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Baba O’Riley(1971/全米、全英共にシングル・カットなし)/ザ・フー(1964-)

2013年 5月 15日 水曜日 筆者: 泉山 真奈美

歴史を彩った洋楽ナンバー~キーワードから読み解く歌物語~ 第82回

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●歌詞はこちら
http://www.lyrics.com/baba-oriley-lyrics-the-who.html

曲のエピソード

イギリスのロック・ミュージック界が生んだ最大の至宝、ザ・フー。昨夏のロンドン・オリンピック閉会式では、世界中の人々がフィナーレに酔いしれる中、堂々とオオトリを務め上げた。残念ながら、既にこの世の人ではない超絶技巧ドラマーのキース・ムーン(Keith Moon/1946-1978)と、寡黙にして驚異の速弾きベーシストのジョン・エントウィッスル(John Entwistle/1944-2002)の姿はそこになかったが……。もちろん、この曲もパフォーマンスされた。あの映像を観ながら、「嗚呼、ここにキースとジョンがいたなら…」と思った往年のファンはさぞかし多かったことだろう。しかしながら、彼らのライヴには決して欠かせないこの曲で華々しくオープニングを飾っていたアルバム『WHO’S NEXT』(1971/ザ・フーの最高傑作との呼び声が高く、一連のアルバムの中で最高のセールスを記録)では、ジャケ写を見ても判るように、曲作りの名手にしてギター兼キーボード担当のピート・タウンゼント(Pete Townshend/1945-)、骨太にして繊細な喉の持ち主、リード・ヴォーカルのロジャー・ダルトリー(Roger Daltrey/1944-)に加え、オリジナル・メンバーが勢揃いしていたのである。

ロックの概念を根底から覆した前作『TOMMY』(1969)に続く新作は、やはり同アルバムのようなコンセプト・アルバムになる予定だったが、そのアルバム『LIFEHOUSE』の計画は何故だか頓挫してしまい、結果、『WHO’S NEXT』が生まれたと言われている。しかしながら、『LIFEHOUSE』のコンセプトは捨て難かったとみえて、この「Baba O’Riley」はもともと同アルバムに収録すべくレコーディングされたものだった。

摩訶不思議なタイトルは、ピートが傾倒していたインドの神秘家メヘル・バーバー(Meher Baba/1894-1969)と、ピートのシンセサイザー演奏に多大な影響を与えたアメリカの作曲家テリー・ライリー(Terry Riley/1935-)の両者のラストネームから成る。ピートに計り知れない影響とインスピレーションを与えた双方の人物に対するオマージュ的なタイトルだが、まずはタイトルありきだったのか、それとも曲の完成後にタイトルが付けられたのか、それは判らない。いずれにしても、タイトルを見る限りでは、誰もが“あるひとりの人物=ババ・オライリー(注:カタカナ起こしの邦題)について歌われた曲”と勘違いすることだろう。筆者もその例外ではなく、当初、“Baba O’Riley”なる人物が実在すると思い込んでしまっていた。が、歌詞を傾聴してみると、何かが違う。そもそも歌詞に“Baba O’Riley”なる人物は登場しない。“Sally”なる女性名こそ登場するものの、ありきたりのラヴ・ソングではない。むしろ、どちらかと言えばメッセージ色の強い歌詞だと感じた。この曲の根底にあるものは一体……?

手掛かりは、幻の作品となってしまった『LIFEHOUSE』にあった。同アルバムのコンセプトは、レイ(Ray)なるスコットランドの農夫が、妻サリー(Sally)と彼女との間に儲けたふたりの子供を連れて、新天地を求めてロンドンへと脱出(=the exodus)する、というもの。そしてそのSallyとは、主人公の名前――『TOMMY』のTommy、『LIFEHOUSE』のRay――が異なるにせよ、前者に登場していた、新興宗教の教祖様:Tommyを崇拝してやまないティーネイジャーのSally Simpsonからヒントを得たことだけは間違いない(しかし、1975年に公開された映画版『TOMMY』では、サリーはカリフォルニア出身のアメリカ人ミュージシャンと若くして結婚する、という設定)。『WHO’S NEXT』に続くコンセプト・アルバムとして『LIFEHOUSE』が予定されていた以上、そう考えるのが妥当だろう。

なお、先述の通り、歌詞のどこにもタイトルの「Baba O’Riley」が登場しないため、英語圏の人々を始めとして、大多数の人々がこの曲のタイトルを印象深い一節にちなんだ「Teenage Wasteland」だと勘違いしているという。それもまたむべなるかな。では、“teenage wasteland”とは一体全体、何を指すのか……? 筆者は、あるイギリスの詩人の作品に注目した。

