漢字の現在:伊豆の河津の方言漢字

2017年 1月 16日 月曜日 筆者: 笹原 宏之

漢字の現在 第294回 伊豆の河津の方言漢字

 静岡県は伊豆半島の河津(かわづ)に出掛ける。正月は、桜にはまだ早く、意外と寒く訪れる人も少ない。

(画像をクリックすると全体を表示します)
開
開(文字通り、中の鳥居のような部分が
発の下部のように開いており、身を以て
開くことを示している)
水垂
七滝
水垂
露天風呂
露天風呂

 JRは伊東駅までで、そこから先は運転手も車掌も交替し、伊豆急線に入る。車体はどこか古く、トイレの鍵の「開・閉」の字体も面白みがある。

 特急で終点の下田の一つ手前の河津駅で降りる。「かわづ」と「づ」というひらがながそこここにあって目に付く。

 駅前のバス停の表示板では、「水垂(みずたれ)」というバス停の「垂」が横画が1本多い。ありがちな共通誤字だが、他の字から類推を働かせる心理からは、納得できるものである。

 今春は旅行どころではない長男とその母を東京に置いて、私の母と次男とやってきた。予約が遅いものだから、あいている宿が少なく、たまたま予約が取れたそこは、河津にあり、「七滝」と書いてナナダルと読む地となったのは、幸いだった。そこには「七滝」が振り仮名もなくあちらこちらに記されている。当地では、当たり前の読み方なのだ。

 西村京太郎のミステリーには、『伊豆・河津七滝に消えた女』があるそうなので、伊豆の人、旅行好き、地理好きのほか、推理小説ファンは、よく読めるという位相があるのかもしれない。

 バスは西湯ヶ野という停留所で降車する。一つ手前の湯ヶ野行きのチケットでも、料金は同じなので大丈夫とのこと、アバウトな感じがのどかでいい。

 旅館は、昭和の風情が色濃く残る温泉宿で、案内された部屋には、赤塚不二夫先生の直筆の色紙が残されており、きちんと飾ってあった。おかみさんは、幼いころに見た赤塚さんの顔は覚えているという。漫画を書く、学生のような若い人たちと一緒に訪れたそうだ。

 そこには露天風呂があるとのこと、次男と行ってみる。途中のトイレの「殿方」を小学6年生が「とのがた」と読んだ。「殿」は中学で習うことになっている漢字だが、すでに何かで覚えていた。そこに記された「露天風呂」の4字、手書きの略字や異体字には個性が滲み出ていて、味わいがある。この下の「一」が長い「天」は×だとする採点もあったが、昨年の2月に文化庁が出した指針(私は副主査として関わった)が浸透すれば、そうした窮屈な意識から解放される。

 その露天風呂は、川を挟んだ民家の窓からは丸見えのようだが、やはり風情がある。ただ脱衣所が吹きさらしで寒いものは寒い。早々に、室内の温泉に戻る。

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【筆者プロフィール】

『漢字の現在』 『国字の位相と展開』笹原宏之(ささはら・ひろゆき)
 早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』、この連載がもととなった『漢字の現在』(以上2点 三省堂)、『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)、編著に『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)などがある。『漢字の現在』は『漢字的現在』として中国語版が刊行された。最新刊は、『日本人と漢字』(集英社インターナショナル)。

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【編集部から】
漢字、特に国字についての体系的な研究をおこなっている笹原宏之先生から、身のまわりの「漢字」をめぐるあんなことやこんなことを「漢字の現在」と題してご紹介いただいております。前回は「浴室内の漢字」でした。

この連載への質問、また「ここでこんな字が使われていた」などの情報は、問い合わせフォーム( http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/support/question.html )から、「漢字の現在」への質問・情報である旨を記してご投稿ください。


人名用漢字の新字旧字:「図」と「圖」

2017年 1月 12日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

第124回 「図」と「圖」

旧字の「圖」は、常用漢字でも人名用漢字でもないので、子供の名づけに使えません。俗字の「图」は、「圖」の「啚」の代わりに「冬」を入れた形声文字ですが、常用漢字でも人名用漢字でもないので、子供の名づけに使えません。新字の「図」は、「图」がさらに省略されたと推測される文字ですが、常用漢字なので子供の名づけに使えます。

昭和17年6月17日、国語審議会は標準漢字表を、文部大臣に答申しました。標準漢字表は、各官庁および一般社会で使用する漢字の標準を示したもので、部首画数順に2528字が収録されていました。標準漢字表の囗部には「圖」が含まれていて、その直後に、カッコ書きで「図」が添えられていました。「圖(図)」となっていたわけです。簡易字体の「図」は、「圖」の代わりに使っても差し支えない字、ということになっていました。

昭和21年11月5日、国語審議会が答申した当用漢字表では、囗部に「図」が含まれていて、その直後に、カッコ書きで「圖」が添えられていました。「図(圖)」となっていたのです。翌週11月16日に当用漢字表は内閣告示され、新字の「図」は当用漢字になりました。昭和23年1月1日に戸籍法が改正され、子供の名づけに使える漢字が、この時点での当用漢字表1850字に制限されました。当用漢字表には、新字の「図」が収録されていたので、「図」は子供の名づけに使ってよい漢字になりました。旧字の「圖」や俗字の「图」は、子供の名づけに使えなくなりました。

