古代語のしるべ 第2回 イテリス[酡]

2016年 9月 29日 木曜日 筆者: 蜂矢 真郷

古代語のしるべ 第2回 イテリス[酡]-日本霊異記の訓釈と片仮名ホの異体字-

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【筆者プロフィール】

■上代語研究会
乾善彦・内田賢德・尾山慎・佐野宏・蜂矢真郷(五十音順)の5名。上代日本語の未詳語彙の解明を目指し、資料批判を踏まえて形態論と語彙論の両面からその方法の探求と実践を進めている。
■蜂矢真郷(はちや まさと)1946年生まれ。京都大学卒業、同志社大学大学院修士課程修了、博士(文学)〔大阪大学〕。中部大学教授、大阪大学名誉教授。1998年、第17回新村出賞受賞。著書:『国語重複語の語構成論的研究』(1998.4 塙書房)、『国語派生語の語構成論的研究』(2010.3 同)、『古代語の謎を解く』(2010.3 大阪大学出版会)、『古代語形容詞の研究』(2014.5 清文堂出版)。学生の時、阪倉篤義氏『語構成の研究』(1965.5 角川書店)に接し、複合語であることがあまり認識されていないものを分析することへの興味から、語構成の研究に入ることになった。

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【編集部より】
 昭和42(1967)年以来、約50年の長きにわたって発行しております『時代別国語大辞典 上代編』。おかげさまで、上代の日本語を体系的に記述した辞書として高くご評価いただき、今も広くお使いいただいています。しかし、この50年の間にはさまざまな研究の進展がありました。木簡をはじめとして上代日本語に関する資料が多数発見されたばかりでなく、さまざまな新しい研究の成果は、『万葉集』や『古事記』をはじめとした上代文献の注釈・テキスト、また関連の研究書の刊行など、大きな蓄積を成しています。
 そこで、未詳語彙の解明をはじめ、新たな資料を踏まえて上代日本語の記述の見直しを進めていらっしゃる「上代語研究会」の先生方に、リレー連載をお願いいたしました。研究を通して明らかになってきた上代日本語の新たな姿を、さまざまな角度から記していただきます。辞書では十分に説明し尽くせない部分まで読者の皆さんにお届けするとともに、次の時代の新たな辞書の記述へとつなげていくことを願っています。


人名用漢字の新字旧字:韓国の人名用漢字は違憲か合憲か(第6回)

2016年 9月 29日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

韓国の人名用漢字は違憲か合憲か(第6回)

第5回からつづく)

次に、合憲派(法廷意見)は、人名用漢字以外の漢字に対する「救済措置」について触れています。

出生申告書に出生者の名が「人名用漢字」以外の漢字で記載され、家族関係登録簿に出生者の名をハングルのみで登載した場合は、当該市(区)・邑・面の長が、出生者の名として申告された「人名用漢字」以外の漢字の字体と発音を記載して翌月10日までに監督裁判所に報告することとし、監督裁判所はその内容を四半期ごとに整理して翌月20日までに法院行政処に報告することとするなど、家族関係登録規則の改正を通じて持続的に「人名用漢字」を追加できる方案も用意している(人名用漢字の制限に関連した家族関係登録事務処理指針(家族関係登録例規第111号)第4条参照)。
そして、出生申告時点で「人名用漢字」に含まれておらず使用できなかった漢字であっても、上のような家族関係登録規則の改正で追加された「人名用漢字」に含まれる場合には、改名許可手続によって希望する名を使用可能となる。特に、出生申告時に「人名用漢字」以外の漢字を申告した結果、家族関係登録簿の氏名欄に出生者の名がハングルのみで登載された場合には、改名許可手続を経る必要はなく出生申告人の追後補完申告だけで、それまでハングルのみで登載されていた名をハングルと漢字で登載できるような方案も用意されている(人名用漢字の追加にともなう家族関係登録事務処理指針(家族関係登録例規第322号)第1項参照)。

これに対し、違憲派(反対意見)は、人名用漢字が将来において本当に増えるかどうかわからないし、増やすくらいなら最初から使えるようにしておけばいい、と指摘しています。

法廷意見が説示するように、家族関係登録規則改正を通じて「人名用漢字」が追加される場合、当事者は改名許可手続または出生申告人の追後補完申告を経て、希望する名を使用できることになる。しかし、審判対象条項が漠然と将来に改正される可能性があるという点をもって、現在の基本権制限が緩和されたと見るべきではない。初めから希望する漢字を使用可能ならば、人名用漢字の追加にともなう改名許可手続や追後補完申告などの不必要な手続をおこなう必要もない。

一方、合憲派は、実際に過去ずっと増えてきたのだ、と主張します。

実際、審判対象条項が初めて導入された時点では、我が国の人名に使われる漢字調査結果などに基づき「漢文教育用基礎漢字」を含んだ合計2,731字が「人名用漢字」に指定されたが、その後9回にわたる大法院規則改正で「人名用漢字」の範囲を拡大してきた結果、現在は合計8,142字に至っているという点は、先にも述べたとおりである。
これは、人の名に使える漢字の範囲を一定の手順に基づいて継続的に拡大し続けることにより、名に漢字を使う際に不便が起こらないよう補完装置を作動し続けているのだとみなせる。

