フィールド言語学への誘い:ザンジバル編 第5回 調査準備2:話者に出会うまで

2018年 2月 16日 金曜日 筆者: 古本 真

フィールド言語学への誘い:ザンジバル編 第5回 調査準備2:話者に出会うまで

 スーツケースに必要な物を詰め込んで、フィールドに乗り込んだとしても、すぐさまフィールドワークを始められるわけではありません。フィールド言語学にとって最も重要なもの、その言語を教えてくれる話者[注1]はどのように探し出せばいいのでしょうか。今回は、私がいかにしてフィールドにたどり着き、話者に出会ったのかについてお話ししたいと思います。

 ザンジバルでの調査は、調査許可と在留許可[注2]の2つの政府からの許可を取得するところから始まります[注3]。公式に調査をするためには、こうした許可が必ず必要となります。この2つは高い、時間がかかる(2つ合わせて取得に1か月以上)、手続きのプロセスが不明瞭というデメリット[注4]ばかりでなく、話者を紹介してもらえる(かもしれない)というメリットもあります。

 私の本格的なフィールドワークは、調査許可取得のために訪れた古文書館から始まりました。調査計画書のKimakunduchi(マクンドゥチ方言)という単語を目にした古文書館のおばちゃんスタッフは突然笑い出し、何をするかと思えば、マクンドゥチ郡出身の両親をもつという別の女性スタッフを呼びに行ってくれました。そしてこの女性スタッフの第一声は「じゃあ、マクンドゥチにはいつ一緒に行くの?」。私がフィールドにたどり着くことができたのは、彼女が連れて行ってくれたからだし、私の今の滞在先(この女性スタッフの姉の夫の弟の家)は、彼女が幾人もの人に連絡して探し出してくれたものです。つまり、今の私のフィールドワークはこの出会い(というかこの女性スタッフ)がなければ、なかったと言っても過言ではありません。

 ここでおもしろいのは、この古文書館、その名の通り、古文書を保存、管理する機関で、本来フィールドワークとはまったく関係がないというところです(そのことには、だいぶあとになってから気づきました)。ザンジバルの人は初対面のときはとてもシャイですが、悪いやつじゃない、おもしろそうなやつだと分かれば、とたんに心を開いて、自分の本当の仕事でなくても、親身になって助けてくれます。私の場合は、マクンドゥチ方言を調査したいということがポイントだったのかもしれません。外国人が、普通のスワヒリ語のみならず、方言を話すというのは相当に現地の人の興味を引くようです。


マクンドゥチへ向かうバス

 そして、ザンジバルの人は、人と人とのつながりを非常に重視します。いったんある人との間に信頼関係が出来れば、そのあとの話者探しは、その人からの紹介で非常にスムーズにいきます。「こんな感じ(昔話が上手、暇 etc.…)の人を探してるんだけど」なんて滞在してる家のお父さんやお母さんに言えばすぐに近所で探してきてくれます。それどころか、「トゥンバトゥ(ウングジャ島の北側にある小島)に行きたいと思ってるんだけど、まだ泊めてくれる人みつかってないんだよね」とマクンドゥチ(ウングジャ島の南側)の家のお母さんに言ったら、おそらく唯一のつてをたどり、滞在先を探して「日本人があんたんとこに行くけど、こいつは長く泊まるんだよ。食べ物は何でも食べるよ。スワヒリ語もしゃべれるよ。」と頼んでくれたこともあります(ちなみに、マクンドゥチとトゥンバトゥの間で人の交流はほとんどなく、知り合いがいることは非常にまれ)。


トゥンバトゥ島とマクンドゥチの位置

 ある一人の話者に出会うまでに、何人もの人を介すなんてことはよくあります。その人たちと信頼関係を築けるかどうかにフィールドワークの成否はかかっていると言っても過言ではありません。ただ、難しく考えずとも、気づかぬうちに彼らと仲良くなってしまうのがフィールドワークの醍醐味なのかもしれません。久しぶりにフィールドのお母さんにWhatsApp[注5]メッセージでも送ってみようかな(返事はたぶん1か月後だけど)。

コラム3:スワヒリ語にも方言がある

日本の各地域で、その土地ならではの方言が話されているのと同じように、スワヒリ語にも方言があります。その数は、大体20くらいと言われていて、多くは東アフリカの沿岸部で話されています。私が調査しているマクンドゥチ方言もこうした方言の一つです。マクンドゥチ方言は、標準語との間に共通点もたくさんありますが、違う点もたくさんあります。標準語しか話せない街出身の人にとっては理解が難しいことも多いようです。以下によく使う表現を挙げましょう。( ) のなかには、標準語の表現を挙げますので比べてみてください。Jaje? (Vipi)「調子はどう?」(友達との挨拶で)、Siviji (Sijui)「私は知らない」、Sikwebu (Sikutaki)「あんたなんかいらない」(夫婦喧嘩で)、Lya (Kula)「食べろ」。実は、Jajeという表現は、先ほどのバスの中に書かれていたのですが、見つけられましたか?


マクンドゥチへ向かうバスに書かれた方言

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[注]

  1. 話者のことをコンサルタント (consultant) とかインフォーマント (informant) と呼ぶことがある。私は、現地ではどちらも使わず、「○○方言を話して教えてくれる人」とか「○○方言の先生」と呼んでいる。
  2. ザンジバルでの調査許可取得、在留許可取得については、http://www.jspsnairobi.org/tanzania(最終確認日 2018年1月5日)参照。なお、2017年2月時点で、古文書館と関わりのない調査については古文書館が調査許可取得の窓口とならないこと、滞在が3か月以内であれば、250ドルの在留許可が取得できることをここに補足しておく。
  3. タンザニア(ザンジバル含む)以外でも、調査に際して公的な許可が必要となる国はある。ちなみに、タンザニアでは、許可がないと、地方の役人に賄賂を要求されたり、調査を妨害されたりすることもあるらしい。
  4. 現地の人も、同じように許可地獄の中で日々生活している。ザンジバルはこういうものなんだと受け入れる態度、役所の人との雑談を楽しんだり感謝を伝える余裕をもつこと、許可取得を考慮して旅程を組むことが重要。
  5. LINEに似たメッセージ用アプリ。近年、ザンジバルでもスマートフォンの普及が進んでおり、このWhatAppを使うことで、日本からも簡単にザンジバルの人と連絡が取れるようになりつつある。