昭和56年3月23日、国語審議会が答申した常用漢字表では、やはり「図(圖)」となっていました。これに対し、民事行政審議会は、常用漢字表のカッコ書きの旧字を子供の名づけに認めるかどうか、審議を続けていました。昭和56年4月22日の総会で、民事行政審議会は妥協案を選択します。常用漢字表のカッコ書きの旧字355組357字のうち、当用漢字表に収録されていた旧字195字だけを子供の名づけに認める、という妥協案です。昭和56年10月1日に常用漢字表は内閣告示され、新字の「図」は常用漢字になりました。しかし、旧字の「圖」は人名用漢字になれませんでした。旧字の「圖」は、常用漢字表のカッコ書きに入ってるけど当用漢字表に収録されてなかったからダメ、となったのです。

平成16年3月26日に法制審議会のもとで発足した人名用漢字部会は、常用漢字や人名用漢字の異体字であっても、「常用平易」な漢字であれば人名用漢字として追加する、という方針を打ち出しました。この方針にしたがって人名用漢字部会は、当時最新の漢字コード規格JIS X 0213(平成16年2月20日改正版)、平成12年3月に文化庁が書籍385誌に対しておこなった漢字出現頻度数調査、全国の出生届窓口で平成2年以降に不受理とされた漢字、の3つをもとに審議をおこないました。旧字の「圖」は、全国50法務局のうち出生届を拒否された管区は無く、JIS第2水準漢字で、漢字出現頻度数調査の結果が79回でした。この結果、旧字の「圖」は「常用平易」とはみなされず、人名用漢字に追加されませんでした。一方、俗字の「图」は、そもそもJIS第1~4水準漢字に含まれていないので、追加対象になりませんでした。

平成23年12月26日、法務省は入国管理局正字13287字を告示しました。入国管理局正字は、日本に住む外国人が住民票や在留カード等の氏名に使える漢字で、新字の「図」と旧字の「圖」を含んでいました。しかし、入国管理局正字にも、俗字の「图」は含まれておらず、「図」もしくは「圖」への書き換えが強制されました。この結果、日本で生まれた外国人の子供の出生届には、新字の「図」に加え、旧字の「圖」も書けるようになりましたが、俗字の「图」はダメなのです。これに対し、日本人の子供の出生届には、新字の「図」はOKですが、旧字の「圖」や俗字の「图」はダメなのです。

【筆者プロフィール】

安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

http://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。


モノが語る明治教育維新―第6回

2017年 1月 10日 火曜日 筆者: 唐澤 るり子

第6回

 九九は九九でも割り算九九。江戸からの贈物。

 数ある掛図の中でも現代人が最も頭を捻るのが、この除算九九図でしょう。九九と言えば掛け算の乗算九九しか思い及ばず、インド式二桁掛け算に驚いているようでは、祖先の知恵に対して失礼というもの。ぜひ、頭に汗かいてこの掛図と格闘してみてください。

 明治9年発行の『師範学校改正小学教授方法』によれば、「右の行の一より九までを上の段の一より九までにて割る時は其下に書たる数となる 其読法は上の一を以て右の行の一を割る時は次の行の十分となる 又上の段の二にて右の行の一を割る時は五分となる 其下の二も三も同じ理にて三を五つにすれば六分となるが如し 日本算なれば(二一天作ノ五)(三一三十ノ一)(四一二十ノ二)(五一加一)と呼ぶ是なり」とあります。

 つまり、上の段の1~9は除数(割る数)、縦の1~9は被除数(割られる数)、交わったところの数字(基本、商と余りです)を暗記するわけですが、これは算盤を使って割り算計算するときに暗誦した割声(わりごえ)「八算」を明治8年東京師範学校が表にしたものなのです。和算の往来物(教科書)で江戸期のベストセラー数学書『塵劫記(じんこうき)』には、必ずこの八算が記載されており、江戸の人が割り算計算する際の必須アイテムでした。『小学教授方法』に日本算と記されているのがこの八算のことで、「二一天作の五」つまり、二でもって一を割ると五分になる、という意味の割声は少し前まで多くの日本人の知るところでした。ちなみに進退窮まった時に使う「二進(にっち)も三進(さっち)もいかない」という言い回しも、八算の2でも3でも割り切れない、というところからきています。

