ビジブル・タイプライターの夢をあきらめたわけではないものの、この頃、ワーグナーは、アメリカン・ライティング・マシン社と組んで、アップストライク式タイプライターにおけるシフト機構の開発にも取り組んでいました。「Remington Standard Type-Writer No.2」のプラテン・シフト機構(U.S. Patent No.202923)は、その名の通りプラテンを前後に移動することによって、1つのキーで2種類の文字を打ち分ける機構でした。これに対抗して、ワーグナーは、プラテンではなく活字棒の方を前後に移動することで、3種類以上の文字を打ち分ける機構に挑戦したのです。最終的にワーグナーは、活字棒の支点の位置を前後させることにより3種類の文字を打ち分ける機構、いわゆるダブル・シフト機構の製作に成功しました。しかも、ワーグナーのダブル・シフト機構は、その原理上、精度さえ上げれば、4種類でも5種類でも打ち分けることが可能となるのです。
このダブル・シフト機構の特許を、ワーグナーは1885年4月9日に出願しました。しかし、時すでに遅く、アメリカン・ライティング・マシン社はヨストの手を離れ、コネティカット州ハートフォードへと移転してしまいました。ワーグナーのダブル・シフト機構の特許は、1885年9月15日に成立しました(U.S. Patent No. 326178)が、ヨストやミラーはこの特許を買い取らず、結局、スミス(Stephen Terhune Smith)とウンズ(Henry Harmon Unz)という人物が、このダブル・シフト機構の特許を買い取ることになりました。
その後、ワーグナーは、スミスの依頼で、ガスバーナーの事故防止装置の特許を取得(U.S. Patent No. 374096)、スミスに譲渡しています。一方、ウンズは、ワーグナーのダブル・シフト機構をさらに改良し、27キーで81種類の文字を打てる「National Typewriter」を、1889年に発売しました。これらの特許のロイヤリティを元に、ワーグナーはニューヨーク州デニングに400エーカーの土地を買い求め、家族とともに夏はデニングで過ごすようになりました。
(フランツ・クサファー・ワーグナー(5)に続く)