それにしても、である。ザ・フーの楽曲はいずれもライヴ映えするが、この「Baba O’Riley」ほど、TPOに沿って変幻自在に歌詞を変え、その場の雰囲気に合わせることのできるものは他にないと思う。先述のロンドン・オリンピックの閉会式然り、そして昨2012年12月12日(日付が12並びになっている)、ニューヨークのマジソン・スクエア・ガーデンで行われた“ハリケーン・サンディ救済コンサート”でのパフォーマンス然り。いずれもある箇所の歌詞が巧みに変えられて歌われていた。筆者がザ・フーと彼らの音楽性、歌詞の奥深さ、そしてこの「Baba O’Riely」にしみじみと惚れ直した瞬間である。

曲の要旨

広大な農場で汗水たらしながら、俺は日々の糧を得るために懸命に働いている。そうやって必死になって生活を守ってるんだ。自分のやり方が正しいと誰かに認めてもらうために、俺は闘う必要もないし、第三者に赦しを請う必要もない。泣いたらダメだ。世の中を疑いの目で見ちゃダメなんだよ。10代の青二才の時代には、誰だって心が荒んでしまうものなんだ。妻サリーよ、俺の手を取って、俺についてきてくれ。家族みんなでロンドンを目指して南へ南へと向かって行こう。今こそ人生の目標を実現させる時だ。過去のことなんか忘れちまえ。新天地を求めてここを脱出する時が来た。明るい未来はすぐそこまで迫ってるよ。さぁ、残り少ない人生、年老いてしまう前に、みんなで力を合わせて夢を実現させようじゃないか。

1971年の主な出来事

アメリカ: 憲法修正第26条で、全選挙で18歳以上に投票権を与えることを決定。
日本: ハンバーガー大手チェーンのマクドナルドが日本の第1号店を銀座にオープン。
世界: 中国の林彪副主席が亡命を企てるも、搭乗した飛行機が墜落して死亡。

1971年の主なヒット曲

Me And Bobby Mcgee/ジャニス・ジョプリン
Joy To The World/スリー・ドッグ・ナイト
Go Away Little Girl/ダニー・オズモンド
Gypsys, Tramps & Thieves/シェール
Family Affair/スライ&ザ・ファミリー・ストーン

Baba O’Rileyのキーワード&フレーズ

(a) raise one’s eye(s)
(b) teenage wasteland
(c) before we get much older

旧約聖書に登場する“the Exodus(出エジプト記)”が歌詞に登場している時点で、「これはひょっとしたら、宗教家か何かからインスパイアされた曲ではないのか……?」と考えた。果たしてその通りで、モーセがイスラエル人(びと)をエジプトから大脱出させる一大感動巨編の如き同章の物語は、ピートが綴った歌詞を深く関係していた。曲のエピソードでも触れた通り、彼は神秘家メヘル・バーバーの思想に深く共鳴しており、彼のことを思い描いた上でこの曲を作ったのだった。1940年初頭に身元を隠してインド各地を旅行したというバーバーは、その旅を経験した後に、“神の化身”を自称した。恐らくこのことも、「Baba O’Riley」の歌詞を綴る際に、ピートに多大な影響を与えたものと思われる。「出エジプト記」と、バーバーの「悟りを開くための旅」とがダブッて見える。

初めて聴いた時から腑に落ちなかったのが(a)の表現。このフレーズでおかしいところは、可算名詞の“eye”が単数形で歌われている点。「瞳を上げよ(見上げよ)」を意図するなら、“raise your EYES”でならなければならない。そこで筆者は考えた。ここは、前のフレーズにある“cry”と押韻するために、敢えて“eye”を用いたのではないか、と……。

(a)と似通ったイディオムを探してみたところ、以下のようなものが見つかった。幸い、このイディオムの場合、目的語が単数形でも複数形でも意味は変わらない。

♪raise an eyebrow or eyebrows

これは筆者の勝手な憶測だが、恐らくここは、“cry”と押韻せんがために、既存のイディオム“raise an eyebrow(驚きや疑いの表情を表すために眉を上げる)”の代わりに(a)の表現を用いたのだろう。

なお、ロンドン・オリンピック閉会式では、ここのフレーズが♪Just raise your eyes…(面を上げて、前を真っ直ぐ見据えて…)という歌詞に変えて歌われていた。ますます、この曲の持つ可能性に気付かされた瞬間であった。