 一度この表を暗記すれば、除数が1桁なら指が自然と動いて珠算が出来るようになります。

 例えば12345÷3の場合

 まず「三一三十ノ一」(万の位の1を3で割る)と唱えながら、万の位を3に直し、千の位の2に余り1を加えると次のようになります。

次に、「三進が一十」(千の位の3を3で割る)、千の位の3から3を引き0にして、万の位に1を足します。

そして、「三進が一十」(百の位の3を3で割る)で同様に百の位についても3を0にして、千の位に1を足します。

それから、十の位の4を3と1に分けて計算します。「三進が一十」(十の位の4のうち3を3で割る)で十の位から3を引いて百の位に1を足すとこのようになり、

「三一三十ノ一」(十の位の残り1を3で割る)で、十の位の1を3に直し、一の位の5に1を足すと、次のようになります。

さらに、一の位の6を3と3に分けて考え、「三進が一十」(一の位の6のうち3を3で割る)でこのようになり

「三進が一十」(一の位の残り3を3で割る)で一の位の3から3を引いて0にして、十の位に1を足します。

つまり、答えは4115となるわけです。声に出しながら玉をはじいていくとなかなか気持ちが良いものです。

 明治5年頒布された『学制』には「算術九九数位加減乗除 但洋法ヲ用フ」とあり、算術は洋法即ち筆算(暗算・珠算ではなく、数字を書いて計算すること)を教えるように指示していますが、江戸期から受け継がれた珠算の便利さは文明開化も何のその、どっこい生き残ったわけです。

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【筆者プロフィール】

『図説 近代百年の教育』

唐澤るり子(カラサワ・ルリコ)

唐澤富太郎三女
昭和30年生まれ 日本女子大学卒業後、出版社勤務。
平成5年唐澤博物館設立に携わり、現在館長
唐澤博物館ホームページ:http://members3.jcom.home.ne.jp/kmuseum/
唐澤富太郎については第1回記事へ。

※右の書影は唐澤富太郎著書の一つ『図説 近代百年の教育』(日本図書センター 2001(復刊))

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【編集部から】

東京・練馬区の住宅街にたたずむ、唐澤博物館。教育学・教育史研究家の唐澤富太郎が集めた実物資料を展示する私設博物館です。本連載では、富太郎先生の娘であり館長でもある唐澤るり子さんに、膨大なコレクションの中から毎回数点をピックアップしてご紹介いただきます。「モノ」を通じて見えてくる、草創期の日本の教育、学校、そして子どもたちの姿とは。
更新は毎月第二火曜日の予定です。


人名用漢字の新字旧字:干支と人名用漢字

2017年 1月 5日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

特別編:干支と人名用漢字

今年2017年の干支は、丁酉(ひのととり)。さて、干支すなわち十干十二支の漢字は、子供の名づけに使えるのでしょうか。

十干は、甲(きのえ)・乙(きのと)・丙(ひのえ)・丁(ひのと)・戊(つちのえ)・己(つちのと)・庚(かのえ)・辛(かのと)・壬(みずのえ)・癸(みずのと)の漢字が、10年周期で巡っています。十二支は、子(ね)・丑(うし)・寅(とら)・卯(う)・辰(たつ)・巳(み)・午(うま)・未(ひつじ)・申(さる)・酉(とり)・戌(いぬ)・亥(い)の漢字が、12年周期で巡っています。これら22の漢字のうち、当用漢字表に含まれていたのは、甲・乙・丙・丁・己・辛・子・午・未・申の10字だけでした。1948年1月1日の戸籍法改正で、残りの12字(戊・庚・壬・癸・丑・寅・卯・辰・巳・酉・戌・亥)は、子供の名づけに使えなくなってしまったのです。ちなみに、1948年の干支は戊子(つちのえね)でした。

1951年5月14日、国語審議会は人名漢字に関する建議を発表し、丑・寅・卯・辰・巳・酉・亥を含む92字を、子供の名づけに使えるよう提案しました。翌週25日、この92字は人名用漢字別表として内閣告示され、結果として、十二支の漢字のうち戌を除く11字が、出生届に書いてOKとなりました。ちなみに、1951年の干支は辛卯(かのとう)でした。

2004年3月26日、法制審議会のもとで発足した人名用漢字部会は、「常用平易」な漢字であればどんな漢字でも人名用漢字として追加する、という方針を打ち出しました。この方針にしたがって人名用漢字部会は、当時最新の漢字コード規格JIS X 0213(2004年2月20日改正版)、文化庁が表外漢字字体表のためにおこなった漢字出現頻度数調査(2000年3月)、全国の出生届窓口で1990年以降に不受理とされた漢字、の3つをもとに審議をおこないました。戊はJIS第1水準漢字で、漢字出現頻度数調査の結果が260回でしたが、全国50法務局中で出生届を拒否された管区はありませんでした。庚は第1水準漢字で、頻度数が271回で、4つの管区で出生届を拒否されていました。壬は第1水準漢字で、頻度数が418回で、5つの管区で出生届を拒否されていました。癸は第2水準漢字で、頻度数が135回で、1つの管区で出生届を拒否されていました。戌は第2水準漢字で、頻度数が193回で、出生届を拒否された管区はありませんでした。

2004年9月8日、法制審議会は人名用漢字の追加候補488字を答申しました。この488字には、戊・庚・壬が含まれていましたが、癸・戌は含まれていませんでした。癸と戌は「常用平易」だと認められなかったのです。9月27日の戸籍法規則改正で、これら488字は全て人名用漢字に追加されました。この結果、干支の漢字22字のうち20字が、出生届に書いてOKとなりました。癸と戌は、現在も子供の名づけに使えません。癸戌(みずのといぬ)という干支が存在しないことが、不幸中の幸いと言えるでしょう。ちなみに、2004年の干支は甲申(きのえさる)でした。