この「継続的に拡大」が逆鱗に触れたのか、違憲派は猛然と反論します。

かえって「人名用漢字」の範囲が9回の大法院規則改正を通じて拡大してきたという事情は、憲法第10条の幸福追求権によって保護される「両親が子の名を付ける自由」を一律的に制限するという手段を採択した審判対象条項が有する問題点を、自ら認めているに過ぎない。
さらに、人名用漢字で言うところの「通常使われる漢字」を誰が決めているのか、どの程度の使用頻度があればその範囲に入り得るのか、疑問である。人名用漢字が初めて導入された当時(1990年12月30日)は2,731字だったものが、9回の改正の結果、現在(2014年10月20日)は8,142字になったところ、我々の経験上、この20余年間に漢字の使用頻度が減少こそすれ増加したはずはないことに照らしてみても、人名用漢字あるいは通常使われる漢字の範囲というものが、どれほど作為的なものであるか見て取ることができる。人名用漢字は「プロクルステスの寝台」の変形である。

寝台とは違って、人名用漢字がどんどん伸びているという点で、ギリシア神話のプロクルステスにたとえるのは無理があるように思えるのですが、まあ、寝台のサイズに合わせて身体の方を切る、という話をしたかったのでしょう。

(最終回につづく)

【筆者プロフィール】

安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

http://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。


【出展のお知らせ】9/23-25東京国際ブックフェア

2016年 9月 23日 金曜日 筆者: 辞書ウェブ 編集部

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9月23~25日、東京ビッグサイトで開催されます東京国際ブックフェアに小社も出展、創業135年「辞書の三省堂」のあらゆる分野の辞書・事典・図鑑を展示・販売いたします。
今回は、“もう一度、辞書を使う”をテーマに、辞書の使いかた、楽しみかたをご紹介。また、当日は「辞書アドバイザー」が「こんな辞書があるかしら」「こんなことを調べられるものは」というご相談にお応えし、おすすめの辞書をご提案いたします。
総合出版エリア5-11に、ぜひお越しくださいませ。

当日の様子など、以下の小社ツイッターアカウントにてご報告予定です。どうぞこの機会にフォローを。
よむゾウさん @zousanseido
三省堂一般書出版部 @sanseido_gen
三省堂辞書出版部 @sanseido_dict


人名用漢字の新字旧字:韓国の人名用漢字は違憲か合憲か(第5回)

2016年 9月 22日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

韓国の人名用漢字は違憲か合憲か(第5回)

第4回からつづく)

さらに合憲派(法廷意見)は、家族関係登録簿の「電算化」に関して、以下の主張を展開しています。

家族関係登録法第9条第1項および第11条第1項によれば、家族関係登録事務は電算情報処理システムによって処理することになるが、実際使われない珍しい漢字などその範囲さえ不明な漢字を、文献上で検証して家族関係登録電算システムに全て実現するのは、現実的に難しい。

韓国の家族関係登録簿は、全て電算システムで扱うことが法律で義務づけられているので、膨大な種類の漢字を扱おうとすると、漢字コードが膨大になってしまうという主張です。これに対して、違憲派(反対意見)は、こう反論します。

現在の技術水準において、漢字情報の電算化は難しくない。国際標準コードである「ユニコード」に登録されている韓・中・日統合漢字は約8万字、国内標準コードである「KSコード」に登録されている漢字は約1万8千字に達する。それならば、審判対象条項のように「人名用漢字」以外の漢字使用を一律に制限せずとも、名に使われる漢字を電算システムに実現するのは支障ないだろう。
基本的に、憲法第10条の幸福追求権によって保護される「両親が子の名を付ける自由」に政府の電算化技術を合わせるべきであって、両親が子の名を付ける自由を政府の電算化技術に合わせるべきではない。

hanja5-eun.png違憲派の主張は理解できなくもないのですが、正直なところUnicodeを過信しています。現時点においても、韓国の人名用漢字8142字のうち、少なくとも「さんずいに恩」はUnicodeに収録されていません。実は筆者は、この「さんずいに恩」をUnicodeに緊急追加すべく、以前Unicode Technical Committeeに働きかけたことがあるのですが、この時の提案は韓国側に潰された、という苦い思い出があります。「両親が子の名を付ける自由を政府の電算化技術に合わせるべきではない」として、ならばなぜ韓国は、人名用漢字をUnicodeへ追加する提案を潰すようなマネをするのか、いまだ納得ができません。

一方、「KSコード」は、もっと悲惨な状況です。ハングルと漢字の両方を収録するKS X 1001(漢字4888字)・KS X 1002(漢字2856字)に続き、漢字のみを収録するKS X 1027-1(7911字)・KS X 1027-2(1834字)・KS X 1027-3(172字)・KS X 1027-4(404字)・KS X 1027-5(152字)が現時点で制定されている「KSコード」ですが、韓国国内の漢字施策と全く連動していません。その結果、韓国の人名用漢字8142字のうち、「さんずいに恩」を初めとして、「荣」「壮」「青」「聡」「恵」など少なくとも250字が、「KSコード」未収録となってしまっています。たとえ「KSコード」に漢字18217字が収録されていても、それが人名用漢字8142字すら網羅できていないのです。

