タイプライターに魅せられた男たち・第138回

フランツ・クサファー・ワーグナー(5)

筆者:
2014年7月3日

ビジブル・タイプライターという夢に魅せられたワーグナーは、1886年1月28日、新たなタイプライター特許を申請します。活字を78個とりつけた巨大なタイプホイール、という途方もないアイデアで、ビジブル・タイプライターを実現しようとしたのです。タイプホイールの側面に取り付けられた3列の活字は、各列がそれぞれ大文字26個、小文字26個、数字10個+記号16個、となっており、タイプホイールのシフト機構によって打ち分けます。タイプホイールの上には、つまみと文字盤が取り付けられていて、つまみを回転させることでタイプホイールが回転し、指定された文字に対応する活字が、プラテン側に向きます。つまみの真ん中には大きなボタンがあり、つまみごと押し下げることでプラテンが活字側に倒れてきて、紙の上に印字されるという機構を、ワーグナーは設計したのです。

ワーグナーが設計したタイプホイール式ビジブル・タイプライターの機構図(U.S. Patent No. 364556)
ワーグナーが設計したタイプホイール式ビジブル・タイプライターの機構図(U.S. Patent No. 364556)

ワーグナーのタイプホイール式ビジブル・タイプライター特許は、1887年6月7日に成立しました(U.S. Patent No. 364556)。しかしその間に、アメリカのビジブル・タイプライター事情は、大きく変化していました。1886年6月に「Crandall New Model」が発売されたのです。「Crandall New Model」は、タイプスリーブとよばれる円筒に14個×6列の活字を埋め込んだ、28キーのビジブル・タイプライターでした。各キーを押すと、タイプスリーブが回転しながらプラテンへと打ち下ろされ、プラテンの前面に挟まれた紙に印字がおこなわれるので、オペレータが常に印字を確かめることができるようになっていました。28個のキーには、それぞれ、大文字・小文字・数字もしくは記号、の3種類の文字が対応しており、「CAP’S」と「F.&P.」のダブル・シフト機構でタイプスリーブを上下させて、打ち分ける仕掛けになっていました。発明者のクランドール(Lucien Stephen Crandall)は、以前はヨストやデンスモア(James Densmore)のもとで働いていたのですが、特許の問題がこじれてアメリカン・ライティング・マシン社を離れ、その後は独自のタイプライターを開発し続けていました。

「Crandall New Model」
「Crandall New Model」

ビジブル・タイプライターとしての「Crandall New Model」は、やや低速ではあるもののキーボードによるタイピングを実現しており、ワーグナーのタイプホイールのアイデアに較べて、かなり先を歩んでいました。先を越されたワーグナーは、それでも、新たなアイデアを絞り出し続けることにしたのです。

フランツ・クサファー・ワーグナー(6)に続く)

筆者プロフィール

安岡 孝一 ( やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

https://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

編集部から

近代文明の進歩に大きな影響を与えた工業製品であるタイプライター。その改良の歴史をひもとく連載です。毎週木曜日の掲載です。とりあげる人物が女性の場合、タイトルは「タイプライターに魅せられた女たち」となります。