絵巻で見る 平安時代の暮らし 第62回『信貴山縁起』「尼君巻」の「東大寺大仏殿参籠」を読み解く

2018年 6月 20日 水曜日 筆者: 倉田 実

第62回『信貴山縁起』「尼君巻」の「東大寺大仏殿参籠」を読み解くく

場面:尼君が弟命蓮との再会を祈願しているところ
場所:山和国、東大寺大仏殿
時節:ある年の春か。

(画像はクリックで拡大)

人物:[ア]懇願する尼君 [イ]夢想する尼君 [ウ]祈る尼君  [エ]臥す尼君  [オ]立ち上がった尼君 [カ]歩き出す尼君
建物など:①壇正積み(だんじょうづみ)の基壇 ②束石(つかいし) ③高欄 ④葛石(かつらいし) ⑤回廊 ⑥瓦屋根 ⑦連子窓(れんじまど) ⑧石段 ⑨金銅八角燈籠 ⑩大仏殿 ⑪・⑳扉 ⑫白壁 ⑬鋲金具 ⑭釘隠 ⑮上長押 ⑯斗組 ⑰間斗束(けんとつか) ⑱唐草模様の蟇股(かえるまた) ⑲尾垂木(おだるき)
仏像・道具など:㋐廬舎那仏(るしゃなぶつ) ㋑施無畏印(せむいいん) ㋒与願印 ㋓二重円の光背 ㋔・㋝蓮弁の台座 ㋕燈籠 ㋖水晶玉 ㋗香炉 ㋘礼盤(らいばん) ㋙如意輪観音像 ㋚多聞天像 ㋛左の掌 ㋜・㋠足 ㋞岩 ㋟天邪鬼 ㋡杖 ㋢数珠 ㋣市女傘 ㋤脚絆 ㋥草鞋

はじめに 今回も『信貴山縁起』「尼君巻」を採り上げます。前回に続き弟命蓮に再会するために旅する尼君が東大寺大仏殿にたどり着いた場面になります。なお、大仏殿は伽藍配置からは金堂になりますが、この呼称が定着していますので、それに従うことにします。

東大寺 最初に奈良大仏でお馴染みの東大寺について確認しておきましょう。奈良時代、聖武天皇の発願によって創建された華厳宗の総本山です。行基(ぎょうき)が勧進、良弁(ろうべん)が開基となります。天平勝宝4年(752)に大仏開眼供養が催され総国分寺となりました。

 東大寺は、二度焼亡して再建されています。一度目は、治承4年(1180)の平重衡(たいらのしげひら)による南都焼き打ちによるもので、鎌倉時代になって再建されました。二度目は戦国時代の合戦で焼亡し、江戸中期になって再建され、今日に続いています。

 『信貴山縁起』に描かれた東大寺大仏殿は、創建時の形を写しており、今日見る形とは違っています。今回は現在の大仏殿の写真などを横に置いて読んでいただくと、創建時との違いが分かって面白いかもしれません。ウェブ上で画像は簡単に得られますので試してみてください。この場面は、創建時の大仏殿を描いた唯一のものとして貴重なのです。

大仏殿の基壇 それでは大仏殿の①基壇から見ていきましょう。壇正積みと呼ばれる基壇の上に建てられています(第39回参照)。②束石がきれいに並んでいます。基壇の端には③高欄が見えます。画面左上に梯子のように見えるのは、基壇の④葛石になります。

 この葛石の左に見える建物は⑤回廊で、⑥瓦屋根や⑦連子窓を見せています。

 基壇正面には⑧石段が五間(ごけん)分付いています。現在の大仏殿の石段は三間分ですので、創建時はもっと大きかったことが察せられます。

 石段の中央に見えるのは⑨金銅八角燈籠で、現在に引き継がれて国宝になっています。画面は退色して、燈籠の背後の石段の線が透けて見えています。

大仏殿 ⑩大仏殿の建物に移りましょう。大きさはどうでしょうか。間数(けんすう)を数えてみましょう。⑪扉が付くのは七間分です。左側には⑫白壁の二間分が見えますので、右側も同じになり、両端を合わせると四間です。そうしますと、大仏殿の正面は十一間となりますね。約86mです。

 現在の大仏殿はどうでしょうか。扉が付くのは三間分だけで、合わせて七間しかありません。約57mです。現在の大仏殿は、創建時の三分の二くらいの大きさにしか過ぎないのです。現在よりもはるかに大きかった創建時の景観はどうだったでしょうか。

 大仏殿の扉には、⑬鋲金具が打たれ、⑭釘隠は横長の金物になっています。どちらも金銅製でした。

 土壁を見てみましょう。ここも現在の形とは違っています。現在の形は、内側の一間は十字に仕切られ、外側の一間は上半分が窓になっています。しかし、絵巻では、全面が壁になっていますね。

 さらに土壁上部の⑮上長押のさらに上を較べて見てください。現在は上長押の上部も一間分が細長い壁になっています。絵巻では、そこが、桁や軒を支えるために入れられた組物となる⑯斗組(斗栱とも。ときょう)になっています。また、絵巻では、斗組のあいだにある⑰間斗束には何の造作もされていませんが、現在では間斗束にも斗組が施されています。さらに、絵巻では⑱唐草模様の蟇股が描かれています。斗組から突き出て見える柱は⑲尾垂木と呼びます。

 少し細か過ぎたかもしれませんが、較べて見ますと、建築の意匠に歴史的な違いがあることが分かりますね。さらに、大仏も現在と変わっていたようです。大仏を見ることにしましょう。

盧舎那仏 大仏は、正式には㋐廬舎那仏と言います。鎌倉の大仏は阿弥陀如来ですので、印の形が違います。鎌倉大仏は上品上生(じょうぽんじょうしょう)の印、奈良大仏は右手が、衆生の畏怖を無くして救うという功徳を表す㋑施無畏印、左手が、衆生の願いを実現してくれることを表す㋒与願印です。絵巻ではこの印は柱に隠れて少ししか見えませんが、掌は膝に置かれて上に向けています。

 お顔の形はどうでしょうか。現在の大仏は四角い顔ですが、絵巻では丸顔で、おちょぼ口に朱がさしてあります。しかし、絵巻は、写実を基本としませんので、実際はどうであったかは分かりません。建築も同じことになりますね。

 大仏は、大きな㋓二重円の光背の前に、㋔蓮弁の台座で結跏趺坐(けっかふざ)しています。光背や台座に施される仏や文様が、細かに描かれているのが分かります。すでに奈良時代に優れた工芸の技術があったことを思わせます。光背の形も現在とは違っていますが、連弁の台座は焼け残った部分があり、創建時の様子を伝えているようです。

 仏具も見ておきましょう。大仏の前にあるのは㋕燈籠と、一対の㋖水晶玉です。台座の手前に置かれているのは㋗香炉と、一対の㋘礼盤で、これは僧の座になります。仏具の配置も現在と変わっています。

