タイプライターに魅せられた男たち・第136回

フランツ・クサファー・ワーグナー(3)

筆者:
2014年6月19日

「打っている最中の文字が見えるよう改良すべき」という、ワーグナーのタイプライター改良案は、ヨストとしても傾聴すべきものでした。ヨストは既に「Caligraph」を、アメリカン・ライティング・マシン社から発表していましたが、「Caligraph」は、いわゆるブラインド・タイプライターで、打っている最中の文字は見えません。その意味では、ワーグナーが提案するビジブル・タイプライター(打っている最中の文字が見えるタイプライター)は、確かに魅力的なものです。しかし、ワーグナーの提案は、そのままでは実現不可能で、さらなる改良が必要でした。

ワーグナーが設計した吊下型タイプシャトル式タイプライター(U.S. Patent No. 302178)
ワーグナーが設計した吊下型タイプシャトル式タイプライター(U.S. Patent No. 302178)

1883年6月14日、ワーグナーは新たなタイプライター特許を、アメリカン・ライティング・マシン社のミラー(William F. Miller)を譲渡先として、出願しました。このタイプライター特許の特徴は、タイプシャトルを下向きに吊り下げた、いわば吊下型タイプシャトルでした。2つの吊下型タイプシャトルには、それぞれ11個ずつ活字が取り付けられていて、22個のキーに対応する活字が、それぞれ下向きにインクリボンごと撃ち抜かれます。そうして、タイプシャトルの下に置かれた紙の上に、文字が順に印字されていくわけです。ワーグナーの提案によれば、タイプライターの上から印字部分が覗きこめるようになっており、その意味では、ビジブル・タイプライターの一種と言えるものでした。また、吊下型タイプシャトルの活字数を13個にすることで、2つのタイプシャトルでA~Zの26字が実装可能でした。

しかし、26キーなら実現可能だとしても、たとえば「Caligraph No.3」の78キーにまで増やそうとした場合、ワーグナーの手法では、吊下型タイプシャトルを6個も配置する必要が生じます。吊下型タイプシャトルは、どう考えても3個までが実装の限界で、6個ものタイプシャトルを同時に実装するのは無理がありました。ワーグナーの新たなタイプライター特許は、1884年7月15日に成立しました(U.S. Patent No. 302178)が、しかし、ミラーはこの特許を、パイン通りのエドワード・P・ハミルトン社という不動産会社に売却してしまいました。ワーグナーのビジブル・タイプライターは、またしても実用化されなかったのです。

フランツ・クサファー・ワーグナー(4)に続く)

筆者プロフィール

安岡 孝一 ( やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

https://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

編集部から

近代文明の進歩に大きな影響を与えた工業製品であるタイプライター。その改良の歴史をひもとく連載です。毎週木曜日の掲載です。とりあげる人物が女性の場合、タイトルは「タイプライターに魅せられた女たち」となります。