なお、西暦から干支を計算する場合は、甲子(きのえね)は西暦を60で割った余りが4になる、ということを覚えておくと便利です。それはすなわち、十干が甲の年は西暦の末尾が4で、十二支が子の年は西暦を12で割った余りが4だということです。ただし、太陰暦と西暦はピッタリ一致しないので、その点は注意して下さいね。

【筆者プロフィール】

安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

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2017年 謹んで新年のお慶びを申し上げます

2017年 1月 1日 日曜日 筆者: 辞書ウェブ 編集部

東京国際ブックフェア出展 2016年も 小社の出版物・サービスに格別のお引き立てを賜り ありがとうございます。

 どうか 本年もかわらず 小社の辞事典をご愛顧いただければ幸いでございます。

 当サイトも 引き続き ことばと辞書に関する情報をご提供してまいりたいと存じます。

  平成29年 元旦

(写真は2016年9月に東京国際ブックフェアに出展した際のもの)

【小社冬期休業期間のお知らせ】

1月4日まで冬期休業期間のため、お問い合わせ等への対応は1月5日以降になります。ご了承くださいますようお願い申し上げます。


人名用漢字の新字旧字:「灿」と「燦」

2016年 12月 22日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

第123回 「灿」と「燦」

123sansan-new.png昭和17年6月17日、国語審議会は標準漢字表2528字を、文部大臣に答申しました。標準漢字表は、各官庁および一般社会で使用する漢字の標準を示したもので、火部に旧字の「燦」を収録していましたが、新字の「灿」は収録されていませんでした。昭和17年12月4日、文部省は標準漢字表を発表しましたが、そこでも旧字の「燦」だけが含まれていて、新字の「灿」は含まれていませんでした。

昭和21年11月5日、国語審議会は当用漢字表1850字を、文部大臣に答申しました。この当用漢字表で、国語審議会は、旧字の「燦」を削除してしまいました。「燦燦」以外の用例が少なく、当用漢字表には不要だと判断されたのです。当用漢字表は、翌週11月16日に内閣告示されましたが、やはり「燦」も「灿」も収録されていませんでした。そして、昭和23年1月1日に戸籍法が改正された結果、「燦」も「灿」も子供の名づけに使えなくなってしまったのです。

平成元年2月13日に発足した民事行政審議会では、人名用漢字の追加が議論されました。法務省民事局が全国の市区町村を対象におこなった調査(昭和63年5月)で、200以上の漢字が人名用漢字の追加候補として挙がっており、その中に旧字の「燦」も含まれていました。調査における「燦」の出現順位は、79位でした。昭和61年に美空ひばりが『愛燦燦』という唄を売り出し、「燦」を名に含む出生届が、日本のどこかで不受理になっていたのです。人名用漢字にどの漢字を追加すべきか決めるために、審議会委員28人は2回の投票(複数の漢字に投票可)をおこないました。「燦」は1回目の投票で7票、2回目の投票で6票を集めました。

民事行政審議会は平成2年1月16日、新たに人名用漢字に追加すべき漢字として、「燦」を含む118字を法務大臣に答申しました。平成2年3月1日、戸籍法施行規則が改正され、これら118字は全て人名用漢字に追加されました。この戸籍法施行規則は、平成2年4月1日に施行され、旧字の「燦」が子供の名づけに使えるようになりました。

平成23年12月26日、法務省は入国管理局正字13287字を告示しました。入国管理局正字は、日本に住む外国人が住民票や在留カード等の氏名に使える漢字で、旧字の「燦」を含んでいました。しかし、入国管理局正字にも、新字の「灿」は含まれておらず、旧字の「燦」への書き換えが強制されました。この結果、日本で生まれた子供の出生届には、日本人であっても外国人であっても、旧字の「燦」だけがOKで、新字の「灿」はダメなのです。

【筆者プロフィール】

安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

http://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。


絵巻で見る 平安時代の暮らし 第56回 『年中行事絵巻』別本巻二「大臣大饗」を読み解く(続)

2016年 12月 17日 土曜日 筆者: 倉田 実

第56回 『年中行事絵巻』別本巻二「大臣大饗」を読み解く(続)

場面:大臣大饗で鷹飼(たかがい)と犬飼(いぬかい)が登場するところ
場所:東三条邸の寝殿とその西側など
時節:1月4日

(画像はクリックで拡大)

建物等:Ⓐ寝殿 Ⓑ五級の御階 Ⓒ塗籠となる部屋 Ⓓ西広廂 Ⓔ妻戸 Ⓕ西北渡殿 Ⓖ休所(やすみどころ)となる部屋 Ⓗ西透渡殿(すきわたどの) Ⓘ西簀子 Ⓙ南廂 Ⓚ親王の座の畳 Ⓛ尊者の座 Ⓜ公卿の座 Ⓝ西廂 Ⓞ弁・少納言の座 Ⓟ外記・史(さかん)の座 Ⓠ西中門廊 Ⓡ千貫(せんかん)の井 Ⓢ溝 Ⓣ透廊(すきろう)
人物:[ア] 鷹飼 [イ]犬飼 [ウ]下役の者 [エ]主人 [オ]尊者の公卿 [カ]非参議大弁
調度など:①折敷 ②屛風 ③軟障(ぜじょう) ④御簾 ⑤・⑦・⑧・⑨・⑪台盤 ⑥茵(しとね) ⑩出雲筵の帖(じょう) ⑫幔門(まんもん) ⑬雉 ⑭鷹 ⑮犬