開いた扉の隙間 大仏から目を転じましょう。画面右側に、少し開いた⑳扉の奥に何かが見えますね。これは何でしょうか。画面下に見えるのは、大仏の脇侍(わきじ)となる㋙如意輪観音像の一部、上部は㋚多聞天像の一部です。

 如意輪観音像には㋛左の掌と㋜足、㋝蓮弁の台座がはっきりと分かります。左手は大仏と同じ与願印ですが、足が見えるというのは結跏趺坐しているのではなく、坐って左足だけを踏み下げていることになります。如意輪観音像のこの形は仏像史でも興味深いものとされています。

 多聞天像は、㋞岩の上で㋟天邪鬼を㋠足で踏みつけているのが分かります。

 それでは、なぜこの二体の仏像を絵巻は見せているのでしょうか。それは、多聞天像を見せたかったからと思われます。多聞天は、本尊などになる時、毘沙門天(びしゃもんてん)と呼称されます。もうお分かりですね。命蓮が修業している信貴山朝護孫子寺(しぎさんちょうごそんしじ)の本尊が毘沙門天でした。その霊験を暗示させるかのように、わざと扉を開けて見えるように工夫したと言えましょう。

尼君の姿 最後に尼君の様子を見ることにしましょう。原画では、先の燈籠と同じように建物の輪郭と重なって見えています。これでは分かりにくいので、尼君に関しては、背後の線を除いて描いてもらいました。六人の尼君が描かれています。よく見てみますと、六人とも同じ姿で、立っている二人は共に㋡杖を持っていますね。これは、どうしたことでしょう。実は、六人とも、絵巻の主人公の尼君になるのです。一つの場面に、同一人物を複数描くことで、時間の経過を表す絵巻の技法、異時同図法が用いられているのです。この技法については、第9回の『伴大納言絵巻』で触れましたので参照してください。

 ここの異時同図法は、尼君が懸命に大仏に祈願して一晩過ごし、そのお告げによって信貴山に向かう様子を表現しています。仮に、[ア]懇願する尼君、[イ]夢想する尼君、[ウ]祈る尼君、[エ]臥す尼君、[オ]立ち上がった尼君、[カ]歩き出す尼君としてみましたが、いかがでしょうか。[ア] [ウ] は、手に㋢数珠を持っているようです。[エ]の手前には㋣市女傘が見えます。[オ]は㋤脚絆に㋥草鞋です。前回見ました場面の尼君と同じ姿ですね。[カ]は信貴山に向かって歩み出した姿です。異時同図法によって、弟と再会したい尼君の思いが伝わってくるようです。なお、[オ]は、原画では、頭部と右袖のあたりが剥落していますが、ここは線を補ってもらいました。

 なお、当時の大仏殿は女人禁制でした。しかし、絵巻では尼君は堂内に入っています。この点が絵巻の謎となっています。大仏殿に入って祈る姿は、尼君の幻影なのでしょうか。

* * *

◆この連載のほかの回をお読みになる方は⇒「絵巻で見る 平安時代の暮らし」目次へ

【筆者プロフィール】

『全訳読解古語辞典』■文:倉田実(くらた・みのる)
大妻女子大学文学部教授。博士(文学)。専門は『源氏物語』をはじめとする平安文学。文学のみならず邸宅、婚姻、養子女など、平安時代の歴史的・文化的背景から文学表現を読み解いている。『三省堂 全訳読解古語辞典』編者、『三省堂 詳説古語辞典』編集委員。ほかに『狭衣の恋』(翰林書房)、『王朝摂関期の養女たち』(翰林書房、紫式部学術賞受賞)、『王朝文学と建築・庭園 平安文学と隣接諸学1』(編著、竹林舎)、『王朝文学文化歴史大事典』(共編著、笠間書院)、『平安大事典』(編著、朝日新聞出版)など、平安文学にかかわる編著書多数。

■画:画:高橋夕香(たかはし・ゆうか)
茨城県出身。武蔵野美術大学造形学部日本画学科卒。個展を中心に活動し、国内外でコンペティション入賞。近年では『三省堂国語辞典』の挿絵も手がける。

※本連載の文・挿絵の無断転載は禁じられております

* * *

【編集部から】
三省堂 全訳読解古語辞典』編者および『三省堂 詳説古語辞典』編集委員でいらっしゃる倉田実先生が、著名な絵巻の一場面・一部を取り上げながら、その背景や、絵に込められた意味について絵解き式でご解説くださる本連載「絵巻で見る 平安時代の暮らし」。次回は、『石山寺縁起』から、今回と同じく「参籠」の場面を読み解きます。どうぞお楽しみに。

onyauji_thum1.png
◆紙面例:おんやうじ(クリックで拡大)

【『三省堂 全訳読解古語辞典』について】
全国高校からの推薦数NO.1の学習用古語辞典『三省堂 全訳読解古語辞典』〈第五版〉では、ワイドな絵巻型の図版と絵解き式のキャプションを採用。文章からだけでは想像しにくい時代背景や古典常識などを、絵を通して、より具体的に深く学ぶことができます。

 

 

 

『日本国語大辞典』をよむ― 第36回 いろいろな「洋」

2018年 6月 17日 日曜日 筆者: 今野 真二

第36回 いろいろな「洋」

 「歌は世につれ世は歌につれ」という表現があるが、言語も社会の中で使われるのだから、語を通して、その語が使われていた時期の社会のようすが窺われることがある。

ようふく【洋服】〔名〕(1)西洋風の衣服。西洋服。(2)((1)には袖(そで=たもとの意)がないところから、そうではないの意の「そでない」に掛けて)誠意のない人をいう俗語。〔東京語辞典{1917}〕

ようさい【洋裁】〔名〕洋服の裁縫。洋服を裁ったり、縫ったり、デザインを考えたりすること。↔和裁。

ようま【洋間】〔名〕西洋風の造りの部屋。洋室。西洋間。

 「ヨウフク(洋服)」「ヨウサイ(洋裁)」「ヨウマ(洋間)」はいわばまだ「現役」の「洋」であろうというつもりで掲げた。マンションやアパートの間取りに関して、「ヨウマ(洋間)」は「ワシツ(和室)」とともに使われることが多い。「ワシツ(和室)」と語構成上も対になる形は「ヨウシツ(洋室)」であるが、むしろ和語「マ」と複合した混種語「ヨウマ(洋間)」が案外と使われているのはおもしろい。

 さて、「ヨウフク(洋服)」は現在も上の(1)のように認識されているのだろうか、とふと思った。小型の国語辞書をみてみると、『三省堂国語辞典』第7版も「西洋ふうの衣服。背広・ズボン・ワンピース・スカートなど」と、『新明解国語辞典』第7版は「西洋風の衣服。〔男子は上着とズボンを、女子はワンピース・スーツ・スカートなどを用いる〕↔和服」と記している。『明鏡国語辞典』第2版にも「西洋風の衣服。背広・ズボン・ワンピース・スカートなど」とあるので、ほとんど同じように認識されていることがわかる。

