして干していました。

水を汲み、洗濯する女 画面右下には、二人の女性が家事労働しています。右側の①小袖に②褶を付けた[ア]女は、Ⓖ井桁を組んだ井戸から、Ⓗ釣瓶縄をたぐって水を汲もうとしています。その水は井桁に置かれた③曲物桶に入れられます。隣の女に渡すのでしょう。

 左側の[イ]女は、④曲物桶から⑤柄杓で水を汲んでかけながら、裾をかかげた両足で⑥布を踏み洗いしています。洗濯場は、竹を縦に割った半分のようなⒾ割竹形の石になっています。どこかから運んできたのでしょう。

 庶民の衣類は、繊維の硬い麻や苧(からむし)などから作られますので、手もみ洗いよりも踏み洗いされました。貴族の着る絹製品は、踏み洗いですと生地が傷みますので、手洗いになります。

菜を摘む女 画面中央上部は、Ⓙ垣で区切られてⓀ畠になっています。垣沿いに植えられているのはⓁ桃で、花が咲いています。春の時節になりますね。畠にはきれいにⓂ畦道が作られています。⑦小袖に⑧褶の[ウ]女が、裸足でしゃがんでⓃ菜摘みをしています。⑨曲物桶の中には摘んだⓃ菜が見えます。この辺りにしか菜はないようですが、他の部分は描かれていた菜の緑色が剥落したのだと思われます。

 庶民の家には、こうした畠が作られ野菜類を自給していました。その管理は女の仕事になっています。先の水汲みや洗濯、次に見ます糸紡ぎも女が担当です。

 垣の内側から顔をのぞかせている[エ]女も⑩小袖に⑪褶を付け、⑫草鞋を履いています。[オ]尼君の様子が気になるようです。

尼姿と従者 ⑬頭巾・⑭袿姿で、⑮杖を持ち、⑯数珠を下げているのが、命蓮の姉の[オ]尼君です。この場面以前には乗馬の旅で沓を履いていましたが、今は徒歩になり、⑰脚絆に⑱草鞋になっています。腰を下ろして、命蓮のことを尋ねているのです。しかし、この家の住人は、知るよしもありませんでした。

 道端に⑲烏帽子に⑳蓑を着て立つのは、信濃国から同行している[カ]従者です。前後各二幅(にの)で仕立てた裾の短い四幅袴、脚絆、草鞋の旅姿です。手に持つのは、尼君の笠です。蓑が膨らんでいるのは、その下に荷物を背負っているからです。衣類の他に、米なども荷物になっています。尼君の旅は、こうした従者の働きがあって可能なのです。

糸を紡ぐ女 尼君の相手をしている、敷物に坐る小袖の[キ]女は、糸を紡いでいます。右手下に見えるのを、手すりつむと言います。細い棒に車をつけ、回転させて糸を撚りながら巻きつける道具です。画面では、糸が円錐状に巻かれた形で描かれています。巻かれた糸を受けている部分が車で、紡錘車と言います。

 女の膝下に見えるのは手押台です。角棒状の片側は薄く板のようになっていて、膝で固定します。その手前の台形状は、手押木で手代木(てしろぎ)とも言います。手押台に手すりつむの軸を横に置き、その上を手押木で押しますと、手すりつむはくるくる回り、糸を巻きつけることができます。

 さて、この女はどういう作業をしているのでしょうか。女の左手下にある曲物桶は、苧桶にしていて、中に糸が入っています。その糸を手繰り、撚りをつけながら、手すりつむに巻きつけているとする見方があります。しかし、逆のような気がします。ここは、手すりつむに巻きついた糸を右手で引き出しながら、左手で撚りをつけて、苧桶に落としているのではないでしょうか。

庶民の家 最期に、庶民の家を見ておきましょう。尼君が腰を下ろしているのは、出入り口となるⓄ敷居です。その左右に角材のⓅ柱が立ち、上部にⓆ上長押が見えます。その内側にはⓇのれんが下がっています。中はⓈ土間になっていて、この家では左側に二間分の板敷の部屋に続いていますが、スペースの関係でカットしています。土間の奥のⓉ台の上にⓊ猫が寝ていますね。