◆この連載の目次は⇒「フィールド言語学への誘い:ザンジバル編 」目次へ

【筆者プロフィール】

■古本真(ふるもと・まこと)

1986年生まれ、静岡県出身。大阪大学・日本学術振興会特別研究員PD。専門はフィールド言語学。2012年からタンザニアのザンジバル・ウングジャ島でのフィールドワークを始め、スワヒリ語の地域変種(方言)について調査・研究を行っている。
最近嬉しかったことは、自分の写真がフィールドのママのWhatsApp(ショートメッセージのアプリ)のプロフィールになっていたこと。

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【編集部から】

今回はその言語について教えてくれる話者との出会いについてのお話でした。現地に知り合いがいるととても心強いものです。古本さんは今回のエピソードに出てきた古文書館の女性スタッフに、在留許可取得のための入国管理局での交渉(とっても怖いのだとか)でこの間に入ってもらったこともあるそうです。次回はフィールド調査の「頭の」準備についてのお話をしていただきます。


広告の中のタイプライター(26):Underwood Golden Touch Electric

2018年 2月 15日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

タイプライターに魅せられた男たち・補遺

『Life』1956年11月26日号

『Life』1956年11月26日号
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「Underwood Golden Touch Electric」は、アンダーウッド社が1956年に発売した電動タイプライターです。この当時、アンダーウッド社の主力製品は、「Underwood Golden Touch Portable」「Underwood Golden Touch Standard」「Underwood Golden Touch Electric」といずれもGolden Touchを売りにしていて、「Underwood Golden Touch Electric」は、その最上位機種にあたるものでした。

「Underwood Golden Touch Electric」の特徴は、各キーの形にあります。半月形というか、ハート型を少し丸めたようなキートップは、爪を長くしていてもキーにひっかからない、という考慮のもとでデザインされています。各キーのストロークは、かなり小さ目に設計されていて、その意味でも「指に優しい」タイプライターです。キー配列は基本的にQWERTYで、最上段のキーは、小文字側に234567890-=が、大文字側に“#$%*&’()_+が配置されています。すなわち「2」のシフト側に「」があり、その一方「@」は、キーボード中段の大文字側にASDFGHJKL:@と並んでいます。

「Underwood Golden Touch Electric」は、電動タイプライターですが、印字機構そのものはフロントストライク式です。プラテンの手前には、43本の活字棒(type arm)が扇状に配置されていて、各キーを押すと、対応する活字棒が電動でプラテンの前面を叩き、印字がおこなわれます。ただし、複数のキーを同時に押しても、活字棒は1本だけしか動かず、ジャミングは避けられるようになっていました。また、キーボードの左右の端には、キャリッジ・リターン・レバーがあり、電動でプラテンを戻す仕掛けになっていました。空白、タブ、バック・スペース、黒赤インク・リボンの切り替えなど、ほぼ全ての機構が電動だったのです。ただし、シフト機構に関しては、左右のシフトキーを押すことで、タイプ・バスケット全体が下がる仕掛けになっていました。

なお、翌1957年、アンダーウッド社は、GoldenとTouchの間にハイフンを入れ、「Underwood Golden Touch Electric」を「Underwood Golden-Touch Electric」に改称しています。ハイフン無しの「Golden Touch」では商標を登録できなかったらしく、下の広告も含め、これ以後「Golden-Touch」で統一したようです。

『Life』1957年4月1日号

『Life』1957年4月1日号
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【筆者プロフィール】

安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

http://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。


モノが語る明治教育維新 第21回―明治期の花形筆記具・石盤

2018年 2月 13日 火曜日 筆者: 唐澤 るり子

第21回―明治期の花形筆記具・石盤

 近代小学校の始まりとともに、子どもたちが学習に用いた代表的な筆記具が、石盤(石板とも書きます)です。日本最初の国語教科書、明治6年版『小学読本』には、「学校には、石盤と布(ふ)き物(石盤拭きのこと)と、書物あり」との一文があり、学校を象徴するものとして、石盤が教科書以上に重要であったことが分かります。

 石盤は、ハンディタイプの黒板のようなもの。スレートという板状の粘板岩で、壊れないように木枠がついており、ろう石をペンシル状に加工した石筆で文字や数字を書いては布切れなどで消し、何度でも繰り返し使えました。18世紀末に欧米の学校で使われ始めたものを、明治5年に師範学校教師M. M. スコットがアメリカから取り寄せ、初等教育用に用いる方法を伝授したのが、日本の教育現場に導入された最初です。

 ところで、貴重な和紙を消費することなく学習ができる工夫は、日本でも古くから見られました。例えば、二宮尊徳は子どもの頃に砂書き用手文庫(砂を文箱に詰め、指や棒で字の練習をするもの)を使っていましたし、当館所蔵の「手習板(てなりやァいた【注】)」と呼ばれる秋田県毛馬内で使われていたB4サイズの赤みを帯びた板は、墨書きした文字をぬれた布でふき取ることで半永久的に何度でも使えました。しかし、西洋からもたらされた石盤はくっきりとした字画や数字が書け、携帯に便利という点で、使い勝手が格段に優れていました。そのため小学校で使われる筆記具として注目を集め、長きにわたり定着したのです。


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 「石盤」という名称は、文明開化とともに舶来品の代表的な物品名として多くの人に知られていました。第8回でご紹介した慶応2年発行の英語辞書『英吉利単語篇』には、最初のページに「A slate」の単語が載っていますし、その絵入り対訳本『英国単語図解』(明治5年)には「slate スレート 石盤 セキバン」と日本語名が読みとともに記されています。子ども用図書では学制期の教科書としても使われた『絵入智慧の環』が、明治3年に早くもペンと鉛筆と並んで石盤と石筆を1ページ大で紹介しています。ただ、詳しい説明はされず「石板 すれいとともいふ」、「石筆 すれいとぺんしるともいふ」とだけ書かれています。

