人名用漢字の新字旧字:「渇」と「渴」

2018年 7月 19日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

第162回 「渇」と「渴」

新字の「渇」は常用漢字なので、子供の名づけに使えます。旧字の「渴」は人名用漢字なので、子供の名づけに使えます。新字の「渇」も旧字の「渴」も、出生届に書いてOK。どうして、こんなことになったのでしょう。

昭和17年6月17日、国語審議会は標準漢字表を、文部大臣に答申しました。標準漢字表は、各官庁および一般社会で使用する漢字の標準を示したもので、部首画数順に2528字が収録されており、水部に旧字の「渴」が含まれていました。新字の「渇」は含まれていませんでした。

国語審議会は、昭和21年11月5日、当用漢字表を答申しましたが、そこでも旧字の「渴」だけが含まれていました。翌週11月16日に当用漢字表は内閣告示され、旧字の「渴」は当用漢字になりました。ただし、当用漢字表のまえがきには「字体と音訓の整理については、調査中である」と書かれていました。当用漢字表の字体は、まだ変更される可能性があったのです。

字体の整理をおこなうべく、文部省教科書局国語課は昭和22年7月15日、活字字体整理に関する協議会を発足させました。活字字体整理に関する協議会は、昭和22年10月10日に活字字体整理案を国語審議会に報告しました。この活字字体整理案では、「渴」を「渇」へと整理することが提案されていました。報告を受けた国語審議会では、昭和22年12月から昭和23年5月にかけて、字体整理に関する主査委員会を組織しました。この間、昭和23年1月1日に戸籍法が改正され、子供の名づけに使える漢字が、この時点での当用漢字表1850字に制限されました。当用漢字表には、旧字の「渴」が収録されていたので、「渴」は子供の名づけに使ってよい漢字になりました。新字の「渇」は、子供の名づけに使えなくなりました。

昭和24年4月28日に内閣告示された当用漢字字体表では、新字の「渇」が収録されていました。活字字体整理案に従った結果、新字の「渇」が当用漢字となり、旧字の「渴」は当用漢字ではなくなってしまったのです。当用漢字表にある旧字の「渴」と、当用漢字字体表にある新字の「渇」と、どちらが子供の名づけに使えるのかが問題になりましたが、この問題に対し法務府民事局は、旧字の「渴」も新字の「渇」もどちらも子供の名づけに使ってよい、と回答しました(昭和24年6月29日)。つまり、昭和24年の時点で、旧字の「渴」も新字の「渇」も、どちらも出生届に書いてOKとなったのです。

昭和56年3月23日、国語審議会が答申した常用漢字表では、「渇(渴)」となっていました。これに対し、民事行政審議会は、常用漢字表のカッコ書きの旧字を子供の名づけに認めるかどうか、審議を続けていました。昭和56年4月22日の総会で、民事行政審議会は妥協案を選択します。常用漢字表のカッコ書きの旧字355組357字のうち、当用漢字表に収録されていた旧字195字だけを子供の名づけに認める、という妥協案です。昭和56年10月1日に常用漢字表は内閣告示され、「渇」は常用漢字になりました。同時に「渴」は人名用漢字になりました。それが現在も続いていて、旧字の「渴」も新字の「渇」も、どちらも子供の名づけに使えるのです。

【筆者プロフィール】

安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

http://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。


システムメンテナンスに伴う三省堂ホームページ停止のお知らせ

2018年 7月 17日 火曜日 筆者: 辞書ウェブ 編集部

システムメンテナンスのため、7月26日(木)に弊社ホームページを停止いたします
お客様にはご不便をおかけいたしますが、なにとぞご理解いただきますようお願い申し上げます。

日頃は三省堂ホームページをご利用くださり、誠にありがとうございます。
この度、下記の日時でシステムメンテナンスを予定しております。
このメンテナンスに伴い、弊社ホームページを停止いたします。
お客様には大変ご不便をおかけしますことお詫び申し上げます。
なにとぞご理解を賜りますよう、宜しくお願いいたします。

日時:7月26日(木)10時~16時
     ※作業進捗により前後する場合がございます

当該の時間帯、弊社の以下のホームページが表示されなくなります。
◉弊社ホームページ https://www.sanseido-publ.co.jp
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なお、以下のサービスは停止期間でもご利用いただけます。
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◉三省堂WebDictionary https://www.sanseido.biz


『日本国語大辞典』をよむ―第38回 地名の「意味」を考える

2018年 7月 15日 日曜日 筆者: 今野 真二

第38回 地名の「意味」を考える

よど【淀・澱】【一】〔名〕(1)水が流れないでよどむこと。また、その所。よどみ。*万葉集〔8C後〕五・八六〇「松浦川七瀬の与騰(ヨド)はよどむともわれはよどまず君をし待たむ〈大伴旅人〉」(略)(2)物事が渋り滞ること。すらすらと進まないこと。よどみ。(略)【二】(淀)京都市伏見区の地名。淀川に沿う低湿地で、木津・桂・宇治の三川の合流点付近にある。古代から京都の外港をなす淀川水運の河港として繁栄。安土桃山時代に淀城築城、江戸時代は稲葉氏一〇万石の城下町。(略)

 「ヨドム」は上の名詞に「ム」が下接して動詞化した語と思われる。「ヨド」はオノマトペ語基ではないのであろうが、例えばオノマトペ語基である「キシ」に「ム」を下接すると「キシム」という動詞になる。