 畠に面した面は、Ⓥ掘立柱にⓌ土壁となっています。五間分描かれていて、道に面した面よりも、奥行きの深いウナギの寝床になります。Ⓧ板屋根には、Ⓨ押さえ木が渡されて固定しています。その下にはⓏ垂木が見えます。絵巻類で描かれる庶民の家の代表的な構造がここに見てとれるのです。

絵巻の意義 尼君の長い旅は、地方の人々の援助によって成り立っています。また、長い旅であることを示すために、その途中で出会った人々の生活が描かれました。今回の場面では、庶民の仕事ぶりが描かれて貴重です。いずれも女性たちの仕事でした。『信貴山縁起』は、尼君を主人公にするだけでなく、生き生きと働く女性たちを描いています。水汲みと菜摘みは、「法華経を我が得しことは薪こり菜摘み水汲み仕へてぞ得し」(拾遺集・哀傷・一三四六・大僧正行基)という歌に詠まれていました。共に仏道の修業を思い起こさせる仕事です。また、糸を撚ることや洗濯は、僧衣とかかわるかもしれません。僧衣の世話は、母や姉妹などの女性がしていました。この絵巻でも、尼君は再会した命蓮に、故郷から持参した衲(だい)と呼ぶ僧衣(衲衣。のうえ)を差し出しています。女たちの仕事は、仏道修業や僧衣を連想させます。庶民の女たちの姿は、そのままで仏の世界に通じていることを暗示しているのかもしれません。

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◆この連載のほかの回をお読みになる方は⇒「絵巻で見る 平安時代の暮らし」目次へ

【筆者プロフィール】

『全訳読解古語辞典』■文:倉田実(くらた・みのる)
大妻女子大学文学部教授。博士(文学)。専門は『源氏物語』をはじめとする平安文学。文学のみならず邸宅、婚姻、養子女など、平安時代の歴史的・文化的背景から文学表現を読み解いている。『三省堂 全訳読解古語辞典』編者、『三省堂 詳説古語辞典』編集委員。ほかに『狭衣の恋』(翰林書房)、『王朝摂関期の養女たち』(翰林書房、紫式部学術賞受賞)、『王朝文学と建築・庭園 平安文学と隣接諸学1』(編著、竹林舎)、『王朝文学文化歴史大事典』(共編著、笠間書院)、『平安大事典』(編著、朝日新聞出版)など、平安文学にかかわる編著書多数。

■画:画:高橋夕香(たかはし・ゆうか)
茨城県出身。武蔵野美術大学造形学部日本画学科卒。個展を中心に活動し、国内外でコンペティション入賞。近年では『三省堂国語辞典』の挿絵も手がける。

※本連載の文・挿絵の無断転載は禁じられております

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【編集部から】
三省堂 全訳読解古語辞典』編者および『三省堂 詳説古語辞典』編集委員でいらっしゃる倉田実先生が、著名な絵巻の一場面・一部を取り上げながら、その背景や、絵に込められた意味について絵解き式でご解説くださる本連載「絵巻で見る 平安時代の暮らし」。次回は、『信貴山縁起』の、東大寺参籠の場面を読み解きます。お楽しみに。

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◆紙面例:おんやうじ(クリックで拡大)

【『三省堂 全訳読解古語辞典』について】
全国高校からの推薦数NO.1の学習用古語辞典『三省堂 全訳読解古語辞典』〈第五版〉では、ワイドな絵巻型の図版と絵解き式のキャプションを採用。文章からだけでは想像しにくい時代背景や古典常識などを、絵を通して、より具体的に深く学ぶことができます。

 

 

 

シベリアの大地で暮らす人々に魅せられて―文化人類学のフィールドワークから― 第十四回:フィールドのネコとイヌ

2018年 5月 11日 金曜日 筆者: 大石 侑香

第十四回:フィールドのネコとイヌ


川沿いの集落のイヌたちが出迎えてくれた

 ハンティの多くの家庭ではネコとイヌを飼っています。森に暮らして漁撈(ろう)やトナカイ牧畜等を営む人々だけでなく、村や都市に暮らす人々もネコとイヌを飼育しています。イヌやネコはペットとして飼育されているだけでなく、さまざまな面で人間の役に立っています。