 学制期に出版された教授本は、どれも石盤を用いた授業の進め方を熱心に説明しています。特に初学者が用いるのに適しており、いろいろな教科でこの石盤が活躍しています。算術では算用数字の書き方や筆算、習字では石筆の持ち方や基本的な字の練習、書取では口頭で出題された文字を石盤に書き、黒板に書かれた答えと照合するといった使われ方をしていました。

その他、文字を教える際は教師が黒板に縦横に線を引き、マス目を作ったうえで文字を書き、それを石盤にも写させるようになどと、使用の仕方を丁寧に指導しています。

 いつでも、どこでも、すぐ書ける石盤の登場は、西洋の教授法の波に乗り学習方法を格段に進歩させたのです。

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[注]手習板

  1. 一般的には「てならいいた」だと思われますが、本館所蔵品は、手習板を入れる袋に「てなりやァいた」と書かれています。これを使っていた方が書かれたものです。

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◆この連載の目次は⇒「モノが語る明治教育維新」目次へ

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【筆者プロフィール】

『図説 近代百年の教育』

唐澤るり子(カラサワ・ルリコ)

唐澤富太郎三女
昭和30年生まれ 日本女子大学卒業後、出版社勤務。
平成5年唐澤博物館設立に携わり、現在館長
唐澤博物館ホームページ:http://karasawamuseum.com/
唐澤富太郎については第1回記事へ。

※右の書影は唐澤富太郎著書の一つ『図説 近代百年の教育』(日本図書センター 2001(復刊))

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【編集部から】

東京・練馬区の住宅街にたたずむ、唐澤博物館。教育学・教育史研究家の唐澤富太郎が集めた実物資料を展示する私設博物館です。本連載では、富太郎先生の娘であり館長でもある唐澤るり子さんに、膨大なコレクションの中から毎回数点をピックアップしてご紹介いただきます。「モノ」を通じて見えてくる、草創期の日本の教育、学校、そして子どもたちの姿とは。
更新は毎月第二火曜日の予定です。


『日本国語大辞典』をよむ―第27回 発音が先か文字が先か?

2018年 2月 11日 日曜日 筆者: 今野 真二

第27回 発音が先か文字が先か?

 『日本国語大辞典』の見出し「ゆいごん」には次のように記されている。

ゆいごん【遺言】〔名〕(1)死後のために生前に言いのこすことば。いげん。いごん。ゆいげん。(2)自分の死後に法律上の効力を発生させる目的で、遺贈、相続分の指定、認知などにつき、一定の方式に従ってする単独の意思表示。現代の法律では習慣として「いごん」と読む。語誌(1)古くから現在に至るまで、呉音よみのユイゴンが使われているが、中世の辞書「運歩色葉集」「いろは字」などには呉音と漢音を組み合わせたユイゲンの形が見える。(2)近世の文献ではユイゴンが主だが、ユイゲンも使われており、時に漢音よみのイゲンも見られる。明治時代にもこの三種併用の状態は続くが、一般にはユイゴンが用いられた。(3)現在、法律用語として慣用されるイゴンという言い方は、最も一般的なユイゴンをもとにして、「遺書」「遺産」など、「遺」の読み方として最も普通な、漢音のイを組み合わせた形で、法律上の厳密な意味を担わせる語として明治末年ごろから使われ始めた。

 「語誌」欄において述べられていることについていえば、「呉音よみ」「漢音よみ」「三種」「言い方」「組み合わせた」「厳密な意味を担わせる(注:ゴチは筆者)など、説明のしかた、用語がまちまちである点に不満がないではない。しかし、述べられていることがらはゆきとどいているといえよう。

 「ユイゲン」「イゲン」「イゴン」はいずれも見出しになっている。その他に、見出し「いげん」の語釈中にみられる語形「イイゴン」、その見出し「イイゴン」の語釈中にみられる語形「イイゲン」も見出しとして採用されている。結局、「イゲン」「イゴン」「イイゲン」「イイゴン」「ユイゲン」「ユイゴン」という6つの語が存在することになる。

ゆいげん【遺言】〔名〕「ゆいごん(遺言)」に同じ。

いいげん【遺言】〔名〕(「ゆいげん(遺言)」の変化した語)「いいごん(遺言)」に同じ。

いいごん【遺言】〔名〕(「ゆいごん(遺言)」の変化した語)死後に言い残すこと。また、そのことば。いいげん。→遺言(いげん)(1)。

いげん【遺言】〔名〕①死にぎわに言葉を残すこと。また、その言葉。いごん。いいごん。ゆいごん。ゆいげん。(2)先人が生前言ったこと。また、その言葉。後世の人の立場からいう。(3)⇨いごん(遺言)(2)。

いごん【遺言】〔名〕(1)「いげん(遺言)」に同じ。(2)法律で、人が、死亡後に法律上の効力を生じさせる目的で、遺贈、相続分の指定、認知などにつき、一定の方式に従って単独に行なう最終意思の表示。一般では「ゆいごん」という。

 語について考える場合、まず発音があって、次にそれを文字化するという「順序」があるとみるのが自然なみかただ。現代日本語の場合でいえば、文字化するための文字として、漢字、仮名(平仮名・片仮名)がある。「ユイゴン」は漢語だから、中国語を日本語が借りて用いている=借用している。だから通常は「ユイゴン」という発音とともに漢字「遺言」も日本語の中に入ってくる。読み方がわからない漢字「遺言」が日本語の中に入ってきて、それを呉音でよんだ、ということではなく、呉音で発音していた「ユイゴン」という語が入ってきた、ということだ。一方、遣隋使、遣唐使が中国で学んで日本に伝えたのが漢音だ。平安時代に編纂された『日本紀略』の延暦11(792)年閏11月の記事には、「呉音を習うべからず」「漢音に熟習せよ」とある。また『類聚国史』に記されている、延暦17(798)年4月の勅では「正音」という表現が使われており、このことからすれば、この頃には朝廷が漢音=長安音を「正音」として奨励し、呉音を排除しようとしていたことが窺われる。