 『日本国語大辞典』があげている『万葉集』の例中に「ヨド」「ヨドム」いずれも使われており、古くから使われている語であることがわかる。「松浦川のあまたの瀬の淀みは淀んで流れなくても、私は滞ることなく一途にあなたをお待ちしましょう」といった歌意であろうが、ここでは恋の気持ちが逡巡することを「ヨドム」と表現している。

 さて、〈水などが停滞する〉という語義をもつ「ヨド」を一方に置くと、【二】としてあげられている京都市伏見区の地名である「ヨド(淀)」あるいは上の三川の合流地点から下流を呼ぶ「ヨドガワ(淀川)」もそうしたことをふまえた地名であることがわかる。地名には語義、すなわち意味はないとみるのが一般的であるが、古くからある地名は、当然すでにあった語を組み合わせて作られているはずで、地名によっては、その語義=意味を考えることができる。そして、現在の地形を考え併せることによって、「なるほど!」と思うこともある。

 古い地図をみながら散歩するというようなことがされているが、上のように地名をみることは、地名の中に(古い時期に使われていた)日本語を見つけ、その語義から地形を推測するということになる。

やち【谷地・谷・野地】〔名〕(1)湿地帯。低湿地。やと。やつ。(略)

やつ【谷】〔名〕たに。たにあいの地。特に鎌倉・下総(千葉県・茨城県)地方で用いる。やち。やと。(略)

やと【谷】〔名〕谷間。渓谷。やち。やつ。や。(略)

 見出し「やち」の「語誌」欄には「(1)東北方言では、普通名詞として、湿地帯を意味する。関東地方の「やと」「やつ」は、現在では「たに」と同義か。しかし、「や」は「四谷」「渋谷」など、固有名詞を構成する形態素としては存在するが、普通名詞としては使われない。(2)アイヌ語に沼または泥を意味するヤチという語があるところから、地名に多く見られる「やち」「やと」「やつ」「や」がアイヌ語起源であるとの説(柳田国男)があった。しかし、北海道の地名にこれらの語が使用されていないところから、むしろアイヌ語のヤチの方が日本語からの借用語ではないかと考えられている」と記されている。

 見出し「やつ」の語釈に鎌倉があげられている。筆者は鎌倉に生まれ育ったが、筆者の実家のあるあたりは、「瓜ヶ谷(うりがやつ)」と呼ばれていた。「扇ヶ谷(おおぎがやつ)」は現在も使われている地名である。そのそばには「亀ヶ谷(かめがやつ)」がある。鎌倉は南は海であるが、それ以外は山なので、「ヤツ/ヤト」と呼ばれるような場所に人が住んでいたのだろう。「瓜ヶ谷(うりがやつ)」は「ウリガヤ」といわれることもあった。これは行政上使われている地名ではないが、そのこともあってか、この「ウリガヤツ」の「ヤツ」が子供の頃に何か気になった。気になったというのは、変な感じがしたということだ。それこそ、単独では「ヤツ」という語が使われていないというようなことだろうか。何か方言的な印象をもっていた。

 実家を離れて、横浜市金沢区で暮らすようになって、京浜急行の「能見台駅」が以前は「谷津坂(やつざか)駅」という名前だったことを知った。駅前の坂が「谷津坂」で、鎌倉以外にも「ヤツ」があることがわかった。おそらく「谷」という漢字一字で「ヤツ」という発音を書くのがむずかしいので、「ツ」を明示するために「谷津」と漢字をあてたのだろう。その時住んでいた住所は「釜利谷(かまりや)」で、こちらは「ヤ」だ。

わだ【曲】〔名〕(1)地形の入り曲がっているところ。入江などにいう。(2)形が曲がりくねっていること。

 平安時代の末頃から鎌倉時代にかけて日宋貿易で栄えた「大輪田泊(おおわだのとまり)」という港が神戸のあたりにあったことを日本史で習う。この「わだ」は〈地形の入り曲がっているところ〉の呼び名であろう。

 「ワダ」は『万葉集』に「オホワダ」「オホワダノハマ」という語形として2例みられるが、いずれも「オホワダ」は「大和太」と書かれている。語義からすれば、「曲」と結びつくことが考えられそうであるが、それが定着しないと、結局は「大輪田」のように、表音的に漢字をあてることになる。地名においては、現在使われている漢字はいうまでもないが、かつて使われていた漢字も、語義をそのままあらわしているとは限らないという点には注意する必要がある。「輪田」だから、輪のような形をした田んぼだろうと、単線的に考えないようにしないといけない。考えを進めるきちんとした「筋道」をおさえれば、地名で遊ぶこともできる。

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※特に出典についてことわりのない引用は、すべて『日本国語大辞典 第二版』からのものです。引用に際しては、語義番号などの約物および表示スタイルは、ウェブ版(ジャパンナレッジ http://japanknowledge.com/)の表示に合わせております。

◆この連載の目次は⇒「『日本国語大辞典』をよむ」目次へ

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【筆者プロフィール】

今野真二(こんの・しんじ)