 「新聞や雑誌でみた本をアマゾンで検索してクリック。翌日には自宅に届くからだ。洋服も家電もクリック一つでことが足りる。宅配業界の悲鳴は、私たちの行動が引き起こしていた。」は2017年5月30日の『朝日新聞』の記事であるが、上の記事中の「洋服」は「西洋風の衣服」という意味合いで使われているのだろうか。日常生活で着る服は、特別な場合以外は「洋服」になっている。「ワフク(和服)」を対義語として置いた「ヨウフク(洋服)」ではなく、「衣服」「着るもの」に限りなくちかい意味合いで「ヨウフク(洋服)」という語が使われているのではないだろうか。そして、そういう「状況」は今に始まったことではない、というのが筆者の「内省」だ。そうであるのならば、「洋」が限りなく「効いていない」「洋服」がある、ということを辞書は記述してもよいように思う。このように、対義語を向こう側に置いて、「対義」が成り立っているかどうか、を語義の検証に使うこともできそうだ。

 『日本国語大辞典』をよんでいて、懐かしい「洋」にであった。

ようひんてん【洋品店】〔名〕洋品(1)を売る店。洋物店。

ようふくだんす【洋服箪笥】〔名〕洋服をつるして入れるようにこしらえた箪笥。

 「洋品(1)」は「西洋風の品物。商品。特に、西洋風の衣類およびその付属品」であるが、筆者が子供の頃には、いかにもそういう店があった。店の外から見ると、マネキンなどに何着か洋服が着せてあるような、ちょっとおしゃれな感じのする店だ。「ヨウヒンテン」という語を自分で使ったかどうかはっきりとは覚えていないが、耳にしたことはあったように思う。

 『日本国語大辞典』は「ようふくだんす」の使用例として、谷崎潤一郎の「卍〔1928~30〕」をまずあげている。上の語釈をよんでいて、「ああ、そういう箪笥があったな」と思った。実家にかつてあった、主に父のスーツを入れていた箪笥は両開きになっていて、中にスーツが吊せるようになっていた。これは和服を入れるための(引き出しのみの)「ワダンス(和箪笥)」があり、それに対しての「ヨウフクダンス(洋服箪笥)」ということであろう。この語の場合は、「ヨウダンス(洋箪笥)」ではなくて、「ヨウフクダンス(洋服箪笥)」という語形が選ばれている。

 さらに幾つか「ヨウ(洋)~」という語をあげてみよう。

ようとう【洋灯】〔名〕ランプをいう。

ようはつ【洋髪】〔名〕西洋風の髪の結い方。洋式の髪形。

ようばん【洋盤】〔名〕洋楽のレコード。また、外国、特に欧米で録音・製作されたレコード。

ようふ【洋婦】〔名〕西洋の婦人。西洋の女。

ようぶ【洋舞】〔名〕西洋で発達した舞踊。ダンスやバレエなど。

ようぶん【洋文】〔名〕西洋のことばで書いた文。また、西洋の文字。

ようへい【洋兵】〔名〕西洋の兵隊。

ようへきか【洋癖家】〔名〕西洋の物事や様式などを並み外れて好む癖のある人。西洋かぶれ。

ようぼう【洋帽】〔名〕西洋風の帽子。烏帽子(えぼし)、頭巾などに対していう。

ようほん【洋本】〔名〕(1)西洋で出版された本。洋書。西洋本。(2)洋綴じの本。洋装本。

 「対義」という観点からはいろいろと考えることがある。例えば、「ヨウボウ(洋帽)」は「ワボウ(和帽)」という語がそもそもあって、その「和風の帽子」に対してできた語ではないだろうというようなことだ。「ようぼう」の語釈には「エボシ(烏帽子)」「ズキン(頭巾)」に対してとあり、そうした「頭を包むもの」に対して、かつてなかった「西洋風の帽子」を「ヨウボウ(洋帽)」と呼んだ、ということだろう。「ヨウブ(洋舞)」の対義語としては略語ではあるが「ニチブ(日舞)」を考えればよさそうだ。

 「ヨウバン(洋盤)」の「洋」は上の語釈からすれば、内容もしくは製作地ということになる。しかしまた、製作地ということを厳密に考えると、ニューヨークのスタジオで録音された尺八の演奏は「ヨウバン(洋盤)」と呼べるのか呼べないのか。筆者も中学生から大学生の頃にかけてはそれなりに音楽を聴いていたが、その時には「国内盤」に対して「輸入盤」という語を使っていた。輸入盤には(当然のことであるが)歌詞カードがついていないが価格が少し安いものがあった。「洋」はいろいろなことを思い出させてくれた。

 * 

※特に出典についてことわりのない引用は、すべて『日本国語大辞典 第二版』からのものです。引用に際しては、語義番号などの約物および表示スタイルは、ウェブ版(ジャパンナレッジ http://japanknowledge.com/)の表示に合わせております。

◆この連載の目次は⇒「『日本国語大辞典』をよむ」目次へ

* * *

【筆者プロフィール】

今野真二(こんの・しんじ)

1958年、神奈川県生まれ。高知大学助教授を経て、清泉女子大学教授。日本語学専攻。

著書に『仮名表記論攷』、『日本語学講座』全10巻(以上、清文堂出版)、『正書法のない日本語』『百年前の日本語』『日本語の考古学』『北原白秋』(以上、岩波書店)、『図説日本語の歴史』『戦国の日本語』『ことば遊びの歴史』『学校では教えてくれないゆかいな日本語』(以上、河出書房新社)、『文献日本語学』『『言海』と明治の日本語』(以上、港の人)、『辞書をよむ』『リメイクの日本文学史』(以上、平凡社新書)、『辞書からみた日本語の歴史』(ちくまプリマー新書)、『振仮名の歴史』『盗作の言語学』(以上、集英社新書)、『漢和辞典の謎』(光文社新書)、『超明解!国語辞典』(文春新書)、『常識では読めない漢字』(すばる舎)、『「言海」をよむ』(角川選書)、『かなづかいの歴史』(中公新書)がある。

*

【編集部から】

現在刊行されている国語辞書の中で、唯一の多巻本大型辞書である『日本国語大辞典 第二版』全13巻(小学館 2000年~2002年刊)は、日本語にかかわる人々のなかで揺らぐことのない信頼感を得、「よりどころ」となっています。
辞書の歴史をはじめ、日本語の歴史に対し、精力的に著作を発表されている今野真二先生が、この大部の辞書を、最初から最後まで全巻読み通す試みを始めました。
本連載は、この希有な試みの中で、出会ったことばや、辞書に関する話題などを書き進めてゆくものです。ぜひ、今野先生と一緒に、この大部の国語辞書の世界をお楽しみいただければ幸いです。隔週連載。