 例えば、ネコがいればネズミによる被害を減らすことができます。ネズミは人間が寝静まったころに活動し始めます。ネコがいない家庭に滞在しているとき、ネズミにパンの耳以外の柔らかい部分をくり抜かれるように食べられたり、収穫したばかりのジャガイモが齧られたりしたことがありました。すぐに食べ物を購入したり誰かと物々交換したりできるような村や町であれば、ネズミによる被害はそれほど困るものではありません。しかし、トナカイ牧畜キャンプや森の中で暮らしている人々は、肉や魚以外の食糧には限りがあります。そのため、ネズミによる被害はたいへんショックなできごとです。このように、ネコは普段何もしていないように見えますが、実は重要な役割を果たしています。


ネコがストーブの近くで眠ると明日は寒くなるといわれている

 かわって、ハンティはイヌを調教して牧畜犬や狩猟犬として使います。森ではイヌたちは放し飼いにされることがあります。彼らは家の周辺の森を歩き回り、カワウソやライチョウなどの獲物を見つけると、吠えて主人に教えます。しかも、獲物をある程度逃げにくい場所に追い込んでおいてくれます。

 トナカイの群れを移動させたり集めたりするのにも、イヌは非常に役に立ちます。イヌがトナカイをじっと見張って通せんぼをすれば、そちらの方向に逃げて行かないし、後ろから吠えて追い立てれば、群れを移動させることができます。イヌは群れの周囲を走り回って、トナカイ群がバラバラに広がるのを抑えて一か所に集めることができます。牧夫は集めたトナカイを橇(そり)につないで使役したり、トナカイにワクチンを打ったりなど、さまざまな作業をします。

 非常に興味深いのは、人間だけがイヌを調教するだけでなく、先輩牧畜犬・狩猟犬が若いイヌに仕事を教えることです。若いイヌは先輩イヌを真似して同じ行動をとり、人間に褒められたり、餌をもらったりしているうちに、次第に人間の合図を学習していきます。このように、イヌと人間・トナカイだけでなく、イヌ同士でもコミュニケーションをとっています。


牧夫の手伝いをするイヌ

 フィールドワークでは、私もネコとイヌとコミュニケーションをとり、彼らにも受け入れられようとします。はじめて訪問する家庭では、私は彼らに不審者扱いされ、よく吠えられたり、齧られたり、無視されたりします。しかし、しばらく一緒に暮らしていると、イヌたちは私と遊びたがり、ネコは私で暖をとり始めます。なぜこれがフィールドワークにおいて重要かというと、文化人類学では、人間と動物の相互関係も文化と考えるからです。人間が一方的に動物に影響を与えるだけでなく、動物も人間に影響を与えます。よって調査では、動物たちが人間の何を見て動いているのか、人間は動物の行動にどのように反応・対処しているかを理解しようとします。

 ひとつそのような例をあげてみたいと思います。2017年2月にトナカイの屠畜作業を見学しました。このときも牧夫たちはそれぞれ自分のイヌを数匹ずつ連れていましたが、あるイヌが縄に絡まって動けなくなっていました。彼は一番暇そうな私に向かって吠えて呼んでいたようでしたが、たくさんのイヌが吠えていたため、私はなかなか気づきませんでした。しかし、彼は私をじっと見つめつづけていたため、私は彼の視線に気づいて縄をほどいてあげました。するとイヌは私の鼻を舐めてお礼をしました。このことから、イヌが人を呼ぶときの特有の声や視線があり、牧夫たちはそれを知っており反応していることが分かってきました。

 ささいなことですが、現地の人たちが普段行っているイヌとのコミュニケーションが行えたこと、イヌの呼びかけに気づけたこと、ずっと私を警戒し続けていたイヌが私を頼り、お礼までしたことが、彼らに受け入れられたようでたいへん嬉しかったです。


