前回は最後に「対語(たいご/ついご)」についてふれたが、具体例を1つしか挙げられなかったので、今回はその続きのようなかたちで述べてみたい。前回も述べているが、「対語」とは「対(つい)になっていることば」である。「カクダイ(拡大)」と「シュクショウ(縮小)」は語義が「反対」であるので、「反対語/対義語」などと呼ばれる。「反対語/対義語」も2つの語が対(つい)になっているので、「対語」であるが、語義が「反対」になっていなくても、「ヤマ(山)」「カワ(川)」のように対になっている語はある。前回は「ヒヤヤッコ(冷奴)」の対語として「アツヤッコ」があるという話題だった。これと似たケースとして「ヒヤムギ(冷麦)」と「ヌクムギ(温麦)」がある。『日本国語大辞典』には次のように記されている。
ぬくむぎ【温麦】あたためたつゆに入れて食べる麺類。冷麦(ひやむぎ)に対していう。
ひやむぎ【冷麦】細打ちにしたうどんを茹(ゆ)でて水で冷やし、汁をつけて食べるもの。夏時の食糧とする。ひやしむぎ。
上では、積極的に「↔」符号をもって両語が「対語」であることを示してはいないが、「ぬくむぎ」には「冷麦(ひやむぎ)に対していう」とあって、現代も食べ物として存在し、したがって語としても存在している「ヒヤムギ」によって「ヌクムギ」を説明しようとしている、と思われる。それに呼応するように、「ひやむぎ」の説明は「ぬくむぎ」の説明よりも具体的で、かつ「ぬくむぎ」を参照させようとはしていない。「対」といっても、実際には両語がまったく「均衡」を保っていることはむしろ少ないように思われる。これも言語のおもしろいところだ。
山形県山形市にある立石寺は「山寺」と呼ばれる。松尾芭蕉が「閑さや岩にしみ入る蟬の声」という句をつくったといわれている所だ。この場合の「山寺」は一般名詞のような固有名詞のような趣きがあるが、「山寺の和尚さん」というような時の「ヤマデラ」は一般名詞である。『日本国語大辞典』では「ヤマデラ」の語義を「山にある寺。山の中の寺院。さんじ」と説明している。さて、この「ヤマデラ」の対語は? 先には「ヤマ(山)」と「カワ(川)」とが対になる、と述べたが、この場合は「ノ(野)」が対になる。『日本国語大辞典』には次のような見出し項目がある。
のでら【野寺】(山寺に対して)野中にある寺。
上でも「↔」符号は使われていないが、「ヤマデラ」と対になっていることが記されている。ある(よく使われている)語を一方に置いて新しい語ができあがる場合、最初からあった(よく使われている)語が何であったかによって、「対」の形成のされかたも異なってくる。
斎藤茂吉に次のような短歌作品がある。
楢(なら)わか葉照りひるがへるうつつなに山蚕(やまこ)は青(あを)/く生(あ)れぬ山蚕は
大正2(1913)年に東雲堂から出版された第一歌集『赤光』に収められている作品だ。塚本邦雄は『茂吉秀歌 『赤光』百首』(1977年、文藝春秋)において、茂吉の「この昆虫への愛著は顕著である」(148ページ)と述べている。
『日本国語大辞典』は「ヤマコ(山蚕)」を「昆虫「くわご(桑蚕蛾)」の異名」と説明し、使用例として先に示した斎藤茂吉の短歌作品をあげている。『日本国語大辞典』は飼育種である「(カイ)コ(蚕)」に対しての「ヤマコ」であると積極的には説明していないが、語構成上はそのようにみえる。また、昆虫として追究すると、大型の蛾である「ヤマガイコ(山蚕)」も存在するようであるが、それはそれとする。
語構成に話を戻せば、他にも、シャクヤク(芍薬)に似て山に生えるものを「ヤマシャクヤク」、山野に生えるツツジを「ヤマツツジ」と呼ぶなど、類例は少なくない。ちなみにいえば、現在は絹糸の元となる繭をつくる昆虫は「カイコ」であるが、これは「飼い蚕(こ)」で、「コ」という昆虫を飼い慣らしたものが「カイコ(飼蚕)」である。『万葉集』巻第12、2991番歌の「垂乳根之母我養蚕乃眉隠」と書かれている箇所は現在、「たらちねのははがかふこのまよごもり」と読まれている。つまり『万葉集』の頃にすでに養蚕が行なわれていたということだ。
「ノ(野)」と「ヤマ(山)」とが対になったり、飼育種に対して、「ヤマ」が対になったり、「カワセミ」という鳥に対しては「ヤマセミ」がいて、この場合であれば「ヤマ(山)」と「カワ(川)」とが対になったりと、対語の「対」もさまざまだ。
ヤマネという小動物をご存じだろうか。『日本国語大辞典』には次のようにある。
やまね【山鼠】𪘂歯目ヤマネ科の哺乳類。体長約七センチメートル。ネズミに似ているが尾が長く長毛を有する。(中略)冬は木の穴などで体をまるめて冬眠し、刺激を与えても容易に目をさまさない。本州以南の山林に分布する日本の固有種。(下略)
「ヤマネ」の「ヤマ」は〈山〉であろう。「ネ」は〈ネズミ〉のはずだ。ネズミはもともと野原にいるものだとすると、それをわざわざ「ノネ(野鼠)」という必要はない。『日本国語大辞典』は〈野鼠〉という語義をもつ「ノネ」を見出し項目としていない。それはそういうことだろう、などと想像する。しかし「ノネズミ」という語はある。『日本国語大辞典』は「ノネズミ」の対語として「イエネズミ(家鼠)」をあげている。複雑になってきた。しかしこうやって、例えば「対語」という概念をもとにあれこれと考えてみるということは楽しいことだと思う。
最後に1つ。『万葉集』の歌人に「山辺赤人(やまべのあかひと)」という人物がいることはご存じだろうと思う。江戸後期の狂歌師、斯波孟雅(しばたけまさ)(1717~1790)は色黒だったので、「浜辺黒人(はまべのくろひと)」を号としたとのこと。いやはやふざけた対語ではないか。こんなことも『日本国語大辞典』を読むとわかる。
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※特に出典についてことわりのない引用は、すべて『日本国語大辞典 第二版』からのものです。引用に際しては、語義番号などの約物および表示スタイルは、ウェブ版(ジャパンナレッジ //japanknowledge.com/)の表示に合わせております。