漢字の現在:転記ミスの再現ゲーム
2012年 5月 18日 金曜日 筆者: 笹原 宏之漢字の現在 第186回 転記ミスの再現ゲーム
さて、前回考えついたと書いたのは「伝言ゲーム文字編」、あるいは「伝文ゲーム」、いや「漢字伝言ゲーム」が伝わりやすいか。それは、「転写ゲーム」と呼んでも良いような内容である。古写本では、転記ごとに本文が変わっていく。漢字は表意性が高い表語文字だ。意味と音の両面が意識され、言語と結びつく。そのため、固定性ももつが、種々の条件下でどんどん変わっていきもする。解釈に基づく意図的なものもあれば、そうでないものもある。
今回はあいにく就職活動や卒業旅行の時期と重なってしまい、バスを予約するほどではなく、参加者はちょうど16名になっていた。4人ずつ、4チームに分けられる。うまく盛り上がるかどうか分からない、未知数なのだが、たまにはゼミ合宿でも専門に関わることを試みてみようではないか。
私が部屋で問題を準備する。大学2,3年生なので、少し難しめにしてみる。
鱈か鰯か眉を顰めて喧々囂々。
無理に難しめの漢字を多用してみた。字体は、無用の混乱を招くのを避け、拡張新字体としておく。ヒントというか3人目の漢字復元のために、漢字の部分だけをホワイトボード(白板)に□で示した。
□か□か□を□めて□□□□。
1人目: 出題文を見て、覚える。それを思い出して紙に写す。
いつになく真剣な表情。入試のための受験勉強では、相当な量の暗記をこなした面々だ。
いつになく神妙な表情で、指で空書をするなど、時間をかけて覚えている。彼らにとって、一次記憶の容量は超えてはいないようだ。読めないと言いながら、席に戻って、切られた白紙に、懸命に記憶によって書き写す。ここですでに忘れたという声も出る。「余計なこと言わないで」、と話しかけてくる友達を遮る女子。
かつて南方熊楠は、よそで『和漢三才図会』を読んでは、自宅で思い出して写本を作ったそうだ(書体まで似ていたが、細かく校合してみたいものだ)。
2人目:1人目の写した文を見る。それをひらがなに直して書く。リレーのようなものだ。
「(漢字を)ひらがなにするのがミソですね」、その通りなのである。
3人目:2人目の書いたひらがなの文を見て、□の部分を漢字に直して書く。
4人目(アンカー):3人目の書いた文を、再びひらがなだけに直して書く。そしてこれをホワイトボードにそのまま写す。
一通り、伝達を終えたので、各班のアンカーが、マジックで記す。すると、笑いが漏れる。
自信がない部分については、担当箇所が終わって紙を回し、役目を終えてから、気になってケータイを調べたり、同じ所を分担した学生に聞いたりしていた。文字体系を変えて写すことを「訳し」と言っている。「踊り字だよね」「繰り返し」という声もした。
「魚に雪が…」、後で声がする。「鱈」と「鰯」は表外字だが、意外と読めるので感動した。このゲームでは1人目、2人目の責任はとくに重大だ。
1人目からアンカーまでの解答用紙を教壇に並べて、確認をしながら答え合わせをしてみる。
鱈 > たら > 田羅 > たら
「田んぼの田」に「羅生門の羅」、かえって難しそうにも見え、大きな笑いが起こる。互いに笑え合える仲になっていたので、どこらへんで変化したのかも、ほのめかしてみる。当て字を経ても、なんとか語形は保持され、「田羅」で漢字の字数をオーバーしているのは反則だったが、「たら」という正解に導いたのである。
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【筆者プロフィール】
笹原宏之(ささはら・ひろゆき)
早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』(三省堂)、『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)、編著に『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)などがある。最新刊は、この連載がもととなった『漢字の現在』(三省堂、2011年8月刊行)。
【編集部から】
漢字、特に国字についての体系的な研究をおこなっている笹原宏之先生から、身のまわりの「漢字」をめぐるあんなことやこんなことを「漢字の現在」と題してご紹介いただいております。前回は「勉強」の共通誤字でした。
この連載への質問、また「ここでこんな字が使われていた」などの情報は、問い合わせフォーム( http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/support/question.html )から、「漢字の現在」への質問・情報である旨を記してご投稿ください。
「百学連環」を読む:術の区別を比べる
2012年 5月 18日 金曜日 筆者: 山本 貴光第58回 術の区別を比べる
今回は、前回引用した『ウェブスター英語辞典』(1865年版)の「ART」の項目と、第56回で見た西先生による「術(art)」の説明について比べながら検討してみます。
まず、あちこち行き来する手間を省くため、検討の材料を改めて並べておきましょう。まずは「百学連環」で「術」の区別をしているくだり。
「術」にも二つの区別がある。つまり、Mechanical Art と Liberal Artの二つだ。原語に従うなら、「機械の術」と「上品の術」という意味だが、このように訳すのは適切とは言えない。それぞれ「技術」と「芸術」と訳してよいだろう。「技」とは、手足や体を働かせるという意味の字であり、例えば大工などのように身体を働かせるものはすべてこれに該当する。「芸」とは、精神を働かせるという意味であり、例えば詩や文章を作ることなどがすべてこれに該当する。mechanicalはtradeと同じである。つまり、「商い」という字だ。英語に Mechanical Art というものがある。これは「商売」のことである。
また、Useful Art と Polite Artという区別もある。
さらに、Industrious Art と Fine Arts という区別もある。このように、「術」についてはいろいろな語があるが、大まかには同じような意味であり、いずれにしても二つに区別されるということである。
(「百學連環」第17~19段落の現代語訳)
それから『ウェブスター英語辞典』はこうでした。
2. 〔アートとは〕特定の行為を容易に行えるようにする規則の体系である。「サイエンス」や理論に基づく原理とは対照的なもの。例えば、建築のアートや彫刻のアートなどがある。
☞アートは、「手芸(Useful)」「技術(mechanic)」「工芸(industrial)」と「芸術(liberal)」「美術(polite)」「美術(fine)」に分けられる。「技術(Mechanic arts)」とは、精神というよりは、もっぱら手や体に関わるもので、例えば服や日用品をつくることなどである。こうしたアートは「手仕事(trades)」とも呼ばれる。これに対して「芸術(Liberal Arts)」あるいは「美術(Polite Arts)」とは、もっぱら精神や想像力に関わるものであり、例えば詩や音楽や絵画など〔をつくること〕である。かつて「リベラル・アーツ」という言葉は、学問(sciences)や哲学、あるいはアカデミーでの教育の全系統(circle)などを意味するために用いられていた。このため、アートの学位といったり、アートの修士や学士号というものがあるのだ。
さて、両者をいま一度改めて見直してみると、どんなことが見えてくるでしょうか(『ウェブスター英語辞典』のことを、以下では「ウェブスター」と略記します)。
まず気づくのは、西先生は「術」の分類を、A) Mechanical & Liberal、B) Useful & Poilte、C) Industrial & Fineと対にしているのに対して、ウェブスターのほうではとりたてて対にしてはいないということです。
敢えて言えば、ウェブスターでは、useful、mechanic、industrialが同系列のようにこの順に並べられ、それに続いて別系統のようにしてliberal、polite、fineが並んでいることから、a) Useful & Liberal、b) Mechanic & Polite、c) Industrial & Fineという対を想定することはできます。
すると、西先生とウェブスターとで、対が一致しているのはCとcだけで、残りは入れ違いになっていることが分かります。
ただし、ウェブスターのほうでもそれに続く部分では、Mechanicに対して、Liberal or Politeと対応させています。取り扱いの大きさから言えば、PoliteよりはLiberalが主であるとも読めるでしょう。すると、ウェブスターはMechanicとLiberalを対にしているとも考えられます。
これは推測に過ぎませんが、西先生はこのMechanicとLiberalの対応を念頭に、上で見た「百学連環」での説明を組み立てたのではないかと思います。そして、六つあるアートの分類のうち、先に述べたようにCとcは一致していますから、残った二つを組み合わせると、これがBのようにUseful & Politeとなるわけです。
そのつもりで、西先生が講義のためにつくった覚書の該当箇所を覗いてみると、果たしてそのように六つの「術」が並べられている様子が見えます(下図)。

ついでに図を見ておくと、industriousの下にnuttige、fine artsの下にschoone kunsten、さらに行をかえてshöneと記されています。nuttigeはオランダ語で「有用な」といった意味、schoone kunstenは「ファイン・アート」つまり「美術」のことです。shöneは、ひょっとしたらドイツ語のschöne(美しい、美術))のことかもしれません。
いずれにしても「術」を、「体」によるものか、「精神」によるものか、という二つに大別している点で、西先生とウェブスターは一致しています。人間を体/精神という二つの要素で捉える心身二元論の考え方は、こんなところにもひょっこり顔を出しているわけです(実はこれが「百学連環」でも後に大きな問題となります)。
また、この区別が大事なのであって、上で検討したようなどれとどれが対であるかといったことは、講義の下敷きであるウェブスターの記述から考えても、二の次と見てよさそうです。