集落のイヌ

ひとことハンティ語

単語:Ньотә!
読み方:ニョタ!
意味:助けてください。
使い方:誰かに助けを乞うときに使用します。

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◆この連載の目次は⇒「シベリアの大地で暮らす人々に魅せられて―文化人類学のフィールドワークから―」目次へ

【筆者プロフィール】

■大石侑香(おおいし・ゆか)
東北大学東北アジア研究センター・日本学術振興会特別研究員PD。修士(社会人類学)。2010年から西シベリアの森林地帯での現地調査を始め、北方少数民族・ハンティを対象に生業文化とその変容について研究を行っている。共著『シベリア:温暖化する極北の水環境と社会』(京都大学学術出版会)など。

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【編集部から】

ネコが大石先生で暖をとり始める姿、想像するだけでかわいいですね!そしてイヌも周りの人間関係を見極めて行動しているのですね。イヌもネコも世界中どこにでもいて、それぞれの役割を果たしているということが改めて分かりました。次回は6月8日の更新を予定しています。


人名用漢字の新字旧字:「梦」と「夢」

2018年 5月 10日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

第157回 「梦」と「夢」

旧字の「夢」は常用漢字なので、子供の名づけに使えます。新字の「梦」は、常用漢字でも人名用漢字でもないので、子供の名づけに使えません。旧字の「夢」は出生届に書いてOKですが、新字の「梦」はダメ。「梦」と「夢」の新旧には議論があるのですが、ここでは「梦」を新字、「夢」を旧字としておきましょう。

昭和17年6月17日、国語審議会は標準漢字表を、文部大臣に答申しました。標準漢字表は、各官庁および一般社会で使用する漢字の標準を示したもので、夕部に旧字の「夢」が収録されていました。その一方、新字の「梦」は標準漢字表には含まれていませんでした。昭和17年12月4日、文部省は標準漢字表を発表しましたが、そこでも旧字の「夢」だけが含まれていて、新字の「梦」は含まれていませんでした。

国語審議会が11月5日に答申した当用漢字表でも、旧字の「夢」だけが含まれていました。翌週11月16日に当用漢字表は内閣告示され、旧字の「夢」は当用漢字になりました。昭和23年1月1日に戸籍法が改正され、子供の名づけに使える漢字が、この時点での当用漢字表1850字に制限されました。当用漢字表には旧字の「夢」が収録されていたので、「夢」は子供の名づけに使ってよい漢字になりました。新字の「梦」は、子供の名づけに使えなくなってしまいました。

昭和56年3月23日、国語審議会が答申した常用漢字表1945字には、旧字の「夢」が収録されていました。昭和56年10月1日に常用漢字表は内閣告示され、旧字の「夢」は常用漢字になりました。その一方で新字の「梦」は、常用漢字にも人名用漢字にもなれなかったのです。

平成16年3月26日に法制審議会のもとで発足した人名用漢字部会は、常用漢字や人名用漢字の異体字であっても、「常用平易」な漢字であれば人名用漢字として追加する、という方針を打ち出しました。この方針にしたがって人名用漢字部会は、当時最新の漢字コード規格JIS X 0213(平成16年2月20日改正版)、平成12年3月に文化庁が書籍385誌に対しておこなった漢字出現頻度数調査、全国の出生届窓口で平成2年以降に不受理とされた漢字、の3つをもとに審議をおこないました。新字の「梦」は、全国50法務局のうち出生届を拒否された管区は無く、JIS第2水準漢字で、漢字出現頻度数調査の結果が0回でした。この結果、新字の「梦」は「常用平易」とはみなされず、人名用漢字に追加されませんでした。

平成23年12月26日、法務省は入国管理局正字13287字を告示しました。入国管理局正字は、日本に住む外国人が住民票や在留カード等の氏名に使える漢字で、JIS第1~4水準漢字を全て含んでいました。この結果、日本で生まれた外国人の子供の出生届には、旧字の「夢」に加えて、新字の「梦」も書けるようになりました。でも、日本人の子供の出生届には、旧字の「夢」はOKですが、新字の「梦」はダメなのです。

