歴史を彩った洋楽ナンバー ~キーワードから読み解く歌物語~

第100回 Love Me Tender(1956/全米No.1,全英No.11)/ エルヴィス・プレスリー(1935-1977)

2013年9月25日
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●歌詞はこちら
//www.lyricsfreak.com/e/elvis+presley/love+me+tender_20049149.html

曲のエピソード

アメリカのポピュラー・ミュージック史上における最高のスーパースター、空前絶後のアイドル、前代未聞のセンセーション、不世出のアーティスト、稀代のシンガーにして超売れっ子映画俳優…etc.。アメリカ中を、否、世界中を熱狂の渦に巻き込んだエルヴィス・プレスリー(生きていれば今年で78歳)に似つかわしいキャッチ・フレーズを自分なりにいろいろと思い浮かべてみたものの、どれも一長一短。かと言って、それらを組み合わせるととてつもなく長いキャッチになってしまう。そこでふと思いついたのが次の言葉。“現象”。エルヴィスが大手レーベルRCAと契約を結び、本格的なデビューを果たしたのは1956年のこと。それ以前はR&B系アーティストを多く擁していたメンフィスのインディ・レーベル、Sun Recordsから計5枚のシングル盤をリリースしているが、彼がそれまでのポピュラー・シンガー(とりわけ男性シンガー)のありようを根底から覆し、“エルヴィス・プレスリー”というかつてないほどに巨大な“現象”になったのは、RCAと契約してからのことである。RCA移籍第一弾シングル「Heartbreak Hotel(邦題はカタカナ起こし/以下、日本語を記していない曲の邦題は全てカタカナ起こし)」(全米No.1/ダブル・プラチナ・ディスク認定)が1956年3月に全米TOP40圏内にチャート・インするや、彼は瞬く間に時代の寵児となった。同曲を皮切りに、この年だけで計5曲もの全米No.1ヒットを放っている(注:「Don’t Be Cruel(邦題:冷くしないで/※“冷たく”ではない)」と「Hound Dog」は両A面扱い)。

ただ単に本格的デビューと共に全米チャートの頂点に立ったわけではない。驚くのは、首位に就いていた期間である。「Heartbreak Hotel」は8週間にわたってNo.1の座を死守した。「Don’t Be Cruel」に至っては、何と11週間にもわたって首位の座に君臨したのである(アメリカ国内だけで400万枚以上の売り上げを記録)。エルヴィスが持つこの記録は、本連載第5回目で採り上げたホイットニー・ヒューストンの「I Will Always Love You」(1992/やはり400万枚以上の売り上げを記録)が全米チャートで14週間にわたってNo.1の座を守って大ヒットするまで、何と36年間も破られることはなかった。1956年は、まさにエルヴィスのための一年だった、と言っても決して過言ではないだろう。

そして連載第100回目となる今回は、“アメリカのポピュラー・ミュージック原点回帰”というテーマを勝手に掲げてエルヴィスを採り上げてみた。もちろん、筆者も彼のデビュー当時をリアルタイムで知っているわけではないし(第一、生まれていない)、当時の人々の熱狂ぶりを直に知っているわけでもない。それでも“エルヴィス・プレスリー”という名前と独特の朗々とした歌声と唱法、加えて派手なステージ衣装やパフォーマンス(1970年代以降の映像などで目にした)は、一度触れたら二度と記憶からは消えない。それほど彼の存在は強烈な印象を人々に残した。エルヴィスと聞いて、筆者が真っ先に思い浮かべる曲は「Love Me Tender」(全米チャートで5週間にわたってNo.1/トリプル・プラチナ・ディスク認定)である。その最たる理由は、最初のフレーズで歌われるタイトル部分。初めてこの曲の歌詞を耳で認識したのは(当然ながらFEN=現AFNで聴いた/苦笑)、英会話教室に通っていた小6の頃だったと思う。どうもヘンだと思ったのだ。タイトルとそれと同じフレーズの歌い出し部分。“tender”って形容詞だけど副詞にもなるのか、と。引っ掛かる。どうしても引っ掛かる。これが“故意なんじゃないのか”と思ったのは、ずっと大人になってからのことだ。

