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地域語の経済と社会 第254回 「カタラン語の「子ども」を表わす方言」
Catalonian dialect on “child”

2013年 5月 18日 土曜日 筆者: 山下 暁美

地域語の経済と社会―方言みやげ・グッズとその周辺―
第254回 「カタラン語の「子ども」を表わす方言」
Catalonian dialect on “child”

 1970年代後半にカタルーニャ語(Català カタラン語)は、スペインの自治州であるカタルーニャ州(図1)の公用語として認められました。バルセロナ大学の学生たちにカタルーニャ語の方言について質問してみたところ、街角の表示などでは標準語しか使われていないという答えでした。一方、日本語の方言は看板やポスターなどの表示でよく見かけます。でも調べてみると、カタルーニャ語の方言も街角で使われています。

(図はクリックで拡大)
【図1】
スペインでカタルーニャ語が話されている地域
(図1・ブルーの地域)

 カタルーニャ語の「子ども」を表す方言に“xiquet(シケット)”という言いかたがあります。“xiquet”の“xic”は、Googleの翻訳によると「少し」という意味です。それに“-et”という小さいことを強調する指小辞がついて“xiquet”となり、12,3歳くらいの子どもを指します。

 Google maps で見てみると、72件のヒットがありました(2013年5月5日調べ)。バルセロナから南へ行ったバレンシア州の方言です。例えば“carrer xiquet(子どもの通り)”や“Els xiquets(子どもたち)”という文具店の名前などに使われています。

【図2】
「子ども」を意味する“nen”のいろいろな方言(図2)

 方言地図(図2)に示されている語形(赤字)はカタルーニャ語ですが、すべて「子ども」という意味です。カタルーニャ州の州都バルセロナでは、主に標準語の“nen(0歳から12歳以下の子ども)”が用いられています。“minyó(13歳くらいから17,18歳まで)”と“xicot(19歳くらいの子ども)”は方言です。“-ot”は指小辞の逆で、大きいことを強調するとき付きます。

 カタルーニャ州北部と、地中海のマヨルカ島に“nin(12、3歳の子ども)”が分布しています。マヨルカ島の子どもの教育センターで¡Bienvenido a la escoleta Nins i Nines!(学校へいらっしゃい。男の子たちと女の子たち!)”と“Nins(ninの複数形・ここでは男の子の意味)”を使っている例があります(http://ninsinines.es)。

 日本語でも一つのことばをとりあげて地域差を調べるとカタルーニャ語のような地図ができます。例えば「こども」を考えると、「お子たち」「おちびさん」「ちびっこ」などたくさんの言いかたがあります。それを地図にマークや色などで書き込むと分布の様子が見えます。

 方言地図(図2)は友人のマリア・ピラル・ペレア・サバテールさん(Maria Pilar Perea Sabater教授・バルセロナ大学、国際方言学会会長)が作ったものです。分布とことばの使い分けについて情報をいただきました。

 なお「カタルーニャ」は、ジョージ・オーウェルの小説名では『カタロニア賛歌(Homage to Catalonia)』と訳されています。

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【筆者プロフィール】

言語経済学研究会 The Society for Econolinguistics
 井上史雄大橋敦夫田中宣廣日高貢一郎山下暁美(五十音順)の5名。日本各地また世界各国における言語の商業的利用や拡張活用について調査分析し,言語経済学の構築と理論発展を進めている。
(言語経済学や当研究会については,このシリーズの第1回後半部をご参照ください)

『海外の日本語の新しい言語秩序―日系ブラジル・日系アメリカ人社会における日本語による敬意表現』『書き込み式でよくわかる 日本語教育文法講義ノート』山下暁美(やました・あけみ)
明海大学外国語学部・大学院応用言語学研究科教授。博士(学術)。
専門は、日本語教育学・社会言語学。研究テーマは、移民百年を迎えた、ブラジル、アメリカ合衆国などにおける日本語の変化、外国人の日本定住化による共生時代の日本語教育政策。
著書に『書き込み式でよくわかる日本語教育文法講義ノート』(共著、アルク)、『海外の日本語の新しい言語秩序』(単著、三元社)、『スキルアップ文章表現』(共著、おうふう)、『スキルアップ日本語表現』(単著、おうふう)、『解説日本語教育史年表(Excel 年表データ付)』(単著、国書刊行会)、『ふしぎびっくり語源博物館4 歴史・芸能・遊びのことば』(共著、ほるぷ出版)などがある。

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【編集部から】
皆さんもどこかで見たことがあるであろう、方言の書かれた湯のみ茶碗やのれんや手ぬぐい……。方言もあまり聞かれなくなってきた(と多くの方が思っている)昨今、それらは味のあるもの、懐かしいにおいがするものとして受け取られているのではないでしょうか。
方言みやげやグッズから見えてくる、「地域語の経済と社会」とは。方言研究の第一線でご活躍中の先生方によるリレー連載です。

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この連載への質問、また「ここでこんな方言みやげ・グッズを見た」などの情報は、問い合わせフォーム( http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/support/question.html )から、「地域語の経済と社会」への質問・情報である旨を記してご投稿ください。

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「百学連環」を読む:談虎色変

2013年 5月 17日 金曜日 筆者: 山本 貴光

第109回 談虎色変

 「消極知(negative knowledge)」は、真理に関わる消極的な知識ではあるけれど、「積極知(positive knowledge)」と裏腹の関係にあるというのが、前回確認されたことでした。西先生は、このことについて具体例を並べています。見てみましょう。

譬へは釋氏の虚誕なるを知るときは孔門の實理なるを知るか如く、其虚たるを一寸知れは其實を又一寸知るか如く、其力能く並ひ係りてゆくものなり。又譬へは三人の人あり、折節虎の話しとなりしか、一人は其以前實に虎に出逢ひて幸に其害を免かれし人なるか故に、其話についても顔色忽ち變せしと諺にいへる如く、其害難を知るか故に又安穏なるを知るなり。

(「百學連環」第42段落第3文~第4文)

 訳してみます。

例えば、仏教がデタラメであることが分かると、孔子門下〔の教え〕が実際に即した道理であることが分かるように、あるいは〔物事について〕事実ではないことが少し分かれば、事実であることが少し分かるというように、〔消極知と積極知とは〕互いに関係しあいながら働くのである。また、こんな例もある。ここに三人の人がいて、ちょうど虎の話題になった。そのうちの一人は、以前、実際虎と遭遇して、幸いにも害を免れた人だった。それだけに、その人は虎の話を聞いて、たちまち顔色を変えたのだった。と、こんなふうに諺にも言う通り、〔物事について〕害難を知っているからこそ、安穏のなんたるかも分かるわけである。

 一つ目の、仏教と孔子の教えの比較は、例としてどうなのか、少し疑問も湧きました。というのも、仏教の教えがデタラメであることは、それとは別の孔子の教えもまたデタラメという可能性を否定しないような気がします。この一つ目の例が成り立つのは、ある事柄について、仏教の教えと孔子の教えのいずれかが正しいという前提がある場合のように思うのですが、いかがでしょうか。あるいはこのくだりは、別の読み方ができるかもしれません。

 それに対して、事実ではないことが分かると、それと裏腹に事実であることが少し分かるという例は、腑に落ちるように思います。

 例えば、前回例に出ていた狐が人間を化かすかどうかという話で考えてみましょう。「狐は人間を化かす」という主張(命題)は、真か偽かと考えてよいでしょう。そこで、実際に狐を連れてきて試したところ、(その経験の範囲では)狐は一向に人間を化かしたりしないことが分かった。つまり「狐は人間を化かす」という主張が偽であることが分かった。この結果、それとは裏腹に「狐は人間を化かさない」ということが分かるという具合です。

 あるいは、もう少し別の例も並べてみます。コンピュータでプログラムを作って動かしてみると、いろいろな不具合が生じることがあります。いま、プログラムはごく短いものであり、全部で100行ほどだとしましょう。このプログラムを動かしたところ、途中で止まってしまうという症状が生じました。さて、この不具合の原因はプログラムのどこにあるか。プログラムの冒頭から確認を進めていって、最初の20行に問題がないとしたら、怪しいのは残りの80行と言えそうです。

 つまり、この例では「プログラムのどこに問題があるか?」という問いに対して、「少なくとも1行目から20行目までは問題がない」というふうに、「消極知」を得たわけです。消極知ではありますが、そのおかげで、「問題は残る21行目から100行目のどこかにある」ということが分かるわけです。これなどは、まさに消極知と積極知とが、相互に深く関連している例と言えましょう。

 そして、西先生はさらにもう一つ具体例を挙げていますね。これはいわゆる「談虎色変」といわれる話です。三人のうち、実際虎に遭遇したことのある人だけが、顔色を変えるほど怖がった。というのも、虎の恐ろしさを、自分の身をもって実際に経験したからこそ、顔色がさっと変わってしまうほどその恐ろしさを思い出したというわけです。

 鄭高咏氏の「虎のイメージに関する一考察――中国のことばと文化」によりますと、この話は宋の時代の『二程遺書』に見えるそうです。「本当に知っているのと常識として知っているのとでは訳が違う」というのが、元の文脈の趣旨のようです。

 西先生は、それに続けて、危険を知っているからこそ、危険のない安穏がなんたるかも分かるとまとめていました。風邪を引いたり怪我をしたときにこそ、健康の価値が分かるということ、なにかを失うことでかえってその価値が分かるという話にも通じるように思います。

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筆者プロフィール

山本貴光(やまもと・たかみつ)

『コンピュータのひみつ』(朝日出版社) ジマーマン+サレン『ルールズ・オブ・プレイ』(ソフトバンククリエイティブ)文筆家・ゲーム作家。
1994年から2004年までコーエーにてゲーム制作(企画/プログラム)に従事の後、フリーランス。現在、東京ネットウエイブ(ゲームデザイン)、一橋大学(映像文化論)で非常勤講師を務める。代表作に、ゲーム:『That’s QT』、『戦国無双』など。書籍:『心脳問題――「脳の世紀」を生き抜く』(吉川浩満と共著、朝日出版社)、『問題がモンダイなのだ』(吉川浩満と共著、ちくまプリマー新書)、『デバッグではじめるCプログラミング』(翔泳社)、『コンピュータのひみつ』(朝日出版社)など。翻訳書:ジョン・サール『MiND――心の哲学』(吉川浩満と共訳、朝日出版社)ジマーマン+サレン『ルールズ・オブ・プレイ』(ソフトバンククリエイティブ)など。目下は、雑誌『考える人』(新潮社)で、「文体百般――ことばのスタイルこそ思考のスタイルである」、朝日出版社第二編集部ブログで「ブックガイド――書物の海のアルゴノート」を連載中。「新たなる百学連環」を構想中。
URL:作品メモランダム(http://d.hatena.ne.jp/yakumoizuru/
twitter ID: yakumoizuru

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【編集部から】
細分化していく科学、遠くなっていく専門家と市民。
深く深く穴を掘っていくうちに、何の穴を掘っていたのだかわからなくなるような……。
しかし、コトは互いに関わり、また、関わることをやめることはできません。
専門特化していくことで見えてくることと、少し引いて全体を俯瞰することで見えてくること。
時は明治。一人の目による、ものの見方に学ぶことはあるのではないか。
編集部のリクエストがかない、連載がスタートしました。毎週金曜日に掲載いたします。

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談話研究室にようこそ 第53回 映画における解釈の誘導

2013年 5月 16日 木曜日 筆者: 山口 治彦

第53回 映画における解釈の誘導

 以前(第45回)にお話ししましたが,最初に『アバター』を観たとき,気が進まず,集中して観ていませんでした。しかし,ナヴィの娘ネイティリを演じているのがアフリカ系の女優だと気づいてから,目が離せなくなりました。(そして,前回までは,『アバター』のキャストが人種の面で偏りがあることついてお話ししました。)

