「仏」を「(イ+西國)」と書く異体字が、新潟でも石碑にあったと教えてくれた方がいる。「寒念供養(左右に分かれたような異体字)塔」として、いくつもあり、ひな形があったのではとの推測も聞かれたそうだ。曹洞宗、修験道などの地だそうで、そこでは西方浄土とは関連がないとのことだ。中国文学から日本語学へと誘なってくれた個人的に思い出深いこの字体は、他の地の石碑や祭りの幟にも書かれているのも知った。中国では、石碑で「仙(僊)」と対になって使われていた(たしか「仙」あたりの字と誤認されていた)のも見つけた。青森では地名にまでなったが、京都大坂や江戸には使用例がなかなか見つからないのが興味深い。近世も半ばに近づくころに節用集などに載ったので、そうしたメディアを通じて広まったのだろうか。地方の方々が、小さな種から、こうした地元の文字使用を調べてくださっておいでであることが頼もしく、また具体的に文字の姿と背景まで教えてくださることがかけがいもなく有り難い。
佐渡の方は、「聡」(さとし)さんが、字が「恥」と似ているので、「はじ」というあだ名で小さい時から呼ばれ、就職してからも職場でそのようにニックネームとして呼ばれていると教えてくれた。職場でも、というのが意外そうだったが、いじめでも何でもないそうで、のどかな地を感じさせる。この誤解は、とくに若年層にしばしば起こり、私も小学生時代に経験済みである。
今年も最後は市内の「せんや」へ。魚3つの点が看板などで1つ少ないことについて、従業員はグラスでは違っていて、点が4つともあるとのこと、たしかにそうだった。そうやって店名を気にかけさせ、覚えさせるためでは、と笑って指摘する女性もいて、そうだとすると、確かに私たちはその術中にはまっている。
「カキのみいりがよい」というばあい、「実入り」とパソコンでもこれが出る。地方紙にも、他の地方紙からの記事で実際に使われているのを下さった。「身入り」のほうが佐渡を初めとする新潟では一般的だそうだが、辞書に載っていないとのことだ。ただ、カキのアクセントが東京とは逆らしいと気づくまで、紙面を見ても、木になる柿は新聞での表記は「柿」だったかな、ということはこれは牡蠣のことで、ミイリというのは、など紙面を見つめ、話の文脈をとらえきるまで迷いが出た。
「書き入れ時」は、「搔き入れ時」と認識されることがある。熊手の影響もあろうか。ところが、新潟では、新聞で「書き入れ時」を使ったら、3人から「稼(か)き入れ時」の間違いだとの電話がかかってきたそうだ。電話口で辞書を引いてもらって、こちらの間違いだったと納得してくれた人もいたそうだが、なぜ「稼ぎ時」という発想がちょうど一致したのだろう。新潟の方言で、白髪を「しらげ」と言うそうだ。警察のポスターに「白毛」という2字があったそうで、そのまま書いた可能性があるようだ。
これらの話を教えてくれた方は、とても熱心に探究されていて、『日本の漢字』(岩波新書)に書いた福井の「どんど」という地名の複雑な造字についても読んでくださっていた。高岡にも「どんど」という、用水のある地があって、以前に行かれたことがあるそうだ。一方、「新潟」や「頸城」をきちんと書いたことがない、地元の人はこれらしか使わないという。「潟」や「頸」ではバランスが取れないそうだ。「頚」は「頸」の簡易慣用字体になったため、ここの地方紙では紙面でも使うようになったのだそうだ。
宝石のひすいには「ヒスイ」「翡翠」の表記が多い。隣県の朝日町のヒスイ海岸の浜辺だけでなく、ヒスイが流れる川もあると聞く。糸魚川では窓から見えた「らーめん」という看板に、これ以上は字面を飾らないだけか、あるいはもしや麺が縮れておらずにまっすぐかと興味を引かれる。
新潟発の新幹線に乗るためには、だいぶホームの端まで歩かなければならない。そもそも「自由席」と名付けた人は誰だろう。「指定席」までは遠く、ガラガラの座席を通り過ぎて、決められた車両に向かう。車内には、新潟公演を行った関ジャニ∞のコンサートからの帰りと見られる若い女性が目立つ。彼女たちの一心のエネルギーに圧倒されて、危うく私も今回、駅周辺に宿を取り損ねるところだった。そんな中、中年くらいの女性の声で、「大漢和を買っちゃって底が抜けそうね」と笑い、「田舎の人たちは大漢和……」などと、意外な話題も耳に入る。これも、土地柄だろうか。タクシーの運転士さんも、新潟出身の大学職員の方も、「諸橋先生」と先生を付けて自然に呼んでいたことを思い出した。