さて、次に面白いのは「mechanical」は「trade」と同義であると説明するところです。これもまたウェブスターに見える説明ですが、西先生は「trade」を「商売」と訳しています。「百学連環」の現代語訳では、「手仕事」と訳してみました。
ここでもう一つ目に留まるのは、ウェブスターでは一貫して「mechanic」と記しているのに対して、「百学連環」では「mechanical」と書いていることです。これは些細な違いではありますが、ちょっと気になります。
試しに先ほどの覚書〈図)を見てみると、そこには「mechanic & liberal」とありますね。ということは、西先生は『ウェブスター英語辞典』を調べて、手元の覚書には同辞典と同じように「mechanic」と記した。けれども、講義の際に「mechanical」と述べたか、この講義を筆記した永見がそう記したか。そんな経緯を想像してみることができます。
ついでのことながら、この大変似ている二つの言葉、mechanicとmechanicalを『オックスフォード英語辞典(OED)』で調べてみると、mechanicalのほうは15世紀の用例が出ており、mechanicのほうは最も古い用例がそれより100年下って16世紀です。
また、OEDのmechanicの項目にこんなことが記されています。
形容詞としては、MECHANICALに比べてずっと後になってから使われるようになった。使われ始めた時分は、いくぶんラテン語に近い感覚〔意味〕だった。
これらの語源に当たるラテン語はmechanicusです。語の形からいっても、mechanicのほうがラテン語に似ているというわけでしょう。
さて、ここではウェブスターの項目で、西先生が触れていないところまで訳出しておきましたが、そこに現れる「リベラル・アーツ」については、後ほど「百学連環」でも俎上に載せられることになります。
実は「リベラル・アーツ」とは、「百学連環」という言葉そのものとも深い関わりのあるものでした(例えば、第12回「円環をなした教養」を参照)。西先生の講義に沿いながら、追々改めて考えてみたいと思います。
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筆者プロフィール
山本貴光(やまもと・たかみつ)
文筆家・ゲーム作家。
1994年から2004年までコーエーにてゲーム制作(企画/プログラム)に従事の後、フリーランス。現在、東京ネットウエイブ(ゲームデザイン)、一橋大学(映像文化論)で非常勤講師を務める。代表作に、ゲーム:『That’s QT』、『戦国無双』など。書籍:『心脳問題――「脳の世紀」を生き抜く』(吉川浩満と共著、朝日出版社)、『問題がモンダイなのだ』(吉川浩満と共著、ちくまプリマー新書)、『デバッグではじめるCプログラミング』(翔泳社)、『コンピュータのひみつ』(朝日出版社)など。翻訳書:ジョン・サール『MiND――心の哲学』(吉川浩満と共訳、朝日出版社)、ジマーマン+サレン『ルールズ・オブ・プレイ』(ソフトバンククリエイティブ)など。目下は、雑誌『考える人』(新潮社)で、「文体百般――ことばのスタイルこそ思考のスタイルである」、朝日出版社第二編集部ブログで「ブックガイド――書物の海のアルゴノート」を連載中。「新たなる百学連環」を構想中。
URL:作品メモランダム(http://d.hatena.ne.jp/yakumoizuru/)
twitter ID: yakumoizuru
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【編集部から】
細分化していく科学、遠くなっていく専門家と市民。
深く深く穴を掘っていくうちに、何の穴を掘っていたのだかわからなくなるような……。
しかし、コトは互いに関わり、また、関わることをやめることはできません。
専門特化していくことで見えてくることと、少し引いて全体を俯瞰することで見えてくること。
時は明治。一人の目による、ものの見方に学ぶことはあるのではないか。
編集部のリクエストがかない、連載がスタートしました。毎週金曜日に掲載いたします。
人名用漢字の新字旧字:「巫」は常用平易か(最終回)
2012年 5月 17日 木曜日 筆者: 安岡 孝一では、「巫琴」ちゃんの出生届の受理を求めた家事審判は、結局どうなったのでしょう。東京家庭裁判所は、平成23年9月21日、この不服申立を却下しました。審判文を見てみましょう。
本件では,本件不受理処分後に,申立人が,新たな出生届を東京都北区長に提出し,これが受理されたことが認められる。そうすると,本件のように,既に出生届を受理されたものについて,その名を変更するにあたっては,戸籍法上の名の変更によることは格別,受理された出生届に代えて別の出生届を提出することはできないから,本件申立ては申立ての利益を欠き,不適法である。よって,その余の点について判断するまでもなく,本件申立ては不適法であることが明らかであるので,これを却下することとし,主文のとおり審判する。
「法第107条の2の潜脱」とまでは言っていないものの、全くの門前払いです。「巫」が「常用平易」かどうか判断すらすることなく、東京家庭裁判所は、北区長の意見書を、全面的に受け入れたわけです。
この審判に納得のいかなかった「巫琴」ちゃんの両親は、平成23年10月6日、東京高等裁判所に即時抗告[平成23年(ラ)第2003号]をおこないました。しかし、東京高等裁判所も原審を支持し、平成23年11月7日、両親の抗告を退けました。「巫」が「常用平易」かどうか判断するまでもなく、別の漢字で出生届を出し直してしまった場合は、出生届の不受理処分に対する不服申立すらできない、ということを、裁判所みずからが認めた形になってしまったわけです。
このような形で、「巫」が「常用平易」かどうかの判断を、東京家庭裁判所も東京高等裁判所も、回避することにしました。ただ、それもいたしかたないところは、あるのです。もし、「巫」が「常用平易」だと高等裁判所が判断した場合、法務省は、また戸籍法施行規則を改正して、「巫」を人名用漢字に追加しなければならなくなります。一方、「巫」が「常用平易」ではないと高等裁判所が判断した場合、今後、法務省は「巫」を人名用漢字に追加したくても追加できません。どちらにしろ、影響がかなり大きいので、おいそれと「常用平易」かどうか判断を示すわけには行かなくなってきているのです。
ただ、それならば、と筆者は思ってしまうのです。「巫空」ちゃん(第1回参照)の場合のように、つい、うっかり出生届を受理してしまう戸籍窓口が、もっと全国にあってもいいのではないか。出生届が受理されて戸籍に載りさえすれば、たとえ人名用漢字に含まれていない漢字でも、子供の名づけに使えてしまいます。そういう「うっかり」の多い自治体は、子供が少なくなっている昨今、それはそれで町おこしになるのでは、と思うのです。もちろん、そういう戸籍窓口に対しては、法務局からの指導も、さらには法務省からの査察も入るでしょうから、自治体にとってはイバラの道でしょう。でも、そういう「うっかり」の多い自治体が増えてくれることを、筆者としては願ってやまないのです。
筆者プロフィール
安岡孝一(やすおか・こういち)
京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター准教授。
京都大学博士(工学)。JIS X 0213の制定および改正で委員を務め、その際に人名用漢字の新字旧字を徹底調査するハメになった。著書に『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)、『文字コードの世界』(東京電機大学出版局)、『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。
http://slashdot.jp/~yasuoka/journal で、断続的に「日記」を更新中。
編集部から
「人名用漢字の新字旧字」(関連書籍:『新しい常用漢字と人名用漢字』)の特別編「『巫』は常用平易か」は今回で終了します。
来週からは、一時休止していた「タイプライターに魅せられた男たち」を毎週木曜日午前に掲載します。
Help Me(1974, 全米No.1)/ジョニ・ミッチェル(1943-)
2012年 5月 16日 水曜日 筆者: 泉山 真奈美歴史を彩った洋楽ナンバー~キーワードから読み解く歌物語~ 第32回

●歌詞はこちら
http://www.lyricsfreak.com/j/joni+mitchell/help+me_20075303.html
曲のエピソード
カナダ出身のシンガー/ソングライター/ギタリスト/ピアノ奏者で、絵画なども得意とする多才なアーティスト、ジョニ・ミッチェル(Joni Mitchell, 本名Roberta Joan Anderson。後に活動拠点をニューヨークに移した)。彼女にとっての最大ヒット曲である「Help Me」(ビルボードのアダルト・コンテンポラリー・チャートでは堂々のNo.1)は、通算6枚目のアルバム『COURT AND SPARK』に先駆けてシングルとしてリリースされた。1973~74年頃、ジョニは、当時イーグルスのメンバーだったグレン・フライと恋仲にあり、「Help Me」同様、やはり『COURT AND SPARK』に収録されている非シングル曲「Car On A Hill(邦題:丘の上の車)」の2曲は、グレンについて書かれたものだと言われている。その2曲から透けて見えてくるのは、相手の男がモテモテで浮気癖があり、それにヤキモキしながら恋に身を焦がす女性の姿。結局、双方の恋愛関係には終止符が打たれ、結婚には至らず、後にそれぞれ別の人と結婚した。
曲の要旨
自分で自分の気持ちをコントロールできないほど、どんどん彼に惹かれていく私。モテ男の彼に惚れたところで、どうせ自分が辛い思いをするだけだと判ってるのに、どうしても熱い思いを抑えられない。ああ、どうしよう。私が惚れた男は、女との恋愛にうつつを抜かすよりも、男友だちとワイワイやってる方が好きみたい。つまり私は、女に縛られるのが嫌いなタイプの男に惚れちゃったってことね。彼とは恋人ごっこみたいな付き合いが続いているけれど、もしかしたら彼はそのうち私を捨ててしまうかも…。でも、彼への恋心が募っていくのを止められないの。私、どうしたらいいの?
