フィンランドがPISAで好成績をおさめたことが知れ渡ってから、実に多くの人々が日本からフィンランドの教育現場を訪れた。その報告書等に描かれた「フィンランド教育の実態」は実にさまざまである。グループ学習ばかりだった。いや、一斉授業ばかりだった。教科書をまったく使っていなかった。いや、教科書とワークブックばかり使っていた。テストで順位はもちろんのこと点数すらつけていなかった。いや、テストで一等賞の子どもにアメをあげていた――などなど。
これらはすべて真実である。不可解かもしれないが、どれも本当のことなのだ。このようにさまざまな「実態」が報告されている背景には、フィンランドでは学校現場に広範な裁量権が認められていることがある。学校現場の裁量権の広さには驚くばかりで、たとえば公立の基礎学校(9年一貫の義務教育機関)でモンテッソーリ教育を全面的に採用し、学年やクラスを廃止してしまったところさえある。このような学校ばかり見て歩いたら「フィンランドの学校には学年もクラスもない!」と報告することになるだろう。学校現場に広範な裁量権が認められているということは、学校によってやりかたが全然違うということ。そのため、フィンランド教育は「スタンダード」が見えにくいのである。
フィンランド=ロシア学校(Suomalais-venäläinen koulu: SVK)――これは私がフィンランドに行くと、必ず訪れることにしている国立の小・中・高一貫校である。この学校では就学前の段階から、フィンランド語とロシア語のバイリンガル教育を行なっており、すべての教科がフィンランド語とロシア語の両方で教えられている。その他の外国語教育にも力を入れており、高校を卒業する頃には7~8か国語をマスターしている子どもも少なくない。同様の学校として、フランス=フィンランド学校(Ranskalais-suomalainen koulu: RSK)という国立の小・中・高一貫校もあり、フィンランド語とフランス語のバイリンガル教育を行なっている。もちろん、このような教育はこれら2校特有のものであって、ゆめゆめ「フィンランドの学校では就学前からバイリンガル教育をやっている!」などと思ってはならない。
このように「国立の学校」で「バイリンガル教育」をやっているというと、日本では超エリート校のような感じがして、「お受験が大変に違いない」と思うところだが、フィンランド=ロシア学校にしても、フランス=フィンランド学校にしても入試はなく、近所の子どもたちの通う「近所の学校」である。つまり希望すれば誰でも通うことができるのだ。フィンランドであるから、授業料も他の学校と同じく無料である。なにやら公平なような、不公平なような……。これが日本であれば入学希望者が殺到して大変なところだろうが、フィンランドなので「授業についていくのが大変そうだ」「ロシアは嫌いだ」などといった理由から、入学希望者はそこそこ適当なところに落ち着くのだという。
教科書についていえば、フィンランドでは1994年から教科書検定制度が完全に廃止され、「教科書の良し悪しは市場が決める」とされた。つまり「よく売れる教科書が良い教科書」ということだ。現在、どの教科書を使うかは、先生ひとりひとりが決めることができる。教科書を一種類に限定する必要もなく、単元によって数種類を使い分けることも可能である。あるいは、まったく教科書を使うことなく授業を進めても構わない。
ただ、このシステムには裏がある。フィンランドの義務教育では教科書は無償貸与制である。児童・生徒は学校備え付けの教科書を使うということだ。教科書の値段はきわめて高く(日本の5~10倍くらい)、学校は常に予算不足にあえいでいるため、学校備え付けの教科書は限られている。つまり、先生ひとりひとりが教科書の採択を決められるといっても、実際には学校備え付けの教科書から選ぶしかない。一種類しか備え付けていない学校も少なくなく、それどころか前回の指導要領改訂に対応した教科書しか備え付けていない学校さえ存在する。教科書検定制度が廃止されたいま、現行の指導要領にそった教科書を使う義務すらないのである。
あらためて思う――フィンランドとは妙な国である。