「百学連環」を読む

第62回 世界三大発明

筆者:
2012年6月15日

「文学」の効能を説いた西先生は、ここから話を少し具体化してゆきます。

文事の學術に資けあること極めて大なるものなり。西洋一千四百年來獨逸にて 和蘭とも云ふ printing 則ち版木を發明し、後チ又 stereotypography 活字版を發明せしより、大に世界に通し人智を增加するに至れり。是を西洋三代發明の一とす。其の三大發明とは一は一千四百四十年來コロンビゥスなるもの亞墨利加の地を發明し、二はガリヲンなるもの地球の運轉を發明せしことゝ合せて三大發明とす。

(「百學連環」第22段落第1~4文)

 

文頭の「文事」の右には「化」と添えてあります。また、「和蘭とも云ふ」はポイントを下げて本文1行に対して2行で表記。欧文のprintingとstereotypographyには、それぞれ「印刷術」「版活字」と左側に添えてあります。

では訳してみます。

文化には、学術にとって極めて大きなたすけとなるものがある。西洋では1400年以来、ドイツにおいて(オランダとも言われている)「印刷術(printing)」、つまり版木が発明された。後には「活字版(stereotypography)」を発明し、これがおおいに世界に伝わって、人知は増大することになったのである。これを西洋三大発明の一つと数える。三大発明とは、〔これに加えて〕一つには1440年以来コロンブスがアメリカの地を発見したこと。二つにはガリレオが地球の運動〔自転〕を発見したことであり、これらを合わせて三大発明というわけである。

ご覧のように、話が西洋文化に転じています。文字に関連することとして、印刷術の重要性が指摘されていますね。

ヨーロッパの印刷術といえば、グーテンベルクと彼が印刷したいわゆる『四二行聖書』などが想起されるところです。ここで西先生が「オランダとも言われる」と補足しているのは、江戸幕府がオランダ国王から贈られたという印刷機や、本木昌三らが植字判一式をオランダから導入したこと(嘉永元年=1848年)などを念頭に置いているのではないかと思います。

西先生は、printingを「印刷術」と訳し、「つまり版木」と言い換えを施しています。版木とは、日本でも従来行われていた木版印刷で使われるもの。印刷したい文字や絵を、木の板に彫ったものを指す言葉です。おそらく聴講者の理解を助けるための譬えとして持ち出されているのだと思います。

また、ここでstereotypographyという言葉も登場していますね。現在では、どちらかというと、stereotypeという言葉のほうが馴染み深いでしょうか。ステレオタイプ(ステロタイプ)といえば、ともすると原義が忘れられて、「紋切り型」といった意味で使われることが多いかもしれません。

しかしこれは、元来、印刷用語でした。つまり、鉛版などを使った印刷方法や、その鉛版のことを指す言葉です。試しに『オックスフォード英語辞典』でstereotypeの項目を覗いてみると、印刷方法・工程としてのステレオタイプという語は、18世紀末頃が初出のようです(ただし、Google booksで調べてみると、さらに遡れるようです)。

面白いことに、19世紀半ば頃には、「変化することなく続けられること、一貫して繰り返されること」という意味も登場しています。活版印刷のよさは、それまでの写本と違って、写し間違えや一行の文字数の揺らぎなどとは無縁で、ほとんど同一の文書を大量に複製できることでした。そこから、「変化しないこと」という譬えとして用いられるようになったわけです。ただし、用例を見てみると、「変化しないこと」が必ずしも悪い意味だけで使われてはいなかったようです。

ついでに語源を見ておくと、stereotypeは、stereoとtypeから成ります。stereoは、例によって古典ギリシア語のστερεος(ステレオス)に由来しており、これは「硬い」とか「丈夫な」「個体の」「難しい」「立体の」といった意味でした。ここから、「立体音響」を意味するステレオ(フォニック)と、活字のステレオタイプが、なぜ「ステレオ」という語を共有するのかということも分かります。

typeのほうも、語源は古典ギリシア語のτυπος(テュポス)で、「打つこと」「型でおした跡」「型」「彫りつけられたしるし、文字」「姿」といった意味です。ステレオタイプとは、まさに「硬いもので打たれた文字」ということなのでしょう。