1974年の主な出来事
| アメリカ: | ジェラルド・R・フォードが第38代大統領に就任。 |
|---|---|
| 日本: | 残留兵の小野田寛郎がフィリピンのルバング島から帰還し、衆目を集める。 |
| 世界: | ポルトガルでクーデターが起こり、サラザール独裁体制が崩壊(俗にいうカーネーション革命) |
1974年の主なヒット曲
You’re Sixteen/リンゴ・スター
Love’s Theme/ラヴ・アンリミテッド・オーケストラ
Bennie And The Jets/エルトン・ジョン
Feel Like Makin’ Love/ロバータ・フラック
You Haven’t Done Nothin/スティーヴィー・ワンダー
Help Meのキーワード&フレーズ
(a) Help me
(b) ladies’ man
(c) love one’s freedom
(d) come down to smoke and ash
ジョニ・ミッチェルには、常々“強い女”――嫌いな言葉だが、今風に言うと“心の折れない女”といったところか――というイメージを抱いていただけに、この曲での女心の吐露は、正直、彼女らしくないな、と思ったこともあった。が、後になって、これが実際に彼女が恋に溺れそうになる自分をどうすることもできず、激しい衝動に駆られて綴った曲だと知り、人をイメージだけで判断するのは誤りだと改めて気付かされた。この曲でジョニは、身をよじらんばかりに相手の男(グレン・フライ)に惹かれていく様を包み隠さず歌っている。これは勝手な想像だが、恐らく当時の彼女は、寝ても覚めても彼のことで頭の中がいっぱいだったのだろう。グレンにとって彼女はどんな存在だったのだろうか。彼にも当時の胸の内を訊いてみたい気がする。
タイトルにもなっている(a)を「私を助けて」と訳すのは容易い。中学生でもできる。学校や塾で英語を習っている小学生だって、(a)を「私(僕)を助けて」とすぐさま訳すことができるだろう。が、ジョニの心の叫びとも言える“Help me.”には、もっと深い意味が込められているのだ。今一度、“help”を辞書で調べてみて欲しい。辞書によっては、例文の“Help me!”の意味に「助けて!」の他に「もうだめだ!」、「ああ、だめだ!」という意味も載っているはず。そう、この曲でジョニは「私を助けて!」と歌っているのではなく、「私、もうダメ!」、「私、もうこの気持ちを抑えられない!」という意味を込めて“Help me.”と歌っているのである。もっと意訳するなら、「誰か、今の私を止めて!」になるだろうか。恋に身を焦がしている主人公の女性は、決して窮地に立たされているわけではない。「このままどんどん彼に惹かれていって、終いにはポイと捨てられちゃったらどうしよう……。それを考えると怖いから、ずるずると自分の思いに引きずられるままに彼に溺れてしまう前に何とかこの気持ちを止められないかしら」ということを言いたいわけで、その複雑な気持ちが“Help me.”という短いセンテンスに凝縮されているのである。
(b)は、相手の男を指して言っているもの。「女にモテる男」、「女好きの男」といった意味だが、洋楽ナンバーの歌詞では、しばしば「女たらし」という意味でも用いられる。この曲がヒットしていた頃、イーグルスは最も人気の高いロック・バンドのひとつであったため、ツアー先には多くのグルーピーたちが押しかけたことだろう。もちろん、ジョニと恋愛関係だったグレンにも、多くの女が群がっていたに違いない。だからジョニは「女にモテモテの恋人」に対してヤキモキするのである。また、(b)は、男性自身が「オレは女にモテモテなんだぜぇ」と自慢する時に“I’m a ladies’ man.”という風に口にしたりもする(R&Bやラップ・ナンバーの歌詞でもたまに見聞きする)。イーグルスのメンバーの中でも優男だったグレンは、かなりの“a ladies’ man”だったのではないだろうか?
“freedom”は普通に訳せば“自由”だが、この曲では、「束縛されない状態」、「勝手気ままな行動」という意味で使われている。即ち(c)は、主人公の女性がモテ男の相手に向かって「あなたは(私にかまっているよりも)自由気ままに過ごしていたいんでしょ」と言ってるわけだ。(c)が登場するフレーズを聴くと、実際にジョニがグレンにそう言って詰め寄っている様子が目に浮かんでくるようだ。この曲に限らず、恋人をほったらかしにして、同性の仲間と夜な夜な街に繰り出す、という内容の歌詞を過去に何度も訳してきたが、大抵の場合、女性シンガーが“あなたは私と一緒に過ごすより、仲間たちと一緒に遊びに出かける方が楽しいのね”と厭味を言うものだった。恋人が夜の街で仲間たちとワイワイ楽しくやってる間―もしかしたら他の女たちも一緒かも知れないと思いつつ―彼の帰りを待ちわびる女。「今頃、彼はどこで誰と何をしてるのか判ったもんじゃない」という煩悩がジョニの頭の中を駆け巡る気持ちが、(c)に込められている。GPS対応の携帯電話が普及してからは、こうした“相手の行動が判らずヤキモキする”といった歌詞は洋楽ナンバーでとんとお目にかからなくなってしまった。
(d)は、正式なイディオムの“turn to dust and ashes(希望や期待が消え失せる)”からヒントを得て綴られたフレーズであることは明らか。何故だかこの曲では“ash”が複数形になっていないが…。このフレーズの前の行に“hot, hot blazes(燃え上がるような恋の炎)”とあることから、正式なイディオムにある“dust(ほこり)”を“smoke(煙)”に変えたのだろう。炎からは、ちりやほこりではなく煙が立つから。(d)がいわんとしているのは、その「恋の炎」が「消え失せてしまうのを過去に私は目にしてきた(=体験してきた)」ということ。だから余計に、相手の男性に強烈に惹かれながらも、この恋がいつの日か終わりを迎えるのでは、という恐怖心に苛まれてしまうのだ。
この曲がレコーディングされたのは、1973年。当時、ジョニは30歳前後、グレンは20代半ばだった。ジョニは1943年11月7日生まれ、一方のグレンは1948年11月6日生まれで、奇しくも誕生日が1日違い。そして彼女は彼より5歳上だった。そのことも頭に入れてこの曲を聴けば、年上の女性が年下のモテ男に魅了されていく気持ちにブレーキをかけられず、悶々としていた気持ちが痛いほど伝わってくる。
【筆者プロフィール】
泉山真奈美(いずみやま・まなみ)
1963年青森県生まれ。幼少の頃からFEN(現AFN)を聴いて育つ。鶴見大学英文科在籍中に音楽ライター/訳詞家/翻訳家としてデビュー。洋楽ナンバーの訳詞及び聞き取り、音楽雑誌や語学雑誌への寄稿、TV番組の字幕、映画の字幕監修、絵本の翻訳、CDの解説の傍ら、翻訳学校フェロー・アカデミーの通信講座(マスターコース「訳詞・音楽記事の翻訳」)、通学講座(「リリック英文法」)の講師を務める。著書に『アフリカン・アメリカン スラング辞典〈改訂版〉』、『エボニクスの英語』(共に研究社)、『泉山真奈美の訳詞教室』(DHC出版)、『DROP THE BOMB!!』(ロッキング・オン)など。『ロック・クラシック入門』、『ブラック・ミュージック入門』(共に河出書房新社)にも寄稿。マーヴィン・ゲイの紙ジャケット仕様CD全作品、ジャクソン・ファイヴ及びマイケル・ジャクソンのモータウン所属時の紙ジャケット仕様CD全作品の歌詞の聞き取りと訳詞、英文ライナーノーツの翻訳、書き下ろしライナーノーツを担当。近作はマーヴィン・ゲイ『ホワッツ・ゴーイン・オン 40周年記念盤』での英文ライナーノーツ翻訳、未発表曲の聞き取りと訳詞及び書き下ろしライナーノーツ。
漢字の現在:「勉強」の共通誤字
2012年 5月 15日 火曜日 筆者: 笹原 宏之漢字の現在 第185回 「勉強」の共通誤字
合宿の食事時、温泉玉子と千切りのキャベツが並んだ。我が家で、溶いた温泉玉子の容器の中に、キャベツの千切りを箸から落としてしまったことがある。子供にさえ「あ~あ」と言われる始末。仕方ないのでそのまま食べてみたら、実に美味だ。2品の取り合わせが合うのだ。温泉玉子がキャベツをコートして、触感を滑らかにしておいしくすることにそのようにして気付いていたので、そこでも言ってみる。「悔しいけど旨い」と男子。女子たちも真似して、びっくりしている。チーズや紅茶の起源だって、伝えられるところでは失敗からだそうではないか。
合宿では、勉強のほかに参加者同士の親睦も大切だ。ことばに関するお題を出して、優秀なグループには景品として、懐かしい昭和らしい麩菓子を授与する。工場見学もさせていただいた日本最大の「工場」で作られている逸品だ。ここまで崩れないように運ぶのが大変だったが、かぶりついては意外に美味しいと喜び、もらえなかった班も羨ましがる。最後には残りを皆に配って、この歯応えと風味、そして栄養と色彩に満ちた菓子の広告を作るならば、と考えてみた。
合宿所にはそういうことができる教室もある。ゼミ生同士で、「キズナってこんな字?」、「絆」とホワイトボードに書いている。文明の利器と呼ぶケータイから覚えたものだろうか。
伝言ゲームは、言語の変化の縮図でもあり、考えさせる点を含んでいる。広い屋外でやったときには、一時記憶の限界を感じて泡を吹いたものだ。面白そうだが、ただ、室内ではどうしてもよそのグループの発音が聞こえてしまう。
印刷術の発達していなかった昔は、文字は手で書き写して伝えるものだった。写本では、場面(急ぎか、意識が集中しているかを含め)、個人の識字力や使用文字をほぼ等しくする集団の状況によって、元の文字は変わっていった。幕府から出されたお触れなども、市井の末端ではある程度は変容をきたしていたそうだ。音声言語でも、一斉メールなどの手段がなかった頃には、クラスなどに連絡網が設けられ、伝達が繰り返されていたが、最後の人が発信者である教員に念のため電話を入れて確認すると、どこかで集合時刻やら何やらがおかしくなってしまっていた、なんて騒動も耳にしたことがあった。それを競技のようにしたのが、伝言ゲームだったのだろう。
「勉強」と書こうとして、その1字目を「
」とホワイトボードに書き間違えている学生が前日にいたのにもインスパイアーされた。女子がヒソヒソと小声で「力だよね」、「違っている」、私に言いに来た人もいた。書いた当人に確かめると、「勉学」でも、「つとむ」という名でも同じ字だという、でも「アレ?」というので、彼にとって臨時的な字体ではなさそうだ。