1958年、神奈川県生まれ。高知大学助教授を経て、清泉女子大学教授。日本語学専攻。

著書に『仮名表記論攷』、『日本語学講座』全10巻(以上、清文堂出版)、『正書法のない日本語』『百年前の日本語』『日本語の考古学』『北原白秋』(以上、岩波書店)、『図説日本語の歴史』『戦国の日本語』『ことば遊びの歴史』『学校では教えてくれないゆかいな日本語』(以上、河出書房新社)、『文献日本語学』『『言海』と明治の日本語』(以上、港の人)、『辞書をよむ』『リメイクの日本文学史』(以上、平凡社新書)、『辞書からみた日本語の歴史』(ちくまプリマー新書)、『振仮名の歴史』『盗作の言語学』(以上、集英社新書)、『漢和辞典の謎』(光文社新書)、『超明解!国語辞典』(文春新書)、『常識では読めない漢字』(すばる舎)、『「言海」をよむ』(角川選書)、『かなづかいの歴史』(中公新書)がある。

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【編集部から】

現在刊行されている国語辞書の中で、唯一の多巻本大型辞書である『日本国語大辞典 第二版』全13巻(小学館 2000年~2002年刊)は、日本語にかかわる人々のなかで揺らぐことのない信頼感を得、「よりどころ」となっています。
辞書の歴史をはじめ、日本語の歴史に対し、精力的に著作を発表されている今野真二先生が、この大部の辞書を、最初から最後まで全巻読み通す試みを始めました。
本連載は、この希有な試みの中で、出会ったことばや、辞書に関する話題などを書き進めてゆくものです。ぜひ、今野先生と一緒に、この大部の国語辞書の世界をお楽しみいただければ幸いです。隔週連載。


シベリアの大地で暮らす人々に魅せられて―文化人類学のフィールドワークから― 第十六回:赤ん坊とゆりかご

2018年 7月 13日 金曜日 筆者: 大石 侑香

第十六回:赤ん坊とゆりかご


オントゥプの外側には装飾が施される(2016年3月23日・ムジ村郷土資料館)

 就学前の牧夫や漁師の子供たちは両親とともに暮らします。生後間もない子供を遊牧や遠出する夏の漁に連れて行くことも珍しくありません。遊牧や漁で忙しいうえに、水道も電気もガスもない森の中では家事に費やす時間も多く、さらに衣服や生活・生業の道具も手作業で作製するため、大人たちの手は常にふさがっています。起きているあいだは常に何か作業をしており、「ハンティは(両手が使えない)腕組みを嫌う」と言われるほどです。

 それほど働き者のハンティたちは、手がふさがっているとき、赤ん坊やまだ歩き始めていない小さな子供をオントゥプ(онтуп)というゆりかごに入れておきます。オントゥプには背もたれがあり足を延ばして座らせるための日中用と、横に寝かせるための平らな夜用があります。これらはシラカバの樹皮とバードチェリーなどの木の枝で作られています。


オントゥプ
(2016年3月30日・ベリョーゾヴォ北方民族文化芸術センター)

 日中には、オントゥプを家の天井や天幕の柱棒に革紐で吊るし、ときどき揺すって子供をあやします。もちろん、ずっと吊るしておくのではなく、両親が見ていられないときやナイフで木材加工や調理等していて近寄ると危ないときなどにそうします。窮屈そうで赤ん坊がかわいそうと思われるかもしれません。しかし、オントゥプは森の生活においてとても便利です。ベリー摘みに出かける際にはそのまま持って連れて行き、地面に置いておくことができます。また、トナカイやスノーモービルに橇を引かせて移動する際にも、子供をオントゥプに入れたまま運ぶことができます。ハンティによれば、オントゥプを紐で橇に固定すれば、走行中に誤って転げ落ちる心配もありませんし、オントゥプを後ろ向きに乗せれば、木々が生い茂った森で四方から伸びる枝から目や頭を守ることができます。


天幕内に吊るされたオントゥプ、通常もう少し低い位置に吊るす
(2017年2月3日・ベリョーゾヴォ地区郷土博物館)

 012年の冬のフィールドワークでは、森の中のあるハンティ人のお宅に滞在いていたとき、若いハンティ人夫婦が1歳に満たない子供をつれて訪ねてきました。彼らは外気温がマイナス40度くらいのときに、40キロメートル以上もスノーモービルで風を受けて走行して来ました。赤ん坊が凍えないように、オントゥプは毛布や毛皮の衣服で厚く包まれ、さらに風よけとしてフェルトで全体を覆っていました。奥さんは、雪が凍り付いて白くなったフェルトで包んだままのオントゥプを家の中へいれてきたので、私はそれが何か分かりませんでした。一枚一枚毛布や毛皮の衣服を剥いでいきました。すると中から赤ん坊がまったく凍えた様子もなく血色の良い顔で出て来て、周囲に笑顔を振りまいていました。彼らが去る際には、赤ん坊は嫌がることもなく、おとなしくオントゥプにおさまりました。

 このように、オントゥプは携帯ベビーベッド、ベビーカー、ベビーシートの三役をこなす優れた道具です。ハンティの赤ん坊たちは厳しい自然の中でこの便利なゆりかごに守られて育ってゆきます。


材料のシラカバの樹皮の採集. オントゥプ用にはより大きな幹から採集する
(2016年9月22日)

ひとことハンティ語

単語:Овен пўнше!
読み方:オーヴェン ピュンシェ!
意味:扉を開けてください!
使い方:両手がふさがっているときなど、誰かに扉を開けてもらいたいときに使います。フィールドワークをはじめたばかりのときは、ハンティ語がよく分からなかったため、こうしたホームステイ先の家族たちのちょっとしたお願いも理解できず、申し訳ない気持ちになりました。そのたびに彼らは赤ん坊に言葉をひとつずつ教えるかのように、ハンティ語を私に教えました。