 「ユイゴン」と(呉音で)発音していた語が中国から日本に入ってくる。漢字では「遺言」と書く。それが、漢字は漢音でよみなさい、ということになると、この「遺言」を「イゲン」とよむ=発音することになる。そして、それは「イゲン」という「ユイゴン」とは異なる語とみることができる。呉音と漢音とは、いわば体系が異なる。したがって、漢字二字で書いている漢語の上の字を呉音で発音し、下の字を漢音で発音するということは通常はあり得ない。中国で、そういう組み合わせが発生するはずがないからだ。ところが、日本ではそれが起こる。「発音が先か文字が先か?」が今回のタイトルだが、先に述べたように、通常は「発音が先」である。しかし、日本においては、漢字で書かれている語を「よむ」ということがあり、そのよみかたに、漢音でよむ、呉音でよむ、など複数のよみかたがある。漢音、呉音とここまで書いてきたが、このよみかたは漢音、このよみかたは呉音、というようなことを通常は意識しない。漢和辞典を調べれば、ちゃんとそれは書いてある。例えば「希」であれば、漢音が「キ」で呉音が「ケ」だ。「ケウ(希有)」という語は呉音で構成されている。「キボウ(希望)」は漢音で構成されている。日本語を母語としている人は、漢音、呉音をそれほど意識しない。そうなると、他の漢語からの類推で、「イショ(遺書)」という語では「遺」を「イ」と発⾳しているのだから、「遺」は「イ」とよめばいいなと思い、 「言」は「ゴンベン(言偏)」だから「ゴン」だなと思う。かくして漢音+呉音の「イゴン(遺言)」という語形ができあがる。あるいは呉音+漢音の「ユイゲン」という語形ができあがる。「語誌」欄がこうしたいわば「ちゃんぽん語形」が中世期に成った辞書にみられると指摘していることはおもしろい。筆者は、大量に借用された漢語が、話しことばの中でも使われるようになってきたのが中世だと推測している。その結果、漢語もいわば「一皮むけてきた」。日本語の中に溶け込んできた、といってもよいかもしれない。

 漢字で書かれた形から新たな語形がうまれるというのは、「文字が先」ということだ。現在では一般的な「カジ(火事)」や「ダイコン(大根)」はそれぞれ「ヒノコト(火の事)」「オオネ(大根)」という和語の漢字書き形からうまれたと考えられている。『日本国語大辞典』をよんでいるといろいろなことを考える。

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※特に出典についてことわりのない引用は、すべて『日本国語大辞典 第二版』からのものです。引用に際しては、語義番号などの約物および表示スタイルは、ウェブ版(ジャパンナレッジ http://japanknowledge.com/)の表示に合わせております。

◆この連載の目次は⇒「『日本国語大辞典』をよむ」目次へ

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【筆者プロフィール】

今野真二(こんの・しんじ)

1958年、神奈川県生まれ。高知大学助教授を経て、清泉女子大学教授。日本語学専攻。

著書に『仮名表記論攷』、『日本語学講座』全10巻(以上、清文堂出版)、『正書法のない日本語』『百年前の日本語』『日本語の考古学』『北原白秋』(以上、岩波書店)、『図説日本語の歴史』『戦国の日本語』『ことば遊びの歴史』『学校では教えてくれないゆかいな日本語』(以上、河出書房新社)、『文献日本語学』『『言海』と明治の日本語』(以上、港の人)、『辞書をよむ』『リメイクの日本文学史』(以上、平凡社新書)、『辞書からみた日本語の歴史』(ちくまプリマー新書)、『振仮名の歴史』『盗作の言語学』(以上、集英社新書)、『漢和辞典の謎』(光文社新書)、『超明解!国語辞典』(文春新書)、『常識では読めない漢字』(すばる舎)、『「言海」をよむ』(角川選書)、『かなづかいの歴史』(中公新書)がある。

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【編集部から】

現在刊行されている国語辞書の中で、唯一の多巻本大型辞書である『日本国語大辞典 第二版』全13巻(小学館 2000年~2002年刊)は、日本語にかかわる人々のなかで揺らぐことのない信頼感を得、「よりどころ」となっています。
辞書の歴史をはじめ、日本語の歴史に対し、精力的に著作を発表されている今野真二先生が、この大部の辞書を、最初から最後まで全巻読み通す試みを始めました。
本連載は、この希有な試みの中で、出会ったことばや、辞書に関する話題などを書き進めてゆくものです。ぜひ、今野先生と一緒に、この大部の国語辞書の世界をお楽しみいただければ幸いです。隔週連載。


シベリアの大地で暮らす人々に魅せられて―文化人類学のフィールドワークから― 第十一回:いろいろなトナカイ料理

2018年 2月 9日 金曜日 筆者: 大石 侑香

第十一回: いろいろなトナカイ料理


トナカイ脂肪の燻製(左)とトナカイの煮こごり(右)

 トナカイは橇(そり)をひく家畜というイメージが強いかもしれません。しかし、トナカイ牧夫は、橇をひかせるためだけでなく、肉や毛皮を利用するためにもトナカイを飼育しています。橇をひかせたり、人を騎乗させたり、荷物を運ばせたりするための家畜を役畜(えきちく)、肉を利用するための家畜を肉畜といいます。トナカイは役畜であり、肉畜でもあります。今回は、牧夫たちはどのようなトナカイ料理を食べているかについて書いてみたいと思います。