広告の中のタイプライター(34):Harris Visible Typewriter No.4

2018年 6月 14日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

タイプライターに魅せられた男たち・補遺

『Popular Mechanics』1914年4月号

『Popular Mechanics』1914年4月号
(写真はクリックで拡大)

「Harris Visible Typewriter No.4」は、ハリス(De Witt Clinton Harris)率いるハリス・タイプライター社が、1912年頃に発売したタイプライターです。販売は、シアーズ・ローバック社(Sears, Roebuck & Company)が独占しておこなっており、全米に渡ってカタログ通信販売がおこなわれていました。

「Harris Visible Typewriter No.4」は、28キーのフロントストライク式タイプライターです。各キーを押すと、対応する活字棒(type arm)が立ち上がって、プラテンの前面に置かれた紙の上にインクリボンごと叩きつけられ、紙の前面に印字がおこなわれます。通常の状態では小文字が印字されますが、「CAP」キー(キーボード下段の左右端)を押すと、タイプバスケットが持ち上がって大文字が印字されるようになります。また、「FIG」キー(中段の左右端)を押すと、タイプバスケットが下がって記号(あるいは数字)が印字されるようになります。キーボード上段のさらに右上の端には「SHIFT LOCK」キーが準備されており、「CAP」キーもしくは「FIG」キーを押しっぱなしにできます。

「Harris Visible Typewriter No.4」のキー配列は、いわゆるQWERTY配列で、各キーに大文字・小文字・記号(あるいは数字)の3種類の文字が配置されています。上段の10個のキーには、大文字のQWERTYUIOPと、小文字のqwertyuiopと、数字の1234567890が、それぞれ配置されており、その右側に「BACK SPACER」キーがあります。中段の9個のキーには、大文字のASDFGHJKLと、小文字のasdfghjklと、記号の@$%^*=/¢#が、それぞれ配置されており、左右の端には「FIG」キーがあります。下段の9個のキーには、大文字側にZXCVBNM&.が、小文字側にzxcvbnm-,が、記号側に()?’”:;_.が、それぞれ配置されており、左右の端には「CAP」キーがあります。ピリオドが重複して収録されているため、28キーで83種類の文字となっています。

この広告の後、ハリス・タイプライター社は、ウィスコンシン州フォンデュラックからイリノイ州シカゴへ本社を移し、社名もレックス・タイプライター社と改めました。レックス・タイプライター社となってからは、シアーズ・ローバック社向けの「Harris Visible Typewriter No.4」を製造しつつ、新たに「Rex Visible Typewriter No.4」を製造販売しはじめたようです。

【筆者プロフィール】

安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

http://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。


モノが語る明治教育維新 第25回―双六から見えてくる東京小学校事情 (3)

2018年 6月 12日 火曜日 筆者: 唐澤 るり子

第25回―双六から見えてくる東京小学校事情 (3)


(写真はクリックで拡大)

 当時、小学校が注目された理由の一つに、擬洋風建築といわれる独特な校舎の造りがありました。これは、外国人居留地などにあった西洋式建築物を日本の伝統的建築法を身につけた大工棟梁等が見て回り、見よう見まねで洋風に仕立てたものをいいます。各地にこのような目新しい建築物が完成し、それを初めて見たときの人々の驚きや興奮が今でも時を超えて伝わってきます。前回ご紹介した学校もこのスタイルですが、明治10年江東区深川に校舎が落成した「明治学校」の様子を長谷川如是閑(大正デモクラシー期を代表する思想家・明治14年に「明治学校」入学)は、次のように語っています。

 「東京につくられたのは番町、鞆絵(ともえ)、常盤(ときわ)、愛日、明治、育英の六校で、私はそのうちの『明治』に入れられた。それらの学校はいずれもその頃丸ノ内の旧大名屋敷を取り払った跡に建てられた諸官庁と同じ、その頃『南京下見』といわれた、部厚の貫板を日本家屋の下見板のように重ねて、それに青ペンキを塗った二階造りの堂々たるもので、その玄関も官庁のそれと同じ、洋風のいかめしいつくりで、その玄関と正門との間には、やはりそのころの官庁の前庭に見られたような、大きい円形の植え込みがあって、それをめぐって玄関に入るような堂々たる構えだった」(日本経済新聞社編『私の履歴書 反骨の言論人』 日本経済新聞出版社)

 「南京下見」とは外壁工法の一種で、細長い板を横向きにして並べ、上板の下端が下板の上端に少し重なるように張り合わせたものを言います。絵図を見ただけでは分からない建築法や外壁の色、優雅なアプローチの様子などが分かり、貴重な証言です。そして、子どもの目から見ても小学校が庁舎に匹敵するほど立派な建物に映っていたことが伝わってきます。

 ちょうどこの頃、文部省学監のD. モルレーが東京府下の公立学校を視察しているのですが、双六に描かれている学校へ出向くことも多々ありました。その報告書である『学事巡視功程』(明治11年)の中で、校舎については次のようなことを述べています。学制頒布の頃に建設された校舎は構造が拙く、教室は狭小、天井は低く、教室の配置も勝手が悪いため生徒の出入りに混雑し、窓が小さく光線の取り入れ方に不備など多くの問題点があった。しかしながら本年、及び前2年間(明治9~11年)に造られた校舎は、大変進歩している、と評価しているのです。見よう見まねで形ばかり真似して建てられた当初の校舎も、数年でだいぶ改善されたようです。そして、“最も貴重なる小学校舎”として第一等から第三等まで各3校ずつを選んでいるのですが、その第一等に挙げられたのがこの「明治学校」であり、ともに名を連ねているのが次の「千代田学校」なのです(ちなみに、残りの1校は泰明学校)。


(写真はクリックで拡大)

 バルコニー付きの張り出し玄関が見事な「千代田学校」は、明治10年3月に馬喰町3丁目(現・中央区日本橋馬喰町1丁目)に開校しました。9月には府立商業夜学校を仮設し、夜間にも授業を行っていました。そのためでしょうか、双六では「千代田学校」だけが夜の風景で、絵図中10校もの学校に街灯が描かれている中で、ここのガス灯にだけ灯りがともされています。

 堅牢さも感じられるような豪壮な校舎ですが、モルレーの報告書によればその規模と建築費は、建坪136坪、教室数10室、建築費3,218円で、坪単価は23円67銭と算出されています。建築に必要な費用は所在地である第一大区十二小区の29箇町が集めた寄付で賄われましたが、報告書にわざわざ坪単価を記したのは、単価の高さが建築物の立派さと比例し、そのことが地元の人たちの学校に対する意識の高さを表すと考えたからなのです。ちなみに「明治学校」の坪単価は24円13銭と「千代田学校」と比べれば若干高く、先の“最も貴重なる小学校舎”に選ばれた第一等から第三等までの平均坪単価は、第一等が約27円、第二等が約15円、第三等が約13円と、やはり高価な順に並んでいます。