「間違ってんの?」と聞き、考えて「力」だと気付く。なにか変だなと思いながら書いていたそうだ。自分でも、どこかおかしいと思っていたとのこと。何かを省略しているのか、と考え、「どうしてだろう」と不思議がるので、「鬼」からでは、というと、「鬼」と書き、さらに左に「云」を加え「魂」と書いてみていた。隣の男子が「勉」のほうが先に習うという。もしかしたら、本で印象深く目に入っていただけでなく、次に熟語でよくくる「強」の「ム」が影響したもの(部分字体に生じる逆行同化)なのでは、と指摘してみる。
隣の男子も、実は中学生の時にその字体を注意されて気付いて、「俺だけかと墓場へ持っていこう」とまで思っていたそうだ。こうした呟きからも、共通誤字といえそうだと感じる。それが、新しいゲームを思いつくヒントになったというと、次の日にこうして使われることまで「見越して」、あれをと書いたものだったと話す。これは言い訳っぽく聞こえず、なかなか回転が速い。
「魅力」も逆行同化を起こしやすい。「力が入る」のだ。
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笹原宏之(ささはら・ひろゆき)
早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』(三省堂)、『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)、編著に『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)などがある。最新刊は、この連載がもととなった『漢字の現在』(三省堂、2011年8月刊行)。
【編集部から】
漢字、特に国字についての体系的な研究をおこなっている笹原宏之先生から、身のまわりの「漢字」をめぐるあんなことやこんなことを「漢字の現在」と題してご紹介いただいております。前回は春の伊豆の文字でした。
この連載への質問、また「ここでこんな字が使われていた」などの情報は、問い合わせフォーム( http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/support/question.html )から、「漢字の現在」への質問・情報である旨を記してご投稿ください。
大規模英文データ収集・管理術 第24回
2012年 5月 14日 月曜日 筆者: 富井 篤6 「分類」の構成・9
(4) 品詞別
これ以降は、すべて純粋の「分類」になります。
この「(4) 品詞別」は、技術英文を「品詞」の面から考察して収集したデータの分類です。各種品詞を分類してありますので、「トミイ方式」の持つすべての機能、すなわち「活用機能」、「学習機能」、および「制作・発表機能」を、100%以上発揮する分類です。
品詞を分類する目的は、決して学校文法を追求しようというものではなく、あくまでも、技術翻訳する上で必要な品詞のみを取り上げ、それを学習し、翻訳の際に活用しようとすることにあります。そのため、品詞には種類がたくさんありますが、「トミイ方式」でもほとんどすべての品詞を取り上げています。その中でも、特に以下の13個の品詞を「小分類」として、重点的に取り上げています。
1 前置詞
2 冠詞
3 関係代名詞
4 関係副詞
5 助動詞
6 名詞
7 代名詞
8 形容詞
9 動詞
10 to-不定詞
11 動名詞
12 分詞(現在分詞および過去分詞)
13 副詞
これから5回にわたってこれらの品詞の分類を説明して行くわけですが、紙面の関係上、これらすべての品詞を取り上げることができませんので、ここでは、最も重要と考えられる次の5つについて取り上げることにします。残った品詞についてももっと広く深く取り上げたいのですが、別の機会に譲ることとします。
1 前置詞
2 冠詞
10 to-不定詞
12 分詞(現在分詞および過去分詞)
13 副詞
今回と次回の2回にわたって1 前置詞を扱い、その後は2 冠詞を本連載の第26回、10 to-不定詞を第27回、12 分詞を第28回それぞれ取り上げることにします。
1 前置詞
日本語には前置詞というものがありませんので、英語の前置詞は、英和翻訳において上手に訳せば自然な日本語に訳すことができ、和英翻訳においては上手に使えば簡潔な英語が書ける、大変重要な品詞です。その全貌を知るため、「小分類」から「細々分類」まで示します。
1 単体前置詞
2 複数語
(1) 二重前置詞
(2) 群前置詞3 他の語との結合
(1) 動詞との結合
(2) 形容詞との結合
(3) 動名詞との結合
(4) 関係代名詞との結合4 特殊用法
(1) 異種の前置詞
(2) 文頭の前置詞
(3) 手段・方法を表わす前置詞
(4) 省略および繰り返し
(5) 動詞的な前置詞
最初からこのような階層分類があったわけではありません。ごく荒っぽくいいますと、最初は、これらの前置詞はすべて、「前置詞」という箱の中に一括りに放り込んでいたかもしれません。それが、収集していくうちに前置詞に関するデータが数百点くらいになった時点で、まず、「細分類」をし、やがてその「細分類」の中にさまざまな用法があることに気づき、さらに「細々分類」をしていったわけです。
この連載の中で前置詞すべてについて詳述することはできませんので、「前置詞」について、さらに詳しく学習したい方は「前置詞活用辞典」(三省堂、富井篤著)を参照してください。
1 単体前置詞
「単体前置詞」とは、個々の前置詞のことです。この中には、across から始まり without まで、学校英語とは一味違う用法を持つ前置詞が15個取り上げられています。それら15個の単体前置詞が、さらに「極細分類」までなされています。特に、at, by, for, in, on, with などは、非常に細かく、数多く分類されていますので、「学習」にも「活用」にも役に立ちます。for ~などは、「細々分類」まですると、「~がないかどうか」、「―を~するには」、「―して~する」など、前置詞とは思えない意味を持っている前置詞です。この項目は非常に大事ですので、必ず、収集していってください。
2 複数語
(1) 二重前置詞
「二重前置詞」とは、2つの前置詞が直列に繋がっているものです。これを知らないと、ほとんどの日本人が、前置詞が2つ重なっていることに違和感を抱き、使うのに躊躇するはずです。しかし、ひとたび使ってみると、これほど便利な言い回しはありません。例えば、「~の下から」でしたら、それをそのまま英語に置き換え、from under ~でいいわけです。よく注意して収集していくと、「~の上から」「~の間から」「~の後ろから」など、いろいろ集まります。
(2) 群前置詞
「群前置詞」とは、名詞の前後を前置詞で囲み、1つの前置詞の意味を持つものです。例えば、in accordance with ~,by means of ~ などが群前置詞です。これと形の上ではよく似たもので、慣用句といわれるものもあります。例えば、at the price of ~(~を犠牲にして)とか、in proportion to ~(~に比例して)などが慣用句です。もっと厳密にいうと、群前置詞でも慣用句でもなく、単に名詞の前後に前置詞が付いている副詞句もあります。しかし、私達は、文法に沿って英文データを集めているのではなく、自分の使いやすいデータベースを作っているわけですから、慣用句も副詞句も群前置詞の中に入れて分類しています。このようにして収集していくと、群前置詞は非常に幅広い、使い道の多い品詞であることがわかります。
3 他の語との結合
これは、前置詞が他の品詞と結合されている例です。ここには、前置詞が以下の語と組み合わされて使われている用法を入れています。
(1) 動詞との結合
(2) 形容詞との結合
(3) 動名詞との結合
(4) 関係代名詞との結合
(1) 動詞との結合と(2) 形容詞との結合
これらは、あまり重要ではありません。ただ、目で見てわかる通りに収集し、分類して行けばよいことになります。
(3) 動名詞との結合
これは重要です。例えば、この中には、before ___ing, by ___ing, for ___ing, in ___ing, on ___ing, without ___ing などいろいろな形がありますが、たくさんの例文を集めていくと、with ___ing はあまり使わないということがわかります。
(4) 関係代名詞との結合
これも非常に重要です。例えば、after which, at which, from which, in which, with which などがそれです。たくさん収集してみるとわかることですが、これには、2つの言葉をつなぐルールと各前置詞の持つ意味を正確につかんでいないとできないことがわかります。それぞれが1つ収集できたからそれで良いなどとは思わないで、しつこくいくつもいくつも集めてみることです。すると、上述したことがわかってきます。
最後に、文法書にも辞書にもほとんど取り上げられていない前置詞の用法で、筆者が長年翻訳をしながら、「発掘した」といってもよい用法として「特殊用法」がありますが、これは大きなテーマですので、次回に取り上げることにします。
【筆者プロフィール】
富井篤(とみい・あつし)
技術翻訳者、技術翻訳指導者。株式会社 国際テクリンガ研究所代表取締役。会社経営の傍ら、英語教育および書籍執筆に専念。1934年横須賀生まれ。
主な著書に『技術英語 前置詞活用辞典』、『技術英語 数量表現辞典』、『技術英語 構文辞典』(以上三省堂)、『技術翻訳のテクニック』、『続 技術翻訳のテクニック』(以上丸善)、『科学技術和英大辞典』、『科学技術英和大辞典』、『科学技術英和表現辞典』(以上オーム社)など。
日本語社会 のぞきキャラくり 補遺第8回 「ツンバブ」について
2012年 5月 13日 日曜日 筆者: 定延 利之補遺第8回 「ツンバブ」について
高評価の状態と関わらないという点で「ツンデレ」と似ているのは、「ツンバブ」とでも言えばいいのか、2人きりになると『幼児』になってバブバブ甘えてくるタイプである。たとえば次の(1)の男たちは、『普通の大人』と『幼児』の間を行ったり来たりしている「ツンバブ」である。
(1) 私を含め私の友人達は,ほぼ彼女または奥様に赤ちゃん言葉を使った経験があります。想像するのもおぞましいですが。。。(中略)ちなみに私も友人達も,女性に「赤ちゃん言葉,使う?」と聞かれたら「使うわけねーじゃん!ばっかじゃねーの」と答えます。笑 [http://q.sugoren.com/13494、最終確認日: 2012年4月22日.]