 屠畜(とちく)は外気温での長期保存が可能な10月~3月に集中しています。屠畜後には、保存方法や部位によって食べ方が異なります。屠畜直後には、顔の肉、脳、肝臓、あばら骨に付いている肉を食べます。肉を一口大にナイフで切り取って塩をつけて食べます。唇や目の周り、頬の肉は繊維が強くなかなかかみ切れないので、数十分かけて噛んで楽しみます。血の滴るぷりぷりした新鮮な肝臓も生のまま食べます。血液も生のまま飲みます。パンや肝臓に血液をつけて食べることもあります。残った血液は凝固しないように塩を入れ、外気で凍らせて保存します。

 新鮮で濃厚な血液を飲むことは、寒さに強いトナカイの体をめぐっていた栄養をそのまま取り入れることです。現地の人々は、冬季の屠畜で湯気の立つ血液を飲むと「力が出る」、「寒さが厳しいときにとても欲しくなる」と言います。トナカイの血液をパン生地に混ぜ込み、フライパンで焼いて、血のパンケーキを作ることもあります。


茹でたトナカイの心臓

 肝臓や血液を食べている間に、消化器系の内臓と心臓を塩で茹でて食べます。消化器系の内臓の内容物を取り出しきれいに洗い、こぶし大に切ってから茹でます。そのまま食べるには大きいので、食卓で各自好きな部位を手に取ってナイフで切りながら食べます。

 冬には外気温ですぐに肉が凍るので、屋根の上や小屋、橇の上などで保存します。暖かくなるまで、凍ったトナカイ肉をナイフで削りながら食べます。とくに脛(すね)やあばらの骨に付いた肉をこの方法で食べます。脛の骨を割って、中の骨髄を食べます。そのまま、あるいはパンにのせて食べます。骨髄は油分が多く、「ちょうどパンにバターを塗るようなもの」と言います。また、骨髄だけでなく、トナカイの脂やクマの脂を溶かしてパンにつけて食べることもあります。内臓周りの網脂(あみあぶら)は乾燥させて保存します。


トナカイ肉のスープ

 腿(もも)や肩などの大きな部分は凍らせて保存しておき、随時のこぎりで切断・解凍して食べます。削ってそのまま食べるほか、スープやプロフ(炊き込みご飯)に入れたり、ミンチにしてカツレツやピロシキにして食べたりします。スープには、マカロニや米、ソバの実、ジャガイモを入れることがあります。そのほか、玉ねぎ、にんにく、にんじんを少量入れることもあります。調味料は塩のみか、あれば胡椒や化学調味料等を使用します。ジャガイモ以外の野菜や穀類、調味料、サラダ油は村や町で購入します。また、春にはトナカイの肉を乾燥させて干し肉をつくり、保存食とします。

 このように、部位や季節によってさまざまな方法で調理して楽しみます。しかし、現地の方々の一番のごちそうは生肉です。牧夫のところに客人が来訪したとき、親戚が集まったときには、凍った生肉と血液でもてなします。苦労して育てたトナカイ肉をそのまま味わうのが最高のごちそうなのです。

ひとことハンティ語

単語:Щи. / Атән.
読み方:シ/アートン
意味:はい、そうです。/いいえ、ちがいます。良くない(悪い)と思います。
使い方:はい、いいえで答えられる質問に対する答えで使用します。「アートン」は、否定的な意見を言うときにも使用します。

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◆この連載の目次は⇒「シベリアの大地で暮らす人々に魅せられて―文化人類学のフィールドワークから―」目次へ

【筆者プロフィール】

■大石侑香(おおいし・ゆか)
東北大学東北アジア研究センター・日本学術振興会特別研究員PD。修士(社会人類学)。2010年から西シベリアの森林地帯での現地調査を始め、北方少数民族・ハンティを対象に生業文化とその変容について研究を行っている。共著『シベリア:温暖化する極北の水環境と社会』(京都大学学術出版会)など。

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【編集部から】

トナカイ料理、というタイトルから「トナカイステーキ」「トナカイハンバーグ」「トナカイのロースト」などの料理を想像しましたが、トナカイの調理法とその食べ方を詳しく紹介をしてもらいました。それぞれの部位を季節ごとに調理法を変えて味わうトナカイ牧夫たちは、トナカイの活用法を熟知していると感じました。
大石先生の最後の文「苦労して育てたトナカイ肉をそのまま味わうのが最高のごちそうなのです」に全てが凝縮されていますね。次回の更新は3月9日(金)を予定しています。


人名用漢字の新字旧字:「鴬」と「鶯」

2018年 2月 8日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

第151回 「鴬」と「鶯」

昭和17年6月17日、国語審議会は標準漢字表を、文部大臣に答申しました。標準漢字表は、各官庁および一般社会で使用する漢字の標準を示したもので、部首画数順に2528字が収録されていました。標準漢字表の鳥部には「鶯」が含まれていて、その直後に、カッコ書きで「鴬」が添えられていました。「鶯(鴬)」となっていたわけです。簡易字体の「鴬」は、「鶯」の代わりに使っても差し支えない字、ということになっていました。昭和17年12月4日、文部省は標準漢字表を発表しましたが、そこでは旧字の「鶯」だけが含まれていて、新字の「鴬」は含まれていませんでした。

昭和21年11月5日、国語審議会は当用漢字表1850字を、文部大臣に答申しました。この当用漢字表で、国語審議会は、「鴬」も「鶯」も削除してしまいました。当用漢字表は「使用上の注意事項」で「動植物の名称は、かな書きにする」としており、このルールに従えば、新字の「鴬」も旧字の「鶯」も、当用漢字表には不要だと判断されたのです。当用漢字表は、翌週11月16日に内閣告示されましたが、やはり「鴬」も「鶯」も収録されていませんでした。そして、昭和23年1月1日に戸籍法が改正された結果、「鴬」も「鶯」も子供の名づけに使えなくなってしまったのです。

