電話番号の②の読み方
ところで電話の市外局番を書くときにも、丸付き数字を使って、②のように書くことがある。読者に問いたいが、手書きで自分で書いたことはあるだろうか? 筆者は書いた覚えがない。国立民族学博物館(民博)の梅棹忠夫データで、名刺に手書きの縦書きで「自宅 電㊺六七八九」のように書き足してあるのを見た(番号は架空)。戦後1963年のものだが、局番であることを示すのに丸を使ったという確たる証拠である。
では、(2)や②の付く電話番号を(電話などで)人に伝えるときは、どう読むだろうか?「(2)4789」「②4789」だとしたら「にの よんななはちきゅう」のように読むだろう。せっかくかっこや丸の付いた数字を使ったのに、読み上げでは無視する。そういえば箇条書きの②も、「まるに」と読んだり、単に「に」と読んだりする。
実は電話番号の②は関東大震災のあと、東京の電話網の抜本的な復旧の際に、局名でなく局番を普及させた段階で広がった。(2)(二)とも書いたが、活字の字数が増えることと、まぎらわしいことから、算用数字2の丸付き数字に替わった。
丸付き数字は、電話網が発達した関西にも広がったが、1961年に東京の局番が3桁になり、東京では活字の世界から遠ざかった。しかし1970年代に、②六七八九のような書き方が全国に広がった。さらに市外局番を添えるようになり、地方では012③4567のような書き方が使われた。東海地方では012<34>5678のように山括弧を使う書き方も現れた。
しかしその後012-34-5678のような二つハイフンが全国に広がった。郵便番号が3桁から7桁になり、アラビア数字で123-3100のように書くようになったのと時期が一致する。その後電話の局番が長くなり、市外局番に吸い込まれて、0123-4-5678から012-34-5678になり、さらに01-234-5678のようになり、局番に丸数字は使いにくくなり、今は二つハイフンが当たり前である。
0120で始まる番号の後半の区切り方は多様である。-221000(架空)とするか、-22-1000とするか、-221-000とするか、-22-10-00とするかは、唱え方と記憶の仕方で、経済効果が違うことから、選んでいるらしい。携帯電話番号の090-や080-で始まる番号では、090-1234-5678のように4桁ごとに区切ることもあるが、(かつての市外局番と違って)電話をかける動作には関係ない。電話番号の丸付きやかっこ付きの書き方は、もう昔話である。
どう読み上げるかは、文書で知るのは難しいが、放送などで確認できる。日本語では電話番号のハイフンは「の」と読むと思っていたが、音声でポーズを置くだけが多いようだ。一般人が黒電(いえ電)の番号を読むときには、「の」を入れるだろうか。通販コマーシャルで、0120-22-1000(架空)を「ゼロイチニイゼロ、ニイニイノイッセンバン」と叫ぶのを聞くことがある。記憶に残りやすいように配慮しているのだろう。
数字や記号の読み上げ方は、記録に残りにくい。辞書や日本語教科書でも扱わないことがある。街角の言語景観としての電話番号は、国により時期により多様なので、研究が進んでいるが、視覚情報だけでなく、聴覚情報も入れると、さらに考察が広がり、深まる。
箇条書き
昔は、箇条書きにするときは、数字の「一」を並べるだけだった。街角の高札は江戸時代の浮世絵などに景観として描かれており、博物館・資料館などに実物が展示してあるが、箇条書きは数字の「一」を並べてある。明治政府の「五箇条の御誓文」でも、漢数字の「一」を並べるだけで、二、三のような通し番号にはしていない。どう読んだかの証拠は文字に記さないから残りにくいが、記憶によると「ひとつ」・・・・「ひとつ」・・・・「ひとつ」・・・・と和語(やまとことば)で読んでいた。
その後箇条書きに順番を付けて、「一、二、三・・・」と書くことが多くなり、読み方は漢語の「いち、に、さん、し(よん)」だった。
日本語は漢字の読み方が、音読みと訓読みがあり、その中にも多種類あるので、振り仮名が発達した。しかし数字には振り仮名を付けない。だから数字をどう読んだか、分からないことがあるが、10年ほど前からセンター試験の監督の読み上げ文に「理科①(まるいち)」のようにふりがなが付いた。しかし話題が広がりすぎるので、ここでは略する。
学問的位置づけ
なぜ山形県で「いちかっこ」が広がったのか、手がかりがつかめた。加藤大鶴氏の見つけた片括弧 1) が有力な手がかりだ。学術論文で章立てに使うこともあるらしいが、当時、原稿の読み合わせのときにどう読んでいただろう。
このテーマは、日本語史の研究(書記史)の一部だし、地域差があるから、方言学の研究対象でもある。文字論は、日本では漢字を主な研究対象にするが、表意文字の典型としての数字も、それに隣接する記号も、記号論の対象として興味を引く。古文書学の文字の研究範囲に入るし、言語景観研究の対象でもある。外来語や外来発音と並んで、近代日本社会の西欧化・グローバル化の象徴でもある。
加藤大鶴氏によると、「同僚の方から、そんなつまんないことやってどうするの、というようなことを言われて、そこでなんだか意気消沈して調査を辞めてしまった」そうである。これを読んで、思わず吹き出してしまった。大上段にふりかぶって天下国家を論じるわけでもないので、そんな否定的見方もできるだろう。しかし文字(かっこなどの記号)の書き方の変化(近代化)と読み方の地域差発生、さらに学校教育(師範学校)の偉大な力を実証する動きが、見えたわけだ。
「いちかっこ」が今インターネットやマスコミで話題になっていることを知ったら、「つまんないこと」と言った加藤大鶴氏の元同僚は、今どう言うだろう。