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◆この連載の目次は⇒「シベリアの大地で暮らす人々に魅せられて―文化人類学のフィールドワークから―」目次へ

【筆者プロフィール】

■大石侑香(おおいし・ゆか)
東北大学東北アジア研究センター・日本学術振興会特別研究員PD。博士(社会人類学)。2010年から西シベリアの森林地帯での現地調査を始め、北方少数民族・ハンティを対象に生業文化とその変容について研究を行っている。共著『シベリア:温暖化する極北の水環境と社会』(京都大学学術出版会)など。

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【編集部から】

携帯ベビーベッド、ベビーカー、ベビーシートの三役をこなす優秀な道具、オントゥプ。日本でも似たグッズとしてクーファンや持ち運び可能なベビーシートなどがありますね。日本で使用されているものも頑丈ですが、果たして外気温マイナス40度の中を40キロ以上スノーモービルで走行しても耐えられるでしょうか。オントゥプは材料も使用用途もこの地に根差したものですね。次回の更新は8月10日を予定しています。


広告の中のタイプライター(36):IBM Selectric

2018年 7月 12日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

タイプライターに魅せられた男たち・補遺

『Nation's Business』1962年11月号

『Nation’s Business』1962年11月号
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「IBM Selectric」は、IBMが1961年に発売した電動タイプライターです。「IBM Electromatic」以来IBMが採用してきたフロントストライク式ではなく、「IBM Selectric」はタイプ・ボールと呼ばれる金属製の「玉」により、紙の前面に印字をおこなう機構が特徴的です。

「IBM Selectric」のタイプ・ボールは、表面に88個の活字が鋳込まれた金属製の「玉」です。押されたキーに対応して上下左右に回転し、紙の表面に倒れ込むように印字をおこないます。タイプ・ボール上の88個の活字は、22個ずつ4段に分かれており、標準のタイプ・ボールでは、最上段が[#&*$Z@%¢)(]3784z25609と、次の段がXUDCLTNEKHBxudcltnekhbと、その次の段がMVRAO˚.”ISWmvrao!.’iswと、最下段がGF:,?J+PQY_gf;,/j=pqy-と、上から見て時計回りに並んでいました。タイプ・ボールは簡単に着脱可能であり、様々なデザインのフォントや、アルファベット以外のタイプ・ボールも準備されていました。

この結果、「IBM Selectric」では、タイプ・ボールによってキー配列も変わります。ただし、上の広告にもあるように、キートップには、いわゆる標準QWERTY配列が記されています。最上段のキーは]234567890-=と並んでいて、シフト側が[@#$%¢&*()_+です。すなわち「@」が「2」のシフト側にあって、これがIBMのタイプライターを特徴づけていました。また、数字の「1」ではなく「]」が標準で、数字の「1」は小文字の「l」で代用することが想定されていました。次の段はqwertyuiop!と並んでいて、シフト側がQWERTYUIOP˚です。その次の段はasdfghjkl;’と並んでいて、シフト側がASDFGHJKL:”です。最下段はzxcvbnm,./と並んでいて、シフト側がZXCVBNM,.?です。

ただ、最上段左端のキーに対応する活字を「]」と「[」ではなく、「1」と「!」にしたタイプ・ボールの方が、実際には人気が高かったようです。その結果、下の広告にもあるように、最上段左端のキートップに「1」と「!」を併記した「IBM Selectric」も、後には生産されるようになりました。このようなタイプ・ボールでは、2段目右端のキーに対応する活字を「!」と「˚」ではなく、「½」と「¼」にすることも多かったらしく、それらもキートップに併記されています。

『Office Equipment & Methods』1966年10月号

『Office Equipment & Methods』1966年10月号
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【筆者プロフィール】

安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

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モノが語る明治教育維新 第26回―双六から見えてくる東京小学校事情 (4)

2018年 7月 10日 火曜日 筆者: 唐澤 るり子

第26回―双六から見えてくる東京小学校事情 (4)

 国が明治7年に小学校用地として、500坪以内の土地を無償で下げ渡す旨の太政官布告を出したため、各地で小学校建設は活性化しますが、その建築費や運営費の多くは寄付金に頼らざるを得ませんでした。前回ご紹介したのは、主に地元民がその費用の多くを負担した例でしたが、第24回でご紹介した「有馬学校」のように、華族が率先して多額の寄付金を出した事例も少なくはありませんでした。それに対し官からは御賞賜(ごしょうし=お褒めの物品をあたえること)があったといいます。


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 明治8年本所永倉町(現・墨田区緑町)に開校した「本所学校」の校舎建築費も、その多くが尾張徳川家16代当主・徳川義宜(よしのり)の寄付で賄われました。額は3000円【注1】といいますから、大卒相当の初任給が8円(明治13年)といわれる時代、現在の大卒初任給を20万円として価値を換算すると、7500万円もの拠出となります。さすが、殿様は太っ腹です。

 東西南北の風見を設置した塔が特徴的な校舎ですが、東京曙新聞は「本所に新式小学校」の見出しで、次のような記事を載せています。

「学校の普請は万事ともに生徒の健康を害せざるやうにと注意して、両便へは臭気抜きをも附る位にし、又校中は是非とも靴をはく掟なるにより、貧乏者の小供等には靴形の上草履を銘々に渡し……」(明治8年9月18日。『新聞集成明治編年史』より。以下の引用も同史料による)