平成16年3月26日に法制審議会のもとで発足した人名用漢字部会は、常用漢字や人名用漢字の異体字であっても、「常用平易」な漢字であれば人名用漢字として追加する、という方針を打ち出しました。この方針にしたがって人名用漢字部会は、当時最新の漢字コード規格JIS X 0213(平成16年2月20日改正版)、平成12年3月に文化庁が書籍385誌に対しておこなった漢字出現頻度数調査、全国の出生届窓口で平成2年以降に不受理とされた漢字、の3つをもとに審議をおこないました。新字の「鴬」は、全国50法務局のうち出生届を拒否した管区は無く、JIS第1水準漢字で、出現頻度数調査の結果が22回でした。旧字の「鶯」は、全国50法務局のうち出生届を拒否した管区は無く、JIS第2水準漢字で、出現頻度数調査の結果が574回でした。この結果、新字の「鴬」も旧字の「鶯」も、「常用平易」とはみなされず、人名用漢字には追加されませんでした。

平成23年12月26日、法務省は入国管理局正字13287字を告示しました。入国管理局正字は、日本に住む外国人が住民票や在留カード等の氏名に使える漢字で、JIS第1~4水準漢字を全て含んでいました。この結果、日本で生まれた外国人の子供の出生届には、新字の「鴬」も旧字の「鶯」も書けることになりました。でも、日本人の子供の出生届には、新字の「鴬」も旧字の「鶯」もダメなのです。

【筆者プロフィール】

安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

http://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。


三省堂辞書の歩み 日華会話辞典

2018年 2月 7日 水曜日 筆者: 境田 稔信

三省堂辞書の歩み 第55回

日華会話辞典

昭和15年(1940)6月25日刊行
三省堂編輯所編/本文338頁/三五判(縦146mm)


左:【日華会話辞典】1版(昭和15年)
右:【本文1ページめ】(クリックで拡大)

 本書は中国語会話のための辞典である。約5000の単語や短文が収録された。

 扉とカバーには「両国人共用」と記してある。ページの左側に日本語、右側に中国語を載せ、両方ともカタカナを振って読み方を示す。中国語にはローマ字も添えられ、正確な発音が分かるようになっている。また、四声(アクセント)を表す記号も付けられた。


【日華会話辞典】1版のカバー
(クリックで拡大)

 従来の会話書などでは、場面ごとに使う会話が分類されていた。本書では、五十音順で単語ないし句を引けば、それを含む短文や関連した短文も引けるようにしてある。アイディアを出したのは三省堂編輯所の所長だった平井四郎、監修は東京高等師範学校教授の魚返善雄である。

 昭和15年は、三省堂の創業60年にあたり、年間出版点数は同社の最高を記録した。三省堂による中国関係の語学書は、昭和13年に『華語要訣』、14年に『興亜支那語読本』、15年に『支那時文研究』、16年に『華語基礎読本』『双訳華日語法読本』『支那言語学概論』、17年に『現代支那語法入門』『支那語の発音と記号』、18年に『支那文法講話』が刊行されている。

●最終項目(画像はクリックで拡大)

●「猫」の項目(画像はクリックで拡大)

●「犬」の項目(画像はクリックで拡大)

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◆この連載のほかの回をお読みになる方は⇒「三省堂辞書の歩み」目次へ

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【筆者プロフィール】

境田稔信(さかいだ・としのぶ)

1959年千葉県生まれ。辞書研究家、フリー校正者、日本エディタースクール講師。
共著・共編に『明治期国語辞書大系』(大空社、1997~)、『タイポグラフィの基礎』(誠文堂新光社、2010)がある。

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【編集部から】

2011年11月、三省堂創業130周年を記念し三省堂書店神保町本店にて開催した「三省堂 近代辞書の歴史展」では、たくさんの方からご来場いただきましたこと、企画に関わった側としてお礼申し上げます。期間限定、東京のみの開催でしたので、いらっしゃることができなかった方も多かったのではと思います。また、ご紹介できなかったものもございます。
そこで、このたび、三省堂の辞書の歩みをウェブ上でご覧いただく連載を始めることとしました。
ご執筆は、この方しかいません。
境田稔信さんから、毎月1冊(または1セット)ずつご紹介いただきます。
現在、実物を確認することが難しい資料のため、本文から、最終項目と「猫」「犬」の項目(これらの項目がないものの場合は、適宜別の項目)を引用していただくとともに、ウェブ上で本文を見ることができるものには、できるだけリンクを示すこととしました。辞書の世界をぜひお楽しみください。
不定期の水曜日の公開を予定しております。


古代語のしるべ 第5回 「疫(え)と伇(え)」

2018年 2月 3日 土曜日 筆者: 尾山 慎

古代語のしるべ 第5回 「疫(え)と伇(え)」

この連載は、PDFデータを別画面でご覧いただきます。
タイトルをクリックしていただくと、PDF画面が開きます。

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◆この連載の目次は⇒「古代語のしるべ」目次へ

【筆者プロフィール】

■上代語研究会
乾善彦・内田賢德・尾山慎・佐野宏・蜂矢真郷(五十音順)の5名。上代日本語の未詳語彙の解明を目指し、資料批判を踏まえて形態論と語彙論の両面からその方法の探求と実践を進めている。
■尾山 慎(おやま しん) 1975年生まれ。大阪市立大学卒業、大阪市立大学大学院文学研究科言語文化学専攻修了、博士(文学)。大阪市立大学特任講師、京都大学非常勤講師などを経て、2013年より奈良女子大学准教授。2007年、新村出賞研究奨励賞受賞、2008年、萬葉学会奨励賞受賞、2014年、漢検漢字文化研究論文賞佳作。共著書:『古代の文字文化』(犬飼隆編 竹林舎 2017)、論文「訓字主体表記と略音仮名」(『萬葉集研究』三十五 塙書房 2014)など。古代を中心に現代まで、文字、表記を巡る研究を行っている。

