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第76回 排泄の婉曲表現

筆者:
2014年5月1日

見立て,すり替え,ぼかし。この3つについて概観しました。第72回で触れたように,婉曲法にはこの3つがよく用いられます。ただし,3つの比喩の使用頻度はトピックに応じて異なります。そこで,婉曲法の主要なトピックである排泄と性と死について,見立て,すり替え,ぼかしの3つがどのように用いられているのか確かめてみます。

まずは排泄です(改めて読み返すと,妙な言い方ですね)。すり替えとぼかしについては,以下のような表現がみられます。

(97) すり替えによる婉曲表現
  a. 〈時間的に先行する行為に言及する〉 トイレ/便所に行く;席を外す,席を立つ;失礼する
  b. 〈時間的に後続する行為に言及する〉 手を洗う,手水;化粧を直す
  c. 〈全体で部分を言う〉 休憩する,一息入れる
(98) ぼかしによる婉曲表現
用を足す,用に行く,用便,小用;お通じ;憚り,ご不浄

(97)はすり替えによる表現です。トイレに行くことや「ちょっと失礼します」と席をはずすことは,排泄に先立つ行為です。時間的に先行する行為に言及することで,言いづらい行為について言わずにすませるわけです。逆に,手を洗うことは問題の行為の後に行う行為です。

(97c)の「休憩する」行為全体の中に用便をすませる行為が含まれると考えてみました。もしくは,用便をすませた結果,休憩したことになる,というふうに原因と結果にもとづくすり替えであると考えてもよいかもません。いずれにせよ,「休憩」は排泄の行為と近しい関係にあり,その関係にもとづいてすり替えが行われます。

そして(98)は,ぼかしの例です。「用足し」のような表現は,「用」という一般的な表現を用いることで,言いにくい特定の「用」に言及することを避けるレトリックです。この場合,一般的な語彙を用いる(「類」で「種」を表す)特殊化は数多く見られますが,特殊化と対になる一般化(「種」で「類」を表す)は婉曲に用いられることがありません。ぼかすためには「類」を表す一般的な表現を用いるのが理にかなっているからです。

ほかにも排泄の婉曲法に欠けているものがあります。それは見立てです。上品な婉曲を心がける際に見立てはほとんど用いられません。なぜでしょうか。

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それは見立ての表現効果と婉曲法本来の目的とが矛盾するからです。見立ては,第73回で見たように,あるものをより身近な別のものになぞらえて理解し,表現する方法です。排泄という具体的であまりに身近な行為は,そもそも別のものになぞらえて理解する必要があるとは思えません。だから見立てを持ち出すのにふさわしい理由がここには存在しないのです。

それどころか,見立てがもたらすイメージは,できれば避けておきたいイメージを喚起しかねません。以下の例は,朝日新聞に連載中のマンガから採りました。排泄に関係することがらに対して無理にIT用語を用いたことで,かえって強烈なイメージを伝えてしまいました。

(99)
  新入社員: この課はもう少し ITスキルをアップ した方がいいと 思いますよ
  上司: うむ 大切な ことだな
  上司: すでに我々は IT用語を日常的に 使うことで慣れるよう 努力してるんだが…
  新入社員: どんな ですか?
  社員A: 「ガマンできなくてトイレ 行ったのに先に誰かが ログインしてるのよ」
  社員B: 「お通じが悪くて 3日もダウンロード してないの」
  上司: 「わしは痔なので お尻に座薬を インストールして おる」
  新入社員: ひどい ……

(しりあがり寿『地球防衛家のヒトビト』『朝日新聞』2014年4月18日)

新入社員が「ひどい……」と嘆くのも無理からぬことだと思います。「3日もダウンロードしてない」って,やっぱり最悪です。身近なものになぞらえて理解するという要因がないのに,言い換える目的だけで見立てを用いるとしばしば逆効果になってしまいます。排泄に関して上品にことを収めようとする際には,見立ては用いないほうがいいのです。

身近なものになぞらえて理解する必要性は,つまり見立ての必要性は,トピックに応じて高まったり低まったりします。したがって,婉曲法において見立ての使い方に偏りが生じるのは,理にかなったことなのです。

筆者プロフィール

山口 治彦 ( やまぐち・はるひこ)

神戸市外国語大学英米学科教授。

専門は英語学および言語学(談話分析・語用論・文体論)。発話の状況がことばの形式や情報提示の方法に与える影響に関心があり,テクスト分析や引用・話法の研究を中心課題としている。

著書に『語りのレトリック』(海鳴社,1998),『明晰な引用,しなやかな引用』(くろしお出版,2009)などがある。

『明晰な引用,しなやかな引用』(くろしお出版)

 

『語りのレトリック』(海鳴社)

編集部から

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