 トイレや校舎内の環境に配慮した近代的な校舎のようです。実はこの学校には尾張徳川家の令嬢や最後の将軍・徳川慶喜の子息も通っていました(D. モルレー『学事巡視功程』)。学校は、殿様の子どもと靴を買えない貧困者の子どもが一緒に学ぶ、四民平等の新しい時代が到来したことを感じさせる象徴的存在でもあったのです。


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 明治10年に新幸町(現・港区新橋)、今の第一ホテル付近に開校した「桜田学校」は、「明治学校」同様の南京下見の2階建て木造校舎でした(ちなみに「明治学校」は青、「桜田学校」はあずき色のペンキが塗られていました)。

 『港区教育史 上巻』(東京都港区教育委員会)によれば、新校舎建設資金には地元有志3831名の寄付金、約3857円が充てられました。単純に平均すると一人約1円の寄付となりますが、寄付金目録が記された奉加帳(ほうがちょう) には有栖川宮、三条実美、島津久光、大久保利通といった宮家や元勲21人が名を連ね、そういった方々の寄付金は相応に高額でした。ちなみに大久保利通は200円と記されています。


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 同じく明治10年、九段坂上(現・千代田区富士見町)に開校した「富士見女学校」の純和風2階建て校舎の建築費については、読売新聞が「女学校建設の寄付」の見出しで下記のごとく報道しています。

「富士見町一丁目へ女学校が出来るので、同町の華族桜井忠興君より百円、山県有朋君より百円、黒田長知君より百円、中御門経之君より七十円、一番町の木戸孝允君より百円、飯田町の有馬道純と鍋島直影の両君より五十円づゝ寄付されました」(明治10年5月1日)

 寄付金の額まで新聞で公表されては少額ともいかず、華族様の出費もさぞかし大変でしたでしょうが、中には庶民でも殿様ばりの太っ腹な例もあります。


(写真はクリックで拡大)

 明治8年に深川北松代町(現・江東区亀戸)に開校した「丸山学校」は、50坪の敷地に53.5坪の建築物を建て、空き地には残らず桜を植え付け2500円の費用が掛かりました。その全額を一人の豪商・丸山伝右衛門が負担したと、東京曙新聞は伝えています。

「府下の人は各地と違って学問の何物たるを知らないの、学校の資本金を出すものがないのなんのといふことが、折々諸新聞紙に見えますが、中にはかういふ人もございます。なんと皆さん感心な咄しではございませんか」(明治8年7月23日)

 こういった奇特な行為に触発され、東京の学校建設も盛んとなっていきました。ただしこの伝右衛門さん、大きな材木問屋を営んでいましたが、明治18年に破産閉店したとのことです。

*

[注1]

  1. 額は史料によって異なる場合がありますが、ここでは徳川義崇監修・徳川林政史研究所編『写真集  尾張徳川家の幕末維新』(吉川弘文館)を参照しました。

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◆画像の無断利⽤を固く禁じます。

◆この連載の目次は⇒「モノが語る明治教育維新」目次へ

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【筆者プロフィール】

『図説 近代百年の教育』

唐澤るり子(カラサワ・ルリコ)

唐澤富太郎三女
昭和30年生まれ 日本女子大学卒業後、出版社勤務。
平成5年唐澤博物館設立に携わり、現在館長
唐澤博物館ホームページ:http://karasawamuseum.com/
唐澤富太郎については第1回記事へ。

※右の書影は唐澤富太郎著書の一つ『図説 近代百年の教育』(日本図書センター 2001(復刊))

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【編集部から】

東京・練馬区の住宅街にたたずむ、唐澤博物館。教育学・教育史研究家の唐澤富太郎が集めた実物資料を展示する私設博物館です。本連載では、富太郎先生の娘であり館長でもある唐澤るり子さんに、膨大なコレクションの中から毎回数点をピックアップしてご紹介いただきます。「モノ」を通じて見えてくる、草創期の日本の教育、学校、そして子どもたちの姿とは。
更新は毎月第二火曜日の予定です。


人名用漢字の新字旧字:「浅」と「淺」

2018年 7月 5日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

第161回 「浅」と「淺」

新字の「浅」は常用漢字なので、子供の名づけに使えます。旧字の「淺」は、常用漢字でも人名用漢字でもないので、子供の名づけに使えません。新字の「浅」は出生届に書いてOKですが、旧字の「淺」はダメ。どうしてこんなことになっているのでしょう。

昭和17年6月17日、国語審議会は標準漢字表を、文部大臣に答申しました。標準漢字表は、各官庁および一般社会で使用する漢字の標準を示したもので、部首画数順に2528字が収録されていました。標準漢字表の水部には「浅」が含まれていて、その直後に、カッコ書きで「淺」が添えられていました。「浅(淺)」となっていたわけです。簡易字体の「浅」は、旧字の「淺」に代えて一般に使用すべき漢字、ということになっていました。

昭和21年11月5日、国語審議会が答申した当用漢字表では、水部に「浅」が含まれていて、その直後に、カッコ書きで「淺」が添えられていました。「浅(淺)」となっていたのです。翌週11月16日に当用漢字表は内閣告示され、新字の「浅」は当用漢字になりました。昭和23年1月1日に戸籍法が改正され、子供の名づけに使える漢字が、この時点での当用漢字表1850字に制限されました。当用漢字表には、新字の「浅」が収録されていたので、「浅」は子供の名づけに使ってよい漢字になりました。旧字の「淺」は、子供の名づけに使えなくなりました。

