「文学」にまつわる議論が続きます。前回読んだ箇所から段落をかえて、こう続きます。
衆説を網羅すと云ふ語あり。此の如く悉ク知るときは至善を得、至善を得て之を行ふときは則ち日新富有の道興る。故に今人は古人より賢ならさるへからす。弟子は師に勝らさるへからす。
(「百學連環」第21段落)
訳してみましょう。
多くの人びとの説を網羅するという言い方がある。このように、ことごとく知り尽くせばそれが最善であり、最善〔の知〕を得た上でことを行えば、日ごとに新たになり、あらゆるものを含むほど豊かであるような道が拓けるものである。であれば、現代の人は昔の人よりいっそう賢いはずであろう。また、弟子は師よりも優っているはずなのである。
西先生は、文学(文字)それ自体は学術ではないと断っていました。また、明言こそしていませんが、文学は学術を助ける道具だとみなされていると捉えてよいと思います。
そして、この文学には時間や空間を超えて知を伝えるという利点がある。その利点を活用すれば、これまでに考えられ、記された先達の知を広く集め知ることもできる、という次第です。これは、第49回「知は広く、行は細かく」で主張されていたことの再論でもあります。
「衆説を網羅す」という言い回しは、いまではあまりお目にかかりませんが、当時の文献などでときどき見かけます。ある事柄、ある対象について知ろうと思う場合、まず先達がそのことについて、なにをどのように論じたかを網羅しようではないか、というわけですね。
ここで思い出されるのは、やはりアリストテレスです。彼の書いたものを見ると、たいていの場合、冒頭でそのテーマについて先達の考えたことが羅列され、検討に付されています。
例えば、『形而上学』では、「存在」という根本的な問題が扱われるのですが、その冒頭で、先哲たちがこのことについて、なにをどう考えたかという既存の知が網羅されています。タレスは世界が水から成ると言ったとか、誰それはまた別の考え方をしたという具合に。
ちょっと余談になりますが、この部分は、後に哲学史が書かれる際のお手本になります。しばしば西洋哲学の歴史はタレスから始まるといった説明がなされるのは、アリストテレス先生のまとめを踏襲しているのでした。
この「衆説を網羅す」というスタイルは、現在の学術論文でも採用されていますね。先人たちはこの問題について、こんなことを調べ、考えて、明らかにしてきた。そこに自分はさらなる知を加えよう、という進め方です。ときにこうした学術のあり方は、「巨人の肩に乗る」と表現されることもあり、言い得て妙です。
さて、もう一つ「日新富有」という見慣れない表現がありました。これは漢籍の引用だと思います。例えば、『易経』の「繋辞上伝」に「富有之謂大業、日新之謂盛徳」などと見えます。読み下せば、「富有これを大業といい、日新これを盛徳という」となるでしょうか。あらゆるものを含む(富有)ことは大きな働き(大業)であり、日々新しくあることは徳の盛んなことである。
これは本来、天の道(万物の道理)はなにか、それを知るとはどういうことかを説く「繋辞上伝」の文脈で理解されるべき言葉ですが、ここで西先生は短く「日新富有」とだけ言っています。おそらく脳裡では、このくだりやその前後が思い浮かんでいたのではないかと思います。というのも、「繋辞上伝」冒頭では、道(万物の道理)とは何か、それを知るとはどういうことかといったことが主題となっているからです。ここでは、西欧学術を論じながら、西先生の脳裡で漢籍の叡智が駆動している様が伺えます。
さて、そうした「日新富有」の結果、道が興るというわけですが、この「道」は「学問」と読んでもよいでしょう。
そして、このような文学の力を借りるなら、人は先人よりも賢くなれるはずだというお言葉は、少々耳が痛いような気がします。明治賢人たちの書き残したものを読んでいると、私などは到底及びもつかないと舌を巻くばかりだからです。