 モルレーは、このように人民自らが学事に関する資金を集め、校舎の建設費や運営費を拠出するのは自分たちであるとの自負心を持つようになったことはもっとも喜ぶべきことであり、このことは政府が働きかけた結果の表れであると、文部省のご意見番らしい見解を述べています。

 「学問は身を立るの財本」を前面に押し出し、国は受益者負担の意識を国民に浸透させたかったわけですが、それがようやく実を結び始めたのがこの頃でした。地域の一二を争うような立派な校舎の裏には、地元の教育を自分たちで支えたいと願う地域住民のプライドがあったのです。

* * *

◆画像の無断利⽤を固く禁じます。

◆この連載の目次は⇒「モノが語る明治教育維新」目次へ

* * *

【筆者プロフィール】

『図説 近代百年の教育』

唐澤るり子(カラサワ・ルリコ)

唐澤富太郎三女
昭和30年生まれ 日本女子大学卒業後、出版社勤務。
平成5年唐澤博物館設立に携わり、現在館長
唐澤博物館ホームページ:http://karasawamuseum.com/
唐澤富太郎については第1回記事へ。

※右の書影は唐澤富太郎著書の一つ『図説 近代百年の教育』(日本図書センター 2001(復刊))

*

【編集部から】

東京・練馬区の住宅街にたたずむ、唐澤博物館。教育学・教育史研究家の唐澤富太郎が集めた実物資料を展示する私設博物館です。本連載では、富太郎先生の娘であり館長でもある唐澤るり子さんに、膨大なコレクションの中から毎回数点をピックアップしてご紹介いただきます。「モノ」を通じて見えてくる、草創期の日本の教育、学校、そして子どもたちの姿とは。
更新は毎月第二火曜日の予定です。


シベリアの大地で暮らす人々に魅せられて―文化人類学のフィールドワークから― 第十五回:トナカイ牧夫の子どもと寄宿制学校

2018年 6月 8日 金曜日 筆者: 大石 侑香

第十五回:トナカイ牧夫の子どもと寄宿制学校


オブゴルト村の小学生と幼稚園児用の寄宿舎(2016年筆者撮影)

 遊牧しているトナカイ牧夫たちの子どもたちも義務教育を受けます(注1)。しかし、遠く離れた村の学校に毎日通学することはできないので、村の学校に併設された児童用の寄宿舎、あるいは祖父母や親戚の家に預けられて学校に通います。彼らが両親と一緒に牧畜宿営地で過ごすのは、夏の長期休暇のときだけです。通常、義務教育の夏休みは6月からですが、牧夫の子どもたちの夏休みは特別長く、4月末から8月末まであります。なぜかというと、春にトナカイ群を長距離移動させるので、それに子どもを連れて行くため、牧夫の子どもだけ早めに夏休みに入ります。春は両親がスノーモービルで子供を迎えに来ますが、8月末に村へ戻る際には、村から約200キロメートル離れた場所に宿営しているため、両親たちが所属する農業企業のヘリコプターが迎えに来ます。ヘリコプターは森に散在する各宿営地を回って、子どもたちをピック・アップして村まで送ります。


トナカイ飼育班の春の川上移動(左)の様子を見に来た生徒たち(右)

 初等教育では、ロシア語、英語、算数、理科、社会等を学びます。なかにはハンティ語しか分からなく、ロシア語を初めて学ぶ牧夫の子どももいます。反対に、高学年からはハンティ語も学びます。ハンティの子どもでもロシア語を話す両親のもとで育ったためハンティ語が分からない児童もいるからです。ハンティ語の教科書や絵本も寄宿舎の共同スペースにはありました。

 義務教育の学費も寄宿舎も無料です。金銭的な余裕がない世帯の子供には、新品ではありませんが、衣服や靴などが与えられることもあります。寄宿舎に暮らす子供たちは、朝・昼・夜の食事を学校の食堂でとります。こちらは無料かどうか不明ですが、私は一食50ルーブル(2016年3月当時約95円)で食べさせてもらっていました。朝は牛乳、ヨーグルト、ミルクがゆ等です。昼食がもっとも豪華であり、サラダ、スープ、炊き込みご飯やマカロニとソース等です。夜はソーセージ等とサラダです。どの食事にもお替り自由なパンと紅茶が付きます。


牧食堂の昼食. トナカイ肉の炊き込みご飯とスープ

 また、保育園、学校、寄宿舎には、保育士や先生、掃除係、寄宿舎の世話係、事務員、保健士、栄養士、調理員等たくさんの人が働いています。警備員や施設整備員以外は女性で、それぞれの施設長も女性です。学校施設は、単なる教育機能だけでなく、村の女性たちの雇用を生み出すものとしても重要な役割を果たしています。

 さて、筆者の寄宿舎経験を少し紹介したいと思います。筆者がオブゴルト村という場所にはじめて行ったとき、まだ知り合いもいなかったので、学校の校長に頼んで、ホームステイ先が見つかるまで寄宿舎で寝泊まりさせもらったことがあります。大人用の部屋に空きがなかったため、私は6歳の女の子と相部屋で一週間ほど過ごしました。シャワーとトイレ等は共有で、一部屋当たり3名から5名が暮らしており、それぞれにベッドと机、クローゼットが与えられます。起床と消灯が管理されていて、規則正しい生活を送ることができます。


オブゴルト村の位置(クリックで拡大)

 彼女はハンティのトナカイ牧夫の子どもでした。朝、彼女は自ら起き、ベッドのシーツをきちんと整え、身支度をして、施設内の食堂で他の児童たちと簡単な朝食をとって学校に出かけて行きました。夜は共有スペースで他の児童たちと宿題をしたり、テレビを見たりして過ごしていました。彼女は私を警戒していたのか、もともと静かな性格なのか分かりませんが、私に文句を言ったり泣いたりしないものの、挨拶以外は私と話すことはありませんでした。彼女に寄宿舎生活はどうか等々、いろいろ尋ねたかったのですが、なかなか叶いませんでした。

 私がホームステイ先を見つけて寄宿舎から出ていくとき、相部屋をしてくれたお礼に、色鉛筆とスケッチブックをあげました。彼女は素直に喜んで明るい笑顔を見せてお礼を言ってくれました。もっと早く、あの手この手で彼女とコミュニケーションをとっておけば、いろいろと話してくれたかもしれないと、後悔しました。このように私は未だにインフォーマント(情報提供者)を逃してしまうことがあります。


寄宿舎の部屋. 筆者は右のベッドを使わせてもらった

[注]

  1. 外務省 諸外国・地域の学校情報
    https://www.mofa.go.jp/mofaj/toko/world_school/05europe/infoC55200.html