加えて合憲派は、日本や中国との比較をおこなっています。

審判対象条項は、子の名に使える漢字を定めるにあたって、教育科学技術部が中・高等学校教育の基準として使うために策定した「漢文教育用基礎漢字」を含め、合計8,142字を「人名用漢字」に指定している。
これは、日本において人名に使うことを許されている漢字が2,998字程度、漢字発祥の地である中国において、義務教育(初・中学校)課程で理解しなければならない漢字、出版物等に使われる漢字、人名・地名など固有名詞に活用される漢字など、日常生活でしばしば使われる漢字を選んで発表した「通用規範漢字表」が8,105字程度、この2つに照らしてみれば、決して少ないと見ることはできない。

中国の「通用規範漢字表」は、子の名づけに対する漢字制限ではないのですが、以下の違憲派の反論は、その点を誤解しているようです。

法廷意見は、中国と日本においても人名に使える漢字の範囲を制限しているという事情により、審判対象条項による基本権の制限が過剰ではないとしている。しかし我が国とは違い、中国と日本では人の氏名を書く際に漢字使用が基本(原則)であるから、漢字の数が膨大でその範囲が不明だという事実から、名に使える漢字の範囲を制限する必要性が導き出され得る。したがって、名に使える漢字の範囲の制限に関し、中国および日本と単純に比較するのは適切でない。

ただ、文字コード研究者である筆者の意見としては、中国は「通用規範漢字表」8105字を全てUnicodeに収録させるべく努力していますし、日本はJIS X 0213に常用漢字2136字と人名用漢字862字を全て収録しています。そのあたりの考え方が、そもそも韓国とは全く異なっているのです。

第6回につづく)

【筆者プロフィール】

安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

http://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。


【募集中】三省堂 辞書を編む人が選ぶ「今年の新語2016」

2016年 9月 19日 月曜日 筆者: 辞書ウェブ 編集部

あなたの「今年の新語」を募集中!

「今年の新語」とは、この2016年を代表する言葉(日本語)で、今後の辞書に掲載されてもおかしくないものです。

候補となるのは、
・「今年特に広まった」と感じられる言葉。(今年誕生したかどうかは問いません)
・自分自身や周りの人が、ふだんの会話等でよく使うようになった言葉。
・流行語や時事用語、新しい文物でもかまいません。

投稿いただいた方の中から抽選で50名様に、図書カード1,000円分をプレゼントいたします。
皆さまのご応募をお待ちしております。

投稿方法や、選考についてなどの詳細は以下の特設ページをご覧ください。
三省堂 辞書を編む人が選ぶ「今年の新語2016」


絵巻で見る 平安時代の暮らし 第53回 『年中行事絵巻』巻一「朝覲行幸の出発」を読み解く(続)

2016年 9月 17日 土曜日 筆者: 倉田 実

第53回 『年中行事絵巻』巻一「朝覲行幸の出発」を読み解く(続)

場面:新年の朝覲(ちょうきん)行幸に出発するところ
場所:平安京内裏南門の承明門(じょうめいもん)から建礼門(けんれいもん)にかけて
時節:1月2日?

(画像はクリックで拡大)

建物:①承明門 ②建礼門 ③・⑩石の基壇 ④・⑯檜皮葺の屋根 ⑤棟瓦 ⑥・⑨三級の石階 ⑦・⑮築地 ⑧複廊 ⑪瓦屋根 ⑫檜皮葺の廂屋根(出廂) ⑬三重虹梁蟇股(さんじゅうこうりょうかえるまた)の妻 ⑭瓦 ⑰仗舎(じょうしゃ) ⑱妻戸 ⑲連子(れんじ) ⑳白壁
人物:[ア] 黒袍束帯姿の右兵衛督 [イ] ・[エ]褐衣(かちえ)姿の舎人(とねり) [ウ] 黒袍束帯姿の左兵衛督  [オ] 黒袍束帯姿の文官 [カ] 童 [キ] 黒袍束帯姿の右衛門督  [ク] 口取りの白張(はくちょう)
着装:Ⓐ緌(おいかけ) Ⓑ券纓(けんえい)の冠 Ⓒ平胡簶(ひらやなぐい) Ⓓ・Ⓗ弓  Ⓔ靴(かのくつ) Ⓕ平緒(ひらお) Ⓖ壷胡簶 Ⓘ藁靴

はじめに 今回は、第46回で扱いました『年中行事絵巻』の朝覲行幸に出発する場面の続きを採り上げます。朝覲行幸は、天皇が父上皇や母后の御所に赴いて面会することでした。今回の場面は、高倉天皇が紫宸殿を出発するところで、これから平安京の東外、七条末路辺に建てられた父の後白河上皇が住む法住寺南殿に向かいます。この邸第も第17回第18回で扱っていますので、ご参照ください。

