フィンランド教育といえば「落ちこぼれを出さない教育」なのだそうだ。近年、「落ちこぼれを出さない」は先進各国の標語のようになっており、極端な競争社会として知られるアメリカでさえ「落ちこぼれ防止法(No Child Left Behind Act:NCLB, 2001年)」を定めているほどだから、フィンランドも流行に乗ったのかもしれない。第21回で述べたように、フィンランドの義務教育段階では補習塾も参考書も存在しないから、学校で落ちこぼれてしまうともはや救いがない。その意味では、「落ちこぼれを出さない」ことの重要性は日本よりもはるかに高いのだろう。
一般に「落ちこぼれ」というと「学校の授業についていけないこと」を意味する。だが、フィンランドにおいては、それとは異なる意味での「落ちこぼれ」問題が深刻である。現在のフィンランドの教育では学問至上主義が排され、児童・生徒の能力適性に応じた自己実現が重視されているため、高校や大学に進学することが「望ましいコース」とはあまり考えられていない(ちょっとは考えられているが)。基礎学校卒業後の進路として高校を選ぼうが、職業学校を選ぼうが、そこに優劣を見出すことはあまりないのである(ちょっとは優劣を見出すが)。フィンランドの先生たちにとって最も残念なのは、自分の教えた生徒の「行き場がなくなってしまうこと」。つまり、基礎学校を卒業したものの、高校に進学するわけでもなく、職業学校に進むわけでもなく、就職するわけでもない状態。いわば社会的な落ちこぼれ状態なのである。最近では基礎学校卒業生のうち1割近くが「行き場がなくなってしまう」こともあるのだそうで、なかなか深刻な問題のようだ(1)。
さて、「落ちこぼれを出さない教育」の授業風景がどのようなものかというと、どの教科でも意外なくらい授業進度が速い。絶対に習得しなければならないような重要な内容であっても、さっさと進めてしまう。これは日本よりも全体の授業時数が少なく、また単元ごとに割り当てられた授業時数も少ないことによるもので、スタンダードの見えにくいフィンランド教育ではあるが(前回参照)、どこでも共通して見られる現象といえるだろう。
フィンランドの教室における授業の進めかたというと、だいたいどの教科でも「①一斉授業で教科書にそって説明する⇒②ペアないしグループで練習する⇒③個人で教科書を見ながらワークブックで反復練習する」というのが一般的である。このうち①と②に割り当てられた時間が非常に短い。ささっと説明して、みんなで2~3回練習しただけで、すぐにワークブックに取り掛からせてしまう。これを見て、ある日本のベテラン教師は「日本ならばもっとしつこく・ねちこく・大多数が理解したことを確認するまでやるところだが……。これで本当に大丈夫なのだろうか?」と言っていた。全員が理解しているとはとても思えないのに、どんどん進めてしまうからである。
そう、この段階では、どんどん落ちこぼしながら授業を進めてしまうのだ。勝負はワークブックをやっているとき。ワークブックの進行状況を見れば、その子どもが理解しているかどうかは一目瞭然である。理解している場合は、そのまま一人でワークブックを進めればよろしい(2)。理解していない場合は、先生や指導助手がつきっきりで最初から「しつこく・ねちこく」教え直す。それでも理解できない場合は、時間外に補習をする。それでも理解できない場合は、通常の授業から外して「支援授業」(2)を受けさせる。つまり、最初は素早いのだが、後でしつこく・ねちこくなるのである。効率的なような、非効率的なような……。いずれにしても、このようにしてフィンランドの「落ちこぼれを出さない教育」は進められているのである。
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(1) この問題について、ある地方自治体の教育当局者に「行き場がなくなった後はどうなるのか?」と質問したら、「さあ? 本人が決めることだから関知しない」という答えだった。意外に冷たい。
(2) 学校や自治体によって異なるが、一般に算数・国語・外国語など主要科目について通常の授業についていけない場合、別教室で「支援授業」を受けることになる。支援授業によって充分にできるようになれば、通常の授業に復帰することができる。