なお、この曲は同名映画の主題曲でもあり、エルヴィス自身にとっての初主演作でもあった。わずか4曲入りの映画オリジナル・サウンドトラック盤のうちの1曲。まだレコードが贅沢品であり、10曲近く収録されているLPに庶民の手が届かなかったことを想像させるEPだ。これ以降、彼は“歌って演じるエンターテイナー”として、留まるところを知らない頂点へと上り詰めて行く。

曲の要旨

優しく、とろけるように僕を愛してくれ。僕のことを死ぬまで離さないで。君のお蔭で僕の人生はバラ色なんだ。誠実な心で、いつまでも僕のことを愛してくれよ。僕の夢をひとつ残らず叶えて欲しい。君のことを心の底から愛しているからさ。僕を包み込むように愛してくれよ。君が僕だけのものになってくれたら、僕は死ぬまで君のものさ。

1956年の主な出来事

アメリカ: アラバマ大学に設立以来初のアフリカン・アメリカン学生が入学し、大論争に発展。
日本: 鳩山一郎首相がソヴィエト連邦を訪問し、日ソの国交が復活する。
世界: エジプト第二代大統領にガマール・アブドゥル=ナセル(1918-1979)が就任。

1956年の主なヒット曲

The Great Pretender/プラターズ
Heartbreak Hotel/エルヴィス・プレスリー
I Almost Lost My Mind/パット・ブーン
Don’t Be Cruel/エルヴィス・プレスリー
Hound Dog/エルヴィス・プレスリー

Love Me Tenderのキーワード&フレーズ

(a) love me tender
(b) make someone’s life complete
(c) for 〜

“知っているのに知らない”――一見、矛盾するようだが、洋の東西を問わず、現代の30〜40代の(もしかすると50代前半も含めた)人々にとってのエルヴィス・プレスリーとは、そういう存在なのではないだろうか。“名前は知ってる”、“ちゃんと聴いたことがないけど、何曲か耳にした記憶はある”といったような曖昧模糊とした記憶。筆者はエルヴィスの若かりし頃を知らないが、恰幅のいい体格になり、モミアゲとド派手な衣装がトレードマークのようになっていた1970年代のエルヴィスならば、リアルタイムでの記憶がある。デビュー当初の勢いほどではないものの、彼の人気は1970年代になってもなお衰えず、世代をまたいでヒット曲を連発していたからだ。エルヴィス=ラスヴェガスでのショウ、というイメージを筆者が持ったのも、1970年代のことである。また、訃報が世界中で大々的に報じられたことも忘れられない。当初、年齢を重ねて太ってしまったエルヴィスを揶揄してか、“ドーナツの食べ過ぎで死んだ”という、今でいうところの“都市伝説”がまことしやかにささやかれたものだ。実際には、医師から処方されていた睡眠薬の服用法を誤ったがための不整脈が死因だったという。そこで筆者は、奇妙な符合に気が付いた。エルヴィスの愛娘リサ・マリーと結婚し、後に離婚した、かのマイケル・ジャクソン(1958-2009)の死因も、それと似ていなかったか、と。マイケルを「世界一じゃなく宇宙一の有名人」と呼んで、その境遇に同情したのは俳優のエディ・マーフィだったが(蛇足ながら、エディはエルヴィスの大ファン。コメディアンだった頃はよくパフォーマンスの物真似をしていた)、世の人々に崇められるエルヴィスやマイケルのような“超”をいくつ付けても付け足りないようなスーパースターには、余人には計り知れない深い心の闇があるのだろう。

エルヴィス・プレスリーと聞いて、真っ先にどの曲を思い浮かべるか。筆者は最も間近な人間の家人にこの質問をぶつけてみた。返ってきた答えは「Jailhouse Rock(邦題:監獄ロック)」(1957/全米チャートで7週間にわたってNo.1/ダブル・プラチナ・ディスク認定)。なるほど、男性陣には同曲が好まれるかも知れない。そしていざ、筆者が自問自答してみると、これがすんなりと思い浮かばないのだ。何せ、1956年だけでも5曲もの全米No.1ヒットを放っているし、たとえ全米チャートの首位を獲得できなかった曲でも、すぐにエルヴィスのそれと判る曲は他にも何曲か知っている。エルヴィスに対するそうした曖昧な知識や認識を指して、“知っているのに知らない”と言い表してみた。筆者もまた、エルヴィスのことを知っているようで知らないから。