内裏の内郭と外郭 最初に平安京内裏の区画について改めて触れておきます。内裏は、二重の障壁によって囲まれていました。外側は外郭といい、築地と六つの門などからなり、内側は内郭といい、回廊と十二の門からなっています。外郭の門を宮門(きゅうもん)、内郭の門を閤門(こうもん)と呼ぶこともあります。これから見ます画面には、内郭南面の正門となる承明門と、外郭南面の正門となる建礼門が描かれているのです。

これらの門を警護したり、開閉したりするのは、衛府と呼ばれる官司の武官たちです。平安時代には六衛府制となり、近衛府・衛門府・兵衛府の三つに整備され、それぞれ左右に分かれました。そして、守備する場所が分担されたのです。内郭は近衛府、外郭は衛門府、中郭は兵衛府、というように担当が決められました。門の開閉は内側からしますので、承明門は近衛府、建礼門は兵衛府が当たります。

これから読み解きます場面は、第46回で見ました内郭を守備する近衛府に続いて、兵衛府と衛門府の分担が表現されていますので、以上のことを念頭に置いて見るようにしてください。

絵巻の場面 それでは絵巻の場面を確認しましょう。東から西を眺めた構図になっています。画面右方向(北)には紫宸殿があり、天皇は鳳輦(ほうれん。天皇専用の輿)に乗って、これから南の①承明門・②建礼門をくぐって行くことになります。

 この場面では、人々の様子が二通りになっているのがお分かりですか。画面上部に居並ぶ武官たちは静止していますが、手前の人たちはあわただしく動いていますね。これはどうしたことでしょうか。これも六衛府の役割分担にかかわっているのです。

行幸の行列は、天皇の鳳輦を中心として前後に分かれます。前に位置するのが左の衛府、後ろが右の衛府となります。画面手前の武官は南面する天皇から見て左となりますので、鳳輦の前に位置しようとして動いているのです。画面上部の右の衛府は、行列の後ろですので、鳳輦が通過するのを待っているのです。だから静止しています。この点だけでも、行幸の次第や衛府の役割が分かりますね。

承明門 話は反れますが、京都御所の拝観をしたことがありますか。その拝観ルートで、回廊の門の外側から、内部の紫宸殿南面を見ることができます。その門が、画面右側にある①承明門なのです。拝観ルートは外郭と内郭のあいだを通っているわけです。

 承明門は、③石の基壇の上に建てられます。④檜皮葺の屋根に⑤棟瓦を載せ、五間三戸(第50回参照)になっていますが、この図では、はっきりと分かりません。基壇には、北側に二級、南側に⑥三級の石階が付いています。

 承明門の東西は、中央の⑦築地の仕切りによって、内外二つの石壇の通路に分かれる⑧複廊の回廊になっています(第52回参照)。

兵衛たち 次に承明門の南側にいる人々を見てみましょう。二人の黒袍の束帯姿の武官が目立つようにやや大きく描かれています。[ア]西側(画面上部)の人で確認しましょう。Ⓐ緌の付いたⒷ巻纓の冠にⒸ平胡簶を背負ってⒹ弓を持ち、履いているのは縁を赤地で飾ったⒺ靴(第10回参照)です。Ⓕ平緒が下がっていますので、画面には見えませんが太刀を佩いています。典型的な武官の正装ですね。その横に並ぶ人たちとは、あきらかに身分が異なっています。これらの人々は兵衛府の[イ]舎人(下級の武官)で、褐衣姿にⒼ壷胡簶を背負ってⒽ弓を持ち、Ⓘ藁靴になっています。

 それでは、この黒袍の人は誰になるのでしょうか。もうお分かりですね。この場所を守備するのは兵衛府で、西側が右でしたので、この人は長官の[ア]右兵衛督となります。そうしますと、東側で移動している同じ装束の人が[ウ]左兵衛督になります。こちらの[エ]舎人たちは、一緒に移動していますね。

 承明門で建礼門の方を見ている[オ]黒袍の人が見えます。この人は、緌や胡簶が見えませんので文官になり、行幸の進行役になるのでしょうか。階段を駆け上がっている[カ]童は、様子を見に来た衛門督に従う使いでしょう。その他の人たちも行幸の行列が出発しますので、あわただしく往来しています。

建礼門 続いて②建礼門を見ましょう。これも⑨三級の石階のある⑩基壇の上に建っていますが、屋根は違います。⑪瓦屋根で、南側には⑫檜皮葺の廂屋根が付いています。これを出廂と呼びます。屋根の下の妻(側面)は、複雑な飾りとなっています。これは第50回で見ました待賢門の⑬三重虹梁蟇股という構造と同じになりますね。ただし、待賢門は桁(横木)が突き出ていますので、見た目は同じではありません。

 建礼門の東西は⑭瓦を載せた⑮築地になっています。内裏をしっかり区画しているのです。門前の東西にある⑯檜皮葺の小さな建物は、⑰仗舎と呼ぶ左右衛門府の守衛所です。正面に⑱妻戸、その両側の上部は格子状の窓となる⑲連子(檑子とも)、下部は⑳白壁(粉壁とも。ふんぺき)になっています。残り三面も⑳白壁です。