 目が離せなくなって観続けて,ほかにも気づきました。『アバター』って,SF版『ダンス・ウィズ・ウルブズ』なんだなあ,と。一方は,地球を遠くはなれた衛星パンドラ,もう一方は南北戦争後のアメリカのフロンティア。舞台は何光年も離れていますが,ストーリーの構成は,重なる部分があまりにも多いのです。事実,監督のジェームズ・キャメロンは,『アバター』を作るにあたって『ダンス・ウィズ・ウルブズ』を参考にしたことを明かしています(たとえば,Los Angels Timesのインタビュー記事”James Cameron: Yes, ‘Avatar’ is ‘Dances with Wolves’ in space. . .sorta”を参照ください;http://herocomplex.latimes.com/uncategorized/james-cameron-the-new-trek-rocks-but-transformers-is-gimcrackery/)。

 では,舞台も設定も大きく異なる映画が,なぜ同じ構成をたどるのでしょうか。観客の解釈をどのように誘導するかという観点から,『アバター』と『ダンス・ウィズ・ウルブズ』のプロットについて考えてみようと思います。

 エンタテイメントとしての映画が商業的に成功するためには,繰り広げられる物語に対して観客が総じて同じ解釈を持つ必要があります。複数の解釈が可能な映画は,芸術的には一定の効果を挙げることもあるかもしれませんが,商業的には成功しづらいのではないでしょうか。解釈が定まらないと観客は自分の理解に対して不安になりますし,複数の解釈のなかからひとつの解釈を随意に選ばせるのは,観客に多くの労力を強いるからです。

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 要するに,そのような映画は難しすぎるのです。受動的な受容に慣れた一般の観客には,分かりやすく,安心して楽しめるものがいい。主人公に対し容易に共感できるものがいいのです。

 主人公に共感するためには,観客と主人公が同じ世界観を共有する必要があります。ところが,映画によってはプロットの都合上,主人公が一般の社会通念に反して行動することがあります。そのような場合,観客が安心して作品を楽しめるよう,観客の解釈を自然に誘導する必要が生まれます。しかし,わざたらしい誘導は逆効果となります。観客の反感を買ってしまいます。だから,それとは分からぬように,用意周到に物語を構成し,展開せねばなりません。

 『アバター』はまさにそのような映画です。映画の終盤で,敵役のクオリッチ(Quaritch)大佐は,主人公ジェイク・サリー(Jake Sully)に対し,次のようなせりふを吐きます。

(70) Hey Sully, how’s it feel to betray your own race? You think you’re one of them? Time to wake up. (おい,サリー,人類を裏切るのはどんな気持ちだ?やつらと同族だとも思っているのか?そろそろ目を覚ませ。)

 「人類を裏切る」行為は大罪のはずです。実際,映画のなかでは多くの人間とナヴィが「人類を裏切る」戦いのなかで命を落とします。ですが,このようなせりふを浴びせられても,(大多数の)観客の主人公に対する信頼はゆるぎません。なぜでしょうか。

 同様に,『ダンス・ウィズ・ウルブズ』のなかで,主人公のダンバー中尉はアメリカ・インディアンの文化に傾倒し,自分も所属していたはずの騎兵隊に対し弓を引くことになります。しかし,観客の共感はダンバー中尉とインディアンの側にあります。

 観客の評価や解釈を誘導するために,どのような仕掛けが映画のなかに施されているのでしょうか。そのことについて考えてみましょう。

 次回以降,『ダンス・ウィズ・ウルブズ』の筋立てにも言及することになりますので,この映画をご覧になっていない方は,再来週までにご覧になることをお勧めします。

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【筆者プロフィール】

『明晰な引用,しなやかな引用』(くろしお出版) 『語りのレトリック』(海鳴社)山口治彦(やまぐち・はるひこ)

神戸市外国語大学英米学科教授。
専門は英語学および言語学(談話分析・語用論・文体論)。発話の状況がことばの形式や情報提示の方法に与える影響に関心があり,テクスト分析や引用・話法の研究を中心課題としている。
著書に『語りのレトリック』(海鳴社,1998)『明晰な引用,しなやかな引用』(くろしお出版,2009)などがある。

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【編集部から】

雑誌・新聞・テレビや映画、ゲームにアニメ・小説……等々、身近なメディアのテクストを題材に、そのテクストがなぜそのような特徴を有するか分析かつ考察。
「ファッション誌だからこういう表現をするんだ」「呪文だからこんなことになっているんだ」と漠然と納得する前に、なぜ「ファッション誌だから」「呪文だから」なのかに迫ってみる。
そこにきっと何かが見えてくる。

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エリザベス・マーガレット・ベイター・ロングリー(6)

2013年 5月 16日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

タイプライターに魅せられた女たち・第81回

オハイオ州の女性参政権運動団体を設立するにあたって、最初の総会を成功させるためには、いわゆるビッグネームを招聘すべきだ、とロングリー夫人は考えました。有名な女性運動家をシンシナティに呼んで、女性参政権について演説してもらうのです。ただ、シンシナティだけで、ビッグネームを呼ぶのは無理があります。ロングリー夫人は、シカゴのリバモア夫人に協力を仰ぐことにしました。シカゴとシンシナティで連続開催ということにして、ビッグネームを大都会シカゴの大会に呼んだ後、シンシナティにも来てもらう、という案を考えたのです。リバモア夫人からの返事には「9月15~16日にシンシナティで開催しなさい。スタントン夫人とアンソニー女史と私が出席する予定だ、と宣伝しなさい。きっと総会は成功します。恐れることはありません」とありました。

1869年9月9~10日、リバモア夫人に招かれてシカゴを訪れたロングリー夫人は、女性参政権大会に出席していました。この大会をリバモア夫人は、アメリカ中央部9州(イリノイ州・インディアナ州・アイオワ州・カンザス州・ミシガン州・ミネソタ州・ミズーリ州・オハイオ州・ウィスコンシン州)における女性参政権の、いわば決起大会だとみなしていました。ルーシー・ストーンやアンソニー女史も招かれていて、女性参政権について、それぞれスピーチをおこないました。200人以上の女性運動家たちが集まり、大会は大成功のうちに終了しましたが、しかし、スタントン夫人は、会場の図書館ホールに現れませんでした。

翌週の9月15~16日、ロングリー夫人は、シンシナティのパイクス・ミュージック・ホールで、オハイオ女性参政権協会(Ohio Woman Suffrage Assocation)の設立総会を、開催していました。ロングリー夫人は、オハイオ女性参政権協会の会長に選出されましたが、これを固辞し、カトラー夫人(Hannah Maria Tracy Cutler)が初代会長、ロングリー夫人は副会長となりました。ロングリー夫人のスピーチから、少し引用してみましょう。

ニューヨークのAERA年次大会での経験から、私たちは、数多くを試みるよりは、たった一つのことを成し遂げた方が、遥かに良いということを学びました。そして、シカゴの同胞たちは、その他の利益は全て脇に置き、ただ一つの権利、全ての政治的権利のもととなるただ一つの権利、すなわち、投票する権利、それを勝ち取ることだけを運動の目標と定めました。今日ここに私たちは、オハイオ女性参政権協会を設立するために集まっています。そのただ一つの目標は、文書と演説とを通じて、この国の全ての人々に、連帯の輪と共に広めていかなければいけません。あらゆる適切な手段を通じて、女性参政権運動を推し進め、わが政府を本当の意味で、本当の理想的な意味で、人民の政府としなければいけないのです。

さらに、ルーシー・ストーン、アンソニー女史、リバモア夫人などのビッグネームが、次々にスピーチをおこないました。しかし、スタントン夫人は、シンシナティにも現れませんでした。最終的に、オハイオ州の19の選挙区から一人ずつを、オハイオ女性参政権協会に代表として送る、という動議を全会一致で採択し、設立総会は大成功のうちに幕を閉じました。次回の総会は、会長カトラー夫人の地元クリーブランドでの開催予定となりました。

(エリザベス・マーガレット・ベイター・ロングリー(7)に続く)

【筆者プロフィール】

安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター准教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

http://slashdot.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

編集部から

近代文明の進歩に大きな影響を与えた工業製品であるタイプライター。その改良の歴史をひもとく連載です。毎週木曜日の掲載です。とりあげる人物が女性の場合、タイトルは「タイプライターに魅せられた女たち」となります。


Baba O’Riley(1971/全米、全英共にシングル・カットなし)/ザ・フー(1964-) 402c

2013年 5月 15日 水曜日 筆者: 泉山 真奈美

歴史を彩った洋楽ナンバー~キーワードから読み解く歌物語~ 第82回

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●歌詞はこちら
http://www.lyrics.com/baba-oriley-lyrics-the-who.html

曲のエピソード

イギリスのロック・ミュージック界が生んだ最大の至宝、ザ・フー。昨夏のロンドン・オリンピック閉会式では、世界中の人々がフィナーレに酔いしれる中、堂々とオオトリを務め上げた。残念ながら、既にこの世の人ではない超絶技巧ドラマーのキース・ムーン(Keith Moon/1946-1978)と、寡黙にして驚異の速弾きベーシストのジョン・エントウィッスル(John Entwistle/1944-2002)の姿はそこになかったが……。もちろん、この曲もパフォーマンスされた。あの映像を観ながら、「嗚呼、ここにキースとジョンがいたなら…」と思った往年のファンはさぞかし多かったことだろう。しかしながら、彼らのライヴには決して欠かせないこの曲で華々しくオープニングを飾っていたアルバム『WHO’S NEXT』(1971/ザ・フーの最高傑作との呼び声が高く、一連のアルバムの中で最高のセールスを記録)では、ジャケ写を見ても判るように、曲作りの名手にしてギター兼キーボード担当のピート・タウンゼント(Pete Townshend/1945-)、骨太にして繊細な喉の持ち主、リード・ヴォーカルのロジャー・ダルトリー(Roger Daltrey/1944-)に加え、オリジナル・メンバーが勢揃いしていたのである。

ロックの概念を根底から覆した前作『TOMMY』(1969)に続く新作は、やはり同アルバムのようなコンセプト・アルバムになる予定だったが、そのアルバム『LIFEHOUSE』の計画は何故だか頓挫してしまい、結果、『WHO’S NEXT』が生まれたと言われている。しかしながら、『LIFEHOUSE』のコンセプトは捨て難かったとみえて、この「Baba O’Riley」はもともと同アルバムに収録すべくレコーディングされたものだった。

摩訶不思議なタイトルは、ピートが傾倒していたインドの神秘家メヘル・バーバー(Meher Baba/1894-1969)と、ピートのシンセサイザー演奏に多大な影響を与えたアメリカの作曲家テリー・ライリー(Terry Riley/1935-)の両者のラストネームから成る。ピートに計り知れない影響とインスピレーションを与えた双方の人物に対するオマージュ的なタイトルだが、まずはタイトルありきだったのか、それとも曲の完成後にタイトルが付けられたのか、それは判らない。いずれにしても、タイトルを見る限りでは、誰もが“あるひとりの人物=ババ・オライリー(注:カタカナ起こしの邦題)について歌われた曲”と勘違いすることだろう。筆者もその例外ではなく、当初、“Baba O’Riley”なる人物が実在すると思い込んでしまっていた。が、歌詞を傾聴してみると、何かが違う。そもそも歌詞に“Baba O’Riley”なる人物は登場しない。“Sally”なる女性名こそ登場するものの、ありきたりのラヴ・ソングではない。むしろ、どちらかと言えばメッセージ色の強い歌詞だと感じた。この曲の根底にあるものは一体……?