昭和56年3月23日、国語審議会が答申した常用漢字表では、やはり「浅(淺)」となっていました。これに対し、民事行政審議会は、常用漢字表のカッコ書きの旧字を子供の名づけに認めるかどうか、審議を続けていました。昭和56年4月22日の総会で、民事行政審議会は妥協案を選択します。常用漢字表のカッコ書きの旧字355組357字のうち、当用漢字表に収録されていた旧字195字だけを子供の名づけに認める、という妥協案です。昭和56年10月1日に常用漢字表は内閣告示され、新字の「浅」は常用漢字になりました。しかし、旧字の「淺」は人名用漢字になれませんでした。旧字の「淺」は、常用漢字表のカッコ書きに入ってるけど当用漢字表に収録されてなかったからダメ、となったのです。

平成16年3月26日に法制審議会のもとで発足した人名用漢字部会は、常用漢字や人名用漢字の異体字であっても、「常用平易」な漢字であれば人名用漢字として追加する、という方針を打ち出しました。この方針にしたがって人名用漢字部会は、当時最新の漢字コード規格JIS X 0213(平成16年2月20日改正版)、平成12年3月に文化庁が書籍385誌に対しておこなった漢字出現頻度数調査、全国の出生届窓口で平成2年以降に不受理とされた漢字、の3つをもとに審議をおこないました。旧字の「淺」は、全国50法務局のうち出生届を拒否した管区は無く、JIS第2水準漢字で、漢字出現頻度数調査の結果が19回でした。この結果、旧字の「淺」は「常用平易」とはみなされず、人名用漢字に追加されませんでした。

平成23年12月26日、法務省は入国管理局正字13287字を告示しました。入国管理局正字は、日本に住む外国人が住民票や在留カード等の氏名に使える漢字で、新字の「浅」と旧字の「淺」を含んでいました。この結果、日本で生まれた外国人の子供の出生届には、新字の「浅」に加え、旧字の「淺」も書けるようになりました。これに対し、日本人の子供の出生届には、新字の「浅」はOKですが、旧字の「淺」はダメなのです。

【筆者プロフィール】

安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

http://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。


『日本国語大辞典』をよむ―第37回 ライガーとレオポン

2018年 7月 1日 日曜日 筆者: 今野 真二

第37回 ライガーとレオポン

ライガー〔名〕({英}liger lionとtigerの合成語)雄のライオンと雌のトラの交配により、飼育下でつくられた雑種。ライオンよりやや大きく、体色はライオンに似るが褐色の縞がある。繁殖能力はない。

レオポン〔名〕({英}leopon {英}leopardとlionとの合成語)ヒョウの雄とライオンの雌の交配による雑種で、ヒョウより大きく、斑紋がある。繁殖能力はない。

 見出し「レオポン」の語釈にも「飼育下でつくられた」という表現が含まれている方が、2つの見出しの「平行性」が保たれると思われるが、それはそれとする。上の「合成語」は2種類の動物を表わす語を合成した、ということであるが、むしろ実際に雑種がうまれているから、合成語を作って、「実態」にみあった名前をつけた、というべきかもしれない。

よそる【装】〔他ラ四〕(動詞「よそう(装)」と、「もる(盛)」とが混交したもの)飲食物をすくって器に盛る。

 上の語釈の中に「混交」という語が使われている。「混交(混淆)」(contamination)は言語学の用語となっている。上の使用例としては、「改正増補和英語林集成〔1886〕」と龍胆寺雄の「アパアトの女たちと僕と〔1928〕」と北杜夫の「白毛〔1966〕」があげられている。

 この「ヨソル」には個人的な記憶がある。筆者は高校時代に卓球部に所属していたが、1年生の夏休みの合宿の時に、ご飯を「ヨソウ」というか「ヨソル」というか、ということがなぜか話題になった。筆者はそれまで「ヨソル」という語を耳にしたことがなかったので、そんな語があるはずがない、と思って「ヨソウ」派だったが、3年生の一番厳しいI先輩が「ヨソル」派で、絶対に「ヨソル」だと言って譲らなかった。その時の話がどう終わったかは覚えていないが、それから「ヨソル」という語が記憶に残った。『日本国語大辞典』をよんできて、この見出しに出会って、「これか!」と思った。「ヨソル」は実在する語形だった。しかも、明治期にすでにあった語形であった。

 『日本国語大辞典』をよんでいると、時々この「混交」に出会う。

あせしみずく【汗―】〔名〕(「あせしずく」と「あせみずく」との混交語)「あせしずく(汗雫)」に同じ。

あんけらかん〔副〕(「あんけら」と「あんかん(安閑)」が混交してできた語という)「あんけら【一】」に同じ。

げんご【言語】〔名〕人間の思想や感情、意思などを表現したり、互いに伝えあったりするための、音声による伝達体系。また、その体系によって伝達する行為。それを文字で写したもののこともいう。ことば。げんぎょ。ごんご。 語誌 江戸時代までは漢音よみの 「ゲンギョ」と呉音よみの「ゴンゴ」とが並行して用いられてきたが、明治初年に、両語形が混交して「ゲンゴ」が誕生した。「ゲンゴ」の一般化に伴って「ゲンギョ」は姿を消し、「ゴンゴ」は、「言語道断」などの特定の慣用表現に残った。