【筆者プロフィール】

安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

http://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。


モノが語る明治教育維新 第24回―双六から見えてくる東京小学校事情 (2)

2018年 5月 8日 火曜日 筆者: 唐澤 るり子

第24回―双六から見えてくる東京小学校事情 (2)

 錦絵には、とかく作者の想像力の産物が含まれることがあります。第3回でご紹介した「訓童小学校教導之図」にも、当時の日本には存在しなかったシャンデリアが教室の天井を豪華に飾っているさまが描かれています。絵師が西洋画などをヒントに描き加えたことは、想像に難くないのです。

 では、「小学校教授双六」に描かれた事物には、果たしてどれ程の信ぴょう性があるのでしょうか。その目安として、「久松学校」と「有馬学校」を例に、錦絵に描かれた校舎と各学校の沿革史に掲載されている当時の写真とを比較することにより、検証してみましょう。

 まず、久松町(現・中央区日本橋久松町)にあった「久松学校」。越前勝山藩の第8代藩主であった小笠原長守の邸宅跡に、明治6年「第一大学区第一中学区第二番小学 久松学校」として開校しました。明治7年には、地元(第一大区十三小区)の有力者が寄付を集め、校舎を増築しました。図版の校舎は、増築後のものです。開校当初は生徒が70余名だったとあります。

(写真はクリックで拡大)

  

左:沿革史に掲載された久松学校
右:双六に描かれた久松学校

 校舎を囲む塀が、異人館(日本に来た西洋人が住んだ西洋風の家や商館)に見られるような石組みの上に木製とみられる柵を巡らせたものであるところ、平屋建ての校舎の造り、釣り鐘型の窓の形など、外観の特徴がよくとらえられています。校門左手に立つ樹木も描かれています。ただ、写真では校門右手にある国旗や標旗を掲げる白い柱が、校門左手に移動していますね。絵師の広重は、このポールを学校のシンボルとして絵図中に描き加えたかったのでしょう。また、路上にたたずむ男は巡査ですが、手には当時の警棒である三尺棒を持ち、制帽や制服には階級を表す帯(袖章)といった細かな点まで描き込んでいることが分かります。

 次に明治7年に開校した「有馬学校」は、筑後久留米藩の第11代藩主だった有馬頼咸(よりしげ) から、資金2000円、毎月60円の寄付を受けたことにより「第一大学区第一中学区第六番小学 有馬学校」と個人名が冠された校名となりました。その後、生徒増加のため明治9年に蛎殻町(現・中央区日本橋蛎殻町)に建築費6500円を投じ、建坪130坪の新校舎を建設したのですが、坪単価50円とは、巡査の初任給が4円だったことからみてもかなり立派な建物と推察されます。3階に物見のある洋風建築はかなり人目を惹いたようで、明治9年5月6日の読売新聞は、

「蛎殻町三丁目の有馬学校は何から何まで大そう立派に出来上り、三階の眺望は別段な事で多分今月九日が開校になり、定めし権知事さんもお出になりましやう」

と伝えています。ちなみに権知事とは知事に次ぐ地位で、今の副知事にあたります。

(写真はクリックで拡大)

  

左:沿革史に掲載された有馬学校
右:双六に描かれた有馬学校

 沿革史に掲載された写真も全景を描いた写生画なので実際がどうであったかの判別はつきませんが、中央に膨らみを持たせたバルコニーの形、釣り鐘型の開口部の左右四つは窓で中央の一つがバルコニーへの出入り口とみられるところ、頂上の塔屋が八角形である点などが、よく似ています。塔屋の屋根が、沿革史の絵では富士形であるのに対し、錦絵ではドーム形である点が違いますが、これは他に高い建物がない時代、屋根の形を確認する術がなかったのでしょう。