手掛かりは、幻の作品となってしまった『LIFEHOUSE』にあった。同アルバムのコンセプトは、レイ(Ray)なるスコットランドの農夫が、妻サリー(Sally)と彼女との間に儲けたふたりの子供を連れて、新天地を求めてロンドンへと脱出(=the exodus)する、というもの。そしてそのSallyとは、主人公の名前――『TOMMY』のTommy、『LIFEHOUSE』のRay――が異なるにせよ、前者に登場していた、新興宗教の教祖様:Tommyを崇拝してやまないティーネイジャーのSally Simpsonからヒントを得たことだけは間違いない(しかし、1975年に公開された映画版『TOMMY』では、サリーはカリフォルニア出身のアメリカ人ミュージシャンと若くして結婚する、という設定)。『WHO’S NEXT』に続くコンセプト・アルバムとして『LIFEHOUSE』が予定されていた以上、そう考えるのが妥当だろう。

なお、先述の通り、歌詞のどこにもタイトルの「Baba O’Riley」が登場しないため、英語圏の人々を始めとして、大多数の人々がこの曲のタイトルを印象深い一節にちなんだ「Teenage Wasteland」だと勘違いしているという。それもまたむべなるかな。では、“teenage wasteland”とは一体全体、何を指すのか……? 筆者は、あるイギリスの詩人の作品に注目した。

それにしても、である。ザ・フーの楽曲はいずれもライヴ映えするが、この「Baba O’Riley」ほど、TPOに沿って変幻自在に歌詞を変え、その場の雰囲気に合わせることのできるものは他にないと思う。先述のロンドン・オリンピックの閉会式然り、そして昨2012年12月12日(日付が12並びになっている)、ニューヨークのマジソン・スクエア・ガーデンで行われた“ハリケーン・サンディ救済コンサート”でのパフォーマンス然り。いずれもある箇所の歌詞が巧みに変えられて歌われていた。筆者がザ・フーと彼らの音楽性、歌詞の奥深さ、そしてこの「Baba O’Riely」にしみじみと惚れ直した瞬間である。

曲の要旨

広大な農場で汗水たらしながら、俺は日々の糧を得るために懸命に働いている。そうやって必死になって生活を守ってるんだ。自分のやり方が正しいと誰かに認めてもらうために、俺は闘う必要もないし、第三者に赦しを請う必要もない。泣いたらダメだ。世の中を疑いの目で見ちゃダメなんだよ。10代の青二才の時代には、誰だって心が荒んでしまうものなんだ。妻サリーよ、俺の手を取って、俺についてきてくれ。家族みんなでロンドンを目指して南へ南へと向かって行こう。今こそ人生の目標を実現させる時だ。過去のことなんか忘れちまえ。新天地を求めてここを脱出する時が来た。明るい未来はすぐそこまで迫ってるよ。さぁ、残り少ない人生、年老いてしまう前に、みんなで力を合わせて夢を実現させようじゃないか。

1971年の主な出来事

アメリカ: 憲法修正第26条で、全選挙で18歳以上に投票権を与えることを決定。
日本: ハンバーガー大手チェーンのマクドナルドが日本の第1号店を銀座にオープン。
世界: 中国の林彪副主席が亡命を企てるも、搭乗した飛行機が墜落して死亡。

1971年の主なヒット曲

Me And Bobby Mcgee/ジャニス・ジョプリン
Joy To The World/スリー・ドッグ・ナイト
Go Away Little Girl/ダニー・オズモンド
Gypsys, Tramps & Thieves/シェール
Family Affair/スライ&ザ・ファミリー・ストーン

Baba O’Rileyのキーワード&フレーズ

(a) raise one’s eye(s)
(b) teenage wasteland
(c) before we get much older

旧約聖書に登場する“the Exodus(出エジプト記)”が歌詞に登場している時点で、「これはひょっとしたら、宗教家か何かからインスパイアされた曲ではないのか……?」と考えた。果たしてその通りで、モーセがイスラエル人(びと)をエジプトから大脱出させる一大感動巨編の如き同章の物語は、ピートが綴った歌詞を深く関係していた。曲のエピソードでも触れた通り、彼は神秘家メヘル・バーバーの思想に深く共鳴しており、彼のことを思い描いた上でこの曲を作ったのだった。1940年初頭に身元を隠してインド各地を旅行したというバーバーは、その旅を経験した後に、“神の化身”を自称した。恐らくこのことも、「Baba O’Riley」の歌詞を綴る際に、ピートに多大な影響を与えたものと思われる。「出エジプト記」と、バーバーの「悟りを開くための旅」とがダブッて見える。

初めて聴いた時から腑に落ちなかったのが(a)の表現。このフレーズでおかしいところは、可算名詞の“eye”が単数形で歌われている点。「瞳を上げよ(見上げよ)」を意図するなら、“raise your EYES”でならなければならない。そこで筆者は考えた。ここは、前のフレーズにある“cry”と押韻するために、敢えて“eye”を用いたのではないか、と……。

(a)と似通ったイディオムを探してみたところ、以下のようなものが見つかった。幸い、このイディオムの場合、目的語が単数形でも複数形でも意味は変わらない。

♪raise an eyebrow or eyebrows

これは筆者の勝手な憶測だが、恐らくここは、“cry”と押韻せんがために、既存のイディオム“raise an eyebrow(驚きや疑いの表情を表すために眉を上げる)”の代わりに(a)の表現を用いたのだろう。

なお、ロンドン・オリンピック閉会式では、ここのフレーズが♪Just raise your eyes…(面を上げて、前を真っ直ぐ見据えて…)という歌詞に変えて歌われていた。ますます、この曲の持つ可能性に気付かされた瞬間であった。

曲のエピソードで触れた(b)は、イギリスが生んだ偉大な詩人T・S・エリオット(T.S. Elliot/1888-1965)の代表作のひとつで長編詩の「The Wasteland(邦題:荒地)」(1922)がもとになっているとしか思えない。何故なら、同詩には、インドの思想が色濃く反映されているからだ(ここでバーバーとつながる!)。筆者は大学時代に英米の詩集の講義を熱心に聴講したものだが、T・S・エリオットはこれでもか、と勉強した。が、当時、この曲と「The Wasteland」の関連性には全く気付かず……。今から思えば、実に惜しいことをした。

インドの思想云々は脇に置いておいて、オリジナルの「The Wasteland」は、実に荒涼たる長編の詩である。が、絶望ばかりが語られているわけではなく、そこに一条の希望の光を見出すことも出来る。詩は、読み手の心象によっていかようにも変わるものだが……。この曲の最後のフレーズ♪They’re (=teenage wasteland/何故だか単数形の単語を受けて、代名詞が複数形のそれになっている) all wasted!(10代の頃の経験なんて、何もかもが海の藻屑と消えるのだ!)……を聴く度に、短くも長い人生の越し方を考えさせらずにはいられない。実に奥深い歌詞である。

ザ・フーの初期のヒット曲「My Generation」(1965)には、「歳を取る前に死にたい」というギョッとするフレーズが出てくる。実際、リード・ヴォーカルのロジャーは、若い頃に「30代に突入する前に自殺する」という物騒な宣言を公に行っていた。が、実際にはそうはならず、彼は今もソロ・アーティストとして、そしてザ・フーの“THE voice”として老いてなお活躍中である。(c)は、“今この時を精一杯に生きる”若者に特有のある種の思想が塗り込められたフレーズと考えていいだろう。ピートもまた、“歳を取りたくない”との強い思いを抱いていたのかも知れない。

人間は誰しも老いる。そのことを悲観しても、時間の流れは時に残酷だ。が、人生をやり直すのに年齢は決して邪魔にならない、と思う。筆者が“アンチ・エイジング”なる嘘くさい言葉を忌み嫌っているのもそのためで、要は気持ちの持ちようなのではないか、と。更に言えば、自分にとってどういう存在の人が側にいてくれるか、というのも肝要かと。この曲の主人公だとて、何よりも愛する妻や子供たちが身近にいなかったなら、住み慣れたスコットランドを脱出してロンドンへの移住、という大それた考えを起こさなかっただろう。

もうひとつ。昨年夏、アメリカ東海岸をハリケーン・サンディが襲い、多大な被害をもたらした。その救済コンサートの際にも「Baba O’Riley」はパフォーマンスされたが、その時にも(b)の歌詞が変えられていた。曰く♪It’s only Sandy wasteland… (サンディの悲劇が襲ったに過ぎない)。そしてマジソン・スクエア・ガーデンのステージ上に設けられたツイッターには、次のような文言が……。

“The world is just amazing!”――これは恐らく、「自然の驚異には敵わない!」という意味と、「(救済コンサートを行い、それに参加してくれた人々の)人間の持つ底力に限界はない!」とのダブル・ミーニングであろう。それを目にした瞬間、筆者の涙腺は際限なく決壊した。

【筆者プロフィール】

泉山真奈美(いずみやま・まなみ)

1963年青森県生まれ。幼少の頃からFEN(現AFN)を聴いて育つ。鶴見大学英文科在籍中に音楽ライター/訳詞家/翻訳家としてデビュー。洋楽ナンバーの訳詞及び聞き取り、音楽雑誌や語学雑誌への寄稿、TV番組の字幕、映画の字幕監修、絵本の翻訳、CDの解説の傍ら、2012年まで翻訳学校フェロー・アカデミーの通信講座(マスターコース「訳詞・音楽記事の翻訳」)、通学講座(「泉山式 翻訳力×英文法講座」)の講師を務めた。著書に『アフリカン・アメリカン スラング辞典〈改訂版〉』、『エボニクスの英語』(共に研究社)、『泉山真奈美の訳詞教室』(DHC出版)、『DROP THE BOMB!!』(ロッキング・オン)など。『ロック・クラシック入門』、『ブラック・ミュージック入門』(共に河出書房新社)にも寄稿。マーヴィン・ゲイの紙ジャケット仕様CD全作品、ジャクソン・ファイヴ及びマイケル・ジャクソンのモータウン所属時の紙ジャケット仕様CD全作品の歌詞の聞き取りと訳詞、英文ライナーノーツの翻訳、書き下ろしライナーノーツを担当。マーヴィン・ゲイ『ホワッツ・ゴーイン・オン 40周年記念盤』での英文ライナーノーツ翻訳、未発表曲の聞き取りと訳詞及び書き下ろしライナーノーツを担当した。その他、ジャンルを問わずポップス、ロックの訳詞も手がける。

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大規模英文データ収集・管理術 第50回(最終回)

2013年 5月 13日 月曜日 筆者: 富井 篤

10 連載を終って

一昨年6月から、隔週の月曜日に公開してきたこの連載も、今回が最後になりました。いかがだったでしょうか。最初から最後までお読みくださった方、最初は読んでいただいていたが途中で愛想をつかしてしまわれた方、最初は読まなかったが途中から読み始めてくださった方、いろいろな方がいらっしゃると思いますが、共鳴できるところがありましたでしょうか。あるいは、できるところから実践し始めたという方、いらっしゃるでしょうか。

筆者にとっては、この50回の連載は、「トミイ方式」の長所や短所を知るうえで、とても参考になりました。また、書いているうちで、足りない所、紙幅が許す以上、もう少しポイントを絞って書き足していかなければならなかった所なども良くわかりました。いずれ、何かの機会がありましたら、この望みは果たしたいと思っています。その時は、切り口を変え、技術英語に携わっている方たちのみならず、英語を必要とする社会全般の人たちにも目を向けた書籍を作っていきたいと思っています。と同時に、もしこれから始めたいと思われる方がいらっしゃったら、できる限りの支援をしたいとも思っています。

人にはよく、「あのような大辞典を、よく何冊も作れましたね」といわれることがあります。しかし、辞書など、データさえあれば、copy & pasteで誰にでも、いとも簡単にできるのです。収集した英文データを切って貼り、その間にちょっと文章を書き足していきさえすれば誰にでもできるのです。それよりも、もし褒めてくれるのであるならば、辞書や書籍を作ったことよりも、36万点という英文データを集めたことについて褒めていただきたいと思っています。40年近くかけて収集してきた、あのデータの量を褒めていただきたい、というよりも、そのことについて驚嘆していただきたいと思っています。

また、「あの分類が素晴らしい」といってくれる方も多くいます。しかし、同じ系統で、同じ範疇の英文カードが大量に集まっていて、それを整理整頓しようと思えば、誰がやっても同じような分類ができるわけで、50枚や100枚のカードを分類しようと思ったって分類ができるというものではありませんが、同じ系統の英文カードをたくさん集めれば、確度の高い分類ができるわけです。昔、政治の世界でよく「数は力なり」と言われたころがありましたが、この「トミイ方式」も、まさに「数は力なり」です。

英文データを数多く集めればよい分類ができるということは今述べたとおりですが、その数が、その気になってやりさえすれば、信じられないくらい短い期間のうちに、大量に集めることができ、そのデータを基に、信じられないくらいの、奇跡としか思えない短時間に、奇跡としか思えない異様な本を書くことができるものなのです。