外郭の衛門たち 西の仗舎の横に立つ黒袍の武官は、先の兵衛督と同じ装束ですね。こちらは外郭の外にいますので、[キ]右衛門督になります。左衛門督は、カットした画面左側にいて、すでに騎乗して出発しています。門前には七頭の馬が描かれていますが、五位以上の武官が騎乗することになっていました。馬たちは、何かに驚いたのか、前脚を上げたりして興奮した様子です。それを必死に押さえつけようとしている[ク]口取りたちは、主に白布の狩衣を着た白張と呼ぶ下部たちです。馬のいななきや、叱咤する白張たちの喧騒が聞こえてきそうな門前となっていますね。こうした光景を描くのは『年中行事絵巻』の特徴の一つでした。

 なお、馬具一式を鞍と呼び、当時は様式の違いから唐鞍・大和鞍・移鞍(うつしくら)の三種がありました。ここは移鞍になりますが、その詳細は割愛して、いつか触れることにしたいと思っています。

この画面の意義 今回は第46回の画面の続きでした。二つを並べてみますと、左右の、近衛府・兵衛府・衛門府の役割の違いがわかりますね。それぞれの長官が目立つように描かれていました。そして、役割の違いは、内裏の構造とかかわっていたのでした。絵巻は行幸の次第を描こうとして、おのずと六衛府のことを表現していたのです。衛府の違いも分かるところにこの画面の意義があることになります。

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◆この連載のほかの回をお読みになる方は⇒「絵巻で見る 平安時代の暮らし」目次へ

【筆者プロフィール】

『全訳読解古語辞典』■文:倉田実(くらた・みのる)
大妻女子大学文学部教授。博士(文学)。専門は『源氏物語』をはじめとする平安文学。文学のみならず邸宅、婚姻、養子女など、平安時代の歴史的・文化的背景から文学表現を読み解いている。『三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員。ほかに『狭衣の恋』(翰林書房)、『王朝摂関期の養女たち』(翰林書房、紫式部学術賞受賞)、『王朝文学と建築・庭園 平安文学と隣接諸学1』(編著、竹林舎)、『王朝人の婚姻と信仰』(編著、森話社)、『王朝文学文化歴史大事典』(共編著、笠間書院)など、平安文学にかかわる編著書多数。

■画:高橋夕香(たかはし・ゆうか)
茨城県出身。武蔵野美術大学造形学部日本画学科卒。個展を中心に活動し、国内外でコンペティション入賞。近年では『三省堂国語辞典』の挿絵も手がける。

※本連載の文・挿絵の無断転載は禁じられております

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【編集部から】
三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員の倉田実先生が、著名な絵巻の一場面・一部を取り上げながら、その背景や、絵に込められた意味について絵解き式でご解説くださる本連載。次回は、『年中行事絵巻』の中の、東三条殿での「大臣大饗」のシーンを取り上げる予定です。どうぞお楽しみに。

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◆紙面例:おんやうじ(クリックで拡大)

【『三省堂 全訳読解古語辞典』について】
全国高校からの推薦数NO.1の学習用古語辞典『三省堂 全訳読解古語辞典』〈第四版〉では、ワイドな絵巻型の図版と絵解き式のキャプションを採用。文章からだけでは想像しにくい時代背景や古典常識などを、絵を通して、より具体的に深く学ぶことができます。

 

 

 

学会情報:第50回語彙・辞書研究会

2016年 9月 16日 金曜日 筆者: 辞書ウェブ 編集部

語彙・辞書研究会 第50回記念シンポジウムのお知らせ

語彙・辞書研究会の第50回記念シンポジウムが下記の通り開催されます。

語彙・辞書研究会 第50回記念シンポジウム
「辞書の未来」

日時:2016年11月12日(土) 13時15分~17時
場所:新宿NSビル 3階 3J会議室
   (東京都新宿区西新宿2-4-1) 電話03-3342-4920

【第1テーマ】
日本語母語話者に必要な国語辞書とは何か
 [パネリスト]
  小野正弘(明治大学教授)
  平木靖成(岩波書店辞典編集部副部長)

【第2テーマ】
紙の辞書に未来はあるか
―これからの「辞書」の形態・機能・流通等をめぐって

 [パネリスト]
  林 史典(聖徳大学教授)
  神永 暁(小学館「辞書・デジタルリファレンス」プロデューサー)

※両テーマとも、一般の御意見を事前に募集いたします。詳しくは、以下のページをご覧ください。
→ 第50回 記念シンポジウム「辞書の未来」

参加費:【一般】1,800円 【学生・院生】1,200円
    (会場費・予稿集代等を含む)
*事前のお申し込みは必要ありません。
 当日会場受付でお手続きください。
*研究会に参加なさらずに予稿集のみご希望の方は、事務局にご連絡ください。