 三代歌川広重、通称安藤徳兵衛はこの頃、弓町十八番地、今の銀座2丁目あたりに住んでいました。久松学校や有馬学校があった日本橋は、目と鼻の先。実際にこれらの学校まで出かけ、絵師ならではの細やかな観察眼をいかし、実像に近い絵を描き上げたと考えられます。

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◆画像の無断利⽤を固く禁じます。

◆この連載の目次は⇒「モノが語る明治教育維新」目次へ

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【筆者プロフィール】

『図説 近代百年の教育』

唐澤るり子(カラサワ・ルリコ)

唐澤富太郎三女
昭和30年生まれ 日本女子大学卒業後、出版社勤務。
平成5年唐澤博物館設立に携わり、現在館長
唐澤博物館ホームページ:http://karasawamuseum.com/
唐澤富太郎については第1回記事へ。

※右の書影は唐澤富太郎著書の一つ『図説 近代百年の教育』(日本図書センター 2001(復刊))

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【編集部から】

東京・練馬区の住宅街にたたずむ、唐澤博物館。教育学・教育史研究家の唐澤富太郎が集めた実物資料を展示する私設博物館です。本連載では、富太郎先生の娘であり館長でもある唐澤るり子さんに、膨大なコレクションの中から毎回数点をピックアップしてご紹介いただきます。「モノ」を通じて見えてくる、草創期の日本の教育、学校、そして子どもたちの姿とは。
更新は毎月第二火曜日の予定です。


『日本国語大辞典』をよむ―第33回 用意と準備

2018年 5月 6日 日曜日 筆者: 今野 真二

第33回 用意と準備

 『日本国語大辞典』は見出し「ようい(用意)」を次のように説明している。

(1)よく気をつけること。深い心づかいのあること。意を用いること。

(2)ある事を行なうにあたり、前もって備えておくこと。準備しておくこと。したく。

(3)競技などをはじめる前に、準備をうながすためにかける掛け声。

 上の語釈の中に漢語「ジュンビ(準備)」「シタク(支度)」が使われているので、それらがどのように説明されているかもみてみよう。

じゅんび【準備・准備】〔名〕ある事を行なうにあたり、前もって用意をすること。したく。そなえ。

したく【支度・仕度】〔名〕(1)(―する)計り数えること。計算すること。見積もりすること。(2)(―する)あらかじめ計画を立てること。心づもり。思わく。心じたく。(3)(―する)予定、計画などに従って、その準備をすること。用意。(4)(―する)服装をととのえること。きちんとした服装に改めること。身じたく。(5)(―する)食事をすること。(6)嫁入りのために整える道具類など。嫁入り道具。また、支度金。

 漢語「ヨウイ(用意)」の語釈の中に漢語「ジュンビ(準備)」「シタク(支度)」が使われ、漢語「ジュンビ(準備)」の語釈の中に漢語「ヨウイ(用意)」「シタク(支度)」が使われ、漢語「シタク(支度)」の語釈中に「ジュンビ(準備)」「ヨウイ(用意)」が使われている。このことからすれば、「シタク」「ヨウイ」「ジュンビ」には結びつきがあることが窺われる。

 小型の国語辞書をみてみると、例えば『岩波国語辞典』第7版新版(2011年)には次のようにある。

したく【支度・仕度】〘名・ス他〙準備。用意。(略)㋐外出の時、身なりを整えること。㋑食事を整えること。▽本来は見積もり測る意の漢語。「仕度」は当て字。

じゅんび【準備】〘名・ス他〙ある事にすぐ取りかかれる状態にすること。用意。したく。(略)

ようい【用意】〘名・ス自他〙ある事に備えて気を配ること。用心。また、準備。支度(したく)。(略)

 見出し「したく」の語釈には「ジュンビ」「ヨウイ」が使われ、見出し「じゅんび」の語釈には「ヨウイ」「シタク」が使われ、見出し「ようい」の語釈には「ジュンビ」「シタク」が使われており、やはりこの3つの漢語の結びつきが窺われる。つまり『日本国語大辞典』の語釈を書いた人がそうした、ということではなく、誰が語釈を考えてもそのようになりやすい、ということになる。

