タイプライターに魅せられた男たち・第27回

ドナルド・マレー(5)

筆者:
2012年2月23日

1901年8月、マレーは2年5ヶ月に渡るニューヨークでの生活に見切りをつけ、ロンドンへと渡りました。イギリス郵便省に、遠隔タイプライターを売り込むためです。1901年9月17日、マレーは、ロンドン中央郵便局で、遠隔タイプライターの公開実験をおこないました。この実験では、送信機と受信機はわずか10フィートほどしか離れていませんでしたが、送信機側で打った文字列は、無事、受信機側で印字されました。マレーは、遠隔タイプライターの売り込みに成功したのです。マレーに与えられた課題は、送信機と受信機の間の距離を、どこまでのばすことができるかでした。

1902年9月21日、ロンドン~エジンバラ間370マイルを、マレーの遠隔タイプライターが繋ぎました。この実験では、既存のモールス電信線をできる限りそのまま使って、毎分160ワードの通信速度に挑戦したのです。ただし、毎分160ワードというのは、通信回線のスピードであって、受信タイプライターの印字スピードは、毎分100ワードが限界でした。また、送信者が鑽孔タイプライターを打つスピードも、最高速で毎分70ワードが関の山でした。つまり、毎分160ワードというのは、あくまで、送信側で事前に作った鑽孔テープから、受信側の紙テープが鑽孔されるまでのスピードだったのです。

翌月マレーは、通信回線のスピードを、毎分300ワードに上げています。さらに、送信機と受信機の両方を安価にすべく、小文字26字(a~z)の送受信をあきらめました。大文字26字(A~Z)と数字10字(0~9)・記号18字が送受信できれば、当時の通信事情としては十分だったのです。

これに加え、マレーは、電流パターンも改良しました。最大の改良は、「+++++」という電流パターンを、元々の「Z」から、大文字へのシフト符号に割り当て直した点です。すなわち、鑽孔テープ上で「○○○○○」、つまり5つとも穴が開くパターンを、大文字へのシフト符号に変更したのです。なぜこんな変更をおこなったのでしょう。理由は、送信側での鑽孔テープの打ち間違いにありました。

マレー送信機の鑽孔タイプライター(改良後)

マレー送信機の鑽孔タイプライター(改良後)

この改良を加える以前のマレー送信機では、鑽孔テープを打ち間違った場合、ハサミとノリでテープを切り貼りしていました。しかし、これではあまりに非効率です。打ち間違った部分を、テープを切ったり貼ったりすることなく、削除することができれば便利です。紙テープというものの特性から言えば、一度開けた穴をふさぐのは難しいですが、穴の開いていないところに新たに穴を開けるのは簡単です。だとすると、どのような間違いであっても、その間違いを「○○○○○」というパターンに開け直すことは容易なわけです。

すると「○○○○○」に対しては、アクチュエーターが何も印字しないように、設計しなおさなければなりません。そこでマレーは、「○○○○○」を、大文字へのシフト符号としたのです。こうすれば、「○○○○○」を連続で何度受信したところで、アクチュエーターのカム・シャフトが大文字側になるだけで、受信タイプライターは何も印字しません。つまり、送信側で鑽孔テープを打ち間違った場合には、間違ったところまで戻って、間違いから後を全て「○○○○○」にしてしまい、その後に改めて続きを打てばよいようにしたのです。

(ドナルド・マレー(6)に続く)

筆者プロフィール

安岡 孝一 ( やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

https://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

編集部から

安岡孝一先生の新連載「タイプライターに魅せられた男たち」は、毎週木曜日に掲載予定です。
ご好評をいただいた「人名用漢字の新字旧字」の連載は第91回でいったん休止し、今後は単発で掲載いたします。連載記事以外の記述や資料も豊富に収録した単行本『新しい常用漢字と人名用漢字』もあわせて、これからもご愛顧のほどよろしくお願いいたします。