曲のエピソードで触れた(b)は、イギリスが生んだ偉大な詩人T・S・エリオット(T.S. Elliot/1888-1965)の代表作のひとつで長編詩の「The Wasteland(邦題:荒地)」(1922)がもとになっているとしか思えない。何故なら、同詩には、インドの思想が色濃く反映されているからだ(ここでバーバーとつながる!)。筆者は大学時代に英米の詩集の講義を熱心に聴講したものだが、T・S・エリオットはこれでもか、と勉強した。が、当時、この曲と「The Wasteland」の関連性には全く気付かず……。今から思えば、実に惜しいことをした。

インドの思想云々は脇に置いておいて、オリジナルの「The Wasteland」は、実に荒涼たる長編の詩である。が、絶望ばかりが語られているわけではなく、そこに一条の希望の光を見出すことも出来る。詩は、読み手の心象によっていかようにも変わるものだが……。この曲の最後のフレーズ♪They’re (=teenage wasteland/何故だか単数形の単語を受けて、代名詞が複数形のそれになっている) all wasted!(10代の頃の経験なんて、何もかもが海の藻屑と消えるのだ!)……を聴く度に、短くも長い人生の越し方を考えさせらずにはいられない。実に奥深い歌詞である。

ザ・フーの初期のヒット曲「My Generation」(1965)には、「歳を取る前に死にたい」というギョッとするフレーズが出てくる。実際、リード・ヴォーカルのロジャーは、若い頃に「30代に突入する前に自殺する」という物騒な宣言を公に行っていた。が、実際にはそうはならず、彼は今もソロ・アーティストとして、そしてザ・フーの“THE voice”として老いてなお活躍中である。(c)は、“今この時を精一杯に生きる”若者に特有のある種の思想が塗り込められたフレーズと考えていいだろう。ピートもまた、“歳を取りたくない”との強い思いを抱いていたのかも知れない。

人間は誰しも老いる。そのことを悲観しても、時間の流れは時に残酷だ。が、人生をやり直すのに年齢は決して邪魔にならない、と思う。筆者が“アンチ・エイジング”なる嘘くさい言葉を忌み嫌っているのもそのためで、要は気持ちの持ちようなのではないか、と。更に言えば、自分にとってどういう存在の人が側にいてくれるか、というのも肝要かと。この曲の主人公だとて、何よりも愛する妻や子供たちが身近にいなかったなら、住み慣れたスコットランドを脱出してロンドンへの移住、という大それた考えを起こさなかっただろう。

もうひとつ。昨年夏、アメリカ東海岸をハリケーン・サンディが襲い、多大な被害をもたらした。その救済コンサートの際にも「Baba O’Riley」はパフォーマンスされたが、その時にも(b)の歌詞が変えられていた。曰く♪It’s only Sandy wasteland… (サンディの悲劇が襲ったに過ぎない)。そしてマジソン・スクエア・ガーデンのステージ上に設けられたツイッターには、次のような文言が……。

“The world is just amazing!”――これは恐らく、「自然の驚異には敵わない!」という意味と、「(救済コンサートを行い、それに参加してくれた人々の)人間の持つ底力に限界はない!」とのダブル・ミーニングであろう。それを目にした瞬間、筆者の涙腺は際限なく決壊した。

【筆者プロフィール】

泉山真奈美(いずみやま・まなみ)

1963年青森県生まれ。幼少の頃からFEN(現AFN)を聴いて育つ。鶴見大学英文科在籍中に音楽ライター/訳詞家/翻訳家としてデビュー。洋楽ナンバーの訳詞及び聞き取り、音楽雑誌や語学雑誌への寄稿、TV番組の字幕、映画の字幕監修、絵本の翻訳、CDの解説の傍ら、2012年まで翻訳学校フェロー・アカデミーの通信講座(マスターコース「訳詞・音楽記事の翻訳」)、通学講座(「泉山式 翻訳力×英文法講座」)の講師を務めた。著書に『アフリカン・アメリカン スラング辞典〈改訂版〉』、『エボニクスの英語』(共に研究社)、『泉山真奈美の訳詞教室』(DHC出版)、『DROP THE BOMB!!』(ロッキング・オン)など。『ロック・クラシック入門』、『ブラック・ミュージック入門』(共に河出書房新社)にも寄稿。マーヴィン・ゲイの紙ジャケット仕様CD全作品、ジャクソン・ファイヴ及びマイケル・ジャクソンのモータウン所属時の紙ジャケット仕様CD全作品の歌詞の聞き取りと訳詞、英文ライナーノーツの翻訳、書き下ろしライナーノーツを担当。マーヴィン・ゲイ『ホワッツ・ゴーイン・オン 40周年記念盤』での英文ライナーノーツ翻訳、未発表曲の聞き取りと訳詞及び書き下ろしライナーノーツを担当した。その他、ジャンルを問わずポップス、ロックの訳詞も手がける。

2013年 5月 15日