 辞書の語釈はいわば「語を語で説明する」ということなので、場合によっては、上のように、Aという語を説明するためにBという語を使い、Bという語の説明にはどうしてもAという語を使う、ということがありそうだ。それはAという語のあとに使い始めたBという語の語義をAとの「かねあい」で理解しているということだろう。「かねあい」は「距離」といってもよい。AとBとの語義の違いがあまりないということになれば、それは両語の「距離」があまりないということだ。そうなると、自分の脳内で、新しくよく目にするBという語の語義は? という問いに、「Aという語とだいたい同じ」という答えをだして、それを蓄積するということがありそうだ。こうやって、AとBとが結びつく。そうであるとすれば、辞書の語釈が循環的になることも(忌避しなければならないとまではいえず)場合によってはやむを得ないこと、あるいはあえていえば自然なこととみることもできる。

 『日本国語大辞典』は見出し「したく」の使用例として「竹取物語〔9C末~10C初〕」「石つくりの御子は、心のしたくある人にて、天竺に二となき鉢を、百千万里の程行きたりとも、いかでか取るべきと思ひて」をあげている。見出し「ようい」の使用例として一番最初にあげられているのは、「宇津保物語〔970~999頃〕国譲下「その日は題いだして、用意しつつふみつくり給ふ」」で、これは10世紀末頃の例ということになる。見出し「じゅんび」の使用例としてあげられているのは、「五山堂詩話〔1807~16〕」や「舎密開宗〔1837~47〕」の例で、こちらは19世紀を遡る使用例があげられていない。このことからすれば、3つの漢語が借用された順は、「シタク」「ヨウイ」「ジュンビ」であると推測できそうだ。

 さて、明治20年頃までに、ボール紙を表紙にした本が相当点数出版されている。それを「ボール表紙本」と呼ぶことがあるが、そうしたボール表紙本をみていると、「準備」に「ようい/ようゐ」と振仮名が施されていることが少なくない。「書き手」の立場に立って表現すれば、漢語「ヨウイ」に漢字列「準備」をあてた例ということになる。例えば、明治20年に出版されている『五大洲中海底旅行』には「「リンコルン」艦(かん)は最早(もはや)(こう)海の准備(ようい)(とゝの)ひ」(39ページ)という行りがある。あるいは同じ明治20年に出版されている『恋情花之嵐』には「有司(ゆうし)(ども)夫々(それ/\)に準備(ようい)をなし」(83ページ)とある。

 振仮名を施さずに「準備」と書けば、それは漢語「ジュンビ」を書いたものとみるのが自然であるので、漢語「ヨウイ」を「準備」と書くためには、振仮名が必須になる。したがって、こうした書き方は振仮名によって支えられていることになるが、そもそも、こうした書き方ができる、あるいはこうした書き方をしようと思う、のは漢語「ヨウイ(用意)」と漢語「ジュンビ(準備)」とがしっかりと結びついているからだ。

 現在出版されている辞書の語釈が日本語の歴史や漢語の歴史を、しらずしらずのうちに反映していることもある。「現在」は突然そこに現われたのではなく、過去との結びつきの上にある。そう考えれば、上で述べたようなことは当然といえば当然であるが、しかしそこになかなか気づきにくい。時にはゆっくり辞書をよむのもわるくはないと思う。

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※特に出典についてことわりのない引用は、すべて『日本国語大辞典 第二版』からのものです。引用に際しては、語義番号などの約物および表示スタイルは、ウェブ版(ジャパンナレッジ http://japanknowledge.com/)の表示に合わせております。

◆この連載の目次は⇒「『日本国語大辞典』をよむ」目次へ

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【筆者プロフィール】

今野真二(こんの・しんじ)

