『日本国語大辞典』をよむ

第115回 謎の接尾語

筆者:
2024年2月25日

『日本国語大辞典』の見出し「あつぼったい」には次のように記されている。

あつぼった・い【厚─】〔形口〕[文]あつぼった・し〔形ク〕(「ぼったい」は接尾語)(1)厚くてふくらみを感じさせるさまである。多く、紙、織物、唇などについていう。*滑稽本・浮世風呂〔1809~13〕四・上「厚(アツ)ぼってへ綿頭巾は、血気盛(けっきさかん)の壮夫(わかいもの)が、襟へ巻たり天窓(あたま)を包だりする」*泥人形〔1911〕〈正宗白鳥〉一「厚ぼったい外套を脱いで」*或る女〔1919〕〈有島武郎〉前・一九「厚ぼったい唇を震はせながら」(2)何となく腫(は)れているような感じがする。また、厚くて重たい感じがする。*黴〔1911〕〈徳田秋声〉五七「舌にいらいらする昨夕の酒に、顔の皮膚がまだ厚ぼったく熱(ほて)ってゐて」*野火〔1951〕〈大岡昇平〉二三「生物の体温を持った、厚ぼったい風が一日吹き続けると、雨が木々の梢を鳴らし、道行く兵士の頭に落ちて来た」 補注 まれに「あつぽったい」の例も見られる。「桑の実〈鈴木三重吉〉二三」の「蒲団の厚ぽったい手触りに」や「苦の世界〈宇野浩二〉三・四」の「上脣が少しうはそり加減である上にすこしあつぽったかった」など。

「ボッタイ」が接尾語であることは、言われてみればそうであるが、接尾語とあまり意識していなかったことに気づいた。「浮世風呂」の使用例があげられているので、江戸時代にはすでに使われていたことになるが、明治期の例が多くあげられている。「補注」には「アツッタイ」の例が2例あげられているので、誤植ではないだろうが、誤植でないとすると、「アツボッタイ」「アツポッタイ」2つの語形が明治時代に使われていたことになるので、それはそれで考える必要があるが、今はこのことについては措くことにしたい。

『日本国語大辞典』では「ぼったい」も見出しになっている。

ぼった・い〔接尾〕(形容詞型活用)形容詞の語幹や動詞の連用形に付いて、いかにもそういう状態である、そういう感じであるの意を表わす。「厚ぼったい」「腫れぼったい」など。

「アツボッタイ」は形容詞「アツシ」の語幹に接尾語「ボッタイ」が下接したことになる。接尾語という以上、他の形容詞の語幹にも下接するかというと、そうでもない。上では「厚ぼったい」「腫れぼったい」が例としてあげられている。「ぼったい」を後方一致で検索してみると、方言の3例と接尾語「ボッタイ」の例を除いて、「あせぼったい(汗)」「あつぼったい(厚)」「あつぼったい(熱)」「くらぼったい(暗)」「はれぼったい(腫)」「むせぼったい(噎)」「やすぼったい(安)」「やせぼったい(痩)」「やぼったい(野暮)」9件がヒットする。「ヤボッタイ」は「ヤボ(野暮)」に接尾語「タイ」が下接したものであるので、これは接尾語「ボッタイ」ではない。『日本国語大辞典』は結局、8つの「~ボッタイ」を見出しにしていることがわかる。

一つの比較として、『広辞苑』第七版を調べてみると、「アツボッタイ(厚)」「ハレボッタイ(腫)」以外の6語は見出しになっていない。現代日本語においては、「ボッタイ」という接尾語が下接している語はおおむね2つということになりそうだ。接尾語としては、あまり「活躍」していないと言わざるをえない。「アセボッタイ」「クラボッタイ」は初めて接する語であるが、『日本国語大辞典』には次のようにある。

あせぼった・い【汗─】〔形口〕汗でべたつく感じである。*放浪時代〔1928〕〈龍胆寺雄〉二・二「彼女は寝返って、焼けた華奢な臑を汗(アセ)ぼったく僕の脚へからませた」

くらぼった・い【暗─】〔形口〕[文]くらぼった・し〔形ク〕(「ぼったい」は接尾語)暗い感じである。*読書放浪〔1933〕〈内田魯庵〉銀座と築地の憶出・二「其の頃の油絵はビチューム一点張りの暗ぼったい画であった」*空気頭〔1967〕〈藤枝静男〉「自分の眼には地平線上にひろがる空がまるで薄幕をすかして見るように暗ぼったく写るのを不快に感じた覚えがありました」*試みの岸〔1969~72〕〈小川国夫〉試みの岸「あんたが暗ぼったい人間になるのは、矢張りよかない」

「あせぼったい」では龍胆寺雄の「放浪時代」のみが使用例としてあげられている。「くらぼったい」では内田魯庵、藤枝静男、小川国夫三人の使用例があげられている。「くらぼったい」は「暗い感じである」と説明されているが、接尾語「ボッタイ」の意味は「感じである」ということなのだろうか。「アツボッタイ」「ハレボッタイ」しか使わないためか、筆者の「ボッタイ」の語感には「ボッタイ」から感じる〈ぼったりした量感〉のようなものが含まれている。その筆者の語感からすると「アセボッタイ」は「べたつく感じ」が「ボッタイ」と呼応しているように感じるが、「クラボッタイ」は「ボッタイ」はどこにいってしまった?という感じを受ける。もとより、筆者の語感であるから、多くの人がそう感じているかどうかは不分明としかいいようがないが、とにかく筆者としてはそう感じる。

そもそも「ボッタイ」には促音が含まれているが、「ボタイ」を強調した形というわけでもないだろう。「ボッタイ」自体が謎といえば謎である。わからないことが少なくない。

筆者プロフィール

今野 真二 ( こんの・しんじ)

1958年、神奈川県生まれ。高知大学助教授を経て、清泉女子大学教授。日本語学専攻。

著書に『仮名表記論攷』、『日本語学講座』全10巻(以上、清文堂出版)、『正書法のない日本語』『百年前の日本語』『日本語の考古学』『北原白秋』(以上、岩波書店)、『図説日本語の歴史』『戦国の日本語』『ことば遊びの歴史』『学校では教えてくれないゆかいな日本語』(以上、河出書房新社)、『文献日本語学』『『言海』と明治の日本語』(以上、港の人)、『辞書をよむ』『リメイクの日本文学史』(以上、平凡社新書)、『辞書からみた日本語の歴史』(ちくまプリマー新書)、『振仮名の歴史』『盗作の言語学』(以上、集英社新書)、『漢和辞典の謎』(光文社新書)、『超明解!国語辞典』(文春新書)、『常識では読めない漢字』(すばる舎)、『「言海」をよむ』(角川選書)、『かなづかいの歴史』(中公新書)がある。

編集部から

現在刊行されている国語辞書の中で、唯一の多巻本大型辞書である『日本国語大辞典 第二版』全13巻(小学館 2000年~2002年刊)は、日本語にかかわる人々のなかで揺らぐことのない信頼感を得、「よりどころ」となっています。
辞書の歴史をはじめ、日本語の歴史に対し、精力的に著作を発表されている今野真二先生が、この大部の辞書を、最初から最後まで全巻読み通す試みを始めました。
本連載は、この希有な試みの中で、出会ったことばや、辞書に関する話題などを書き進めてゆくものです。ぜひ、今野先生と一緒に、この大部の国語辞書の世界をお楽しみいただければ幸いです。