前回は、日本の儒学者たちが俎上に載せられ、わけても頼山陽先生は、なぜ和文ではなく漢文で書いたのかと批判されたところでした。文章は改行せずに、次のように続きます。
若し和文を〔以て〕するときは廣く萬民に遍ふして、其益大なるへし。我か國以來文章を書く、苟も和文を〔以て〕せさるへからす。併シなから學者漢文を知らすして可なりと云ふにはあらす。必すしも學ヒ得て漢文も書くことを得るを要せさるへからす。唯タ著す所の文章は諸人の解し易きを主とするか故に、漢は漢の文字を以てし、英吉利は英吉利の文字を以てし、法朗西は法朗西、我か國は我か國と、其國民の解し易きを以て肝要とすへし。西洋にても以前は Bacon {英の大儒者} Hugo de Groot {和蘭の大儒者} Montesquieu groceus {佛の大儒}の如きも羅甸の文字を以て文章を著せり。猶我か國の山陽先生に至るまて儒者たるものは、漢文を重むし用ゆるか如し。
(「百學連環」第36段落第16文~第22文)
上記の文中、groceusの右には〔マヽ〕、左には gruce と添えられています。この語が何を意味するのかは分かりません。ベイコンやグロティウスを「儒者」としているのはちょっと面白いですね。この場合、「儒者」とは儒学者のことではなく、和漢における儒学者に該当する学者というほどの意味だと思います。
また、{}で囲った部分は、割り注で表記されています。では、訳してみましょう。
もし和文を使えば、広く万民が遍く行き渡るので、その利益は大きいはずだ。我が国ではこれ以後、文章を書くにあたっては、和文を使うべきである。とはいえ、学者は漢文を知らなくてよいわけではない。必ずこれを学び、漢文を書くことも不要なわけではない。ただ、文章を書く場合には、人びとが分かりやすいものであることをもっぱらとする。したがって、中国では漢字で、イギリスではイギリスの文字で、フランスではフランスの文字で、我が国では我が国の文字で、その国民が分かりやすいことが肝要である。西洋でも、以前はベーコン{イギリスの大学者}、フーゴー・グロティウス{オランダの大学者}、モンテスキュー{フランスの大学者}なども、ラテン語で文章を著していた。我が国において、頼山陽先生に至るまで、儒者たるものが、漢文を重んじて使ったのと同様である。
いかがでしょうか。現代人にとっては、さほど問題なく理解できる主張だと思います。かえって、どうしてかつては日本の論者が日本語ではなく、漢文でものを書いていたのかということのほうが、むしろ疑問になるかもしれません。
西先生は、日本でものを書くのであれば、日本語で書いたほうがよいと言っているわけです。その理由として挙げられているのは、そうすれば、広く国民に読まれるからだということですね。日本語ならぬ漢文で書いた場合、当然のことながら読者は限られます。漢文を読む訓練を積み、素養のある人にしか読めません。そうではなくて、日ごろ日本語(和文)を使っている人びとであれば、誰でも読めるように日本語で書くべきであるという次第で、至極分かりやすい話です。
ただ、ここで参照されているように、西洋においても、かつては学術の領域では、ラテン語が使われていました。国や民族は違っても、一種の共通語として使われていたのでした。
それに対して、例えば、フランス語であればデカルト、イタリア語ならダンテ、ドイツ語ならルターといった人びとをはじめ、ラテン語のみならず、いわゆる「俗語」によって表現を試みる人びとが現れ、やがてそれが大勢となってゆく過程があります。
例えば、マルティン・ルターの場合、従来カトリック教会が、『聖書』のテキストや読み方(解釈)について統制していたのに対して、これを人びとが日常的に使うドイツ語に訳し、また、『聖書』の読み方を刷新することで、権威によって囲い込まれていたキリスト教そのものを解放していったのでした。
従来のラテン語を脱して、自分たちの母語で表現するということには様々な側面があります。ただ、共通して言えるのは、ラテン語の訓練や素養を必ずしも積んでいない人びとに向けて、書物や知を開いてゆくということです。ここで議論するには手に余りますが、こうしたいわゆる「俗語革命」は、それまでの政治や宗教や学術の権威が、無条件には成立しない時代への変遷と裏腹の出来事だったのではないかと思います。
これは西先生たちが生きた江戸から明治へという転換期の日本でも経験されたことでした。明治期日本の場合、それに加えて、西洋由来の新しい概念、それまでの日本語に存在しなかった概念を、どうやって日本語に採り入れてゆくかというもう一つ大きな課題もありました。それは、現在もなお私たちが使っている日本語の姿をつくった時代でもあります。
それなら、漢文はきっぱり捨て去って、和文だけで行けばいいではないかと思いたいところですが、西先生は但し書きを付けています。学者については、引き続き漢文も使えるようにしておく必要があると言います。
その理由は明確に述べられていません。ただ、推測すれば、この「百学連環」講義でも繰り返し述べられてきたように、過去の学知を知り、現在や未来に活用するという温故知新の精神があるでしょう。単に漢文の素養を捨て去ってしまえば、過去の蓄積を丸ごと捨て去ることになりかねません。
それに、まさに西先生がそうであったように、西洋の新しい言葉や概念に対応するためにも、漢語は大いに役立ちました。前々回、「哲学」という言葉について少し見たように、Philosophyを「(希)哲学」と訳すことによって、フィロソフィーを日本語として採り入れるだけでなく、それを漢籍に蓄積された叡智とも関連づけることができたわけです。
しかし、もし人が漢文の素養を失ってしまえばどうなるか。「哲学」という字を見て、それは Philosophy の訳語だとは思っても、周濂渓の『通書』という文脈を想起することはなくなります。西先生は、そうした事態になることを懸念していたのでしょうか。
これは推測に過ぎませんが、現在、外来語を単にカタカナで音写して済ませることの多くなった一つの要因は、もしかしたら、私たちが漢文の素養を失ってしまったことにあるのかもしれません。