1958年、神奈川県生まれ。高知大学助教授を経て、清泉女子大学教授。日本語学専攻。

著書に『仮名表記論攷』、『日本語学講座』全10巻(以上、清文堂出版)、『正書法のない日本語』『百年前の日本語』『日本語の考古学』『北原白秋』(以上、岩波書店)、『図説日本語の歴史』『戦国の日本語』『ことば遊びの歴史』『学校では教えてくれないゆかいな日本語』(以上、河出書房新社)、『文献日本語学』『『言海』と明治の日本語』(以上、港の人)、『辞書をよむ』『リメイクの日本文学史』(以上、平凡社新書)、『辞書からみた日本語の歴史』(ちくまプリマー新書)、『振仮名の歴史』『盗作の言語学』(以上、集英社新書)、『漢和辞典の謎』(光文社新書)、『超明解!国語辞典』(文春新書)、『常識では読めない漢字』(すばる舎)、『「言海」をよむ』(角川選書)、『かなづかいの歴史』(中公新書)がある。

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【編集部から】

現在刊行されている国語辞書の中で、唯一の多巻本大型辞書である『日本国語大辞典 第二版』全13巻(小学館 2000年~2002年刊)は、日本語にかかわる人々のなかで揺らぐことのない信頼感を得、「よりどころ」となっています。
辞書の歴史をはじめ、日本語の歴史に対し、精力的に著作を発表されている今野真二先生が、この大部の辞書を、最初から最後まで全巻読み通す試みを始めました。
本連載は、この希有な試みの中で、出会ったことばや、辞書に関する話題などを書き進めてゆくものです。ぜひ、今野先生と一緒に、この大部の国語辞書の世界をお楽しみいただければ幸いです。隔週連載。


広告の中のタイプライター(31):Emerson No.3

2018年 4月 26日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

タイプライターに魅せられた男たち・補遺

『Popular Mechanics』1911年8月号

『Popular Mechanics』1911年8月号
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「Emerson No.3」は、エマーソン・タイプライター社が1909年に発売したタイプライターです。設計はウーリッグ(Richard William Uhlig)がおこなったのですが、上の広告の時点では、ウーリッグはエマーソン・タイプライター社を離れており、シアーズ・ローバック社のローバック(Alvah Curtis Roebuck)がエマーソン・タイプライター社を率いていました。

「Emerson No.3」の特徴は、ロータリー・アクションと呼ばれる独特の印字機構にあります。プラテンの前には、左右に14本ずつ、合わせて28本の活字棒(type bar)が配置されています。各キーを押すと、対応する活字棒が真横に飛び出して、円弧を描きながらプラテンへと向かいます。プラテンの前面には紙が挟まれており、そのさらに前にはインクリボンがあります。飛び出した活字棒は、中心角が約90度の円弧軌道を描きつつ、プラテンの中央の印字点で、紙の前面に印字をおこなうのです。

活字棒の先には、それぞれ上中下3つずつの活字が、ほぼ真横を向いて埋め込まれています。上段の活字は大文字、中段の活字は小文字、下段の活字は数字や記号です。通常の状態では小文字が印字されるのですが、キーボード左端の「CAPS」キーを押すと、活字棒全体が下がって、大文字が印字されるようになります。あるいは「FIG」キーを押すと、活字棒全体が上がって、数字や記号が印字されるようになります。この機構により、28本の活字棒で、最大84種類の文字が打てるようになっているのです。

「Emerson No.3」のキーボードは、基本的にはQWERTY配列で、上段の記号側には1234567890が、中段の記号側には@$%&#£/-_が、下段の記号側には()?’”:;,.が、それぞれ並んでいます。コンマとピリオドは、大文字や小文字でも下段の同じキーに配置されており、結果として80種類の文字が収録されています。「L」のすぐ右にあるのは、バックスペースキーです。上段のさらに上にある「70」「60」「50」「30」「20」「10」はタブキーで、数字で示された文字数のカラム位置へ、プラテンを移動させます。真ん中の「R.S.」キーは、黒赤インクリボンの切り替えです。

上の広告の直後に、ローバックは、エマーソン・タイプライターを社名変更し、ローバック・タイプライター社としました。その後もローバック・タイプライター社は、「Emerson No.3」を製造販売し続けましたが、1914年にウッドストック・タイプライター社へと社名変更するに至って、「Emerson No.3」の製造を終了したようです。

【筆者プロフィール】

安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

http://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。


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