はじめに 今回は、第54回で扱いました東三条邸を会場とした大臣大饗の続きになります。そこでの東三条邸の図には、Ⓐ寝殿南面のⒷ五級の御階の位置が間違って描かれていました。今回のもそれが踏襲されていて、一間分西側に描かなくてはならないところでした。この他にも史料に照らしておかしな点があります。画面右上の角は二間四方のⒸ塗籠になりますが、区画されてしまっています。また、寝殿Ⓓ西広廂の北側に描かれるⒺ妻戸の西側は、Ⓕ西北渡殿の一間分でⒼ休所にされましたが(後述)、二間分あるようになっていて人物が描かれてしまっています。こうした欠点がありますが、大饗の宴席が描かれたことで、今回の場面は貴重な史料になっています。

絵巻の場面 この場面は[ア]鷹飼と[イ]犬飼が登場するところです(後述)。それと併せて、鳥瞰的な吹抜屋台の技法で、室内の宴席の様子も描いています。高い建物などなかった時代に、よくもこうした鳥瞰図が描けたものと思います。この構図によって、東三条邸の内部と、大臣大饗の宴席に対する視覚的な理解ができますね。

宴席の序列 それでは、東三条邸の構造を確認しながら、宴席の様子を見ていきましょう。画面右側(東)がⒶ寝殿、左側(西)手前がⒽ西透渡殿、奥がⒻ西北渡殿になります。宴は進行していて、西透渡殿に二人、寝殿のⒾ西簀子とⒹ西広廂に一人ずつの、四人の下役の者が料理を運んでいるのが見えます。西簀子の[ウ]人には①折敷を捧げ持っている様子が分かります。

 画面でまず目につくのは、宴席が幾つにも分かれていることです。なぜ分かれているのかは、前々回の拝礼の場面で明らかですね。身分・序列が、宴席の座にも及んでいるのです。そして、寝殿には②屛風、西北渡殿には③軟障が張り巡らされて宴席を区画していることが分かります。この違いも身分差を示し、座席が区別されました。なお、寝殿の屛風の後ろには壁代と④御簾が垂らされますが、画面では一部しか描かれていません。

主人と尊者の座 まず、主人の座を確認しましょう。Ⓙ南廂が[エ]主人の座です。大饗が始まった時には、Ⓚ親王の座とされる二帖敷かれた畳に坐りましたが、途中から朱塗の⑤台盤と菅円座(すげえんざ)を置いて、ここに移りました。藤原氏の氏の長者が行う大饗では、朱器台盤(大盤とも)といって、朱塗の、器と台盤を主客が代々使用しました。朱器大饗という言い方もされ、氏の長者としての威勢を誇示したのです。
 大臣大饗の来客のうち、最も身分が高い二人が尊者とされましたね。Ⓛ尊者の座は、母屋の東側に二つ設けられます。この日の[オ]尊者は一人だけでしたので、南側に坐しています。二人の場合には、南側が上席になります。画面でははっきりしませんが、座の設け方にも作法がありました。板敷の床の上に、長筵・菅円座・地敷・⑥茵の順で重ねられ、⑦台盤が、油単(ゆたん。湿気を防ぐために油をしみ込ませた敷物)の上に置かれました。

公卿の座と弁・少納言の座 尊者の座の西側は、Ⓜ公卿の座になります。⑧台盤十二脚を二列に置いて向かい合って坐る、二行対座にしました。尊者の座と違って、ここは北側が上席です。長筵・菅円座・地敷を重ねて敷き、さらに円座を置きます。公卿は大納言・中納言・参議の身分がありますので、その差を視覚化するために、一番上に敷く円座の縁(へり)の色が変えられました。大納言は紫縁、中納言は青縁、参議は高麗縁とされたのです。

 Ⓝ西廂が、Ⓞ弁・少納言の座です。ここも画面ではっきりしませんが、上席となる北端は、高麗縁の円座が敷かれた[カ]非参議大弁の座とされ、台盤一脚が置かれました。その南に間隔を空けて四脚の⑨台盤が一列に並べられ、円座はなく出雲筵が敷かれました。円座と筵で、身分を違えたのです。

外記・史の座 寝殿から離れた、東西四間となるⒻ西北渡殿の西側三間が、Ⓟ外記・史の座です。ここも二行対座になります。北側が外記、南側が史で、⑩出雲筵の帖(薄い畳)が敷かれ、⑪台盤二脚が置かれました。

 西北渡殿の東端の間(ま)は、臨時に南北二つに区画され、北が公卿、南が尊者のⒼ休所とされましたが、先ほど触れましたように、尊者以外の人物が描かれてしまっています。休所は、用を足すために設けられました。