つまり『普通の大人』(ツン)としては、「自分は『幼児』(バブ)になることがある」と認めてみせることなど、到底できないというわけだ。だからこそ男たちは、そんなことが気取られぬよう、『普通の大人』(ツン)時には、『幼児』(バブ)らしさは微塵も感じさせない。顔を赤らめつっかえてしまうような「ツンデレ」とは、ここは大きく異なるところである。
しかしながら、愛しい人の前で『幼児』(バブ)になれば、「あー、おちごと、たいへんだったでちゅ。『ふちゅーのおとな』は、ちゅかれるでちゅ」などと「自分は『普通の大人』(ツン)になることがある」と認めることは何でもない。
このことからすれば、自身の全て(つまり『普通の大人』(ツン)と『幼児(バブ)』の両方)を受け入れられる『幼児』(バブ)こそ男たちの正体であって、『幼児』(バブ)がソトではよそゆきの『普通の大人』(ツン)を演じ、ごく親しい人の前でだけ正体の『幼児』(バブ)をさらけ出しているのだという、前回述べた「舞台裏」にも似た構図が浮かび上がってくる。
いやいや、もちろんこれは愛し合う2人の間での、ちょっとした「幼児プレイ」、つまり『幼児』(バブ)ごっこに過ぎないのだ。興醒めを承知で言えば、「『幼児』(バブ)が状況に応じて『普通の大人』(ツン)を演じたり『幼児』(バブ)に戻ったりする」というプレイを冷静に管理実行しているのは実は『普通の大人』(ツン)なのである。だから、男たちの素性に『幼児』(バブ)を認める必要は全くないのだ――と、そう単純に片付けてしまえればいいのだが、どうだろうか。前回取り上げた『宴のあと』のかづ同様、男たちも「本当のところ自分の冷静さについては」「あまり大した自信を持ってはいな」いということが、無いと言えるだろうか。演じているつもりの『幼児』(バブ)が、実はそう「演じている」わけでもなかったりする瞬間が、無いと言えるだろうか。三島由紀夫なら「彼はベビー服のほうが似合うのだった!」と書くかもしれない。あーおそろしい。
いま「男たち」と書いたが、男もすなる赤ちゃんことばを、女だってしゃべる人はしゃべるのかもしれない。少し似た例に過ぎないが、たとえば次の(2)を見られたい。ここでは新婚夫婦のあま~い会話が描き出されている。
(2) 同じ頃、下北沢あたりの南西向き2DKにいそいそと新婚所帯道具を運びこみ、
「ああ、くたびれたん。ちょっとひと休みしょうか、トモコしやわせよ、よしおは?」
「うん、よしおしやわせ。トモコは?」
なんていっている「約二名」というものがいるわけです。
そしてこの「約二名」もネスカフェのフタくるくるまわして、
「トモコ、ネスカフェだいすきよ、よしおは?」
「よしお、ネスカフェだいすきよ、トモコは?」
「トモコもネスカフェだいすきよ、よしおは?」
「よしおもネスカフェだいすきよ、トモコは?」
なんていうこといつまでも言いつつ、窓の外の夕焼け雲みつめてブチュッなんていう態度をとったりしているわけである。
[椎名誠『気分はダボダボソース』1980.]
ここに取り上げた会話が作家・椎名氏の空想による全くの絵空事ではなく、現実の日本語社会の何がしかを反映しているとしたら、日本の『赤ちゃん』人口は案外多いかもしれない。だが、詳しいことは調べてみないとわからない。「ツンデレ」がコンピュータゲームやマンガに頻出するのに対して、「ツンバブ」が言及されることは極端に少なく、その実態はほとんど謎に包まれているからである。
親たちが乳幼児に向けてしゃべることばは「IDS (Infant-Directed Speech)」と呼ばれるが、古くは「母親 (mother)」にちなんで「マザリーズ (motherese)」と呼ばれ、今でも一般にはこの名の方が知られているようだ。ここで取り上げた「ツンデレ」や「ツンバブ」の多くは(海原雄山なんかはよくわからないが)、恋人に向けてしゃべる恋人語、つまり「ラバリーズ (loverese)」である。
世界じゅうで大多数の言語が絶滅の危機に瀕してその保護や保存が急務とされており、しかも日本の財政がおそろしく逼迫しているこのご時世に、「予算を組んで、恋人語(ラバリーズ)の大規模な調査プロジェクトを立ち上げるべき」などと声を張り上げ旗を振る勇気は、私にはとても無い。が、インターネット上で「ツンデレ」の萌え談義にうち興じる世の匿名諸氏には、自らの「ツンバブ」体験が有るのか無いのか、思いあたるフシがあるのならついでに語ってほしいと思う今日この頃である。
◆この連載の目次は⇒「日本語社会 のぞきキャラくり 補遺」目次へ
◇この連載の正編は⇒「日本語社会 のぞきキャラくり」目次へ
◇この連載正編の中国語版と英語版
中国語版⇒角色大世界――日本
英語版⇒An Unofficial Guide for Japanese Characters
【筆者プロフィール】
定延利之(さだのぶ・としゆき)
神戸大学大学院国際文化学研究科教授。博士(文学)。
専攻は言語学・コミュニケーション論。「状況に基づく日本語話しことばの研究と,日本語教育のための基礎資料の作成」などを行う。
著書に『認知言語論』(大修館書店、2000)、『ささやく恋人、りきむレポーター――口の中の文化』(岩波書店、2005)、『日本語不思議図鑑』(大修館書店、2006)、『煩悩の文法――体験を語りたがる人びとの欲望が日本語の文法システムをゆさぶる話』(ちくま新書、2008)、『日本語社会 のぞきキャラくり——顔つき・カラダつき・ことばつき』(三省堂、2011)などがある。
URL:http://web.cla.kobe-u.ac.jp/aboutus/professors/sadanobu-toshiyuki.html
【編集部から】
このサイトでの連載「日本語社会 のぞきキャラくり」がもとになり、書籍として『日本語社会 のぞきキャラくり—顔つき・カラダつき・ことばつき』が刊行されてからもうすぐ一年。編集部たっての希望がかない、このたび、さらに「キャラくり」世界を楽しむべく、続編をご執筆いただくこととなりました。
イラストは、書籍版『日本語社会 のぞきキャラくり』でも「キャラくり」世界をステキに彩ってくださったカワチ・レンさんによるものです。
隔週日曜日の公開です。続きもお楽しみに!
地域語の経済と社会 第201回 「復興を目指す方言メッセージ」
2012年 5月 12日 土曜日 筆者: 田中 宣廣地域語の経済と社会―方言みやげ・グッズとその周辺―
第201回 「復興を目指す方言メッセージ」
昨年の今頃は,東日本大震災の被害のなかで,方言エールなどを中心に考察してきました。あれから1年余が経過し,被災地の人々の意識や支援のあり方は,だいぶ変わって来ました。そこに使われる方言の拡張活用例も,生存の段階から復興を目指す段階に移って来ています。今回は,そういう被災地の最近の拡張活用例を紹介します。
まず,中心部が全滅に近い被害を受けた岩手県山田町では,震災後1年の今年3月に「復興山田がんばっぺし祭り」が開催されました【写真1】。「かきくけこ」(第46回)が戻ってくる日のため,がんばります。
もう一つは,JR東日本の「いわてデスティネーションキャンペーン」(4月1日~6月30日)です。岩手県内で,現在JR線が運行されている範囲に,各地の方言メッセージが掲げられています。岩手県の玄関口・盛岡駅には,新幹線ホームから改札に向かう途中に「よぐおでんした 盛岡さ!」【写真2】,コンコースから新幹線ホームへの上がり口には「またおでってくなんせ 盛岡さ!」【写真3】,その他たくさん出されています。
被災地にも一部に歓迎のメッセージが出されました。JR宮古駅に「みやこさ よぐおでんした」のメッセージが掲示されました【写真4】。復興の始まりです。山あいの駅(山田線「川内:かわうち」)でも「いわてさ よぐおでんした」とお出迎えです【写真5】。
ここで,全国の皆さんにお願いです。津波被災地では,今回紹介した用例の地区と異なり,いまだ復興を目指す段階が難しいところがほとんどです。地区の住民が分散移住して元の地区の再生が困難となり,方言を形成する1地点がなくなりかけているところもあります。お願いはこういう現状をぜひ理解していただきたいということです。これから先も皆さんからのご支援が必要です。どうか,よろしくお願いします。
《第196回の補足》
東北自動車道紫波サービスエリアの,かつて,平太くんが「よぐおでんすた」と迎えていた場所は,改装工事が終わり,4月26日に,地元の食材を使ったオリジナルメニューを提供するコーナー「SIWA SWANS(シワ スワンズ)」となりました。
また,岩手県花巻市にかつてあった足湯「いっとこま」は〈花巻の方言で「少しの間」「短い時間」の意〉と紹介しましたが,語源は「一時(いっとき)間(ま)」です。同県宮古市では,現在でも「イットキマ」の語形でよく使用されます。
* * *
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【筆者プロフィール】
言語経済学研究会 The Society for Econolinguistics
井上史雄,大橋敦夫,田中宣廣,日高貢一郎,山下暁美(五十音順)の5名。日本各地また世界各国における言語の商業的利用や拡張活用について調査分析し,言語経済学の構築と理論発展を進めている。
(言語経済学や当研究会については,このシリーズの第1回後半部をご参照ください)
田中宣廣(たなか・のぶひろ)
岩手県立大学 宮古短期大学部 准教授。博士(文学)。日本語の,アクセント構造の研究を中心に,地域の自然言語の実態を捉え,その構造や使用者の意識,また,形成過程について考察している。東京都立大学大学院人文科学研究科修士課程修了。東北大学大学院文学研究科博士課程修了。著書『付属語アクセントからみた日本語アクセントの構造』(おうふう),『近代日本方言資料[郡誌編]』全8巻(共編著,港の人)など。2006年,『付属語アクセントからみた日本語アクセントの構造』により,第34回金田一京助博士記念賞受賞。『Marquis Who’s Who in the World』(マークイズ世界著名人名鑑)掲載。
【編集部から】