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【編集部より】
 昭和42(1967)年以来、約50年の長きにわたって発行しております『時代別国語大辞典 上代編』。おかげさまで、上代の日本語を体系的に記述した辞書として高くご評価いただき、今も広くお使いいただいています。しかし、この50年の間にはさまざまな研究の進展がありました。木簡をはじめとして上代日本語に関する資料が多数発見されたばかりでなく、さまざまな新しい研究の成果は、『万葉集』や『古事記』をはじめとした上代文献の注釈・テキスト、また関連の研究書の刊行など、大きな蓄積を成しています。
 そこで、未詳語彙の解明をはじめ、新たな資料を踏まえて上代日本語の記述の見直しを進めていらっしゃる「上代語研究会」の先生方に、リレー連載をお願いいたしました。研究を通して明らかになってきた上代日本語の新たな姿を、さまざまな角度から記していただきます。辞書では十分に説明し尽くせない部分まで読者の皆さんにお届けするとともに、次の時代の新たな辞書の記述へとつなげていくことを願っています。


広告の中のタイプライター(25):Rem-Sho Typewriter No.2

2018年 2月 1日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

タイプライターに魅せられた男たち・補遺

『Typewriter World』1898年4月号

『Typewriter World』1898年4月号
(写真はクリックで拡大)

「Rem-Sho Typewriter No.2」は、シカゴのレミントン・ショールズ社が、1898年に製造を開始したタイプライターです。レミントン・ショールズ社は、レミントン(Philo Remington)の甥フランクリン(Franklin Remington)と、ショールズ(Christopher Latham Sholes)の息子ザルモン(Zalmon Gilbert Sholes)が率いるタイプライター会社で、1896年に「Remington-Sholes Typewriter」を発売しています。「Rem-Sho Typewriter No.2」は、その後継にあたるタイプライターで、上の広告にもあるとおり、販売をハウ・スケール社に委託していました。

「Rem-Sho Typewriter No.2」は、38キーのアップストライク式タイプライターです。タイプバスケットに円形に配置された38本の活字棒は、それぞれがキーにつながっており、キーを押すと、対応する活字棒が跳ね上がってきて、プラテンの下に置かれた紙の下側に印字がおこなわれます。打った文字をその場で見ることはできず、プラテンを持ち上げるか、あるいは数行分改行してから、やっと印字結果を見ることができるのです。活字棒の先には、活字が2つずつ埋め込まれていて、キーボード左下の「CAP」キーを押し下げると、タイプバスケット全体が手前にシフトし、大文字が印字されるようになります。「CAP」キーを離すと、タイプバスケット全体が奥にシフトし、小文字が印字されるようになります。「CAP」キーのすぐ上には、「CAP」をロックするための小さなキーがあります。

「Rem-Sho Typewriter No.2」のキーボードは、いわゆるQWERTY配列です。最上段のキーは、大文字側に“#$%_&’()が、小文字側に23456789-が、それぞれ配置されています。その次の段は、大文字側にQWERTYUIOPが、小文字側にqwertyuiopが配置されています。その次の段は、大文字側にASDFGHJKL:が、小文字側にasdfghjkl;が配置されています。最下段は、大文字側にZXCVBNM?.が、小文字側にzxcvbnm,/が配置されています。筐体の右側に見える七角形のノブには、「RLRLR」と記されています。このノブは、インクリボンの進行方向を変えるもので、「R」に合わせるとインクリボンは右へ、「L」に合わせるとインクリボンは左へ、それぞれ動いていきます。1本のインクリボンを、全部で5回(2往復半)使うための仕掛けです。インクリボンの幅は35mm(1インチ3/8)もあって、片道ごとに7mm幅ずつ使うよう、「RLRLR」で少しずつインクリボンの位置が前後にずれる仕組みになっています。

レミントン・ショールズ社は、レミントン・スタンダード・タイプライター社とは直接の関係がなく、しかも1901年には商標訴訟に負けています。その結果、レミントン・ショールズ社は、フェイ・ショールズ社に社名を変更し、「Rem-Sho Typewriter No.2」も「Fay-Sholes Typewriter No.2」に改称せざるを得なかったようです。

【筆者プロフィール】

安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

http://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。


『日本国語大辞典』をよむ―第26回 いろいろな学問

2018年 1月 28日 日曜日 筆者: 今野 真二

第26回 いろいろな学問

 1月25日に、思い立って、亀戸天神に行った。25日だから天神様の日だが、前日とこの日とは「鷽替え神事」の日である。凶事をうそにして、幸運に替えるということのようだ。また「鷽」の字が「學」の字と似ているから学問の神様である天神様とつながるということもいわれているようだ。「鷽替え神事」のことは知っていたが、なかなか行く機会がなかったので、今年がいわば「初参加」だ。

 それゆえ、行って驚いた。今年は小厄の前厄にあたっていたので、お祓いもしてもらったのだが、その間にどんどん人が増えて、結局2時間ほど並んでやっと、木彫りの鷽をいただくことができた。自分の分の他に、教え子3人の分もいただき、後日渡した。天神様は大事にしたいという気持ちになるので、いろいろな天神様に行った。

 「ミミガクモン(耳学問)」という語は現代でも使う語なので聞いたことがあるだろう。『日本国語大辞典』は「自分で習得した知識ではなく、人から聞いて得た知識。聞きかじりの知識」と説明している。使用例には「書言字考節用集〔1717〕」がまずあげられているので、江戸時代にはあった語だ。「キキトリガクモン」は語釈中に「耳学問」とあり、同様の語義をもつことがわかる。

ききとりがくもん【聞取学問】〔名〕書物を読んだり自分で考えたりしないで、人から聞いたままを覚えているだけの学問、知識。耳学問。ききとりがく。聞き学。

 『日本国語大辞典』をよみ始めて、第1巻で「アタマハリガクモン」という語にであった。こういう語があるのだと思っていたら、次には第2巻で「インコウサデン」という語にであって、ますますおもしろくなった。「キリツボゲンジ」もあれば、「サンガツテイキン」もあり、そのバリエーションもある。

あたまはりがくもん【頭張学問】〔名〕初めのうちだけで長続きしない勉強。

いんこうさでん【隠公左伝】〔名〕(「隠公」は中国、春秋時代の魯の国王。「左伝」は「春秋左氏伝」の略称。隠公元年の条から始まる)左伝を読む決心をしながら、最初の隠公の条で飽きてやめてしまうこと。勉学などの長続きしないことのたとえ。桐壺源氏。