(事務局)
〒101-8371 東京都千代田区三崎町2-22-14
三省堂出版局内 語彙・辞書研究会事務局

詳しくは、語彙・辞書研究会のウェブサイト(http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/affil/goijisho/index.html)をご覧ください。


人名用漢字の新字旧字:韓国の人名用漢字は違憲か合憲か(第4回)

2016年 9月 15日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

韓国の人名用漢字は違憲か合憲か(第4回)

第3回からつづく)

合憲派(法廷意見)は「名に通常使われない難しい漢字」の問題点に関して、以下の主張を展開しています。

漢字は象形文字・表意文字としての特性があり、中国はもちろん漢字文化圏に属した各国で過去永らく漢字を使ってきたことから、各国ごとに異なる字を作るなどの理由で、我々固有の文字であるハングルとは違い、その数が膨大で、範囲が不明だという特徴がある。
我が国は1948年に「ハングル専用に関する法律」(2005年1月27日法律第7368号「国語基本法」制定により廃止)を制定・公布して以来、おおむねハングル専用政策を主軸とし、漢字は漢字語の理解を助けるための補助道具として制限的に使用してきた。小中等教育課程においても漢字教育を必修科目に編成しておらず、漢字になじむことなく育った人々が増加している。
このような状況で、名に通常使われない漢字を使用すると、誤字が家族関係登録簿に登載される危険があり、日本式漢字など人名に不適合な漢字が使われる可能性が増大して、子の成長と福利に障害要素として作用する可能性も排除しがたく、その子と社会的・法律的関係を結ぶ人々が、その名を認識して使うのにも相当な不便を強いられることとなる。

これに対し、違憲派(反対意見)は、こう反論します。

我が国は1948年に「ハングル専用に関する法律」を制定・公布して以来、ハングル専用政策を主軸とし、全ての法令および公文書がハングル使用を原則としている。過去、戸籍簿に氏名を漢字のみで登載していた者も、1994年7月11日の旧戸籍法施行規則改正でハングルと漢字を併記するよう変更され、現行の家族関係登録簿でも「홍길동(洪吉童)」のようにハングルと漢字を併記している。また、現在の金融や不動産取引など各種司法上の法律関係においても、個人の同一性を識別し身分確認をおこなう際には、ハングルの氏名および住民登録番号を記載するのが通例であり、氏名を漢字のみで記載する場合は稀有である。したがって、名に通常使われない難しい漢字を使用すると言っても、それにより当事者や利害関係人が何の不便を被るということなのか理解しがたい。誤読の危険があるという理由で、名に使える漢字を制限するのも、説得力ある理由とはならない。初・中等教育課程で漢字教育を必修科目に編成していない現在の教育システムによる教育を受けた人々の場合、「人名用漢字」であっても、これをよく知った上で使用しているとみなすには難があるからである。

この論点に関して、筆者は、合憲派の不勉強を指摘せざるを得ません。「日本式漢字など人名に不適合な漢字」の「日本式漢字」が何を意味するのか、正確には理解しにくい文章なのですが、仮に「峠」や「笹」のような日本の国字を指しているのだとすると、これら2字は、すでに韓国の人名用漢字8142字に含まれています。あるいは「広」「徳」「頼」「歩」「穂」「児」「亜」「厳」「海」「顕」「恵」「勲」のような日本の当用漢字字体表由来の漢字を指しているのだとすると、少なくともこの12字は、すでに韓国の人名用漢字8142字に含まれています。なぜ、ここで合憲派が「日本式漢字」を引き合いに出す必要があったのか、筆者としては非常に疑問の残る部分です。

第5回につづく)

【筆者プロフィール】

安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

http://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。


お知らせ:『やさしく言いかえよう 介護のことば』遠藤織枝先生のイベント情報

2016年 9月 14日 水曜日 筆者: 辞書ウェブ 編集部

9月17日(土)に、『やさしく言いかえよう 介護のことば』共著者の遠藤織枝先生がゲストとしてご参加なさるイベントが予定されています。
以下、イベント主催者の「コトノハカフェ」さんのウェブサイトより転載いたします。

【開催概要】
日時:2016年9月17日(土) 14:00〜16:30(開場13:30)
会場:バルト(東京・阿佐ヶ谷)
参加費:1000円(飲み物つき)
定員:30 名

【内容】
 私たちは一生を通じて医療や看護を受け,家族や自身の介護を経験します。しかし,そこでは褥瘡(じょくそう),糜爛(びらん),嘔気(おうき),臥位(がい),円背(えんぱい),誤嚥(ごえん),レスパイトケア,トランスファー,アサーティブといった難しすぎる用語が使われています。
 難しいのは専門用語だから仕方がないのでしょうか。二つの問題があるように思われます。
 一つは,患者やその家族自身に,病気・怪我やその治療について理解することが求められる時代において,言葉がその妨げになることです。
 もう一つは人材育成を困難にすることです。看護師や介護福祉士は深刻な不足が懸念されており,外国人も含めた多様な人びとの中から養成することが求められています。
 しかし,2008年に始まった経済連携協定による外国人看護師・介護福祉士人材育成事業では言葉の壁の大きさが浮き彫りになりました(看護師国家試験は合格者ゼロでスタート)。
 今回は,日本語教育の専門家として,介護の現場,教科書,国家試験で使われる日本語を調査・研究し,やさしく分かりやすい言葉への言い換えを提案する本を出された遠藤織枝さんをゲストにお迎えし,どのような言葉の問題があるのか,どのように解決できるのかについて伺います。
 また,医療・看護・介護の言葉についての皆さんの体験やご意見もお聞かせください。