この連載の第5回で、拙著、三省堂の『技術英語前置詞活用辞典』の前身である『前置詞の研究』という本を書いた時のエピソードを紹介しました。それは、脱サラをし、この技術翻訳の世界に入ってからわずか3年少々で『前置詞の研究』という本を書き始めたというものですが、この連載の最後に当たり、ともすると、自分の自慢話になってしまうかもしれませんが、特別にお許しを頂き、「トミイ方式」の隠れた「賢さ」を知っていただくため、類似のエピソードをいくつか紹介させていただきたいと思います。

私が初めて、仲間の協力もいただき『科学技術和英大辞典』という2,000ページほどの辞書を出版したのが1988年1月――実際には1987年の暮――です。一方、構想を練ってから出版社との合意に達するまでに1年、執筆だけで5年間、脱稿後出版までに2年、合計8年を差し引くと、1979年には実質作業をスタートしていたことになります。実は1979年というのは、私が脱サラしたのが1974年で、これとほぼ同時に「トミイ方式」を立ち上げたわけですから、実質的には「トミイ方式」をスタートさせてから、わずか5年で「和英大辞典」の構想を練り始めたということになります。「和英大辞典」を作りたい一心で英文データを収集し続けたというのであれば、5年かければそのくらいのデータが集まっても不思議ではありませんが、今までにこの連載で述べてきたように、「7つの大分類」のすべての英文データを集めてきた中で、わずか5年で「和英大辞典」を作ろうと思わせるだけのデータが集まっていたということは、若干、自画自賛的になりますが、奇跡に近いことだと思えてなりません。

ほかに、最終的には丸善から出版された「技術翻訳のテクニック」の出版までの顛末、それに、これも奇跡的なことだと自負していますが、わずか45日間で書き上げてしまった三省堂の「技術英語構文辞典」の真相などなど、「トミイ方式」を実践してきたがゆえに可能ならしめたお話もたくさんあるのですが、これらはこの程度にとどめ、結論として、「英文データさえたくさん集めれば、やりたいことは何でもできる」ということを強調させていただきたいと思います。

また、「トミイ方式」を敷衍していくと、このような機能は、英文データだけに限らず、英文データ以外の一般データや情報の収集・データ化に応用することができます。

例えば、擬音語や擬態語の収集です。昔、何かの本で「擬音語や擬態語を多く使用しているのは平家物語である」ということを読んだことがありますが、早速、四巻からなる平家物語を買ってきて、娘と手分けして集め、まだ、コンピュータがそれほど身近にはなかった頃のことですので、カードに書き込んだことがあります。その後、最初の部分から徐々にコンピュータに入れ始めていますが、カードのままでも、昔、流行ったパンチカード式の概念を導入すれば、カード上のデータのままでも、なんら差支えないこともわかっています。

もっと身近な例としては、筆者が最も崇敬している古今亭志ん生の古典落語や朝日新聞の「天声人語」なども、それぞれ特有の分類方式を取り入れ、カードに収録しています。そのうちのあるものは、必要であり、かつ可能であり、意義のあるものから徐々にコンピュータ化しています。

最後に、現在採用しているコンピュータ方式について、これから再検討しなければならない点を一つ告白し、読者の皆さんからのお知恵を拝借したいと思っています。

筆者は、元来、ITやコンピュータにあまり強くないので、現在はExcelを使用しています。この方式だと、1つの英例文から複数個の英文データを採取する場合、その英文データの数だけ同じ文がデータの中に収録されることになります。まして、複数の英例文から成り立つパラグラフ単位で英文データを採取したとすると、その英文データの数だけ同じパラグラフがデータの中に収録されることになります。

できれば、元のパラグラフを1つだけ収納し、そこに収集したい英文データに適宜タグやフラッグをつけ、いろいろな英文データを1つの英文、さらには1つのパラグラフから検索できるようにしたいと考えています。コンピュータの容量からデータベースの中に1つの英文というわけにはいきませんが、収納しなければならない英文データの数は、ぐっと少なくすることができると思います。

まだ未知数をたくさん抱えた上での最終回ですが、お読みくださった皆様、ありがとうございました。この連載は、「トミイ方式」の紹介を主題とし、技術英語の解説を副題としましたが、この次に皆さんにお目にかかれるときは、この最終回の項の冒頭にも述べましたが、これまでと切り口を変え、この両者を均等に、あるいは、後者のほうに重きを置いた内容の書籍にしたいと思っています。近い将来、再びお目にかかれることを楽しみに「筆をおきたい」と思います。

最後になりましたが、この連載に関し、いろいろご指導くださいました三省堂のご担当者の方々に心よりお礼を申し上げます。

ありがとうございました。また逢う日まで!!

【筆者プロフィール】

富井篤(とみい・あつし)
技術翻訳者、技術翻訳指導者。株式会社 国際テクリンガ研究所代表取締役。会社経営の傍ら、英語教育および書籍執筆に専念。1934年横須賀生まれ。
主な著書に『技術英語 前置詞活用辞典』、『技術英語 数量表現辞典』、『技術英語 構文辞典』(以上三省堂)、『技術翻訳のテクニック』、『続 技術翻訳のテクニック』(以上丸善)、『科学技術和英大辞典』、『科学技術英和大辞典』、『科学技術英和表現辞典』(以上オーム社)など。

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日本語社会 のぞきキャラくり 補遺第34回 首のカクッについて

2013年 5月 12日 日曜日 筆者: 定延 利之

補遺第34回 首のカクッについて

 「さまざまなしぐさの,どんなところに,どんなキャラクタっぽさが感じられるのか?」を調べる実験では,さまざまなしぐさは,何者とも判断のつかない人物におこなってもらうのが(現実には叶わないにせよ)理想である。たとえばヒゲモジャのおっさんがいくら『乙女』っぽいしぐさをしたところで,それを見せられた被験者が『乙女』と判断できるかどうかは疑問だから,という話は前回述べた。卒業論文がまだ書けていなかった学生のKさんにこの話をしたところ,人間,切羽詰まるとおそろしいもので,アッという間に「人物の身体をできるだけ隠した」動画が幾つも作成されてしまった。「人間の身体をできるだけ隠した」とはどういうことか? こういうことである。例を3つ,次に挙げておく。


動画1


動画2


動画3

 これらの動画では,帽子・サングラス・白衣で身を隠した同じ一人の人物が,「ドアを開けて部屋に入り,持っていたかばんを傍らに置いて椅子に座り,卓上のお茶を飲んで(飲むフリをして)部屋から出る」という一連の動作を,指定されたキャラクタ(『老人』『子ども』『男』『女』『善良な⼈』『ずるがしこそうな⼈』のいずれか)でおこなっている。

 しかし,これらの動画を見れば,この人物が若い男性であることは,誰でもすぐわかってしまうだろう。つまりこれらの動画には「帽子・サングラス・白衣という道具は,この人物の身体をどれだけ隠しおおせたと言えるのか?」という大きな問題がある。他にも「『子ども』がサングラスに白衣とは,かえって違和感を生むのではないか?」など,さまざまな問題をこれらの動画ははらんでいる。だが,このような動画を被験者に呈示し,それが何者かを判断させてみるという実験を,Kさんはさっさとやってしまった。

 何という蛮勇! だが,こういう蛮勇は私は決して嫌いではない。やっちまったものは仕方がないではないか。そう思って動画を見直すと,この動画の人物の或る不思議な挙動が目に留まった。

 動画1でも動画2でも,この人物は,飲み干した茶碗を卓上に戻してから正面に向き直る僅かの間に,首をカクッと,左側に傾けてすぐ戻している。このカクッは動画3には現れていないので,この人が与えられた指示を誤解して「ここで首をカクッとしなければ」と思ってカクッとやっているというわけではなさそうだ。また,「ボクって昔から,前傾姿勢から正面に向き直ろうとすると,なぜか首がカクッとなってしまうんです」といったわけでもなさそうだ。

 しかし,動画によって現れたり現れなかったりするからといって,この首のカクッがキャラクタの演じ分け(動画1は『子ども』,動画2は『善良な人』,動画3は『ずるがしこそうな人』)と関係するのかというと,そうでもなさそうである。

 というのは,前後の動作と切り離して,特にこの首カクッだけについて周囲の学生たちの印象を確かめてみると,皆,口をそろえて「男,それもどちらかというと若い男のやること」と言うからである。そのうち一人の男子学生は,さらに踏み込んで「これはあんまり品はよくないです」とも言っていた。その学生自身がこれをやるところを私は何度か見ていたので何とも返事のしようがなかったが,たしかに女性が首のカクッをやるのは見覚えがない。

 首のカクッは,前傾姿勢から正面に向き直る時,首が凝っている人に「よく出るクセ」なのかもしれない。だが,これが特定の人物像,それも首が凝りそうな働き盛りの『年輩』ではなく『若い男』に結びつくといったことは,どう考えればいいのだろう。頭部を体の中心線から勢いよくブレさせるのが「品」に欠けるということなのか,どうなのか。

 といったことを考えるにつけても,改めてしみじみ思い返されるのは,かつての私のネーミングのまずさである。たとえば「男はニタリとほくそ笑んだ」と言えば,笑っている男は『悪党』と相場は決まっているように,言葉が動作(笑い)だけでなく動作の主(笑い手)の人物像をも暗に表す場合に関して,その人物像を,私は昔の拙論「ことばと発話キャラクタ」(『文学』第7巻第6号(岩波書店,2006年)所収)の中で浅はかにも「動作キャラクタ」と呼んでしまった。その後,「これはいかにもややこしく,読者の誤解を招く!」と悟ってこの連載本編(第47回)で「表現キャラクタ」と呼び改め,以後は「表現キャラクタ」で通しているが,「動作キャラクタ」という用語をもし使うなら,それは何よりも,我々のさまざまな動作挙動姿勢(たとえば首のカクッ)と結びつく人物像(『若い男』か)を指す用語として使うべきだった。発話とはもちろん,この動作挙動姿勢の一つである。「動作キャラクタ」とは,「発話キャラクタ」(話し手の人物像)を内包する,より上位の人物像を指す用語であるべきだった。この点,読者に混乱していただかぬよう,改めて注意を喚起しておきたい。

 ということで,「発話キャラクタ」,そしてそれ以外の「動作キャラクタ」を長く論じてきたが,そろそろ「表現キャラクタ」についても述べてみよう。

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* * *

◆この連載の目次は⇒「日本語社会 のぞきキャラくり 補遺」目次へ

◇この連載の正編は⇒「日本語社会 のぞきキャラくり」目次へ

◇この連載正編の中国語版と英語版
  中国語版⇒角色大世界――日本
  英語版⇒An Unofficial Guide for Japanese Characters

【筆者プロフィール】

『日本語社会 のぞきキャラくり』定延利之(さだのぶ・としゆき)
神戸大学大学院国際文化学研究科教授。博士(文学)。
専攻は言語学・コミュニケーション論。「状況に基づく日本語話しことばの研究と,日本語教育のための基礎資料の作成」などを行う。
著書に『認知言語論』(大修館書店、2000)、『ささやく恋人、りきむレポーター――口の中の文化』(岩波書店、2005)、『日本語不思議図鑑』(大修館書店、2006)、『煩悩の文法――体験を語りたがる人びとの欲望が日本語の文法システムをゆさぶる話』(ちくま新書、2008)『日本語社会 のぞきキャラくり——顔つき・カラダつき・ことばつき』(三省堂、2011)などがある。
URL:http://web.cla.kobe-u.ac.jp/aboutus/professors/sadanobu-toshiyuki.html

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【編集部から】

このサイトでの連載「日本語社会 のぞきキャラくり」がもとになり、書籍として『日本語社会 のぞきキャラくり—顔つき・カラダつき・ことばつき』が刊行されてからもうすぐ一年。編集部たっての希望がかない、このたび、さらに「キャラくり」世界を楽しむべく、続編をご執筆いただくこととなりました。
隔週日曜日の公開です。続きもお楽しみに!

