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『日本国語大辞典』をよむ―第34回 「に同じ」

2018年 5月 20日 日曜日 筆者: 今野 真二

第34回 「に同じ」

『日本国語大辞典』をよんでいると時々「に同じ」に出会う。例えば次のような見出し項目の語釈中に「に同じ」とある。

あいくろしい【愛―】〔形口〕[文]あいくろし〔形シク〕(「くろしい」は接尾語)「あいくるしい」に同じ。

あいこうしゃ【愛好者】〔名〕「あいこうか(愛好家)」に同じ。

あいこくきって【愛国切手】〔名〕「あいこくゆうびんきって(愛国郵便切手)」に同じ。

あいじょ【愛女】〔名〕「あいじょう(愛嬢)」に同じ。

アイスアックス〔名〕({英}ice ax(e))「ピッケル」に同じ。

アイストング〔名〕({英}ice tongsから)「こおりばさみ(氷挟)」に同じ。

あいつぼ【藍壺】〔名〕「あいがめ(藍瓶)」に同じ。

あいづぼん【会津本】〔名〕「あいづばん(会津版)」に同じ。

あいびん【哀愍・哀憫】〔名〕「あいみん(哀愍)」に同じ。

アウトグループ〔名〕({英}outgroup)「がいしゅうだん(外集団)」に同じ。

 上に10例を示したが、いろいろな「に同じ」がありそうなことがわかる。辞書である語Yを調べて「Xに同じ」にゆきあたるとちょっとがっかりするかもしれない。そこにはたいてい語釈が記されておらず、見出しXを改めて調べないといけないことが多いからだ。すぐそばに見出しXがあればいいが、見出しYと離れたところにある場合は、「ちょっとめんどうだな」と感じることがある。1冊の辞書の中でもそうなのだから、全13冊である『日本国語大辞典』の場合は、別の巻になってしまうことがあり、なおさらそのように感じるかもしれない。しかし、これはしかたがないことだろう。

 見出しYには語釈が置かれておらず、見出しXを参照することが指示されているという場合、見出しYを「参照見出し」、見出しXを「本見出し」と呼ぶことがある。「参照見出し」はもちろん参照用の見出しということで、これを置くことによって、辞書内の見出し項目同士がより緊密に結びつくことになる。しかしその一方で、上のような、辞書使用者の「ちょっとめんどうだな」につながることもある。見出し「あいづぼん」を使って、もう少し具体的に考えてみよう。「あいづぼん」は「あいづばん(会津版)」の参照を指示している。「あいづばん」の語釈中に「直江板」がみられるので、「なおえばん」及び「なおえぼん」、さらには「ようぼうじばん」もみてみることにする。

あいづばん【会津版】〔名〕慶長年間に上杉景勝の家臣直江山城守兼続が会津米沢で銅活字を用いて刊行した書籍。慶長一二年(一六〇七)に刊行された「文選」は名高い。普通には直江板という。会津本。

なおえばん【直江板】〔名〕江戸時代、慶長一二年(一六〇七)、直江兼続がわが国で初めて銅活字を用いて印刷させた書籍。要法寺板。直江本。

なおえぼん【直江本】〔名〕「なおえばん(直江板)」に同じ。

ようぼうじばん【要法寺版】〔名〕版本の一つ。慶長年間(一五九六~一六一五)、京都要法寺で、一五世日性が刊行した銅活字の版本。「文選」「論語集解」「沙石集」「和漢合運図」「法華経伝記」「天台四教儀集註」「元祖蓮公薩埵略伝」などがある。