さそつ【査卒】〔名〕(「巡査」と「邏卒」の混交か)明治初期、巡査をいう語。

にらみる【眄】〔他マ上一〕(「にらむ」と「見る」との混交した語)にらんで見る。にらみつけるように見る。

やにむに〔副〕(「やにわに」と「しゃにむに」とが混交したもの)「やにわに(3)」を強めたいい方。

 現在では「ゲンゴ(言語)」という語形を使っているので、「ゲンギョ」とか「ゴンゴ」とかいう語形を耳にすることもほとんどなくなってきているかもしれないが、明治期の文献などを読んでいるとそうした語形に出会うことが少なくない。漢字で「言語」と書かれる漢語は、同一の音系で発音するのがまずは自然であるので、上の字を漢音で発音するなら、下の字も漢音、上の字を呉音で発音するなら、下の字も呉音、というのがまずは「筋」だ。しかし、日本には、というか日本語には、漢音も呉音も蓄積され、そのために、1つの漢字が呉音、漢音、唐宋音など複数の「オン(音)」をもつようになった。そしてまた、「漢字のよみ」というかたち、(あるいは理解)を形成していったと考えることができる。このあたりは、わかりやすく説明することが難しい。そしてまた、今後の研究課題でもあると考える。漢字が語を書いたものという「感覚」よりも「漢字をよむ」という「感覚」のほうが強いとすれば、その「感覚」をときほぐすことが、日本語における漢字がどのように機能していたか、を探る1つの「道」だろう。

 話を戻せば、「言」の字には「ゲン」「ゴン」2つの「オン(音)」があり、「語」の字には「ギョ」「ゴ」2つの「オン(音)」がある、ととらえると、いろいろな「組み合わせ」も可能だということになりそうだ。

 「サソツ(査卒)」は明治初期に使われていた語だと思われるが、まだ150年ぐらいしか経っていないのに、もうその語がどうしてうまれたかがわからなくなってしまっている。また「ニラミル」の例には「観智院本類聚名義抄〔1241〕」があげられており、「混交」は13世紀にもみられる言語現象であることがわかる。

 『日本国語大辞典』をよんでいると、出会った語をきっかけとしていろいろなことを考えるようになる。そして、いろいろと考えることによって、日本語全体について考えることになる。無謀な試みであることはどれだけよんでも変わらないが、楽しむ気持ちもうまれてくることがわかったことは収穫だ。

 1つだけ、注文をだしておきたい。『日本国語大辞典』は「混交」「混淆」を併用している。両者の意味するところが違うのであればいいが、そうであるとは考えにくいように思う。もしも両者の意味するところが同じなのであれば、書き方はどちらかに統一しておいていただけると助かる。今はオンライン版で検索をかけることができるので、こうしたこともわかるのでつい気になる。

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※特に出典についてことわりのない引用は、すべて『日本国語大辞典 第二版』からのものです。引用に際しては、語義番号などの約物および表示スタイルは、ウェブ版(ジャパンナレッジ http://japanknowledge.com/)の表示に合わせております。

◆この連載の目次は⇒「『日本国語大辞典』をよむ」目次へ

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【筆者プロフィール】

今野真二(こんの・しんじ)

1958年、神奈川県生まれ。高知大学助教授を経て、清泉女子大学教授。日本語学専攻。

著書に『仮名表記論攷』、『日本語学講座』全10巻(以上、清文堂出版)、『正書法のない日本語』『百年前の日本語』『日本語の考古学』『北原白秋』(以上、岩波書店)、『図説日本語の歴史』『戦国の日本語』『ことば遊びの歴史』『学校では教えてくれないゆかいな日本語』(以上、河出書房新社)、『文献日本語学』『『言海』と明治の日本語』(以上、港の人)、『辞書をよむ』『リメイクの日本文学史』(以上、平凡社新書)、『辞書からみた日本語の歴史』(ちくまプリマー新書)、『振仮名の歴史』『盗作の言語学』(以上、集英社新書)、『漢和辞典の謎』(光文社新書)、『超明解!国語辞典』(文春新書)、『常識では読めない漢字』(すばる舎)、『「言海」をよむ』(角川選書)、『かなづかいの歴史』(中公新書)がある。

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【編集部から】

現在刊行されている国語辞書の中で、唯一の多巻本大型辞書である『日本国語大辞典 第二版』全13巻(小学館 2000年~2002年刊)は、日本語にかかわる人々のなかで揺らぐことのない信頼感を得、「よりどころ」となっています。
辞書の歴史をはじめ、日本語の歴史に対し、精力的に著作を発表されている今野真二先生が、この大部の辞書を、最初から最後まで全巻読み通す試みを始めました。
本連載は、この希有な試みの中で、出会ったことばや、辞書に関する話題などを書き進めてゆくものです。ぜひ、今野先生と一緒に、この大部の国語辞書の世界をお楽しみいただければ幸いです。隔週連載。


広告の中のタイプライター(35):Underwood Forum

2018年 6月 28日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

タイプライターに魅せられた男たち・補遺

『Office Equipment & Methods』1965年3月号

『Office Equipment & Methods』1965年3月号
(写真はクリックで拡大)