西中門廊 Ⓕ西北渡殿の西側は、通路を隔ててⓆ西中門廊となりますが、画面では連続したように描かれています。ここにも五人に官人が坐っていますが、本来はもう少し北側に、侍従・諸大夫の座として設けられたのを、ここに描いたのだと思われます。大饗には、この他にも、下級官人の席も設けられましたが、画面にはありませんので、説明は省略させていただきます。

 なお、五人が坐る西中門廊の南端は、地面になっています。ここには『枕草子』に「Ⓡ千貫の井」として登場する井戸があって、京内で有名でした。この井戸を守るために、東三条邸では西の対が設けられなかったとも言われています。

鷹飼と犬飼の登場 宴が進行すると、[イ]犬飼を連れた[ア]鷹飼が、⑫幔門(前々回参照)から南庭に登場します。鷹飼は鷹狩で獲れた⑬雉を木の枝にさし、⑭鷹を左肘に留まらせています。犬飼は、野に隠れる小動物を追い出すために使われる⑮犬を連れています。二人とも天皇の鷹狩に奉仕する蔵人所の下級官人になります。鷹飼は、前々回の場面で描かれていました立作所(料理所)で雉を渡し、ここで酒を勧められ、盃を犬飼に回しました。そして、禄を戴き、退場して行きます。

 二人の登場は大饗での余興であり、退場してからは、さらに舞楽などが行われて、饗宴は続いていくことになります。

 なお、⑮幔門の西側(左側)とⓈ溝とのあいだは土間になるⓉ透廊になっていることが画面で分かります。前々回では、ここは描かれていませんでしたね。この透廊は、南池まで延びています。

この画面の意義 今回は大臣大饗の宴席の様子を中心に見てみました。母屋・廂・渡殿という場所、宴席を囲う屛風・軟障などの屏障具、そして、画面では分からない点も触れましたが、座に敷かれる茵・円座・筵・帖などの座臥具などを違えることで身分差を、さらにそれぞれの座でも上席が決められ序列を視覚化していました。貴族たちが会合する場は、いつでも身分や序列が問題になるのです。それは、後の武士の世でも、あるいは今日でも変わらない光景となりますね。

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◆この連載のほかの回をお読みになる方は⇒「絵巻で見る 平安時代の暮らし」目次へ

【筆者プロフィール】

『全訳読解古語辞典』■文:倉田実(くらた・みのる)
大妻女子大学文学部教授。博士(文学)。専門は『源氏物語』をはじめとする平安文学。文学のみならず邸宅、婚姻、養子女など、平安時代の歴史的・文化的背景から文学表現を読み解いている。『三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員。ほかに『狭衣の恋』(翰林書房)、『王朝摂関期の養女たち』(翰林書房、紫式部学術賞受賞)、『王朝文学と建築・庭園 平安文学と隣接諸学1』(編著、竹林舎)、『王朝人の婚姻と信仰』(編著、森話社)、『王朝文学文化歴史大事典』(共編著、笠間書院)など、平安文学にかかわる編著書多数。

■画:須貝稔(すがい・みのる)

※本連載の文・挿絵の無断転載は禁じられております

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【編集部から】
三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員の倉田実先生が、著名な絵巻の一場面・一部を取り上げながら、その背景や、絵に込められた意味について絵解き式でご解説くださる本連載。今回扱いました「東三条殿」は、現在でも京都市の中京区押小路通釜座角(京都市営地下鉄烏丸線・地下鉄東西線「烏丸御池駅」から徒歩)に石標があり、その付近が東三条殿の跡地であることを今に伝えています。
 2013年4月に始まり、56回にわたって連載して参りました、倉田実先生の「絵巻で見る 平安時代の暮らし」は、都合により2017年1月から休載期間に入ります。1年後を目処に、また再開の予定ですので、何とぞ引き続きご愛読ください。

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◆紙面例:おんやうじ(クリックで拡大)

【『三省堂 全訳読解古語辞典』について】
全国高校からの推薦数NO.1の学習用古語辞典『三省堂 全訳読解古語辞典』〈第四版〉では、ワイドな絵巻型の図版と絵解き式のキャプションを採用。文章からだけでは想像しにくい時代背景や古典常識などを、絵を通して、より具体的に深く学ぶことができます。

 

 

 

タイプライター博物館訪問記:伊藤事務機タイプライター資料館(10)

2016年 12月 15日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

タイプライターに魅せられた男たち・番外編第29回

伊藤事務機タイプライター資料館(9)からつづく)

伊藤事務機の「Rofa」

伊藤事務機の「Rofa」

伊藤事務機タイプライター資料館には、「Rofa」も展示されています。「Rofa」は、ドイツのロベルト・ファビク社(Robert Fabig GmbH)が、1921年から1929年にかけて製造していたタイプライターで、同社の「Faktotum」(「Imperial Typewriter」のライセンス生産)の後継機にあたります。「Rofa」の特徴は、独特のカーブを描くキーボードと、ダウンストライク式という印字方式にあります。「Rofa」では、29キーが3列のカーブ上に配置されており、各キーに3種類の文字が対応しています。伊藤事務機の「Rofa」では、上段のキーはQWERTZUIOP、中段はASDFGHJKL、下段は^YXCVBNM?+と並んでおり、いわゆるQWERTZ配列です。