ひとことハンティ語

単語:
読み方:アン リョーヒトゥルン。
意味:私が(は)コップを洗います。
使い方:私はホームステイ先で、食事後にこのように言ってから食器洗いを手伝っていました。

* * *

◆この連載の目次は⇒「シベリアの大地で暮らす人々に魅せられて―文化人類学のフィールドワークから―」目次へ

【筆者プロフィール】

■大石侑香(おおいし・ゆか)
東北大学東北アジア研究センター・日本学術振興会特別研究員PD。博士(社会人類学)。2010年から西シベリアの森林地帯での現地調査を始め、北方少数民族・ハンティを対象に生業文化とその変容について研究を行っている。共著『シベリア:温暖化する極北の水環境と社会』(京都大学学術出版会)など。

*

【編集部から】

大石先生からトナカイ牧夫たちの生活を聞いているうちに、子供たちの教育はどうしているのだろう、と疑問に思い今回のエッセイで紹介いただきました。幼い頃から寄宿舎で過ごしたり、家族と過ごすのは夏の長期休暇の時のみだったり、住むところが変われば生活も変わり、教育の受け方も変わるのですね。次回の更新は7月13日を予定しています。


人名用漢字の新字旧字:「実」と「實」

2018年 6月 7日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

第159回 「実」と「實」

新字の「実」は常用漢字なので、子供の名づけに使えます。旧字の「實」は人名用漢字なので、子供の名づけに使えます。でも、旧字の「實」が子供の名づけに使えるようになるには、長い道のりが必要だったのです。

昭和17年6月17日、国語審議会は標準漢字表を、文部大臣に答申しました。標準漢字表は、各官庁および一般社会で使用する漢字の標準を示したもので、部首画数順に2528字が収録されていました。標準漢字表の宀部には「実」が含まれていて、その直後に、カッコ書きで「實」が添えられていました。「実(實)」となっていたわけです。簡易字体の「実」は、「實」に代えて一般に使用すべき漢字、ということになっていました。

昭和21年11月5日、国語審議会が答申した当用漢字表でも、宀部に「実」が含まれていて、その直後に、カッコ書きで「實」が添えられていました。「実(實)」となっていたのです。翌週11月16日に当用漢字表は内閣告示され、新字の「実」は当用漢字になりました。昭和23年1月1日に戸籍法が改正され、子供の名づけに使える漢字が、この時点での当用漢字表1850字に制限されました。当用漢字表には、新字の「実」が収録されていたので、「実」は子供の名づけに使ってよい漢字になりました。旧字の「實」は、子供の名づけに使えなくなりました。

昭和56年3月23日、国語審議会が答申した常用漢字表では、やはり「実(實)」となっていました。これに対し、民事行政審議会は、常用漢字表のカッコ書きの旧字を子供の名づけに認めるかどうか、審議を続けていました。昭和56年4月22日の総会で、民事行政審議会は妥協案を選択します。常用漢字表のカッコ書きの旧字355組357字のうち、当用漢字表に収録されていた旧字195字だけを子供の名づけに認める、という妥協案です。昭和56年10月1日に常用漢字表は内閣告示され、新字の「実」は常用漢字になりました。しかし、旧字の「實」は人名用漢字になれませんでした。旧字の「實」は、常用漢字表のカッコ書きに入ってるけど当用漢字表に収録されてなかったからダメ、となったのです。

平成16年3月26日に法制審議会のもとで発足した人名用漢字部会は、常用漢字や人名用漢字の異体字であっても、「常用平易」な漢字であれば人名用漢字として追加する、という方針を打ち出しました。この方針にしたがって人名用漢字部会は、当時最新の漢字コード規格JIS X 0213(平成16年2月20日改正版)、平成12年3月に文化庁が書籍385誌に対しておこなった漢字出現頻度数調査、全国の出生届窓口で平成2年以降に不受理とされた漢字、の3つをもとに審議をおこないました。旧字の「實」は、全国50法務局のうち19の管区で出生届を拒否されていて、JIS第2水準漢字で、漢字出現頻度数調査の結果が155回でした。この結果、旧字の「實」は、人名用漢字の追加候補となりました。

平成16年9月8日、法制審議会は人名用漢字の追加候補488字を答申し、9月27日の戸籍法施行規則改正で、これら488字は全て人名用漢字に追加されました。この結果、旧字の「實」は人名用漢字になり、子供の名づけに使えるようになったのです。それが現在も続いていて、新字の「実」も旧字の「實」も、出生届に書いてOKなのです。

【筆者プロフィール】

安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

http://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。


『日本国語大辞典』をよむ―第35回 「庸」の字義

2018年 6月 3日 日曜日 筆者: 今野 真二

第35回 「庸」の字義

よう【庸】〔名〕(1)令制で、正丁(せいてい)に課せられた労役の代わりに国に納入する物品。養老令では正丁が一年に一〇日間の労役に服する代わりに布二丈六尺を納めると規定している。慶雲三年(七〇六)の格によって庸は半減されて一丈三尺となった。老丁(ろうてい)はその二分の一、中男は四分の一を負担する。養老元年(七一七)にまた改めて正丁一人分を布一丈四尺とした。地方によっては布以外の代物を納めることもあった。ちからしろ。(2)平凡であること。すぐれたところがないこと。また、そのもの。凡庸。(3)仕事。また、苦労。辛苦。⇨よう〔字音語素〕

 「字音語素」の箇所をみると次のようにある。

【庸】(1)任用する。やとう。「傭」に同じ。/庸保/登庸、附庸/庸人、庸兵、庸奴/(2)平凡。普通。なみ。/凡庸、庸愚、庸劣/中庸/庸医、庸君、庸才、庸儒、庸輩、庸吏/(3)かたよらない。/中庸/庸行、庸徳/(4)つね。平生。「常」に同じ。/庸言/(5)夫役の代わりに物を収めること。/庸租、租庸調/⇨よう(庸)