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絵巻で見る 平安時代の暮らし 第3回

2013年 5月 11日 土曜日 筆者: 倉田 実

第3回 『源氏物語絵巻』「宿木(二)」を読み解く

場面:匂宮と六の君の新婚四日目の昼間。
場所:六条院東北の町(夏の町)の寝殿の母屋か。
時節:陰暦8月19日。

人物:[ア]大袿(おおうちき)姿の匂宮(父:今上帝、母:明石中宮)、26歳。[イ]小袿姿の六の君(父:夕霧、母:藤典侍、落葉宮の養女)、21~22歳ほど。[ウ][キ]裳唐衣(もからぎぬ)衣装の若い侍女。

絵巻の場面 最初にこの場面を確認しましょう。これは、[ア]匂宮と[イ]六の君との結婚を描いていることは確かですが、はたしてどの時点になるのでしょうか。ここには、照明具が描かれていませんので、昼間の光景になります。当時の結婚は、婿が最初の三日間、夜になってから妻の家に訪れますので、その期間でしたら夜の時間になり、絵には照明具が描かれるはずです。ですから、この場面は、結婚三日間のことではなく、[ア]匂宮と[イ]六の君の二人が初めて昼間に逢う、四日目の情景であることが分かります。このことは、詞書で明らかです。その詞書の部分を、ここでは、本文がやや違いますので、『源氏物語』のほうで示すことにします。本文を読みながら、絵を見てみてください。匂宮が六の君の魅力にすっかりひかれている様子が語られています。

宮は、女君の御ありさま昼見きこえたまふに、いとど御心ざしまさりけり。大きさよきほどなる人の、様体(やうだい)いときよげにて、髪の下(さが)り端(ば)、頭(かしら)つきなどぞ、ものよりことに、あなめでたと見えたまひける。色あひあまりなるまでにほひて、ものものしく気高き顔の、まみいと恥づかしげにらうらうじく、すべて何ごとも足らひて、容貌(かたち)よき人と言はむに飽かぬところなし。二十に一つ二つぞあまりたまへりける。

【訳】 匂宮は、女君(六の君)のご様子を昼の明るい時にご覧になると、いよいよご愛情が深くおなりになるのであった。背格好もほどよい人で、容姿もほんとうに美しくて、髪の垂れ具合、頭つきなどは、ほかと比べてとてもすぐれていて、なんとお綺麗なとお見えになるのだった。お肌の色あいはこれほどまでもと思われるくらいにつややかに映えて、重々しく品位の高いお顔で、目もとがいかにも見る人が気恥ずかしくなるくらいに利発そうで、およそ何もかも備わっていて、器量のよい人と言うのに不足な点は何もない。二十歳を一つ二つ越えていらっしゃるのだった。[注1]

場面の構図 それでは、場面全体を見てみましょう。(画像はクリックで拡大)

室内:①~③四尺の几帳(きちょう) ④几帳②の土居(つちい) ⑤几帳の野筋(のすじ) ⑥六曲(ろっきょく)一双(いっそう)の屏風の一隻(片方) ⑦繧繝縁(うんげんべり)の畳 ⑧竜鬢筵(りゅうびんむしろ) ⑨高麗縁(こうらいべり)の畳 ⑩立烏帽子(たてえぼし) ⑪~⑫蝙蝠扇(かわほりおうぎ) ⑬裳の引腰(ひきごし) ⑭板敷

画面中央よりやや右寄りに、⑥屏風(裏側)と③几帳(表側)が斜めに描かれていて、左右に分割されていることに気づきます。右側は、[ア]匂宮と[イ]六の君、左側は侍女が五人配されています。左右それぞれに意味があります。また、この場面は、寝殿造の室内の様子になりますが、柱や障子が描かれていません。『源氏物語絵巻』で、柱や障子が描かれていないのは、この場面だけです。これらを描かないことで、晴れやかな光景にしているのかもしれません。

画面右側―新婚の夫妻 次に右側をじっくり見てみましょう。⑥屏風と③几帳の他に、①・②の几帳もあって、やや閉鎖的な空間となっています。これは、新婚の二人だけの情愛のありようを暗示しています。匂宮の着ている大袿は下着のようなもので、この姿は、身分の高い皇子などに許されるくつろいだ様子になります。その左手は、六の君の袖を捉えていますので、これはその魅力にひかれた愛撫の表現でしょう。物語の本文そのものです。男性は、室内でも頭頂部を見せることなく、下着姿でも⑩立烏帽子などを被(かぶ)ります。

 一方の六の君は、袖で口元を覆(おお)い恥じらう様子を見せています。右手に持つ⑪蝙蝠扇[注2]は下に垂れており、匂宮に気を許していることを示していると思われます。衣装は分かりにくいですが、小袿姿でしょう。額髪を肩のあたりで切り揃えた「下がり端(ば)」が見え、長い髪は衣装の裾に見え隠れています。これは、美しさの表現です。

 二人がいる場所は、寝所とする説もありますが、六の君の昼の御座(おまし)[注3]でしょう。⑦繧繝縁の畳[注4]が置かれ、⑧竜鬢筵[注5]が重ねられています。このセットは、もともと天皇が昼の御座で使用する最高級品ですので、六の君の父となる夕霧が、いかに結婚を豪華にしようとしたかが暗示されていることになります。

画面の境界―屏風と几帳 今度は、画面を左右に分ける境を確認します。⑥屏風は、雲立涌(くもたてわき)[注6]と呼ぶ文様が見えますので、その面は裏側になります。表側には大和絵が描かれます。①~③の几帳はいずれも、⑤野筋と呼ぶ紐が二条ずつ見えますので、こちらは表側になります。この紐は裏側で折り返されています。左側の侍女たちからは、裏側の⑥屏風と表側の③几帳が並んで見えることになります。右側の二人には、この逆です。なぜ表と裏が並んでいるのでしょう。これは、屏風は必要とする人側に絵のある表側を向け、几帳は逆に裏面にするからです。几帳は、④土居[注7]と呼ぶ台で支えられ、必要とする人がそれを動かして空間を変えるようにしますので、裏側である必要があるのです。匂宮側に裏側が向くわけです。

画面左側―扇で顔を隠す侍女たち 残った左側を見ましょう。⑨高麗縁の畳[注8]に座る侍女が上部に[ウ][エ]の二人、間に⑭板敷を見せて、下部に[オ][カ][キ]の三人が配されています。いずれも⑫扇を手にしています。[エ]の侍女の扇には、骨が見えていますので、紙を張る蝙蝠扇になります。この侍女たちは、華やかな裳唐衣衣装[注9]という正装と認められますので、本来でしたら檜扇(ひおうぎ)のほうがいいのかもしれません。[キ]の侍女は分かりにくいですが、残りの者たちは、いずれも扇で顔を隠し、恥じらう様子になっています。いったい、この恥じらいは何を意味しているのでしょうか。匂宮と六の君との睦言(むつごと)を聞いているわけではないでしょう。扇で隠す方向に注意してみますと、[ウ][エ][オ]の侍女は画面の左方向を隠し、[カ]は面前になっています。[キ]は俯いています。この様子から、⑭板敷を、匂宮が左側から来たことを暗示していると考えられないでしょうか。[カ][キ]の侍女の場合は、面前の通過のようでもあります。侍女たちは面前を通る匂宮の美しさを見て、あたかも自分が恋の相手であるかのように、思わず恥じらったのでしょう。左下の[オ]の侍女は、匂宮と六の君のほうを見ていると解釈する説がありますが、恥じらって顔をそむけた姿勢として考えておきます。それによって、匂宮を迎えた夕霧家の喜びも暗示されていると思われます。侍女などのことは物語でも語られていますが、華やかで祝福される二人の結婚をこの左側の画面で示していたと言えるのです。

* * *

  1. 『源氏物語』本文は、以下のように続いている。
    「いはけなきほどならねば、片なりに飽かぬところなく、あざやかに盛りの花と見えたまへり。限りなくもてかしづきたまへるに、かたほならず。げに、親にては、心もまどはしたまひつべかりけり。ただ、やはらかに愛敬(あいぎやう)づきらうたきことぞ、かの対(たい)の御方はまづ思ほし出でられける。もののたまふ答(いら)へなども、恥ぢらひたれど、また、あまりおぼつかなくはあらず、すべていと見どころ多く、かどかどしげなり。よき若人ども三十人ばかり、童六人、かたほなるなく、装束なども、例のうるはしきことは、目馴れて思さるべかめれば、ひき違(たが)へ、心得ぬまで好みそしたまへる。」
    【訳】 幼い年頃ではないので、未熟で不足なと思われるところもなく、際立っていて盛りの花とお見えになる。このうえなく大切にしてお育てなさったので、至らない点もない。なるほど、親としては、六の君のため夢中になられるのも当然であった。ただ、ものやさしく情味があってかわいらしいということでは、あの対の御方(中の君。すでに匂宮の妻)をまず思い出しになるのだった。六の君は、宮がお話しなさるお返事なども、恥ずかしそうであるけれど、また、あまり引っ込み思案というのではなく、すべてじつにすぐれているところが多く、才気あるお人柄である。美しい若い女房たちが三十人ほど、女(め)の童が六人、見苦しい者はいなく、装束なども、よくある格式ばったことでは、匂宮が目新しくもなくお思いになろうから、意表をついて、合点がゆかぬくらい度を越えて趣向を凝らしていらっしゃる。)
  2. 蝙蝠は、コウモリで、その翼を広げたように見える紙を張った扇。檜製の正装に用いる檜扇に対して言う。
  3. 畳などを置いて、昼間に自分の居場所とする所。
  4. 「うげんべり」とも読み、「繧繝端(うんげんばし)」とも書く。縁(へり)が赤地に縦縞(たてじま)の文様になっている畳。
  5. 藺草(いぐさ)に色染めされた藺草をまぜて織り出し、梅花の文様の縁をつけた筵。
  6. 平行する蛇行曲線の中に雲形を描いた文様。衣服に使用されると、上皇・親王・摂政の指貫(さしぬき)用、関白の袍(ほう)用となる。
  7. ここは几帳の柱を立てる木の台。帳台にも言う。
  8. 「高麗端」とも書く。縁に花文を施した畳。
  9. 上衣は上半身だけを覆う短い唐衣、腰から下の後方には裳を着ける侍女の正装。裳に付属する帯状の引腰⑬が見える。
* * *

◆この連載のほかの回をお読みになる方は⇒「絵巻で見る 平安時代の暮らし」目次へ

【筆者プロフィール】

『全訳読解古語辞典』■文:倉田実(くらた・みのる)

大妻女子大学文学部教授。博士(文学)。専門は『源氏物語』をはじめとする平安文学。文学のみならず邸宅、婚姻、養子女など、平安時代の歴史的・文化的背景から文学表現を読み解いている。『三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員。ほかに『狭衣の恋』(翰林書房)、『王朝摂関期の養女たち』(翰林書房、紫式部学術賞受賞)、『王朝文学と建築・庭園 平安文学と隣接諸学1』(編著、竹林舎)、『王朝人の婚姻と信仰』(編著、森話社)、『王朝文学文化歴史大事典』(共編著、笠間書院)など、平安文学にかかわる編著書多数。

■画:高橋夕香(たかはし・ゆうか)
茨城県出身。武蔵野美術大学造形学部日本画学科卒。個展を中心に活動し、国内外でコンペティション入賞。近年は辞書の挿絵も手がける。
※本連載の文・挿絵の無断転載は禁じられております

* * *

【編集部から】
三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員の倉田実先生による連載「絵巻で見る 平安時代の暮らし」が、この4月からスタートしました。代表的な絵巻を取り上げながら、絵巻の中に描かれる人々の生活について絵解き式でご解説いただきます。ご一緒に、絵巻の空間にタイムスリップしてみませんか。次回は室内から外に飛び出し、平安時代のサッカー「蹴鞠」を取り上げます。お楽しみに。

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◆紙面例:おんやうじ(クリックで拡大)

【『三省堂 全訳読解古語辞典』について】
このたび大改訂した学習用古語辞典のベストセラー『三省堂 全訳読解古語辞典』〈第四版〉では、ワイドな絵巻型の図版と、絵解き式のキャプションが採用されています。

 

 

 
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地域語の経済と社会 第253回 「『おおいたっ茶』と『おいしっ茶ね。』」