伊藤事務機の「Rofa」後面

伊藤事務機の「Rofa」後面

プロントパネルの後ろには、本来は29本のタイプバー(活字棒)が、キーボードと同じくカーブを描いて配置されています。ただし、伊藤事務機の「Rofa」では、タイプバーのうち4本が失われているらしく、25本しかありません。タイプバーは、それぞれがキーにつながっており、キーを押すと対応するタイプバーが打ち下ろされて、プラテンの上に置かれた紙の上面に印字がおこなわれます。紙の上に印字されるので、オペレータがフロントパネルの向こうを上から覗き込むことで、印字された文字を確かめることができます。

伊藤事務機の「Rofa」のタイプバー(GとFの間にあるはずのTとVが欠けている)

伊藤事務機の「Rofa」のタイプバー(GとFの間にあるはずのTとVが欠けている)

各タイプバーには、3種類の活字が埋め込まれており、下から順に小文字、大文字、数字および記号、となっています。キーボード左端の「Groß」キーを押すと、プラテンが移動して、大文字が印字されるようになります。「Zeich.」キーを押すと、プラテンがさらに移動して、数字および記号が印字されるようになります。この機構により、本来であれば87種類の文字を印字できるのです。なお、伊藤事務機の「Rofa」では、äはQの記号側、öはYの記号側、üはXの記号側に、それぞれ搭載されていますが、大文字のÄÖÜは見あたりませんでした。また、キーボードの右端には「Rück-Taste」キーがあり、逆方向への1文字移動(いわゆるバックスペース)を可能にしています。

伊藤事務機の「Rofa」キーボード左端

伊藤事務機の「Rofa」キーボード左端

【筆者プロフィール】

安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

http://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。


モノが語る明治教育維新 第5回―博物図と二人の富太郎

2016年 12月 13日 火曜日 筆者: 唐澤 るり子

第5回―博物図と二人の富太郎

 植物学者の牧野富太郎は文久2年土佐生まれ、寺子屋や郷校(庶民も学べる学校で藩校と寺子屋の中間的存在)で学び、学制改革に伴い明治7年12歳で小学校に入学します。わずか2年で自主退学、学歴的には下等小学卒となるのですが、それでも独学で日本植物分類学の基礎を築き、理学博士となった人物です。郷校で文明開化の諸学科(窮理学《物理学》や地理学、生理学等)を学んでいた彼にとって、小学校の教育内容が飽き足らなく思えたことが退学の理由ですが、そのような中でも「文部省で発行になった『博物図』が四枚学校へ来たので、私は非常に喜んでこれを学んだ」と述懐しています(『牧野富太郎自叙伝』長嶋書房)。

 この『博物図』とは理科掛図のこと。明治6年、アメリカのM. ウィルソン & N. A. カルキンズの「School and Family Charts」中の植物図を参考に文部省が作成しました。

(写真はクリックで拡大)

中でもこの第二博物図は国産の果実44種類、ウリ科15種類を大小のメリハリを利かせてレイアウトし、6年発行の4枚の中でも特に目を引きます。当時はこれほど美しい大判の色刷り教材など無かったでしょうから、富太郎少年の目をくぎ付けにしたのもうなずけます。まさに本家本元アメリカの掛図に引けを取らない見事な出来栄えは、やはり日本独自の伝統の積み重ねがあったからといえるのではないでしょうか。画家の長谷川竹葉は歌川派の絵師で、輪郭線を銅版で描くなど新しい手法を取り入れつつ、江戸期に花開いた浮世絵の版画の技術を活かしたものとなっています。

 そして理科掛図刊行の中心人物である文部省博物局の田中芳男(第4回で紹介した『小学読本』編纂者田中義廉の兄です)が、幕末に勤めた幕府の洋学研究機関「蕃書調所(ばんしょしらべしょ)」もまた、江戸と明治の文化の接ぎ穂的存在として意義あるものでした。文久元年、交易上必要な国内外の鉱物、動物、植物の知識を蓄える物産学が所内に開設され、ほぼ同時に開設された画学局では正確な臨写図(手本通りに写生した図)を描くことが重要な任務でした。物産学出役(出向)の田中芳男は動植物の絵を画学局の画工に依頼、知識をビジュアル化する二人三脚の体制がすでにこの時出来上がっていたわけです。

 牧野富太郎は明治14年、心に焼き付いた博物図の刊行者である田中に会うために文部省博物局を訪れ、植物研究への志を強くしています。この博物図は偉大な学者の誕生に貢献した教材といえるでしょう。

 そして、もう一人の富太郎、唐澤富太郎がこの博物図を入手したのは、講演で出かけた先の信州松代の旅館でした。資料収集に燃えていた父が講演を受ける交換条件としていたのが、地元の古道具屋さんを紹介してもらうことだったのですが、出会った人ごとに「昔の面白い何か、ありませんか」と尋ねることも常としておりました。藩校の文武学校が今に残る松代は、きっと面白いものがあるに違いないと、長年の経験でぴ~んとくるものがあったのでしょう。宿泊先の旅館でも尋ねたところ、江戸期には文武学校の御用商人として文具を扱っていたそうで、明治初期の貴重な掛図をはじめ、文房具やご家族の賞状まで分けていただき感慨無量だったと自著『執念』(講談社)で述べています。