「Underwood Forum」は、アンダーウッド社が1961年に発売した電動タイプライターです。この頃、アンダーウッド社は、イタリアのオリベッティ社の傘下に入っており、「Underwood Forum」も、オリベッティ社のピントーリ(Giovanni Pintori)のデザインによるものでした。ただし、「Underwood Forum」の製造はイタリアではなく、アメリカのコネティカット州ハートフォードが生産拠点の中心でした。

「Underwood Forum」は電動タイプライターですが、その印字機構はフロントストライク式で、プラテンの手前に44本の活字棒(type arm)が、扇状に配置されています。キーを押すと、対応する活字棒が電動で跳ね上がってきて、プラテンの前面に印字がおこなわれます。ただし、複数のキーを同時に押しても、活字棒は1本だけしか動かず、ジャミングは避けられるようになっていました。印字やシフト機構だけでなく、キャリッジ・リターンも、改行も、タブ機構も、バックスペースも、全て電動でおこなわれます。キーボードの最上段の上には、タブ機構の設定や解除に関するキーが並んでおり、タブ移動が左右両方向におこなえる、というのが「Underwood Forum」の特長でした。

「Underwood Forum」のキー配列は、「Underwood Golden-Touch Electric」ではなく、「IBM Electric Typewriter Model C」のキー配列をほぼ踏襲していて、44個のキーに86種類の文字が並んでいます。最上段のキーは234567890-=と並んでいて、シフト側が@#$%¢&*()_+です。すなわち、「@」が「2」のシフト側にあって、それ以前のUnderwoodとは異なり、むしろIBMのキー配列となっています。次の段はqwertyuiop½!と並んでいて、シフト側がQWERTYUIOP¼˚です。次の段はasdfghjkl;’と並んでいて、シフト側がASDFGHJKL:”であり、右端には「CARR RET」キーが配置されています。最下段はzxcvbnm,./と並んでいて、シフト側がZXCVBNM,.?です。すなわち、コンマとピリオドが、シフト側にもダブって搭載されているため、44個のキーに86種類の文字となるのです。なお、数字の「1」は小文字の「l」で代用することになっていたようです。

アンダーウッド社は、上の広告の翌年(1966年)にオリベッティ・アンダーウッド社へと社名を変更、生産拠点をペンシルバニア州ハリスバーグへと移します。これと前後して「Underwood Forum」も生産を終了し、アメリカやカナダにおいても、Olivettiブランドを展開していくようになるのです。

【筆者プロフィール】

安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

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人名用漢字の新字旧字:「姉」と「姊」

2018年 6月 21日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

第160回 「姉」と「姊」

160ane-old.png新字の「姉」は常用漢字なので、子供の名づけに使えます。旧字の「姊」は、常用漢字でも人名用漢字でもないので、子供の名づけに使えません。「姉」は出生届に書いてOKですが、「姊」はダメ。どうしてこんなことになったのでしょう。

昭和17年6月17日、国語審議会は標準漢字表を、文部大臣に答申しました。標準漢字表は、各官庁および一般社会で使用する漢字の標準を示したもので、女部に新字の「姉」が収録されていました。その一方、旧字の「姊」は標準漢字表には含まれていませんでした。昭和17年12月4日、文部省は標準漢字表を発表しましたが、そこでも新字の「姉」だけが含まれていて、旧字の「姊」は含まれていませんでした。

昭和21年4月27日、国語審議会に提出された常用漢字表1295字には、女部に新字の「姉」が含まれていて、旧字の「姊」は含まれていませんでした。国語審議会が11月5日に答申した当用漢字表でも、新字の「姉」だけが含まれていました。翌週11月16日に当用漢字表は内閣告示され、新字の「姉」は当用漢字になりました。昭和23年1月1日に戸籍法が改正され、子供の名づけに使える漢字が、この時点での当用漢字表1850字に制限されました。当用漢字表には新字の「姉」が収録されていたので、「姉」は子供の名づけに使ってよい漢字になりました。旧字の「姊」は、子供の名づけに使えなくなってしまいました。

昭和56年3月23日、国語審議会が答申した常用漢字表1945字には、新字の「姉」が収録されていましたが、旧字の「姊」はカッコ書きにすら入っていませんでした。昭和56年10月1日に常用漢字表は内閣告示され、新字の「姉」は常用漢字になりました。その一方で旧字の「姊」は、常用漢字にも人名用漢字にもなれなかったのです。

平成16年4月1日、法務省民事局は『戸籍手続オンラインシステム構築のための標準仕様書』を通達、合わせて戸籍統一文字を発表しました。戸籍統一文字は、電算化戸籍に用いることのできる文字で、当初の時点では、漢字は55255字が準備されていました。この55255字の中に、「姉」と「姊」が含まれていたのです。つまり、コンピュータ化された戸籍の氏名には、「姉」も「姊」も使えるよう、システム上は設計されているのです。けれども法務省は、出生届には新字の「姉」しか許しませんでした。

平成23年12月26日、法務省は入国管理局正字13287字を告示しました。入国管理局正字は、日本に住む外国人が住民票や在留カード等の氏名に使える漢字で、新字の「姉」と旧字の「姊」を含んでいました。この結果、日本で生まれた外国人の子供の出生届には、新字の「姉」に加え、旧字の「姊」も書けるようになりました。これに対し、日本人の子供の出生届には、新字の「姉」はOKですが、旧字の「姊」はダメなのです。

【筆者プロフィール】

安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

http://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。


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