中学校の国語教科書で、印象に残っている作品はありますか?
うーん、国語の教科書は好きだったのですが、どんなのがあったかなあ……。
魯迅の「故郷」は当時のすべての教科書に掲載されていたはずなのですが、ご記憶にはありませんか?
「故郷」? 覚えていないですね、やらなかったのかな。
教科書にはあっても、先生が授業で取り上げなかったということもありますね。「チャー」とか「さすまた」とかいうのが出てくるんですが……。
あー、ありました、あった気がする。国語の教科書は、渡された時にまっさきに全部読んでいたんです。魯迅は「故郷」ではなくて「阿Q正伝」だったような気がするけれど、でも、それは教科書で読んだのではなかったかもしれないですね。他にはどんなものがありますか?
一年生では、ヘルマン・ヘッセの「少年の日の思い出」とか、芥川龍之介の「トロッコ」などですね。
「トロッコ」はやった気がします。でも、ヘッセは覚えていない。
友達の蝶の標本をぬすんでしまう話です。
中学の時はまだ物心ついていなかったのかな(笑)。あまり覚えていない。
でも、三浦さんは中学生の時から、檀一雄のような大人の小説を読んでいらっしゃったのですよね。きっと、どれが教科書の中の作品で、何がご自身で入手して読まれた作品かが……。
ごっちゃになっているということはありますね。
国語の授業についてはどうでしたか?
国語の授業が一番好きだったんですよ。でも、授業中はずうっとノートに絵を描いていました。それはまったく授業と関係ない絵ではなくて、勝手に挿絵的なものをノートに描いていた。ここはこんな情景だろうなとか。たとえば、カポネという名の犬はブルドックなんですが、そうした絵を描いていたんです。
中学生の時にレポート用紙いっぱいに自作のお話を書かれたということを雑誌で読んだのですが……。
ああ、それは村上春樹の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』をちょうど読んだ頃で、それまでああいう話を読んだことなかったんですね。すごいと思って、自分でもハードボイルドを書こうと思ったんです。それで、レポート用紙二〇枚ぐらい書いて、「よし、できたぞ」って満足した。全然できてない、とんでもない代物だったのに(笑)。
もしかして、三浦さんは授業にあまり積極的に参加する生徒さんではなかったのでは? 本好きで四月に教科書をもらったらすぐ自分で全部読んでしまって、授業中は絵を描いたりしているというような。
こう言っては叱られるかもしれませんが、国語の授業って、そんなに熱心に聞かなくてもいいじゃないですか。英語とか数学は熱心に聞かないとわからない。というか、熱心に聞いてもまったく理解できなかったんですけど、国語の授業って、漢字とかはいちおう正解がありますけど、小説などの場合は「みなさんはどうですか?」って聞かれて、それぞれ意見があるじゃないですか。「私はこう思った」みたいな、そういう友達の意見を「ああ、そうか」って聞いてぼんやり考えていればいいから、楽しかったです。
数学の授業はよくわからない公式とかを覚えさせられて、それを使って証明しなさいとか言われて、意味がわからなくて「もう無理!」と思いましたから。英語も、高校までの英文和訳とかって、解釈がどうこうっていうようなレベルじゃないですよね。数学と同じように、関係代名詞がこうだからこうなるっていうように訳さなきゃいけない。まったくわからなくてつらくて。そういう教科と違って国語の授業は正解がないからいいと思ったんです。
でも、中学生になると、期末テストなどの定期考査がありますよね。授業では、たとえば登場人物の気持ちは自由に解釈していいことになっていても、ペーパーテストではどうしても採点上、答えを一つ選ぶ選択式の問題が多くなるという現状があると思うんです。三浦さんはそれは?
それはなんとかできました。それはそれ、これはこれという感じで。「消去法でいったらこれだろう」みたいに選択肢を選べばいいじゃないですか。もちろん間違えることもあるけれど。何字以内で答えなさいというのも、ある一節を「○○だったから。」にすればいいというような、答え方の型があるじゃないですか。質問も答えも読める文字で、自分が読み書きできる言葉だというのがありがたくて。数学は数字というものの意味がわからなくて、だめなんですよ。英語にしても、質問が日本語だとしても英語で答えなきゃいけなかったりして、意味がわかんないってずっと思っていました。だから国語とか社会とか、日本語で読み書きできるものはとっつきやすくて。とくに国語は、テスト勉強にしてもとくに何をするっていうものでもないじゃないですか。漢字や古文の文法は覚えたほうがいいんでしょうけど、その他は暗記しなくてはいけないというのはないですから。