 上の各見出し項目をみる限りでは、見出し「なおえばん」と「ようぼうじばん」との関わりがわかりにくいのではないだろうか。見出し「なおえばん」には何らの説明なく、「要法寺板」とあるので、それこそ「同じものかな」と思いそうだが、見出し「ようぼうじばん」には直江板、直江本とどうかかわるかが記されていない。『日本古典籍書誌学辞典』(一九九九年、岩波書店)を調べてみると、直江兼続は京都の要法寺に依頼して直江板を作っていたことがわかる。見出し「ようぼうじばん」にそのことを記す必要がないのだとすれば、見出し「なおえばん」の語釈において「京都要法寺に依頼して作成していた」というようなことを記しておくか、あるいはもうそのことにはまったくふれないか、どちらかだろうか。『日本国語大辞典』のように規模が大きい辞書の見出し項目同士のつながりを整えようとするとかなり大変そうだ。そうした調整は地味ではあろうが、辞書使用者にとっては、ありがたい調整といえよう。もっと細かいこととしていえば、「なおえばん」の語釈には「要法寺板」とあり、見出し「ようぼうじばん」に添えられた漢字列は「要法寺版」であるといった点も気にならないではない。

 さて、直江兼続が、京都の要法寺に依頼して作った古活字版のことを「あいづばん(会津版)」と呼んだり、「あいづぼん(会津本)」と呼んだり、あるいは「なおえばん(直江板)」と呼んだり、「なおえぼん(直江本)」と呼んだりすることがある、ということだろう。それは「呼ばれているもの」が同じ、ということだ。「あいづばん(会津版)」を説明するならば、「会津で出版された版本」、「なおえばん(直江板)」を説明するならば、「直江兼続が出版にかかわった版本」ということだろうから、説明のしかた、つまり「観点」が異なる。言語表現は「観点がすべて」というと言い過ぎになるだろうが、それでもそういう面がたぶんにある。「ものが同じなんだからどう表現しても同じ」というのは少し乱暴な感じがする。これはある地域で昆虫の「カマキリ」を「カマギッチョ」と呼ぶということとは異なる。それは一般的には「方言」ととらえられている現象で、(そこに「観点」がからんでいることはあるが)言語の地域差とみる。

 「同じ」ということはどういうことなのだろう、と考え始めると、それが奥深い問いであることに気づく。辞書をよむことによって、哲学的な思索に導かれることもありそうだ。

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※特に出典についてことわりのない引用は、すべて『日本国語大辞典 第二版』からのものです。引用に際しては、語義番号などの約物および表示スタイルは、ウェブ版(ジャパンナレッジ http://japanknowledge.com/)の表示に合わせております。

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【筆者プロフィール】

今野真二(こんの・しんじ)

1958年、神奈川県生まれ。高知大学助教授を経て、清泉女子大学教授。日本語学専攻。

著書に『仮名表記論攷』、『日本語学講座』全10巻(以上、清文堂出版)、『正書法のない日本語』『百年前の日本語』『日本語の考古学』『北原白秋』(以上、岩波書店)、『図説日本語の歴史』『戦国の日本語』『ことば遊びの歴史』『学校では教えてくれないゆかいな日本語』(以上、河出書房新社)、『文献日本語学』『『言海』と明治の日本語』(以上、港の人)、『辞書をよむ』『リメイクの日本文学史』(以上、平凡社新書)、『辞書からみた日本語の歴史』(ちくまプリマー新書)、『振仮名の歴史』『盗作の言語学』(以上、集英社新書)、『漢和辞典の謎』(光文社新書)、『超明解!国語辞典』(文春新書)、『常識では読めない漢字』(すばる舎)、『「言海」をよむ』(角川選書)、『かなづかいの歴史』(中公新書)がある。

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【編集部から】

現在刊行されている国語辞書の中で、唯一の多巻本大型辞書である『日本国語大辞典 第二版』全13巻(小学館 2000年~2002年刊)は、日本語にかかわる人々のなかで揺らぐことのない信頼感を得、「よりどころ」となっています。
辞書の歴史をはじめ、日本語の歴史に対し、精力的に著作を発表されている今野真二先生が、この大部の辞書を、最初から最後まで全巻読み通す試みを始めました。
本連載は、この希有な試みの中で、出会ったことばや、辞書に関する話題などを書き進めてゆくものです。ぜひ、今野先生と一緒に、この大部の国語辞書の世界をお楽しみいただければ幸いです。隔週連載。

2018年 5月 20日