【ゲストプロフィール】
遠藤織枝(えんどうおりえ)
1938年生まれ。日本語教育・社会言語学専攻。長年留学生の日本語教育に携わってきたが,日本政府が各国と提携したEPA(経済連携協定)に基づいて2008年にインドネシアからの看護師・介護福祉士候補者を迎えてから,突然介護の日本語教育に飛び込むことになった。付け焼刃で介護の日本語を研究する過程で,その用語のわかりにくさ・難しさに直面した。このまま外国人介護従事者に教えることの矛盾を感じ,その平易化を考えるようになっている。介護のことばの平易化を主張した著書に,『やさしく言いかえよう 介護のことば』共著,三省堂(2015)がある。

参加のお申し込みや、詳しい情報は「コトノハカフェ」さんのウェブサイト内
第3回「難しい医療・看護・介護の言葉をやさしく」のページへ。

『やさしく言いかえよう 介護のことば』の書誌情報は以下のページへ。目次や見本ページのPDFがあります。
『やさしく言いかえよう 介護のことば』


モノが語る明治教育維新 第2回

2016年 9月 13日 火曜日 筆者: 唐澤 るり子

モノが語る明治教育維新 第2回

 近代教育の夜明け前、寺子屋についてお話ししましょう。
 明治維新で西洋化が進んだのは、何といっても教育の分野でしょう。日本という国家を民に認識させ、一刻も早く国の為になる有用な人材を育成する、そのために為政者は急ピッチで学校制度を整えたのです。具体的な事物を紹介する前に、今回はまず、比較の意味で維新前の教育の実態を寺子屋に見てみます。

 当館の寺子屋は天保13年開塾の栃木県真岡市にあった精耕堂のものが中心です。創設者村上政七は名主の長子として生まれ、文筆算法、易学を学びますが、生家を弟に譲り質屋を営みながら寺子屋を開業、真岡木綿で栄えた土地柄、商工業の子弟を多く教えました。残存している入門帖を見ると、明治31年の入校を以て廃校になるまで親子三代、半世紀にわたって千人以上の寺子を迎えています。入門は随時可能ですが、江戸期に限り入門月を見ると、二月初午の倣い(二月最初の午の日に入門する慣習のこと)の通り2月が最も多く、次いで1月、この両月で約4割を占めています。

(写真はクリックで拡大)

 天神机と呼ばれる手習い用の小さな机と往来物(教科書)、草紙(ノート)、文具(墨、硯、筆、水滴)を収めた文庫は自前で用意し、入門の際には担いで運んだそうです。先輩の寺子たちに配るおせんべいやお菓子などの手土産まで、入門者の親が準備をしました。師匠と呼ばれる先生はその子の力量、生業を斟酌(しんしゃく)し七千種はある往来物の中から選び指導します。その学びは、精耕堂の看板が「筆跡稽古所」とあるように、手習いが中心でしたが、希望者には漢書の素読や算術も教え、師匠自ら画手本を描き絵の指導までしています(写真1の梁に並ぶ絵が師匠、寺子の作品です)。

 年齢も学力もまちまちですから、教授法は個別指導です。「お師匠様は羽織袴で座布団に座り、大きな机を前にした。塾生は一人ずつ机の前に進み座って教えを受ける」という、門弟だった人の談話が残されています。自然発生的に誕生した寺子屋は束脩(そくしゅう)と呼ばれる入門時の贈物と実費(冬季の炭代、畳代、お手本代など)、心ばかりの謝礼で営まれることが多く、師匠への敬愛の念が生涯続いたことは、全国の筆子塚(師匠のために寺子が建てたお墓や顕彰碑のこと)を見ても分かります。ちなみに明治の学校は受益者負担が原則で、『学制』94条に小学校は1か月50銭、もしくは25銭の授業料を徴収するとあります。学校開設後も授業料が安く、実学重視の寺子屋の人気は高く、布告によりいったんは閉塾した精耕堂も親の希望により再開し、公立小学校の授業料が廃止された明治33年頃、その役目を終えました。

*

写真は上から

【1】 (文章中)
奥の机が精耕堂の師匠が使用したもの。寺子は対面で教わるため、師匠は倒書(子どもから見てわかるように逆さまに字を書くこと)が出来る人が多かった。寺子屋では学問の神様、天神様の掛け軸などを掛け学問成就を祈願した。

【2】
文庫(文箱ともいう)上段に筆記用具、下段に教科書、ノートと自分の学習用品はすべてこの中に収納。勉強が終わると、部屋の隅に天神机を重ね、その隙間に文庫を収める。空間利用がなかなか上手。