これは後追い情報だが、エルヴィスが若い世代を中心に大人気を博していた頃、TV番組に出演してセクシーに“腰を振る”のはご法度だった。今ならどうってことのない所作だが、意外に保守的な1950年代半ば過ぎのアメリカでは、“風紀を乱す”として許されない行為だった、とモノの本で読んだ記憶がある。ために、TV番組の出演時(当時はほとんどが生放送)、カメラマンはエルヴィスの上半身しかブラウン管に映さなかった、と。そう言われてみれば、古いアメリカの娯楽番組や音楽番組の映像を動画サイトなどで観てみると、確かにエルヴィスの“セクシーな腰振り”は余り映し出されていない。エルヴィスは当時の大人たちにとって“脅威”だった。リーゼント頭の腰振りハンサム青年が、この国を変えてしまうのでは、という漠たる不安と恐怖。そしてちょっぴりの期待。次第に、眉をひそめていた大人たちもエルヴィスに惹かれてゆく。そうでなければ、当時まだ贅沢品だったレコードが、あそこまで売れる道理がない。

前置きが長くなってしまったが(ふーっ。エルヴィスはまるで巨大な偉人の像のよう)、曲のエピソードでも述べたように、この曲のタイトルと歌い出し部分の(a)がどうしても耳に引っ掛かる。ハッキリ言ってしまえば、これは“正しい英語”ではない。何故なら、(a)にある“tender”はあくまでも形容詞であって、副詞の“tenderly”の役割を果たさないからだ。中には、形容詞でありながら、副詞の役割も果たす単語もある。ラヴ・ソングに頻出するフレーズを拝借して例を挙げてみると――

♪Love me right.
♪Kiss me sweet.
♪Hold me tight.

これらは、いずれも形容詞を副詞として用いている例。ある時、筆者はふと気づいた。エルヴィスが歌う♪Love me tender… の“tender”は、“tenderly”が正しいのだ、と。そのことに気付いたのは随分と前のことだが、焦って辞書で調べたものだ。“tender”なんて簡単な単語だと侮ることなかれ。そこには「優しい」の他に、以下のような意味も潜んでいる(以下、三省堂『ウィズダム英和辞典 第3版』より抜粋)。

tender (a)
1. 〈肉・野菜などが〉柔らかい、かみやすい
2. 〈体の一部が〉敏感な、華奢な
3. 〈人・行動などが〉優しい、愛情のこもった(loving)

エルヴィスがいわんと(歌わんと)しているのは3.の意味だが、筆者は、「このお肉、柔らかいわねぇ!」と言いたい時に“tender”で表現する、というのを、遥か昔に辞書で同単語を調べて初めて知った。どんなに耳慣れた単語でも、一度は辞書で調べる。そういう癖は、洋楽を通じて身に着いたのかも知れないと、今にして思う。

そして異なる辞書には、驚くべき発見が…(以下、研究社『リーダーズ英和辞典 第3版』より抜粋)!

tender (adv)
〈〈口〉〉優しく、そっと:Love me tender. 優しく愛して.

ご参考までに言うと、この“tender”の口語的な副詞としての意味は、同辞書第2版には載っていない。問い合わせてみたところ、第3版を編纂する際に、第2版を愛用している読者(男性、念のため)から、エルヴィスの「Love Me Tender」を例に出し、“tender”の副詞的用法を載せてもいいのではないか、という意見が寄せられたのだという。そしてその意見が、第3版に反映されたとの由。そのエピソードを聞いて、筆者の目頭は熱くなった。そうだ、辞書とは、そうやって育っていくものなんだと、しみじみ思った瞬間である。“言葉は生き物”――これは筆者の座右の銘のひとつだが、エルヴィスが歌った「愛して優しい(直訳/苦笑)」転じて「優しく愛して」は、じつに56年の歳月を経て、ようやく陽の目を見たのだった。思うに、(a)の言い回しは、耳目を集めるための確信犯的フレーズだったのではないだろうか? もしそうだとしたら、その作戦が見事奏功したことになる。してやられた、というわけだ。(a)の言い回しがアメリカの若者を中心に大流行したであろうことは、想像に難くない。