 第1巻に附されている「凡例」の「その他」「字音語素について」には次のように述べられている。12条にわたっているが、行論に必要な条を次にあげる。

1.漢語を構成する字音の要素について、漢字ごとに簡単にその意味を示し、その漢字が構成する熟語を掲げる。

2.とりあげる漢字は、日本の文献に用いられてきたものを中心にするが、熟語の例は、漢籍に用いられるものにも及ぶ。

8.漢字ごとにその意味を区分して熟語をあげる。さらにその熟語の構成上の役割から、重畳、対義・類義結合、後部結合、前部結合等を/で区分けして列記する。

10.漢字欄の横に、その見出しとした音の呉音・漢音・唐音・慣用音の別をそれぞれの略号で示す。ただし、呉音・漢音が同音のものについては省略する。

 上の中で「重畳」はすぐにはわかりにくい。『日本国語大辞典』の見出し「じゅうじょう(重畳)」には「幾重にもかさなること。ちょうじょう」とあるのみで、見出し「ちょうじょう(重畳)」にも「(1)(形動タリ)(―する)幾重にも重なっていること。ますます重なること。また、そのさま。かさねがさね」「(2)この上もなく喜ばしいこと。きわめて満足なこと。しごく都合がよいこと。多く、感動詞的に用いる。頂上」とあるのみで、上の「重畳」にぴったりとあてはまるような語義は記されていないようにみえる。同じ字を重ねている場合を「重畳」と呼んでいると推測するが、「凡例」中に一般に使われない学術用語(すなわちそれは「メタ言語」ということになるが)を使う場合には、辞書を使う一般の人のために、何らかの説明があったほうが親切ではないだろうか。ことに、その学術用語が、『日本国語大辞典』の見出しとなっていない、もしくは語釈にそれとわかるように示されていない場合にはそうであろう。8.では「重畳」「対義・類義結合」「後部結合」「前部結合等」とあり、この「等」があといくつの「カテゴリー」があるかを曖昧にしてしまっている。例えば、「賞」の場合でいえば、「(1)功をほめる。たたえる」に続いて「/賞罰/賞賛、賞嘆、賞誉、賞揚/賞賜、賞賻、賞与/激賞、重賞/行賞、信賞必罰/賞勲/賞辞、賞状、賞金、賞品、賞杯、賞牌/」とあって、ここでは/によって七つに区切られている。せっかくわざわざ漢語をいわば分類しているのに、どのように分類したかが辞書使用者には簡単にはわからないようになっていないだろうか。細かいことのようであるが、少し気になる。

 常用漢字表は「庸」に訓を認めていない。そして「例」の欄に「凡庸、中庸」二つの漢語をあげている。「租庸調」は日本の歴史にふれると必ず覚える語であろう。漢語「凡庸」の語義がわかれば、「凡」にも「庸」にも〈つね・なみ〉という字義があることが推測できるであろう。「平凡」は〈つね+つね=つね〉であろうから、もともとは〈なみ〉ということであったはずだが、〈なみ〉を〈どこにもすぐれたところがない〉と言い換えると〈おろか〉に近づいてしまう。「庸」も元来は〈つね・なみ〉であったと思われるが、結局は〈おろか〉に近づいていったのだろう。バランスをとった状態のままでいることも難しいということか。

ようい【庸医】〔名〕治療のうまくない医者。平凡な医者。藪医者。

ようくん【庸君】〔名〕凡庸の君主。庸主。

ようさい【庸才】なみの才能。凡庸の才。また、その人。凡才。庸材。

ようじゅ【庸儒】〔名〕凡庸な儒者。平凡な学者。俗儒。

 ここでまた『日本国語大辞典』の「凡例」をみてみよう。「語釈について」の「[1]語釈の記述」には次のように述べられている。

1.一般的な国語項目については、原則として、用例の示すところに従って時代を追ってその意味・用法を記述する。

2.基本的な用言などは、原則として根本的な語義を概括してから、細分化して記述する。

3.専門用語・事物名などは、語義の解説を主とするが、必要に応じて事柄の説明にも及ぶ。

 上の1.からすれば、漢語「ヨウイ(庸医)」は〈治療のうまくない医者〉→〈平凡な医者〉という順に「意味・用法」が展開したことになるが、はたしてその理解でいいかどうか。〈治療のうまくない医者〉=〈藪医者〉のように思われるが、その語義をわるようなかたちで真ん中に〈平凡な医者〉という語義が置かれていることをどのように理解すればよいか。細かいようだが、これも気になるところだ。

 今回は話題がやや細かい。しかし、大部な辞書であるからこそ、辞書としての組織が整っていなければ、使い手は使いにくい。あるいは筆者の「誤解」があるかもしれないが、気になる箇所について述べてみた。

 * 

※特に出典についてことわりのない引用は、すべて『日本国語大辞典 第二版』からのものです。引用に際しては、語義番号などの約物および表示スタイルは、ウェブ版(ジャパンナレッジ http://japanknowledge.com/)の表示に合わせております。

◆この連載の目次は⇒「『日本国語大辞典』をよむ」目次へ

* * *

【筆者プロフィール】

今野真二(こんの・しんじ)

1958年、神奈川県生まれ。高知大学助教授を経て、清泉女子大学教授。日本語学専攻。

著書に『仮名表記論攷』、『日本語学講座』全10巻(以上、清文堂出版)、『正書法のない日本語』『百年前の日本語』『日本語の考古学』『北原白秋』(以上、岩波書店)、『図説日本語の歴史』『戦国の日本語』『ことば遊びの歴史』『学校では教えてくれないゆかいな日本語』(以上、河出書房新社)、『文献日本語学』『『言海』と明治の日本語』(以上、港の人)、『辞書をよむ』『リメイクの日本文学史』(以上、平凡社新書)、『辞書からみた日本語の歴史』(ちくまプリマー新書)、『振仮名の歴史』『盗作の言語学』(以上、集英社新書)、『漢和辞典の謎』(光文社新書)、『超明解!国語辞典』(文春新書)、『常識では読めない漢字』(すばる舎)、『「言海」をよむ』(角川選書)、『かなづかいの歴史』(中公新書)がある。

*

【編集部から】

現在刊行されている国語辞書の中で、唯一の多巻本大型辞書である『日本国語大辞典 第二版』全13巻(小学館 2000年~2002年刊)は、日本語にかかわる人々のなかで揺らぐことのない信頼感を得、「よりどころ」となっています。
辞書の歴史をはじめ、日本語の歴史に対し、精力的に著作を発表されている今野真二先生が、この大部の辞書を、最初から最後まで全巻読み通す試みを始めました。
本連載は、この希有な試みの中で、出会ったことばや、辞書に関する話題などを書き進めてゆくものです。ぜひ、今野先生と一緒に、この大部の国語辞書の世界をお楽しみいただければ幸いです。隔週連載。


広告の中のタイプライター(33):IBM Electric Typewriter Model A

2018年 5月 31日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

タイプライターに魅せられた男たち・補遺

『Life』1951年9月10日号

『Life』1951年9月10日号
(写真はクリックで拡大)

「IBM Electric Typewriter Model A」は、IBMが1948年に発売した電動タイプライターです。発売当初は、単に「IBM Electric Typewriter」と呼ばれていたのですが、1954年のモデルチェンジに際し、1948年モデルを「Model A」と呼ぶようになりました。

「IBM Electric Typewriter Model A」のキー配列は、「IBM Electromatic」のキー配列をほぼ踏襲していて、42個のキーに82種類の文字が並んでいます。最上段のキーは234567890-と並んでいて、シフト側が@#$%¢&*()_です。すなわち「@」が「2」のシフト側にあって、これがIBMのタイプライターを特徴づけていました。次の段はqwertyuiop½と並んでいて、シフト側がQWERTYUIOP¼です。次の段はasdfghjkl;’と並んでいて、シフト側がASDFGHJKL:”です。最下段はzxcvbnm,./と並んでいて、シフト側がZXCVBNM,.?です。すなわち、コンマとピリオドが、シフト側にもダブって搭載されているため、42個のキーに82種類の文字となるのです。なお、数字の「1」は小文字の「l」で代用することになっていたようです。