2013年 5月 11日 土曜日 筆者: 日高 貢一郎

地域語の経済と社会―方言みやげ・グッズとその周辺―
第253回 「『おおいたっ茶』と『おいしっ茶ね。』」

 ♪「夏も近づく八十八夜 野にも山にも若葉が茂る……」 文部省唱歌「茶摘み」は、日本の今頃の風景を描いた曲ですが、数字の「八十八」は立春から数えた日数で、他に台風がよく来るとされる「二百十日、二百二十日」なども同様です。

 ことしもまた新茶の出回る季節を迎えました。近年、お茶はペットボトルやボトル缶に入ったものが自動販売機でも売られており、いつでもどこでも手軽に買って飲めるようになりました。しかも夏は冷た~く冷やしたものが……。

 大分には『おおいたっ茶』、宮崎には『おいしっ茶ね。』という名前のお茶があります。

(画像はクリックで拡大します)
【写真】 『おおいたっ茶』(左、中)と『おいしっ茶ね。』(右)g
【写真】『おおいたっ茶』(左、中)
と『おいしっ茶ね。』(右)

 大分のそれは、「おおいた」と「茶」の間にある促音の小さな「っ」にご注目。促音がなければ単に「大分のお茶」だというだけのことですが、この「っ」があることで、実は方言にちなんだネーミングであることがわかります。

 その意味あいは〔大分(産)だってば!〕と、大分で作られたお茶であることを強調した表現になっています。

 共通語の「~だってば」は、〔~だと言えば〕の転じたものですが、大分の方言の場合もこの同じ〔~だと言えば〕を原形として説明することができます。

 大分の方言では、引用の「と」が、「チ」に変わります。例えば友達に〔先生が職員室に来い、と言ってたよ〕という場合、「先生ガ 来イ(ッ)チ 言イヨッタ デー」となります。

 また〔言えば〕は「言ヤー」になります。(cf. 共通語でも「ああ言えばこう言う」を「ああ言やあこう言う(=人の言うことを素直に聞かない、文句の多いやつだ)」と言います)

   大分 チ 言エバ > 大分ッチ 言ヤー > 大分ッチャ

という過程を経てできたのが、『おおいたっ茶』だというわけです。

 もう一方の宮崎の『おいしっ茶ね。』の「ちゃ」ですが、同じ「ちゃ」でもこれとはまた少し違った説明が必要です。

 宮崎県など九州の広い範囲で、共通語の「大きいのがいい、安いのがいい」などの「の」=専門用語では「準体助詞」つまり「体言(もの・こと)に準ずる助詞」と呼ばれます=は、「ト(またはそれが変化した)ツ」で表現します。

 ですから、こちらの場合には「おいしい+ト(ツ)+じゃ+ね」〔おいしいんだね〕を原形として考えて、

   美味シイ ツ ジャ ネ > 美味シ ッ チャ ネ 

という過程を経てできたと説明することができます。

 宮崎県は南隣りの鹿児島県に近づくほど長音が短くなる傾向がありますから、「美味しい」は「オイシ」と短くなりやすいのですが、その点なども考え合わせると、地元の方言を踏まえた、なかなか芸の細かいネーミングです。

 なお、最後に「ね。」と句点が付くのは、アイドルグループの「モーニング娘。」のようなものでしょうか。

 この2つのお茶を手にして見ているだけだと、以上のような“方言がらみのネーミング”だとは、ちょっと気づかないかもしれません。特に地元以外の人たちにとってはなおのこと。

 以上、お茶を濁さず、きちんと説明したつもりですが、わかりやすい解説になっていたでしょうか?

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【筆者プロフィール】

言語経済学研究会 The Society for Econolinguistics
 井上史雄大橋敦夫田中宣廣日高貢一郎山下暁美(五十音順)の5名。日本各地また世界各国における言語の商業的利用や拡張活用について調査分析し,言語経済学の構築と理論発展を進めている。
(言語経済学や当研究会については,このシリーズの第1回後半部をご参照ください)

日高貢一郎(ひだか・こういちろう)
 大分大学名誉教授(国語学・方言学) 宮崎県出身。これまであまり他の研究者が取り上げなかったような分野やテーマを開拓したいと、“すき間産業のフロンティア”をめざす。「マスコミにおける方言の実態」(1986)、「宮崎県における方言グッズ」(1991)、「「~されてください」考」(1996)、「方言の有効活用」(1996)、「医療・福祉と方言学」(2002)、「方言によるネーミング」(2005)、「福祉社会と方言の役割」(2007)など。

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【編集部から】
皆さんもどこかで見たことがあるであろう、方言の書かれた湯のみ茶碗やのれんや手ぬぐい……。方言もあまり聞かれなくなってきた(と多くの方が思っている)昨今、それらは味のあるもの、懐かしいにおいがするものとして受け取られているのではないでしょうか。
方言みやげやグッズから見えてくる、「地域語の経済と社会」とは。
方言研究の第一線でご活躍中の先生方によるリレー連載。

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この連載への質問、また「ここでこんな方言みやげ・グッズを見た」などの情報は、問い合わせフォーム( http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/support/question.html )から、「地域語の経済と社会」への質問・情報である旨を記してご投稿ください。

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漢字の現在:秋田の「ふぶき」の造字

2013年 5月 10日 金曜日 筆者: 笹原 宏之

漢字の現在 第271回 秋田の「ふぶき」の造字

 以前、勤めていた大学の学科は、すでに改編されてなくなってしまった。さらに近年、女子大学から共学へと変わった。その大学を定年で退職された先生から、お葉書を頂いた。近世期の古文書を研究され、翻刻し刊行もなさっていらした日本史がご専門の先生であった。かつて、時に車内などでご一緒する機会に恵まれ、私には読めないような崩し方についても、翻字の仕方などを親しくお教え下さった方であった。

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 お便りに、秋田のとある日記をご覧になっていたところ、「(風中は雪)(風中は雪)」と書いて、吹雪を表す造字があったと教えて下さったのである。今年上梓した小著『方言漢字』に目をお止め下さっていて、そこに触れた秋田などの「轌」(そり)の字と共通する、雪国で必要とされる造字であったと思えば、方言漢字の裾野は歴(林を抜いてあるのはさすが、位相文字である)史的にも考察の対象となる、とお考えになったとのことで、とてもありがたく拝見した。

 この「(風中は雪)」といういかにも日本的な国字は、以前に『国字の位相と展開』においてまとめて述べたように、江戸時代には秋田藩の記録で使われていたものとは認識できていた。しかし、その日記にも出てくるということは寡聞にして知らなかった。そして、そこでは「(颱台は雪)(颱台は雪)」という形でも使われている、ともご指摘くださった。この字体は合字になった初めの段階であろうか。本当にありがたい。この日記はすでに活字本で9冊も刊行されているようだ。原物を見てみたいという気持ちがはやってくる。

 そもそも私一人が漢字で記されたすべての文献を目にできるはずがない。それに近視と乱視に遠視(老眼?)まで入ってきたようだ。ただ、先づ隗より始めよ 、というかの気持ちで事に当たっているところだ。あれがない、これもない、と責める声だってどこかから出てきてもおかしくない(そういうものが仮にあると、それはそれで調査研究を強めるエネルギーになるのだが)。

 さすがは学識が深く、懐もまた広い先達には尊敬するばかりであった。偶然、その日記でお見かけになったとおっしゃるのもまさにご謙遜であろう。そういう史料に普段から目を通されればこその発見である。内容を読み解くだけでなく、そこに立ち止まるための眼力ももちろんお持ちでいらっしゃる。励ましのための過分なおことばには、もっと頑張らなくてはと気持ちを新たにさせていただいた。私も定年後には、このような敬服すべき人になっていられるだろうか、少し心配になる。

 吹雪が吹き荒れ、その語をよく使う当地では、吹雪は重要にして不可欠な概念である。そして日記ではその気象現象に関する筆記の機会の多さ、使用頻度の高さから、ついに合字を生み出し、あるいは選び出して、それが地元の人々によって共有されるように習慣化していったのだろう。この字は古くは連歌に現れたものだった。地方への連歌の伝播との関係など、巨視と微視との双方の観点から、興味が尽きない。

 全国的に見られる「木枯」は、「凩」という国字を中世期に生みだし、これは各地で使われるようになった。よく使うものが当事者によって簡易化されるのは、生活用品、略語や頭字語、そして略字に限ったことではなかったのである。

 愛媛のご高齢の方からも、新聞での小著の紹介でお見知りくださったとのことで、「峪」を「がけ」と読ませる字を用いた愛媛の名字と、「肥沼」をコエヌマではなくコイヌマと読ませる名字について、お葉書をいただいた。

 こういう一つ一つの実例の情報が実にありがたい。

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【筆者プロフィール】

『漢字の現在』 『国字の位相と展開』笹原宏之(ささはら・ひろゆき)
 早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』(三省堂)『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)、編著に『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)などがある。最新刊は、この連載がもととなった『漢字の現在』(三省堂、2011年8月刊行)

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【編集部から】
漢字、特に国字についての体系的な研究をおこなっている笹原宏之先生から、身のまわりの「漢字」をめぐるあんなことやこんなことを「漢字の現在」と題してご紹介いただいております。前回は北京の食堂ででした。

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「百学連環」を読む:result と knowledge の区別

2013年 5月 10日 金曜日 筆者: 山本 貴光

第108回 result と knowledge の区別

 臆断と惑溺の話が続きます。

臆斷と惑溺とは學者最も忌む所なれは、必すしも眞理を得て此二ツの病を避けさるへからす。其病を避けんとならは、己レ狐を二ツにもあれ、五ツにもあれ捕へ置きて、欺かすか欺かさぬかを能く――驗ミ、而して始めていかにしても狐は欺らかすこと能はさるものたるを知る。是其の眞理なるものなり。其眞理を知るときは二病は忽ち消滅に至るなり。

(「百學連環」第41段落第26文~第29文)

 訳してみましょう。

臆断と惑溺とは、学者が最も嫌うものであり、真理を得ることによって、この二つの病を避けなければならない。この病を避けようと思ったら、狐を二匹でも五匹でも捕まえてきて、本当に人間を騙すか騙さないかをよく確かめ、その上でようやく狐は人間を騙したりできないということを知るわけである。これがその場合の真理である。この真理を知れば、二つの病はたちまち消滅するのである。

 前回の狐の例がここでも活用されていますね。狐は人を騙すぞという迷信がある。このとき、無闇とこれを信じるのも、故なくこれを退けるのも、いずれも臆断と惑溺に囚われていることに他ならない。西先生はそう注意しました。ではどうすればよいのか。

 それがここで示されています。思わず笑ってしまったのですが、本当に確認したかったら、本物の狐を調べるしかありません。二匹でも五匹でも、その辺から連れてこればいいというのです。そうして、実際に確かめてみて、はじめて狐は人を騙すものではないということが確認されるという次第。

 考えてみれば、私たちが知っていることのうちには、必ずしも自分で確認したわけではない知識もたくさん含まれていますね。例えば、太陽はどんな成分からできているか。教科書などで教えてもらっていれば、知識としては知っていても、たいていの人は自分で確認したわけではないでしょう。そうだとすると、これは臆断や惑溺ではないのか。気になるところです。

 講義録はここで改行して、話はこう続きます。

さて negative result と前にいへる negative knowledge とは二ツなから同しやうなれと、そを深く注意して區別せさるへからす。〔子カチフ〕レシユルトは其眞理を知るといへとも不用のものをいひ、子カチフノヲーレジは positive と相關係して眞理を知るときは他の眞理にあらさるを知り、善を知れは又惡を知るか如く、表裏相互に係り合ふをいふなり。

(「百學連環」第42段落第1文~第2文)

 現代語にしてみます。

さて、先に negative result と言った。これは negative knowledge と同じものに見えるかもしれないが、よく注意して区別しなければならない。「ネガティヴ・リザルト(消極)」は、真理を知ることではあったが、役に立たないものだった。他方で「ネガティヴ・ナレッジ(消極知)」は、positive と互いに関係しあっており、或る真理を知ることによって、〔同じ対象について〕他の真理ではないことが分かったり、善を知ることによって悪を知ることであるように、互いに表裏の関係にあることを指している。