さて、西先生の講義では、それに続いてもう一つ面白いことが述べられていましたね。「世界三大発明」というわけですが、これは現代の私たちから見ると、ちょっと変な気分になる内容です。世界史などで「世界三大発明」というと、よく登場するのは、「火薬」「羅針盤」「活版印刷術」です。つまり、ある種の技術的な製作物ですね。ところが、西先生が挙げている「発明」のうち、残る二つは「アメリカ大陸」と「地球の運動〔自転〕」です。

語感からすると、「アメリカ大陸」と「地球の自転」については、「発明」というより「発見」という言葉を使いたくなるところ。これについては、『明治のことば辞典』(惣郷正明、飛田良文編、東京堂出版、1986)で「発明」の項目を覗くと、事情が見えてきます。

この辞書は、見出しの語について、明治年間に刊行された各種辞書における定義を並べてみせてくるという、たいそうありがたいものです。「発明」の項目にも、多数の辞書の定義が並んでいます。「ミヒラク」や「コシラヘハジメ」といった説明が多い中に、『布告律令字引』(明治9年)の「発見(ミタス)に同」という定義が見えます。また、『言海』(明治24年)でも「始メテ考ヘ出シ、又、見出スコト、新工夫。発見」とあります。つまり、「発明」と「発見」は同義語として使われていたようなのです。

明治26年の『日本大辞書』では、両者を分けてこんなふうに解説しています。

1 始メテ工夫シ見出スコト。=創造。専ラ英語、Inventionノ対訳トシ、同ジク英語、Discoveryノ対訳トシテ発見トイフ語ヲ当テル。発明ハ前人ノマダ知ラヌコト、又ハマダ世ノ中ニ現レテ井ヌモノヲ創メ出スコト、即チ蒸気機械ナドヲ創造スル類。発見ハソレトハ違ヒ、既ニ世ニアツタモノヲ唯見出スノニイフ。閣龍ガ亜米利加ヲ発見シタ類。 2 スベテ、サカシクアルコト。=賢クアルコト。=リコウ。=怜悧(今既ニ廃語)。

「発明(Invention)」と「発見(Discovery)」を別の語として整理しています。また、西先生が「発明」として言及しているコロンブスの例も「発見」の例として出ています。

「三大発明」の残る二つをなんとするかは別にしても、印刷術の発明がどれほど大きな価値を持つものと捉えられているかが窺える表現です。

筆者プロフィール

山本 貴光 ( やまもと・たかみつ)

文筆家・ゲーム作家。
1994年から2004年までコーエーにてゲーム制作(企画/プログラム)に従事の後、フリーランス。現在、東京ネットウエイブ(ゲームデザイン)、一橋大学(映像文化論)で非常勤講師を務める。代表作に、ゲーム:『That’s QT』、『戦国無双』など。書籍:『心脳問題――「脳の世紀」を生き抜く』(吉川浩満と共著、朝日出版社)、『問題がモンダイなのだ』(吉川浩満と共著、ちくまプリマー新書)、『デバッグではじめるCプログラミング』(翔泳社)、『コンピュータのひみつ』(朝日出版社)など。翻訳書:ジョン・サール『MiND――心の哲学』(吉川浩満と共訳、朝日出版社)ジマーマン+サレン『ルールズ・オブ・プレイ』(ソフトバンククリエイティブ)など。目下は、雑誌『考える人』(新潮社)で、「文体百般――ことばのスタイルこそ思考のスタイルである」、朝日出版社第二編集部ブログで「ブックガイド――書物の海のアルゴノート」を連載中。「新たなる百学連環」を構想中。
URL:作品メモランダム(//d.hatena.ne.jp/yakumoizuru/
twitter ID: yakumoizuru

『「百学連環」を読む 』

編集部から

細分化していく科学、遠くなっていく専門家と市民。
深く深く穴を掘っていくうちに、何の穴を掘っていたのだかわからなくなるような……。
しかし、コトは互いに関わり、また、関わることをやめることはできません。
専門特化していくことで見えてくることと、少し引いて全体を俯瞰することで見えてくること。
時は明治。一人の目による、ものの見方に学ぶことはあるのではないか。
編集部のリクエストがかない、連載がスタートしました。毎週金曜日に掲載いたします。