皆さんもどこかで見たことがあるであろう、方言の書かれた湯のみ茶碗やのれんや手ぬぐい……。方言もあまり聞かれなくなってきた(と多くの方が思っている)昨今、それらは味のあるもの、懐かしいにおいがするものとして受け取られているのではないでしょうか。
方言みやげやグッズから見えてくる、「地域語の経済と社会」とは。方言研究の第一線でご活躍中の先生方によるリレー連載です。
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漢字の現在:春の伊豆の文字
2012年 5月 11日 金曜日 筆者: 笹原 宏之漢字の現在 第184回 春の伊豆の文字
春の伊豆で、ゼミ合宿。静岡では、表記の地域性はどうだろう。都内と同様に、「月極駐車場」がほとんどだ。
春分の日の前日のことだった。思いやりの溢れる野球で、ホームインできた。野球は皆に出番が回り、皆のことばを借りると「楽しい」。前回は、この球場のホーム直前で気持ちが焦り転んで「憤死」、ケガの治療のために病院へ連れられて行った。そこで珍姓を知れたのは収穫だったが、労災の説明が恥ずかしさもあって難しかった。
フィールドから目に入った「小室山公園」の「園」の字は、明らかに点画が略されていた(写真)。草で点画を再現するためには、字形を略すしかなかったのだろう。その場では中身は「エン」が縦に書いてあるように見えた。しばしば見られる略字だ。ここでは、筆記経済よりも、植物というものの与える物理的制約条件によって、略字が選択されたのだろう。ただ、その字体は、帰宅後に写真で改めて確かめると、中身がなんだかよく分からないものだった。草木は延びたり刈られたりするので、まさに「一期一会」だ。
次に企画されたポートボールは、全く思わぬ活躍をさせてもらい、こんなところで適性を見つけられるとは、人生分からないものだ。のび太のあやとりではないが、温泉場で浴衣姿でのスマートボールも、力の入れ加減を覚え、ついに打ち止めとなったことがあった。役立たないところばかりで力が発揮される。
ゼミ生が企画してくれた障害物競走、皆が役割を担って、責任感を持って動いてくれる。本気で準備してくれた魚肉ソーセージが太い。炭酸飲料もレクリエーションの本には書いてあったとか、それよりはましだし安全だが、バリウム検査のぶん、学生諸君よりも馴れていたかも知れない。食べたくないときに口いっぱいにソーセージを頬張るのは辛いが、頑張る。女子は、4つに噛みきって含んでいたそうだ。
これだけ盛りだくさんでは、小室山に登るどころではない。恐竜のオブジェに登る男子、迫力がある長くて恐い滑り台などは、また来年以降だ。
短い休憩時間に仮眠を取る。見た目はどうにか溶け込んでいるそうだが、年齢が倍以上違う。「先生、寝ていましたか?」 何でそんなことまで分かるのかと驚くと、目が充血しているからとのこと。学生との距離は、就職当初はお兄さんくらいだったものが、だんだんお父さんに近づいてきた。
皆が成人なので、夜には少しばかりのビールも飲める(ここではビール人気は低落気味)。怪しくも単純な手品も披露する。名付けて「いきり立つハンカチ」。ハンカチが生き物のように動き出すので、どこでも面白がってもらえる。笑いから驚異に変わる。タネが分からないという。観客の視点を導くことが大切だ。皆の個性も浮き立ってくる。2年間だけだが海外にいたという帰国子女は、「嗜好品」を「かっこうひん」と言って、サークルの後輩に直されたと話す。まあ、確かに「喝」に少し似ている。「たしなむ」っぽくない、「シ」とは読めない、難しすぎると言う。今、冷静に考えてみると、形声符としては機能を失っていることがうかがえる。隣の女子は、「ちょうこうひん」と読んでいたそうだ。向かいの女子は「お猪口に似ている」とのこと。そういえば、「猪口」全体のパーツとどことなく似ているか。連想ゲームのようだ。
「よかバッテン」という方言が出ると、「×か」と首をかしげて指で示す男子。九州方言も、アニメなどでキャラクターが使わないと広まらないようだ。
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【筆者プロフィール】
笹原宏之(ささはら・ひろゆき)
早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』(三省堂)、『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)、編著に『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)などがある。最新刊は、この連載がもととなった『漢字の現在』(三省堂、2011年8月刊行)。
【編集部から】
漢字、特に国字についての体系的な研究をおこなっている笹原宏之先生から、身のまわりの「漢字」をめぐるあんなことやこんなことを「漢字の現在」と題してご紹介いただいております。前回は漢字圏における漢字使用機会の比較でした。
この連載への質問、また「ここでこんな字が使われていた」などの情報は、問い合わせフォーム( http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/support/question.html )から、「漢字の現在」への質問・情報である旨を記してご投稿ください。
「百学連環」を読む:『ウェブスター英語辞典』の定義
2012年 5月 11日 金曜日 筆者: 山本 貴光第57回 『ウェブスター英語辞典』の定義
さて、前回見た「術」の二分類は、『ウェブスター英語辞典』にも現れると述べました。今回はそのことを検討してみましょう。
じつを言うと、私たちは既にその文章を一度目にしています。第33回「術の定義の出典を追う」で引用した件の文章を、改めて眺めることにしましょう。こんな文章でした。
2. A system of rules, serving to facilitate the performance of certain actions; opposed to science, or to speculative principles; as the art of building or engraving. Arts are divided into useful or mechanic, and liberal or polite. The mechanic arts are those in which the hands and body are more concerned than the mind; as in making clothes, and utensils. These art are called trades. The liberal or polite arts are those in which the mind or imagination is chiefly concerned; as poetry, music and painting.
In America, literature and the elegant arts must grow up side by side with the coarser plants of daily necessity.
(Noah Webster, American Dictionary of the English Language, Vol.I, 1828. 文中のイタリック体は原書のもの)
文章全体の検討は後ですることにして、ここではまずイタリックになっている部分を見ておきたいと思います。とりわけ「アート(術)」を分類する言葉にご注目ください。こういう順に並びます。
・useful
・mechanic
・liberal
・polite
前回検討した西先生の分類(表にしてみました)と比べると、二つばかり少ないことに気づきます。そう、IndustrialとFineが見あたりません。これはどうしたことか。
ところで、上で引用した文章は、1828年版の『ウェブスター英語辞典』に載っていたものでした。ここで思い出したいことがあります。第42回「どの『ウェブスター英語辞典』か」での推測です。
私たちは、『ウェブスター英語辞典』のいくつかの版を比べて、断定はできないけれども、どうやら1865年版であれば、「百学連環」講義の内容と一致することが多く、時期的にも西先生が参照しえたのではないかと述べました。
そこで、「ART」の項目について、1865年版から引用してみます。
2. A system of rules serving to facilitate the performance of certain actions ; opposed to science, or to speculative principles; as, the art of building or engraving.
☞Arts are divided into useful, mechanic, or industrial, and liberal, polite, or fine. The mechanic arts are those in which the hands and body are more concerned than the mind, as in making clothes and utensils. These arts are called trades. The liberal or polite arts are those in which the mind or Imagination is chiefly concerned, as poetry, music, and painting. Formerly the term liberal arts was used to denote the sciences and philosophy, or the circle of academical education; hence, degrees in the arts; master and bachelor of arts.