 

★おまけ

『博物図』一部拡大(林檎)

現代人が見て、一番不思議に思うのは林檎の小ささでしょう。ミカンやスモモと同じ大きさに描かれています。当時の林檎は和林檎で小ぶりでした。田中芳男のご子孫田中義信氏が書かれた『田中芳男十話』によれば、福井藩主松平春嶽の巣鴨藩邸にあった西洋のアップルと初めて接ぎ木を試みたのが田中芳男だそうです。美味しそうには見えない和林檎の図を前に、先人の挑戦に感謝です。

◆この連載の目次は⇒「モノが語る明治教育維新」目次へ

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【筆者プロフィール】

『図説 近代百年の教育』

唐澤るり子(カラサワ・ルリコ)

唐澤富太郎三女
昭和30年生まれ 日本女子大学卒業後、出版社勤務。
平成5年唐澤博物館設立に携わり、現在館長
唐澤博物館ホームページ:http://members3.jcom.home.ne.jp/kmuseum/
唐澤富太郎については第1回記事へ。

※右の書影は唐澤富太郎著書の一つ『図説 近代百年の教育』(日本図書センター 2001(復刊))

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【編集部から】

東京・練馬区の住宅街にたたずむ、唐澤博物館。教育学・教育史研究家の唐澤富太郎が集めた実物資料を展示する私設博物館です。本連載では、富太郎先生の娘であり館長でもある唐澤るり子さんに、膨大なコレクションの中から毎回数点をピックアップしてご紹介いただきます。「モノ」を通じて見えてくる、草創期の日本の教育、学校、そして子どもたちの姿とは。
更新は毎月第二火曜日の予定です。


人名用漢字の新字旧字:「庄」と「荘」と「莊」

2016年 12月 8日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

第122回 「庄」と「荘」と「莊」

新字の「荘」は常用漢字なので、子供の名づけに使えます。旧字の「莊」と俗字の「庄」は、いずれも人名用漢字なので、子供の名づけに使えます。どういう経緯で、子供の名づけに使えるようになったのでしょう。

昭和15年12月15日、国語協会は『標準名づけ読本』を発表しました。『標準名づけ読本』は、やさしくわかりやすい名前を子供につけることで国字運動の一翼を担おう、という意図のもとに編纂されたもので、端的に言えば、子供の名づけに用いる漢字を500字に制限しようとするものでした。この500字の中に、俗字の「庄」が含まれていました。

昭和17年6月17日、国語審議会は標準漢字表を、文部大臣に答申しました。標準漢字表は、各官庁および一般社会で使用する漢字の標準を示したもので、部首画数順に2528字が収録されており、艸部に、旧字の「莊」が含まれていました。昭和17年12月4日、文部省は標準漢字表を発表しましたが、そこでも旧字の「莊」が収録されていました。

昭和21年11月16日に内閣告示された当用漢字表にも、旧字の「莊」が収録されていました。ただし、当用漢字表のまえがきには「字体と音訓の整理については、調査中である」と書かれていました。当用漢字表の字体は、まだ変更される可能性があったのです。昭和23年1月1日に戸籍法が改正され、子供の名づけに使える漢字が、この時点での当用漢字表1850字に制限されました。当用漢字表には、旧字の「莊」が収録されていたので、「莊」は子供の名づけに使ってよい漢字になりました。新字の「荘」や俗字の「庄」は、子供の名づけに使えなくなりました。

昭和24年4月28日に内閣告示された当用漢字字体表では、新字の「荘」が収録されていました。当用漢字表にある旧字の「莊」と、当用漢字字体表にある新字の「荘」と、どちらが子供の名づけに使えるのかが問題になりましたが、この問題に対し法務府民事局は、旧字の「莊」も新字の「荘」もどちらも子供の名づけに使ってよい、と回答しました(昭和24年6月29日)。

昭和26年3月13日、国語審議会のもと発足した固有名詞部会では、子供の名づけに使える漢字を、当用漢字以外にも増やす方向で議論が進みました。固有名詞部会は『標準名づけ読本』の500字をチェックし、500字のうち75字が当用漢字に含まれていないことを確認しました。この75字の中に、俗字の「庄」が含まれていたのです。固有名詞部会は、この75字に17字を加えた92字を、追加すべき人名用漢字として国語審議会に報告しました。これを受けて、国語審議会は昭和26年5月14日、人名漢字に関する建議を発表しました。翌週25日、この92字は人名用漢字別表として内閣告示され、俗字の「庄」が子供の名づけに使えるようになりました。

昭和56年3月23日、国語審議会が答申した常用漢字表では、「荘(莊)」となっていました。昭和56年10月1日に常用漢字表は内閣告示され、新字の「荘」は常用漢字になりました。それと同時に、旧字の「莊」と俗字の「庄」は人名用漢字になりました。それが現在も続いていて、「庄」も「荘」も「莊」も出生届に書いてOKなのです。

【筆者プロフィール】

安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

http://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。


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