【3】
「御家 筆跡稽古所 精光堂」と書かれた寺子屋の看板。御家とは書道の流派で、公文書に用いられた御家流のこと。師匠が二代目に代替わりしてから、精耕堂の「耕」の字が「光」に書き替えられた。

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◆この連載の目次は⇒「モノが語る明治教育維新」目次へ

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【筆者プロフィール】

『図説 近代百年の教育』

唐澤るり子(カラサワ・ルリコ)

唐澤富太郎三女
昭和30年生まれ 日本女子大学卒業後、出版社勤務。
平成5年唐澤博物館設立に携わり、現在館長
唐澤博物館ホームページ:http://members3.jcom.home.ne.jp/kmuseum/
唐澤富太郎については第1回記事へ。

※右の書影は唐澤富太郎著書の一つ『図説 近代百年の教育』(日本図書センター 2001(復刊))

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【編集部から】

東京・練馬区の住宅街にたたずむ、唐澤博物館。教育学・教育史研究家の唐澤富太郎が集めた実物資料を展示する私設博物館です。本連載では、富太郎先生の娘であり館長でもある唐澤るり子さんに、膨大なコレクションの中から毎回数点をピックアップしてご紹介いただきます。「モノ」を通じて見えてくる、草創期の日本の教育、学校、そして子どもたちの姿とは。
更新は毎月第二火曜日の予定です。


人名用漢字の新字旧字:韓国の人名用漢字は違憲か合憲か(第3回)

2016年 9月 8日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

韓国の人名用漢字は違憲か合憲か(第3回)

第2回からつづく)

韓国の人名用漢字は、最初から8142字だったわけではありません。この点について決定文は、以下のように述べています。

「人名用漢字」が当初導入された時点では「漢文教育用基礎漢字」を含め合計2,731字が「人名用漢字」に指定されていたが、その後9回にわたる規則改正で「人名用漢字」の範囲がどんどん拡大し、現在は合計8,142字が「人名用漢字」に指定されている。

ただ、「その後9回にわたる規則改正」という部分については、筆者は疑問を感じます。筆者が調べた限り、人名用漢字に関する大法院規則の改正は、以下のようになっているからです。

規則番号 官報公示日 収録字数 施行日
第1137号 1990年12月31日 2731字 (施行されず)
第1159号 1991年3月29日 2915字 1991年4月1日
第1312号 1994年7月11日 3025字 1994年9月1日
第1484号 1997年12月2日 3124字 1998年1月1日
第1680号 2001年1月4日 4879字 2001年1月4日
第1848号 2003年9月17日 4875字 2003年10月20日
第1911号 2004年10月18日 5034字 2005年1月1日
第2069号 2007年2月15日 5174字 2007年2月15日
第2119号 2007年11月28日 5172字 2008年1月1日
第2181号 2008年6月5日 5176字 2008年6月5日
第2263号 2009年12月31日 5454字 2010年3月1日
第2470号 2013年6月5日 5761字 2013年7月1日
第2577号 2014年12月30日 8142字 2015年1月1日

1990年12月31日改正の大法院規則第1137号では、翌1月1日に予定されていた人名用漢字の施行が延期され、その次の大法院規則第1159号が1991年4月1日に施行されて、人名用漢字2915字が導入されました。その後、どうみても11回の改正がおこなわれて、現在の8142字に至っているのです。まあ、収録字数が減った改正(重複字を削除)が2回ほどあるので、それを数えたくないのかもしれません。

ここで決定文は、大きく2つに分かれます。「人名用漢字は合憲である」と主張する合憲派と、「人名用漢字は違憲である」と主張する違憲派とに分かれるのです。実際には、合憲派の意見は「法廷意見」として、違憲派の意見は「反対意見」として、それぞれまとめて書かれているのですが、ここでは、それぞれの意見をぶつけあう形で見ていくことにしましょう。合憲派は、以下のように主張します。

漢字は、その数が膨大で、その範囲が不明で、一般国民がこれを全部読んで使うには困難がある。審判対象条項は、名に通常使われない難しい漢字を使う場合、誤読あるいは誤字などによって当事者と利害関係人が被る不便を解消し、家族関係登録業務が電算化されるにあたり、名に使われる漢字は電算システムで全て表現されなければならない点を考慮して、名に使える漢字を通常使われる漢字に制限したのであるから、その立法目的の正当性および手段の適合性が認められる。

これに対し、違憲派がいきなり噛みつきます。

審判対象条項は、1990年12月31日戸籍法改正で初めて導入されたもので、それ以前は、子の名に使える漢字の範囲には何の制限も無かった。したがって沿革的に見ても、漢字の数が膨大でその範囲が不明だという事実から、通常使われない難しい漢字を名に書けないよう制限せねばならないという結論が、導き出されるわけではない。

韓国の人名用漢字は、実際には3ヶ月遅れで1991年4月1日から開始されたのですが、それ以前は、子の名づけに使える漢字に制限はありませんでした。日本に比べると、韓国の人名用漢字による制限は、ごく最近はじまったものなのです。

第4回につづく)

【筆者プロフィール】

安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

http://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。


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