(b)は、ラヴ・ソングに数え切れないほど登場する言い回し。筆者自身、これまで何度この言い回しを訳してきたのか憶えていないし、数えたいとも思わない。直訳するなら「〜の人生を完璧なものにする」だが、それではやはりつまらない。曲の要旨では“complete=バラ色”と意訳してみたが、その意訳は、“life”という目的語があってこそ成り立つ。例えば、「〜の人生を満ち足りたものにする」、「〜の人生を幸せなものにする」でもいいだろう。少なくとも筆者は(b)を「完璧なものにする」と直訳した記憶はない。

日本語でいうところの「…というのは」、「…だから」、「何故かというと…」を言い表す英語は“because”だけではない、というのは、みなさんも先刻ご承知のところ。(c)を初めて英語の教科書で習った時、筆者はかなり違和感を覚えたものだが、(c)同様に“because”と同じ意味で使われることもある“since”などを英語の授業で学ぶにつれ、それぞれの単語の違った用い方にも興味が湧き、辞書で品詞を調べるのもまた楽しくなったものだ。辞書引きの癖は、間違いなく洋楽がもたらしてくれた得難い宝物だと、心からそう思うことが日々の生活の中で何度もある

エルヴィス・プレスリーが亡くなって今年で35年(享年42。余りに早過ぎる死だった)。筆者は彼のデビュー時の人々の熱狂と、そこから繰り出される熱波を受けることのできない世代に生まれてしまったが、洋楽を愛する者として、彼は決して、決して避けては通れない存在である。今回、こんなにも長文になってしまったことが、何よりの証拠(苦笑)。

男性シンガーの“腰振り”など、今では珍しくも何ともないし、電信柱のように突っ立って微動だにせずに歌われると、却ってその男性シンガーに何か問題でもあるのではないか、と疑われかねない世の中だ。しかしながら、女性の黄色い声(←死語?)を引き出さずにはおかない小刻みでセクシーな腰の揺れと、鼻から突きぬけて行くような溜め息交じりの官能的な歌い方のルーツは、間違いなくエルヴィスにあると、数年ぶり(数十年ぶり?)に、「優し“く”愛して」を聴いて、得心した次第である。Long live Elvis!

筆者プロフィール

泉山 真奈美 ( いずみやま・まなみ)

1963年青森県生まれ。幼少の頃からFEN(現AFN)を聴いて育つ。鶴見大学英文科在籍中に音楽ライター/訳詞家/翻訳家としてデビュー。洋楽ナンバーの訳詞及び聞き取り、音楽雑誌や語学雑誌への寄稿、TV番組の字幕、映画の字幕監修、絵本の翻訳、CDの解説の傍ら、翻訳学校フェロー・アカデミーの通信講座(マスターコース「訳詞・音楽記事の翻訳」)、通学講座(「リリック英文法」)の講師を務める。著書に『アフリカン・アメリカン スラング辞典〈改訂版〉』、『エボニクスの英語』(共に研究社)、『泉山真奈美の訳詞教室』(DHC出版)、『DROP THE BOMB!!』(ロッキング・オン)など。『ロック・クラシック入門』、『ブラック・ミュージック入門』(共に河出書房新社)にも寄稿。マーヴィン・ゲイの紙ジャケット仕様CD全作品、ジャクソン・ファイヴ及びマイケル・ジャクソンのモータウン所属時の紙ジャケット仕様CD全作品の歌詞の聞き取りと訳詞、英文ライナーノーツの翻訳、書き下ろしライナーノーツを担当。近作はマーヴィン・ゲイ『ホワッツ・ゴーイン・オン 40周年記念盤』での英文ライナーノーツ翻訳、未発表曲の聞き取りと訳詞及び書き下ろしライナーノーツ。

編集部から

ポピュラー・ミュージック史に残る名曲や、特に日本で人気の高い洋楽ナンバーを毎回1曲ずつ採り上げ、時代背景を探る意味でその曲がヒットした年の主な出来事、その曲以外のヒット曲もあわせて紹介します。アーティスト名は原則的に音楽業界で流通している表記を採りました。煩雑さを避けるためもあって、「ザ・~」も割愛しました。アーティスト名の直後にあるカッコ内には、生没年や活動期間などを示しました。全米もしくは全英チャートでの最高順位、その曲がヒットした年(レコーディングされた年と異なることがあります)も添えました。

曲の誕生には様々なエピソードが潜んでいるものです。それを細かく拾い上げてみました。また、歌詞の要旨もその都度まとめましたので、ご参考になさって下さい。