「IBM Electric Typewriter Model A」の印字機構はフロントストライク式で、プラテンの手前に42本の活字棒(type arm)が、扇状に配置されています。キーを押すと、対応する活字棒が電動で跳ね上がってきて、プラテンの前面に印字がおこなわれます。この結果、印字される文字の濃さが全て同じとなるのです。印字やシフト機構だけでなく、キャリッジ・リターンも、改行も、タブ機構も、バックスペースも、全て電動でおこなわれます。右端の「RETURN」キーを押すだけで、キャリッジ・リターンと改行が、完全に電動でおこなわれるのです。

1948年発売の時点では、「IBM Electric Typewriter Model A」の文字幅は全て同一で、たとえば「l」も「W」も同じ文字幅で印字されました。これに対し、1949年には「Executive」モデルが追加されました。「Executive」モデルでは、いわゆるプロポーショナル印字が可能となっており、たとえば「l」は狭く、「W」は広く印字することで、さらに読みやすく美しい印字を目指したのです。上の広告には、実際に「Executive」モデルを使って印字した例が示されています。「finish」という単語では、カーニング(fとiの間を詰める)こそおこなわれていないものの、「i」が狭く印字されていることが、はっきりと読み取れます。

「Executive」モデルの発表とともに、従来のモデルは「Standard」モデルと呼ばれるようになりました。「Executive」モデルでは、プロポーショナル印字と、同一文字幅印字の両方が可能だったのですが、プラテンの横移動幅が変わるだけで、活字が切り替わるわけではありません。活字棒の取り替えも可能だったものの、「Executive」モデルでの同一文字幅印字は、どうしても間延びした感じになってしまうため、伝票作成などの用途には「Standard」モデルが好まれたようです。

【筆者プロフィール】

安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

http://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。


学会情報:第53回語彙・辞書研究会

2018年 5月 30日 水曜日 筆者: 辞書ウェブ 編集部

語彙・辞書研究会 第53回 研究発表会のお知らせ

語彙・辞書研究会の第53回研究発表会が下記の通り開催されます。

日時:2018年6月9日(土) 13:15(開場13:05)~17:15
場所:新宿NSビル 3階 南3G会議室
(新宿区西新宿2-4-1 新宿NSビル3階) 電話03-3342-4920

[研究発表]
  • 菊池そのみ・菅野倫匡(筑波大学 大学院生)
    • 「勅撰和歌集における品詞の構成比率について」
  • 中澤光平(国立国語研究所 プロジェクト非常勤研究員)
    • 「方言辞典に求められるもの―与那国方言辞典作成の現場から―」
  • 大久保克彦(株式会社 数理技研)
    • 「『大漢和辞典』専用OCRとフォントの開発」
  • 當山日出夫(花園大学 非常勤講師)
    • 「変体仮名と国語辞典とワープロ」
[講演]
  • 野村雅昭(早稲田大学名誉教授)
    • 「落語辞典の穴」

参加費:1,800円(会場費・予稿集代等を含む)。
ただし、学生・院生は1,200円。

* 事前のお申し込みは必要ありません。当日、会場受付にてお手続きください。
* 研究会にご参加なさらずに予稿集のみをご希望の方は、事務局にご連絡ください。

(事務局) 〒101-8371 東京都千代田区神田三崎町2-22-14
三省堂出版局内 語彙・辞書研究会事務局(山本・荻野)

詳しくは、語彙・辞書研究会のウェブサイト(http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/affil/goijisho/index.html)をご覧ください。


人名用漢字の新字旧字:「扣」と「控」

2018年 5月 24日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

第158回 「扣」と「控」

旧字の「控」は常用漢字なので、子供の名づけに使えます。新字の「扣」は、常用漢字でも人名用漢字でもないので、子供の名づけに使えません。旧字の「控」は出生届に書いてOKですが、新字の「扣」はダメ。どうして、こんなことになってしまったのでしょう。

昭和17年6月17日、国語審議会は標準漢字表を、文部大臣に答申しました。標準漢字表は、各官庁および一般社会で使用する漢字の標準を示したもので、部首画数順に2528字が収録されていました。標準漢字表の手部には「控」が含まれていて、その直後にカッコ書きで「扣」が添えられていました。「控(扣)」となっていたわけです。簡易字体の「扣」は、「控」の代わりに使っても差し支えない字、ということになっていました。

158hikae-old.png昭和21年4月27日、国語審議会に提出された常用漢字表1295字では、手部に旧字の「控」が含まれていて、新字の「扣」は含まれていませんでした。国語審議会が11月5日に答申した当用漢字表でも、旧字の「控」だけが含まれていました。翌週11月16日に当用漢字表は内閣告示され、旧字の「控」は当用漢字になりました。ところが、官報に掲載された当用漢字表では、「控」の穴かんむりは、中が「八」の形になっていました。印刷局が官報に使っていた活字が、たまたまそういう字体だったのです。

昭和23年1月1日に戸籍法が改正され、子供の名づけに使える漢字が、この時点での当用漢字表1850字に制限されました。当用漢字表には旧字の「控」が収録されていたので、「控」(中が「八」)は子供の名づけに使ってよい漢字になりました。新字の「扣」は、子供の名づけに使えなくなってしまいました。

昭和24年4月28日に内閣告示された当用漢字字体表では、旧字の「控」が収録されていましたが、穴かんむりは元に戻っていました。当用漢字表の「控」と、当用漢字字体表の「控」で、微妙な字体差ができてしまったため、どちらが子供の名づけに使えるのかが問題になりましたが、この問題に対し法務府民事局は、どちらも子供の名づけに使ってよい、と回答しました(昭和24年6月29日)。

昭和56年3月23日、国語審議会が答申した常用漢字表1945字には、旧字の「控」が収録されていました。昭和56年10月1日に常用漢字表は内閣告示され、旧字の「控」は常用漢字になりました。この際に、当用漢字表の「控」(中が「八」)は、子供の名づけに使えなくなりました。その一方で新字の「扣」は、常用漢字にも人名用漢字にもなれなかったのです。

平成23年12月26日、法務省は入国管理局正字13287字を告示しました。入国管理局正字は、日本に住む外国人が住民票や在留カード等の氏名に使える漢字で、JIS第1~4水準漢字を全て含んでいました。この結果、日本で生まれた外国人の子供の出生届には、旧字の「控」に加えて、新字の「扣」も書けるようになりました。でも、日本人の子供の出生届には、旧字の「控」はOKですが、新字の「扣」はダメなのです。

【筆者プロフィール】

安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

http://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。


次のページ »