(Noah Webster, An American Dictionary of the English Language, Thoroughly revised, and greatly enlarged and improved by Chauncey A. Goodrich and Noah Porter, 1865, p.78. 文中のイタリック体は原書のもの)
この1865年版では、先の1828年版には見えなかったIndustrialとFineも登場していますね。
「百学連環」の理解にとっても大切な文章なので、全体を日本語に訳しておきます。
2. 〔アートとは〕特定の行為を容易に行えるようにする規則の体系である。「サイエンス」や理論に基づく原理とは対照的なもの。例えば、建築のアートや彫刻のアートなどがある。
☞アートは、「手芸(Useful)」「技術(mechanic)」「工芸(industrial)」と「芸術(liberal)」「美術(polite)」「美術(fine)」に分けられる。「技術(Mechanic arts)」とは、精神というよりは、もっぱら手や体に関わるもので、例えば服や日用品をつくることなどである。こうしたアートは「手仕事(trades)」とも呼ばれる。これに対して「芸術(Liberal Arts)」あるいは「美術(Polite Arts)」とは、もっぱら精神や想像力に関わるものであり、例えば詩や音楽や絵画など〔をつくること〕である。かつて「リベラル・アーツ」という言葉は、学問(sciences)や哲学、あるいはアカデミーでの教育の全系統(circle)などを意味するために用いられていた。このため、アートの学位といったり、アートの修士や学士号というものがあるのだ。
前回同様、politeとfineをいずれも「美術」と訳すなど、若干苦しいところもありますが、大筋の意味は取れると思います。
これを前回の西先生の言葉を重ねて読むとどんなことが見えてくるか。次回、検討してみることにしましょう。
*
◆この連載のほかの回をお読みになる方は⇒「「百学連環」を読む」目次へ
筆者プロフィール
山本貴光(やまもと・たかみつ)
文筆家・ゲーム作家。
1994年から2004年までコーエーにてゲーム制作(企画/プログラム)に従事の後、フリーランス。現在、東京ネットウエイブ(ゲームデザイン)、一橋大学(映像文化論)で非常勤講師を務める。代表作に、ゲーム:『That’s QT』、『戦国無双』など。書籍:『心脳問題――「脳の世紀」を生き抜く』(吉川浩満と共著、朝日出版社)、『問題がモンダイなのだ』(吉川浩満と共著、ちくまプリマー新書)、『デバッグではじめるCプログラミング』(翔泳社)、『コンピュータのひみつ』(朝日出版社)など。翻訳書:ジョン・サール『MiND――心の哲学』(吉川浩満と共訳、朝日出版社)、ジマーマン+サレン『ルールズ・オブ・プレイ』(ソフトバンククリエイティブ)など。目下は、雑誌『考える人』(新潮社)で、「文体百般――ことばのスタイルこそ思考のスタイルである」、朝日出版社第二編集部ブログで「ブックガイド――書物の海のアルゴノート」を連載中。「新たなる百学連環」を構想中。
URL:作品メモランダム(http://d.hatena.ne.jp/yakumoizuru/)
twitter ID: yakumoizuru
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【編集部から】
細分化していく科学、遠くなっていく専門家と市民。
深く深く穴を掘っていくうちに、何の穴を掘っていたのだかわからなくなるような……。
しかし、コトは互いに関わり、また、関わることをやめることはできません。
専門特化していくことで見えてくることと、少し引いて全体を俯瞰することで見えてくること。
時は明治。一人の目による、ものの見方に学ぶことはあるのではないか。
編集部のリクエストがかない、連載がスタートしました。毎週金曜日に掲載いたします。
人名用漢字の新字旧字:「巫」は常用平易か(第4回)
2012年 5月 10日 木曜日 筆者: 安岡 孝一「巫」は常用平易か(第4回)
平成12年5月23日、愛知県佐屋町のとある夫婦のもとに、男の子が誕生しました。両親は、子供に「矜持」と名づけ、6月3日、佐屋町役場に出生届を提出しました。しかし佐屋町役場は、この出生届を受理しませんでした。「矜」が、常用漢字でも人名用漢字でもなかったからです。やむをえず両親は、「矜持」を「協持」に変えて、6月5日、出生届を再提出しました。さらに6月28日、両親は名古屋家庭裁判所に不服申立[平成12年(家)第1826号]をおこないました。子供の名づけを制限するのは憲法違反なので、「矜持」と名づけた出生届を佐屋町長に受理させるか、さもなくば子供の名を「協持」から「矜持」に改名させてほしい、と申し立てたのです。
この申立に対し佐屋町長は、子の名を「協持」とする出生届がすでに受理されているので、新たな出生届を受理しなおすことなどできない、と主張しました。また、「協持」から「矜持」への改名についても、「矜」は常用漢字でも人名用漢字でもないので許すべきではない、という意見でした。そういう形で名の変更を許すと、子供の名づけに使える漢字を制限している意味がなくなる、というのです。佐屋町長の意見を受けて、名古屋家庭裁判所は、平成12年9月29日、両親の申立を棄却しました。子供の名づけに使える漢字を制限しているのは憲法違反ではないし、また、子供の名を変更する「正当な事由」があるとは認められない、というのが棄却理由でした。この審判に納得のいかなかった両親は、平成12年10月6日、即時抗告をおこないました。「矜持」ちゃんの改名に関する争いの場は、名古屋高等裁判所の抗告審[平成12年(ラ)第282号]に移りました。
平成13年2月16日、名古屋高等裁判所は、両親の即時抗告を棄却しました。一旦「協持」と命名された以上、これを変更するには「正当な事由」が必要だが、本件に関しては「正当な事由」がないので、「協持」という名をいかなる名に変更するかにかかわらず、名の変更は認められない、というのが名古屋高等裁判所の結論でした。「矜」が人名用漢字であろうがなかろうが関係なく、「協持」という名を変更するためには、以下に示すような「正当な事由」がなければならない、というのです。
- 奇妙な名である。
- むずかしくて正確に読まれない。
- 同姓同名者がいて不便である。
- 異性とまぎらわしい。
- 外国人とまぎらわしい。
- 神官・僧侶となった(やめた)。
- 通称として永年使用した。
この決定に対し、両親は、平成13年2月23日、憲法違反を理由として、最高裁判所に特別抗告[平成13年(ク)第250号]をおこないました。しかし、最高裁判所第一小法廷は平成13年6月25日、子供の名づけを制限するのは憲法違反ではない、として両親の申立を退けました。こうして「矜持」ちゃんは、戸籍上は「協持」ちゃんとして生きていくことになったのです。
(最終回につづく)
筆者プロフィール
安岡孝一(やすおか・こういち)
京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター准教授。
京都大学博士(工学)。JIS X 0213の制定および改正で委員を務め、その際に人名用漢字の新字旧字を徹底調査するハメになった。著書に『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)、『文字コードの世界』(東京電機大学出版局)、『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。
http://slashdot.jp/~yasuoka/journal で、断続的に「日記」を更新中。
編集部から
全5回の予定で「人名用漢字の新字旧字」の特別編を木曜日に掲載いたします。
好評発売中の単行本『新しい常用漢字と人名用漢字』もお引き立てのほどよろしくお願いいたします。
「タイプライターに魅せられた男たち」は、毎週木曜日に掲載中です。
Alone Again (Naturally) (1972, 全米No.1)/ギルバート・オサリヴァン(1946-)
2012年 5月 9日 水曜日 筆者: 泉山 真奈美歴史を彩った洋楽ナンバー~キーワードから読み解く歌物語~ 第31回

●歌詞はこちら
http://www.stlyrics.com/lyrics/thevirginsuicides/aloneagainnaturally.htm
曲のエピソード
ギルバート・オサリヴァン(アイルランド生まれのシンガー/ソングライター)の名前を知らなくても、この曲を耳にしたことがある人は結構いるのではないだろうか。日本のCMやドラマでも起用されたことがあり、今でもラジオで耳にすることがある。
ほんわかとしたメロディと優しく語りかけるようなヴォーカルとは裏腹に、じつはこの曲は「自殺予告ソング」である。主人公は、結婚式の当日に花嫁に逃げられてしまう青年。歌詞の内容が多くの共感を呼んだのか、1972年当時、全米とアダルト・コンテンポラリーの両チャートで6週間もの間、No.1の座に君臨した。ヒットしていた当初から、曲の内容がギルバートの実体験に基づいたものではないか、とまことしやかに囁かれたが、彼自身はきっぱりとそれを否定。彼が11歳の時に父親を亡くしたことや、両親の仲が悪く、幸せな子供時代ではなかったことは歌詞の内容と呼応するものがあるが、この曲を彼が作った時、実際には母親は健在だった。
曲の要旨
教会で行われることになっている結婚式に参列した人々が、にわかにざわめく。花婿はとっくに到着しているのに、いつまで経っても花嫁が姿を現さない。時間だけが容赦なく過ぎていく。手持ちぶさたの参列者たちは、諦めて帰り支度を始めてしまう。残された花婿。その青年は、必ずしも幸せな幼少時代を過ごしたとは言えず、先に父が亡くなり、やがて母も亡くして孤独に苛まれて生きている。そして、ようやく「家族」と呼べる生涯の伴侶を得ることになった結婚式の当日、花嫁は遂に姿を現さず、彼は裏切られたことを知のだった。「(これまでもそうだったように)また独りぼっちになってしまった」ことに絶望した主人公の青年は、近所にある高い塔のてっぺんに登ってそこから投身自殺を図ろうと思い立つ……。
1972年の主な出来事
| アメリカ: | 6月17日にウォーターゲート事件が発覚。 |
|---|---|
| 日本: | 浅間山荘事件が日本中を震撼させる。 |
| 田中角栄首相が訪中し、日本と中国の国交が回復。 | |
| 世界: | 東ドイツと西ドイツの国交が正常化。 |
1972年の主なヒット曲
American Pie/ドン・マクリーン
A Horse With No Name/アメリカ
The Candy Man/サミー・デイヴィス Jr.
I Can See Clearly Now/ジョニー・ナッシュ
Papa Was A Rollin’ Stone/テンプテーションズ
Alone Again (Naturally) のキーワード&フレーズ
(a) treat oneself
(b) throw someone off
(c) alone again naturally
(d) God rest one’s soul
もうだいぶ前の話だが、日本の某保険会社がこの曲をCMソングに起用したことがある。昔から「自殺予告ソング」であることを知っていたので、あの時は本当に肝を冷やした。今でこそ、歌詞の内容が理解されるようになり、ネット上でも「ブラックな選曲」(ブラック・ユーモアが利き過ぎている、ということだろう)と指摘する人もいて、ちょっぴりホッとする。耳に心地好くて優しいメロディにうっかりつられ、TPOを全く考えずに洋楽ナンバーを起用するとトンデモナイことになる、という好例(悪例?)になりやすい曲、それがこの「Alone Again (Naturally)」だ。まさか「弊社では、自殺をなさった方にも保険金が出ます」と言いたかったわけではないだろう。ちょっと意地悪な言い方だけど。
もうそろそろこの曲の真意が日本でも理解されてきただろう、と思っていた矢先、こんなことがあった。家人が教えてくれたのだが、何気なく聞いていたラジオから、パーソナリティーの明るい声と共に、この曲が流れてきたという。「では、東日本大震災で被災された方々への励ましとして、次の曲を贈ります。ギルバート・オサリヴァンの『アローン・アゲイン』」――家人曰く「あれじゃ逆効果だろう」――同感。もちろん、リスナー全員が洋楽ナンバーの歌詞を理解して聴いているわけではないだろうが、そこのところ、もう少し斟酌してくれてもいいのではないか、と思う。よりにもよって「(今までもそうだったように)また独りぼっち」と歌っているこの曲を被災者の方々に捧げるなんて……。
辞書の“treat”の項目にイディオムとして載っている(a)は、“treat oneself to ~(~を奮発して買う、~を思う存分に楽しむ)”というように使われる。それらの意味をひとまとめにするなら「思いっ切り贅沢をする」となるだろうか。この曲では、主人公が「自分を treat することを自分に誓う」という風に使っているが、一見してやや意味不明。何故なら、このフレーズの直後で例の「自殺予告」をしているから。となると、彼にとっての“treat”がどんなことを指しているのかを考えなければならない。どうやら、今まで孤独に耐えてきた彼は、実に忍耐強い人間のようだ。ところが、花嫁が結婚式の当日に教会に姿を現さなかったことで、彼の忍耐を支えていた何かが脆くも崩れ去ってしまったのではないか。そして彼は思うのだ。「もう自分の好きなようにさせてもらう(=こうなったら死んでやる)」と。彼にとっての“treat”は、高価なものを奮発して買うことでも、羽目を外して何かを存分に楽しむことでもない。「自分の意のままにさせてもらう」ことなのだ。こんなに哀しい“treat”が他にあるだろうか?