 ここで少し困りました。私は、「陰表(negative result)」を、もっぱら「消極」と訳してきましたが、その際、result をきちんと見届けていませんでした。消極的に分かったこと、消極的に分かった真理というほどの意味で捉えてきたわけです。しかし、ここに至って、西先生が negative result と negative knowledge は違うものだとおっしゃいます。

 仮に negative knowledge を「消極的な知」と訳すとすれば、negative result もまた「消極的な結果」などとしっかり区別しなければならないでしょう。では、この二つのことはどう違うのでしょうか。

 西先生の説明によれば、「消極的な結果」のほうは、真理を知ることではあるけれど、役に立たないものだということでした。これは、「星雲」を例に説明されたものです。

 他方で、「消極的な知」は「積極的な知」と相互に関係していると言います。互いに表裏の関係にあるので、一方が分かると他方が分かる、そういうものであるというわけです。

 この説明自体は、特に苦労せず理解できます。しかし、以前、西先生が、陰表(消極的な結果)もめぐりめぐって陽表(積極的な結果)を知ることにつながるのだと言っていたことと、どう区別すればよいのでしょうか。少し混乱して参りました。続きを読んで、この困惑が解けることを期待したいと思います。

――=くの字点上〳(U+3033)+くの字点下〵(U+3035)
※縦書きで〱となり、「能く能く」となります。

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筆者プロフィール

山本貴光(やまもと・たかみつ)

『コンピュータのひみつ』(朝日出版社) ジマーマン+サレン『ルールズ・オブ・プレイ』(ソフトバンククリエイティブ)文筆家・ゲーム作家。
1994年から2004年までコーエーにてゲーム制作(企画/プログラム)に従事の後、フリーランス。現在、東京ネットウエイブ(ゲームデザイン)、一橋大学(映像文化論)で非常勤講師を務める。代表作に、ゲーム:『That’s QT』、『戦国無双』など。書籍:『心脳問題――「脳の世紀」を生き抜く』(吉川浩満と共著、朝日出版社)、『問題がモンダイなのだ』(吉川浩満と共著、ちくまプリマー新書)、『デバッグではじめるCプログラミング』(翔泳社)、『コンピュータのひみつ』(朝日出版社)など。翻訳書:ジョン・サール『MiND――心の哲学』(吉川浩満と共訳、朝日出版社)ジマーマン+サレン『ルールズ・オブ・プレイ』(ソフトバンククリエイティブ)など。目下は、雑誌『考える人』(新潮社)で、「文体百般――ことばのスタイルこそ思考のスタイルである」、朝日出版社第二編集部ブログで「ブックガイド――書物の海のアルゴノート」を連載中。「新たなる百学連環」を構想中。
URL:作品メモランダム(http://d.hatena.ne.jp/yakumoizuru/
twitter ID: yakumoizuru

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【編集部から】
細分化していく科学、遠くなっていく専門家と市民。
深く深く穴を掘っていくうちに、何の穴を掘っていたのだかわからなくなるような……。
しかし、コトは互いに関わり、また、関わることをやめることはできません。
専門特化していくことで見えてくることと、少し引いて全体を俯瞰することで見えてくること。
時は明治。一人の目による、ものの見方に学ぶことはあるのではないか。
編集部のリクエストがかない、連載がスタートしました。毎週金曜日に掲載いたします。

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エリザベス・マーガレット・ベイター・ロングリー(5)

2013年 5月 9日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

タイプライターに魅せられた女たち・第80回

2日後の1869年5月15日、ロングリー夫人は再び、『The Revolution』紙の編集局を訪ねていました。AERAが瓦解した後、女性運動家だけが、スタントン夫人に呼び出されたのです。編集局には、一昨日スタインウェイ・ホールにいた女性運動家たちが、数多く集まっていました。その集まりで、スタントン夫人とアンソニー女史は、新たな団体NWSA(National Woman Suffrage Association)の結成を提案しました。NWSAは、その名の通り、女性参政権の獲得を目的とした団体で、その他のこと、たとえば黒人参政権などに関わる活動はおこなわない、というのが、スタントン夫人とアンソニー女史の説明でした。NWSAに賛同する女性運動家は、NWSAの下部組織として、各州ごとの女性参政権運動を組織し、州の代表を選出してきてほしい、というのです。

NWSAの会長には、スタントン夫人が選ばれました。ロングリー夫人は、オハイオ州における女性参政権運動のための団体を組織することと、その代表を選出することを、引き受けました。隣のインディアナ州は、『Western Independent』紙のウェイ女史(Amanda M. Way)が引き受けましたが、その隣のイリノイ州を引き受けるべきリバモア夫人は、どういうわけかその場にいませんでした。シンシナティ郊外のラブランドに戻ったロングリー夫人は、シンシナティとデイトンさらにはコロンバスを忙しく往復しながら、オハイオ州での女性参政権運動団体設立に向けて、活動を始めました。

1869年6月8日、ロングリー夫人はインディアナポリスにいました。ウェイ女史の招きで、インディアナ女性権利協会(Indiana Woman’s Rights Association)の総会に出席するためです。実は、インディアナ女性権利協会は、1859年10月の第8回総会以後、活動を停止してしまっていました。この日、第9回総会を開催することで、ウェイ女史は、インディアナ女性権利協会の活動を再開すると共に、新たな女性参政権運動の中心にしようとしていたのです。この第9回総会で、ウェイ女史は会長に選出され、ロングリー夫人とスワンク夫人(Emma B. Swank)とコール夫人(Miriam M. Cole)が副会長となりました。スワンク夫人は地元インディアナポリス在住でしたが、ロングリー夫人とコール夫人はオハイオ州に住んでいました。もちろん、インディアナ女性権利協会としては、インディアナ州在住者を会長および副会長に選出する建前なのですが、急な開催の上に、他に人望のある人物がおらず、オハイオ州のロングリー夫人やコール夫人が副会長に選ばれたのです。

エリザベス・マーガレット・ベイター・ロングリー(6)に続く)

【筆者プロフィール】

安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター准教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

http://slashdot.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

編集部から

近代文明の進歩に大きな影響を与えた工業製品であるタイプライター。その改良の歴史をひもとく連載です。毎週木曜日の掲載です。とりあげる人物が女性の場合、タイトルは「タイプライターに魅せられた女たち」となります。


Reach Out I’ll Be There(1966/全米、全英の両チャートでNo.1)/フォー・トップス(1953-)

2013年 5月 8日 水曜日 筆者: 泉山 真奈美

歴史を彩った洋楽ナンバー~キーワードから読み解く歌物語~ 第81回

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●歌詞はこちら
http://www.metrolyrics.com/reach-out-ill-be-there-lyrics-four-tops.html

曲のエピソード

フォー・トップスが所属していたR&B/ソウル・ミュージックの老舗レーベルのモータウンは、黄金期と言われる1960年代に明確な役割分担(それを“管理体制”と呼ぶ向きもある)を敷いていた。つまり、曲を作ってプロデュースする側と、それを歌う所属アーティスト側に分かれていたのである。モータウンのお抱えソングライター/プロデューサーの多くは大成功を収めたが、とりわけ、このフォー・トップスとシュープリームスを中心に多くの楽曲を提供していたホランド・ドジャー・ホランド(以下H-D-H)が量産するヒット曲の多さは群を抜いていた。本連載第71回で採り上げたリック・アストリー「Never Gonna Give You Up」(1987/全米、全英の両チャートでNo.1)を手掛けたソングライター/プロデューサー・トリオのストック・エイトキン・ウォーターマンの3人は、ひたすらH-D-Hに憧れ、彼らとモータウンを目標に定めてアーティストの発掘と曲作りをしていたと言われている。

フォー・トップスはその名の通り4人組で、結成当初から不動のメンバー構成で活動していたが、1997年にはローレンス・ペイトン(Lawrence Payton)が59歳で、2005年にはリナルド・ベンソン(Renald Benson)が69歳で、そして遂にはグループの要だったリード・ヴォーカルのリーヴァイ・スタッブス(Levi Stubbs)がガン闘病生活の末に2008年に72歳で亡くなり、目下、残党はアブドゥル・ファキア(Abdul Fakir)ただひとりだけである。以降、新メンバーを加えつつ活動を続けているものの、やはり彼らの黄金期は1960年代だったと思う。何しろフォー・トップスは、筆者が生まれて初めて好きになった男性R&Bヴォーカル・グループだったのだから(幼稚園児の時)。本連載の担当者S氏にそのことを打ち明けたところ、「かなりませたお子さんだったんですね」と。確かにそうだったかも知れない。モータウン・サウンドに既に目覚めていたので、リーヴァイの男っぽいリード・ヴォーカルと“スリー・トップス”の掛け合いが、5歳児の耳にもエラくカッコよく聞こえたものである。

この「Reach Out I’ll Be There(邦題:リーチ・アウト)」は、彼らにとって2曲目の全米No.1ヒット。あたかも馬の蹄の如き効果音が施されたイントロ部分から耳が釘付けになり、次第に高揚していくリーヴァイとスリー・トップスらの熱を帯びたコーラスに耳を奪われずにはいられない。子供の頃、この曲がFEN(現AFN)から流れてくるたびに、心がはやったものである。なお、R&Bチャートでも2週間にわたってNo.1の座に輝いた。

オリジナル・メンバーのうち、ただひとりの生存者であるファキアは、かつてこう語ったことがある。曰く「僕らは完璧な組み合わせのグループだと思った。僕は第一のテナー、ローレンスはそれに続く第二のテナー、オビー(リナルドの愛称)はバリトンという役割分担で、そしてリーヴァイは“間違いなく”グループのリード・ヴォーカルに相応しい声の持ち主だったからね」。同発言は実に的を射ている。と言うのも、“スリー・トップス”があってこそ、リーヴァイの声量タップリの重厚な歌声が映えていたからだ。彼ら4人のチームワークの良さは、もちろんこの曲でも遺憾なく発揮されている。

2002年にアメリカで公開された、モータウンのセッション・バンドであるファンク・ブラザーズの伝記的映画『STANDING IN THE SHADOWS OF MOTOWN(邦題:永遠のモータウン)』(原題はフォー・トップスの1966年のヒット曲「Standing In The Shadows of Love」のもじり)には、ジャンルを超えて様々なアーティストが登場し、往年のモータウン・ヒットをカヴァーして歌うシーンが挿入されていたが、筆者にとって最も印象的だったのが、故ジェラルド・リヴァート(Gerald LeVert/2006年に心臓発作のため40歳の若さで死去/フィラデルフィア・ソウルの立役者であるオージェイズのリード・ヴォーカルのひとりエディ・リヴァートの息子)がカヴァーした、この「Reach Out I’ll Be There」であった。父親譲りの豊かなバリトン・ヴォイスの持ち主だったジェラルドは、リーヴァイへのありったけの尊敬と憧憬の念を込めて、オリジナル・ヴァージョンと一言一句違わぬ歌詞で歌ったのだ。この曲は、ダイアナ・ロスを始めとして、複数のアーティストによってカヴァーされてきたが、ジェラルドのカヴァーほど筆者の心を鷲掴みにしたものは他になかったと言ってもいいほど。当時、同映画の試写会を観たのだが、そのシーンでジェラルドとリーヴァイの姿がピタリと重なって見え、込み上げてくる熱いものを抑え切れなかった。言わずもがなだが、1960年代のモータウン黄金期を語る上で、決して避けては通れない1曲である。

曲の要旨

絶望的になって、生きる気力を失いかけたり人生に幸せなんて訪れないと思い込んだりして、何もかもがイヤになった時には、愛しい人よ、どうか僕に助けを求めておくれ。頼むから早まった真似をしないでくれよ。君が生きることを諦めかけた時には、僕の手を取って安堵感を感じてくれ。君が窮地に陥っている時には、側に駆け付けて君を愛して守ってあげるから。君が必要としている愛情を残らず君に与えてあげる。さぁ、僕の方へ手を伸ばして、僕に救いを求めてくれよ。