きりつぼげんじ【桐壺源氏】〔名〕(「源氏物語」を、最初の桐壺の巻だけで読むのをやめてしまう、ということから)中途半端でいいかげんな学問、教養のこと。

さんがつていきん【三月庭訓】〔名〕(「庭訓」は「庭訓往来」の略称で、正月から一二月までの手紙の模範文例を集めたもの)「庭訓往来」を手本に書を習う決心をしながら、三月のあたりで、飽きてやめてしまうこと。勉学などの長続きしないことのたとえ。

さんがつていきん公冶長論語(こうやちょうろんご) (「庭訓往来」は三月のところで、「論語」は第五編の公冶長のところで習うのをやめてしまうところからいう)「さんがつていきん(三月庭訓)」に同じ。

さんがつていきん須磨源氏(すまげんじ) (「庭訓往来」は三月のところで、「源氏物語」は巻一二の須磨の巻のところで、多くの人が習うのをやめてしまうところからいう)「さんがつていきん(三月庭訓)」に同じ。

 『源氏物語』を「桐壺巻」でやめるのは、飽きっぽいなと思うが、「須磨巻」まで来てやめるのは何か妙にリアルでもある。実際に江戸時代の本をみていると、冒頭から(今でいえば)10ページぐらいにはやたらに書き込みがあるのに、後ろの方は真っ白ということがけっこうある。最初は意気込んでいたんだなあ、とほほえましいが、自分がそうならないようにしないと、とも思う。

 『庭訓往来』について、『日本国語大辞典』は「往復書簡の形式を採り、手紙文の模範とするとともに、武士の日常生活に関する諸事実・用語を素材とする初等教科書として編まれた。室町・江戸時代に広く流布した」と説明している。『源氏物語』や『論語』は現在、高等学校などで習うのでわかるが、この『庭訓往来』や『春秋左氏伝』は現在の学校教育ではほとんど扱われることがないだろう。学問のテキストも変わっていく。そういうことも『日本国語大辞典』を丁寧によんでいるとなんとなくわかってくる。さて「トンデモ学問」はまだまだある。

うめのきがくもん【梅木学問】〔名〕(梅の木は初め生長が早いけれども、結局大木にならないところから)にわか仕込みの不確実な学問。↔楠学問(くすのきがくもん)。

くすのきがくもん【楠学問】〔名〕(樟(くすのき)は生長は遅いが、着実に大木になるところから)進歩は遅くても、堅実に成長して行く学問。↔梅の木学問。

げだいがくもん【外題学問】〔名〕いろいろの書物の名前だけは知っているが、その内容を知らないうわべだけの学問をあざけっていう語。

じびきがくもん【字引学問】〔名〕一つ一つの文字やことばについては知っているが、それを生かして使うことを知らない学問。何でもひととおりのことは知っているが、それ以上の深さのない、表面的で浅い知識。

ぞめきがくもん【騒学問】〔名〕外見ばかりで内容のない学問。虚名を目標にするような学問。

ぬえがくもん【鵼学問】〔名〕いろいろな立場がまじっていて統一のとれていない学問。あやしげな学問。

 いやはや、梅の木、楠から鵼まで、いろいろな学問があるものです。ちなみにいえば「ヌエ」は頭がサル、胴体はタヌキ、尾はヘビ、手足はトラに似て、鳴き声はトラツグミに似るという怪鳥のことです。ここにあげたような語があるということは「がんばりきれなかった」人がいた、ということで、気持ちをひきしめなければと思う一方で、なんか人間ほほえましいぞ、とも思ってしまう。隠公でやめ、桐壺までしか読まなかったとしても、それでもいったん取り組もうとした気持ちは尊いと思う。ちなみにいえば、筆者が大学のゼミで掲げているのは、「きちんと取り組み楽しく卒業論文を書く」ということだ。学問は修行のためにするわけではないので、楽しくなくてはいけないと思う。

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※特に出典についてことわりのない引用は、すべて『日本国語大辞典 第二版』からのものです。引用に際しては、語義番号などの約物および表示スタイルは、ウェブ版(ジャパンナレッジ http://japanknowledge.com/)の表示に合わせております。

◆この連載の目次は⇒「『日本国語大辞典』をよむ」目次へ

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【筆者プロフィール】

今野真二(こんの・しんじ)

1958年、神奈川県生まれ。高知大学助教授を経て、清泉女子大学教授。日本語学専攻。

著書に『仮名表記論攷』、『日本語学講座』全10巻(以上、清文堂出版)、『正書法のない日本語』『百年前の日本語』『日本語の考古学』『北原白秋』(以上、岩波書店)、『図説日本語の歴史』『戦国の日本語』『ことば遊びの歴史』『学校では教えてくれないゆかいな日本語』(以上、河出書房新社)、『文献日本語学』『『言海』と明治の日本語』(以上、港の人)、『辞書をよむ』『リメイクの日本文学史』(以上、平凡社新書)、『辞書からみた日本語の歴史』(ちくまプリマー新書)、『振仮名の歴史』『盗作の言語学』(以上、集英社新書)、『漢和辞典の謎』(光文社新書)、『超明解!国語辞典』(文春新書)、『常識では読めない漢字』(すばる舎)、『「言海」をよむ』(角川選書)、『かなづかいの歴史』(中公新書)がある。

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【編集部から】

現在刊行されている国語辞書の中で、唯一の多巻本大型辞書である『日本国語大辞典 第二版』全13巻(小学館 2000年~2002年刊)は、日本語にかかわる人々のなかで揺らぐことのない信頼感を得、「よりどころ」となっています。
辞書の歴史をはじめ、日本語の歴史に対し、精力的に著作を発表されている今野真二先生が、この大部の辞書を、最初から最後まで全巻読み通す試みを始めました。
本連載は、この希有な試みの中で、出会ったことばや、辞書に関する話題などを書き進めてゆくものです。ぜひ、今野先生と一緒に、この大部の国語辞書の世界をお楽しみいただければ幸いです。隔週連載。


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