この曲が「自殺予告ソング」であることがハッキリするのが、(b)のフレーズ。“throw ~ off”には、「~を投げ落とす、振り落す」の他に、「(古くなった衣類や古い習慣などを)捨て去る、かなぐり捨てる」という意味もある。もちろんここでは、「自分自身を(高い場所から)投げ落とす」、つまり「投身自殺を図る」の意味で使われているが、「古い習慣をかなぐり捨てる」の意味をそこに付加すれば、「これまで孤独に耐えてきた自分自身とおさらばする」というダブル・ミーニングにも思えてくるから不思議だ。が、主人公が過去の自分と決別するための手段に選んだのが投身自殺では、余りに悲しい。
タイトルで肝心なのは、カッコで括ってある“(Naturally)”。「自然に、ありのままに」の他に、「生まれつき、生まれた時から、生来」といった意味があり、この曲では後者の意味として使われており、曲の主人公が生まれてこの方ずっと孤独だったことを暗喩している。わざわざカッコの中にその単語を入れてタイトルにしたことにも、何らかの意図を感じずにはいられない。単に「また独りぼっちになっちゃったよ」ではなく、「(今までもずっとそうだったように)また独りぼっちになった」ことの悲哀が、このカッコ括りの“(Naturally)”に如実に表れている。カッコなしの「Alone Again Naturally」よりも、主人公の青年が抱えてきた孤独感の度合いが深まるタイトルだ。
クリスマス・ソングの定番に、讃美歌の「God Rest You (or Ye) Merry, Gentlemen」(『讃美歌第二編』128 「世のひと忘るな」)というのがある。タイトルは“God bless you!(あなたに神の祝福がありますように!)”同様、仮定法現在形で、ある種の決まり文句を踏まえたもの。もしもこれが仮定法でないなら、“God rests …”となるはずだ。が、(d)は“God rests one’s soul”ではないので、やはりここも仮定法現在形。主人公の父親が亡くなった際に余りに嘆き悲しむ母親を目の当たりにして、彼は“God rest her soul!(「神様、母の魂をお救い下さい!」)”と懇願する。意訳するなら、「神様、母の悲しみを鎮めて下さい!」。そして、その母もやがてこの世を去り、主人公の青年は天涯孤独となってしまう。その彼に、やっと心の安らぎをもたらしてくれるであろう伴侶が見つかったというのに――。彼の絶望感は、推して知るべし、である。
この世の悲しみを一身に背負ったかのような主人公は、この先、本当に高い塔から飛び降りたのだろうか……? 曲のストーリーは、そこまで描かれていない。なので、「自殺予告ソング」なのである。ギルバート本人は、1980年に晴れて結婚し、二人の娘を設けている。人並みに幸せな結婚生活を送ったようだ。それ以前に、彼が実際に花嫁に逃げられた悲惨な体験があったかどうか、彼は黙して語らずのままだ。
【筆者プロフィール】
泉山真奈美(いずみやま・まなみ)
1963年青森県生まれ。幼少の頃からFEN(現AFN)を聴いて育つ。鶴見大学英文科在籍中に音楽ライター/訳詞家/翻訳家としてデビュー。洋楽ナンバーの訳詞及び聞き取り、音楽雑誌や語学雑誌への寄稿、TV番組の字幕、映画の字幕監修、絵本の翻訳、CDの解説の傍ら、翻訳学校フェロー・アカデミーの通信講座(マスターコース「訳詞・音楽記事の翻訳」)、通学講座(「リリック英文法」)の講師を務める。著書に『アフリカン・アメリカン スラング辞典〈改訂版〉』、『エボニクスの英語』(共に研究社)、『泉山真奈美の訳詞教室』(DHC出版)、『DROP THE BOMB!!』(ロッキング・オン)など。『ロック・クラシック入門』、『ブラック・ミュージック入門』(共に河出書房新社)にも寄稿。マーヴィン・ゲイの紙ジャケット仕様CD全作品、ジャクソン・ファイヴ及びマイケル・ジャクソンのモータウン所属時の紙ジャケット仕様CD全作品の歌詞の聞き取りと訳詞、英文ライナーノーツの翻訳、書き下ろしライナーノーツを担当。近作はマーヴィン・ゲイ『ホワッツ・ゴーイン・オン 40周年記念盤』での英文ライナーノーツ翻訳、未発表曲の聞き取りと訳詞及び書き下ろしライナーノーツ。
三省堂辞書の歩み 英和袖珍新字彙・和英袖珍新字彙
2012年 5月 9日 水曜日 筆者: 境田 稔信三省堂辞書の歩み 第4回
英和袖珍新字彙
明治23年(1890)12月12日刊行
F. W. イーストレーキ、棚橋一郎共編/本文775頁/袖珍判(縦91mm)
本書は、明治17年(1884)刊行の『英和袖珍字彙』に続く姉妹編として出版された。編者の名義は明治21年(1888)刊行の『ウヱブスター氏新刊大辞書 和訳字彙』と同じで、内容もかなりの部分を同書に基づいた編集になっている。ライバルである大倉書店の辞典編者島田豊を引き抜き、斎藤精輔と協力して作られたという。
初学者向けに本のサイズを『英和袖珍字彙』の半分としたため、収録語数は減っているが好評を得て20年以上増刷が続いた。印刷は、新設の三省堂活版所によって行われている。
●最終項目
Zymotic, a. 醱酵ニテ生ジタル
●「猫」の項目
Cat, n.〔動〕猫──v.t.〔航〕錨ヲ錨拮ニ引上ゲル
●「犬」の項目
Dog, n. 犬;小人;鉄架;狼星──v.t. 追尾スル,附纏フ
和英袖珍新字彙
明治24年(1891)5月28日刊行
F. W. イーストレーキ、神田乃武共編/本文904頁/袖珍判(縦91mm)
本書は、明治21年(1888)刊行の『和英袖珍字彙』に続く姉妹編として出版された。『英和袖珍新字彙』と同様に、20年以上増刷が続くロングセラーである。
編者の神田乃武は当時、正則予備校で創立者のひとりとして教鞭を執っていた。のちに東京帝国大学の教授、東京外国語学校の初代校長となる。
初学者向けのため、内容は『和英袖珍字彙』より簡略になっているが、前書にはなかった「字彙」が載っている。また、最終項目も「ずずだま」(じゅずだま)の後に「ずうずうしい」が加わった。見出しは和英辞典で初めてをボールド体を使い、目立つように工夫がされている。
●最終項目
Zūzūsii, 図々敷, coll. a. Bold, fearless, daring, audacious, impudent.
●「猫」の項目
Neko, 猫, n. A cat; also, coll. a singing girl.
●「犬」の項目
Inu, 犬, n. A dog.
* * *
【筆者プロフィール】
境田稔信(さかいだ・としのぶ)
1959年千葉県生まれ。辞書研究家、フリー校正者、日本エディタースクール講師。
共著・共編に『明治期国語辞書大系』(大空社、1997~)、『タイポグラフィの基礎』(誠文堂新光社、2010)がある。
*
【編集部から】
昨年11月、三省堂創業130周年を記念し三省堂書店神保町本店にて開催した「三省堂 近代辞書の歴史展」では、たくさんの方からご来場いただきましたこと、企画に関わった側としてお礼申し上げます。期間限定、東京のみの開催でしたので、いらっしゃることができなかった方も多かったのではと思います。また、ご紹介できなかったものもございます。
そこで、このたび、三省堂の辞書の歩みをウェブ上でご覧いただく連載を始めることとしました。
ご執筆は、この方しかいません。
境田稔信さんから、毎月1冊(または1セット)ずつご紹介いただきます。
現在、実物を確認することが難しい資料のため、本文から、最終項目と「猫」「犬」の項目を引用していただくとともに、ウェブ上で本文を見ることができるものには、できるだけリンクを示すこととしました。辞書の世界をぜひお楽しみください。
毎月第2水曜日の公開を予定しております。
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![『新明解国語辞典 第七版[机上版]』7年ぶりに改訂『新明解国語辞典』の机上版。判型は並判より大きいA5判で、さらに文字が大きく見やすい。2色刷。紙面内容は並版と同一。 『新明解国語辞典 第七版[机上版]』](http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/wp-images/smk_kijo.jpg)
![『新明解国語辞典 第七版[小型版]』7年ぶりに改訂『新明解国語辞典』の小型版。並判より一回り小さいA6変型判で、携帯にも便利。2色刷。紙面内容は並版と同一。 『新明解国語辞典 第七版[小型版]』](http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/wp-images/smk_kogata.jpg)
![『新明解国語辞典 第七版[革装版]』7年ぶりに改訂『新明解国語辞典』の革装版。丈夫で使うほどに手になじむ。判型は並版・特装版と同じB6判。2色刷。紙面内容は並版と同一。 『新明解国語辞典 第七版[革装版]』](http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/wp-images/smk_kawaso.jpg)






















































































































































2007年