1966年の主な出来事

アメリカ: NOW(National Organization for Woman/全米女性機構)が結成される。
日本: ビートルズが来日し、武道館でコンサートを行う。
世界: 中国で文化大革命(通称「文革」)が始まる。

1966年の主なヒット曲

We Can Work It Out/ビートルズ
Summer In The City/ラヴィン・スプーンフル
You Can’t Hurry Love/シュープリームス
Last Train To Clarksville/モンキーズ
Poor Side of Town/ジョニー・リヴァーズ

Reach Out I’ll Be Thereのキーワード&フレーズ

(a) reach out
(b) see someone through
(c) peace of mind

まずは、この曲が大ヒットした1966年という時代背景を考えてみて欲しい。アメリカは公民権運動の渦の中にあった。モータウンの創設者で初代社長のベリー・ゴーディ・Jr.は、「我々はブラック・ピープルのためではなく、世界(の人々)のための音楽を作るんだ」と公言していたが(けだし名言である)、だからと言って、同レーベルが社会運動に対して決して無関心だったのではない。その証拠に、ゴーディ自身がオープン・リール(カセット・テープがむき出しでデカくなったものと思って下さい)のデッキを持ち込み、公民権運動の最大の指導者だったマーティン・ルーサー・キング・Jr.牧師(Martin Luther King, Jr./1929-68)の演説をアメリカ各地で録音し、自ら設立したレーベルから計3枚のキング牧師関連のLPをリリースしているのだ。筆者はそれらのLPを10代後半に新品で入手したが、今でも時折、思い出しては耳を傾けている。もちろん、かの有名なスピーチ“I Have A Dream”の収録盤もアリ。

1966年と言えば、キング牧師が暗殺される2年前で、公民権運動の熱波が全米中に伝播していた頃である。そのことに思いを馳せると、この曲が単なるラヴ・ソングではなく、メッセージ・ソングにも聞こえるような気がするのだが……。試しに、曲のあちらこちらに登場する、愛する人への呼び掛け――darlingやbabyなど――を取り去った上で、今一度、歌詞に耳を傾けて頂きたい。成功するかどうか、不安な心を抱えつつも社会運動に身を投じている人々を励ます歌には聞こえないだろうか? 筆者がそのことに気付いたのは、高校3年生の時に英語のリーダーの教科書で“I Have A Dream”を学んだ際に、改めてこの曲を聴き直してみた時のこと。ひょっとしたらこれは、ラヴ・ソングを隠れ蓑にした公民権運動のテーマ・ソングのひとつではないか、と。ただ、当時の筆者は貪るようにキング牧師や公民権運動関連のノンフィクションを読み漁っていたので、それらに感化されての深読みの域を出ないかも知れないが……。

(a)はソーシャル・ネットワーク全盛時代の現代を映し出すかのようなイディオムで、「交友の輪を広げる、大勢の人々と接触したり連絡を取ろうとしたりする」という意味。が、ここでは、その意味だと曲の本意とはかけ離れてしまう。(a)には「助けを乞う、救いを求める」という意味もあり、この曲ではそれを意図している。また、途中でリーヴァイが絞り出すような声で♪Reach out for me … と歌う箇所があるが、“reach out for ~”は「~をつかもうとして手を伸ばす」という意味であるから、(a)の意味とアドリブ気味に歌われているそれとを足すと、「僕に届くように君の手を差し伸べて、僕に救いを求めてくれ」となるだろうか。この曲を聴くと思い出さずにはいられないのは、フォー・トップスのレーベルメイトだったダイアナ・ロスのソロ・デビュー曲「Reach Out And Touch (Somebody’s Hand)」(1970/全米No.20)である。ただし、こちらは完全なるメッセージ・ソングで、テーマは“人類の融和”だった。もしかしたら、1960年代半ば~1970年代初期頃に、アフリカン・アメリカンの人々の間で“Reach out (for me).”というセリフが流行していたのかも知れない。

今ではすっかりかり定着している「シースルー」だが、その言葉は形容詞“see-through(透けて見える)”をそのままカタカナ語化したもの。そのことを考えれば、(b)の意味は自ずと解るはず。そう、「~を見透かす、~の正体を見破る、~に見通しを付ける」といった意味のイディオム。ところがここにもまた、意外な意味が潜んでいた。それは、「困っている人を(その人が苦境から脱することができるまで)助けてあげる、~の面倒をみる」という意味で、ここではそうした意味で使われている。この曲で用いられているその言い回しを他の英語に書き換えるなら、次のようになるだろうか。

♪I’ll always take care of you.
♪I’ll help you over.

(b)は洋楽ナンバーでしばしば見聞きする言い回しで、大抵の場合、この曲での意味と同じそれで用いられていることが多い。

(c)は読んで字の如く「心の平穏」という意味のイディオムで、辞書では“peace”の項目に載っている。ここで肝心なのは、“mind”が無冠詞である点。“mind”は不可算名詞でもあり可算名詞でもあるが、(c)のイディオムはある種の決まり文句のようなもので、ここには冠詞が付かない。これまた洋楽ナンバーに頻出する言葉だが、ラヴ・ソング、メッセージ・ソングのどちらでも見聞きする。(c)を含む洋楽ナンバーを耳にする度に、結局のところ、人間にとって最も大切なのは「心の安らぎ」なのかも知れない、と筆者は思う。「病は気から」ともいうではないか。

フォー・トップスのラヴ・ソングは、H-D-Hが綴った親しみ易いメロディと歌詞のお蔭で、意味は解らずとも、それらは幼い筆者の心に響き渡った。彼らにとって「I Can’t Help Myself」(1965/R&Bチャートでは何と9週間にわたってNo.1)と並ぶ二大全米No.1ヒットがこの「Reach Out I’ll Be There」で、前者を彼らの“陽”とするなら、後者は“陰”の部分を最大限に押し出した名曲。孤独で夢も希望も失い、今にも崩れ落ちそうになっている愛しい女性に向かって、抜けるような青空の如く明るいメロディで「僕に救いを求めてよ」と歌っても、そりゃあ信憑性に欠けるだろう。相手の女性が「私、からかわれてるのかしら……?」と思うかも知れない。メロディが陰影を帯びているからこそ、この曲でのリーヴァイと彼を支えるスリー・トップスの歌声に、歌詞の持つ物語性が合致するのだ。

【筆者プロフィール】

泉山真奈美(いずみやま・まなみ)

1963年青森県生まれ。幼少の頃からFEN(現AFN)を聴いて育つ。鶴見大学英文科在籍中に音楽ライター/訳詞家/翻訳家としてデビュー。洋楽ナンバーの訳詞及び聞き取り、音楽雑誌や語学雑誌への寄稿、TV番組の字幕、映画の字幕監修、絵本の翻訳、CDの解説の傍ら、2012年まで翻訳学校フェロー・アカデミーの通信講座(マスターコース「訳詞・音楽記事の翻訳」)、通学講座(「泉山式 翻訳力×英文法講座」)の講師を務めた。著書に『アフリカン・アメリカン スラング辞典〈改訂版〉』、『エボニクスの英語』(共に研究社)、『泉山真奈美の訳詞教室』(DHC出版)、『DROP THE BOMB!!』(ロッキング・オン)など。『ロック・クラシック入門』、『ブラック・ミュージック入門』(共に河出書房新社)にも寄稿。マーヴィン・ゲイの紙ジャケット仕様CD全作品、ジャクソン・ファイヴ及びマイケル・ジャクソンのモータウン所属時の紙ジャケット仕様CD全作品の歌詞の聞き取りと訳詞、英文ライナーノーツの翻訳、書き下ろしライナーノーツを担当。マーヴィン・ゲイ『ホワッツ・ゴーイン・オン 40周年記念盤』での英文ライナーノーツ翻訳、未発表曲の聞き取りと訳詞及び書き下ろしライナーノーツを担当した。その他、ジャンルを問わずポップス、ロックの訳詞も手がける。

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三省堂辞書の歩み 辞林

2013年 5月 8日 水曜日 筆者: 境田 稔信

三省堂辞書の歩み 第16回

辞林

明治40年(1907)4月1日刊行
金沢庄三郎編/本文1637頁/四六判(縦187mm)

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上左:【辞林 初版】1版(明治40年)
上右:【本文1ページめ】(クリックで拡大)
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上左:【辞林 四十四年版】1版(明治44年)
上右:【本文1ページめ】(クリックで拡大)

 本書は、普通語、古語、俚語方言、外来語のほか、学術用語も多く収め、見出し語数は約8万2000。明治29年刊行の『帝国大辞典』を2万5000語も上回った。

 現代的な言葉を載せる目的で編纂され、専門用語には哲学・仏教・心理学・論理学・教育学・法律・経済・動物学・植物学・生理学・鉱物学・物理学・化学・数学(増補再版で天文学・地理学を追加)の区別を示している。また、『帝国大辞典』と同じく、見出しの上には古語・俚語方言・字音語を表す記号が付けられた。俚語方言を表す「{ 」は、語釈の文頭にも付いている。

 見出しは歴史的仮名遣いだが、促音「っ」だけは小書きが使われた。音引き「ー」は「あ」の前に配列したため、「アーチ」~「アール」の後に「ああ」がくる。巻末には「発音索引」「字音索引」があって、歴史的仮名遣いでの引きにくさを助けている。また、四十四年版には「難訓索引」も付いた。

 『帝国大辞典』では出典付きの用例を掲載していたのだが、本書では作例がわずかに載っている程度となった。そのかわり、語数が増えただけではなく、語釈も改善されている。編集には、『漢和大字典』(明治36年)に続いて足助直次郎が尽力した。金沢庄三郎は、東京帝国大学で指導下の学生だった金田一京助たちに原稿を書かせていたという。

 明治42年(1909)刊行の増補再版は本文の頁数に増減なく、四十四年版(明治44年)では本文が24頁増加した。その後、3段組を4段組に変えた縮刷版を大正7年(1918)に、中形版を大正12年に刊行している。

●最終項目

をんをん[温温](名、副) 「をんぜん」(温然)に同じ。

●「猫」の項目

ねこ[猫](名) ①【動】食肉類中猫科に属する小獣、多く人家に飼養せらる、頭円く尾長し、体駆は狭長にして屈伸自在なり、毛色種々あり、夜間は瞳円大なれども日中には竪針状となる、よく鼠を捕ふ。②{芸者の異称。③{知りて知らぬさまをなすこと。又、其人。④{本性をつゝみかくして平凡をよそほふこと。又、其人。⑤{土製の「アンくわ」の称。(東京地方の方言)。

●「犬」の項目

いぬ[犬](名) ①【動】哺乳類中肉食類に属する獣、世界至る所に家畜として飼養せらる、性怜悧にして、視官は鈍けれど、聴官と嗅官とは最も鋭敏なり。②まはしもの。諜者。

◆辞書の本文をご覧になる方は

辞林(初版):

近代デジタルライブラリー『辞林』のページへ

辞林(四十四年版):

近代デジタルライブラリー『辞林』のページへ

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【筆者プロフィール】

境田稔信(さかいだ・としのぶ)

1959年千葉県生まれ。辞書研究家、フリー校正者、日本エディタースクール講師。
共著・共編に『明治期国語辞書大系』(大空社、1997~)、『タイポグラフィの基礎』(誠文堂新光社、2010)がある。

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【編集部から】

昨年11月、三省堂創業130周年を記念し三省堂書店神保町本店にて開催した「三省堂 近代辞書の歴史展」では、たくさんの方からご来場いただきましたこと、企画に関わった側としてお礼申し上げます。期間限定、東京のみの開催でしたので、いらっしゃることができなかった方も多かったのではと思います。また、ご紹介できなかったものもございます。
そこで、このたび、三省堂の辞書の歩みをウェブ上でご覧いただく連載を始めることとしました。
ご執筆は、この方しかいません。
境田稔信さんから、毎月1冊(または1セット)ずつご紹介いただきます。
現在、実物を確認することが難しい資料のため、本文から、最終項目と「猫」「犬」の項目を引用していただくとともに、ウェブ上で本文を見ることができるものには、できるだけリンクを示すこととしました。辞書の世界をぜひお楽しみください。
毎月第2水曜日の公開を予定しております。


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