専門用語が引き起こすよくある問題のタイプに,日常語の意味との混同があげられます。
同じ語形でありながら,専門家が使う意味と,日常語で使われている意味とが,ずれている場合に,この問題が起こります。一見,当たり前の言葉でよく起こるので,厄介です。
弁護人:「合理的な疑いが残る場合は,有罪にしてはいけません」
このようにして使われる「合理的な疑い」は,裁判の基本概念の中でもとりわけ重要なものです。検察官の主張する,有罪であることの証明が,十分に確かかどうかを判断するときの考え方を表す言葉です。検察官の証明の手続きに,何らかの疑問点が残る場合は,有罪とする根拠がなくなるということを意味しています。
ところが,この言葉は,一般市民にとっては,とてもわかりにくいものです。わかりにくさの原因のひとつは,「合理的」という用語で表されている内容にあります。検察官の証明に厳密さを求める程度は,いったいどれぐらいなのか,ということの判断が難しいことにあります。ただ,これは言葉の難しさではなく,裁判の理念の難しさです。一方,別の原因として,言葉が引き起こしている問題が確かにあります。それは,「疑い」という用語にあります。
「合理的な疑い」という部分だけを聞き取ると,裁判員は,被告人が間違いなく犯人であることの疑い,という意味に誤解してしまうおそれがあるのです。これは,「疑い」という日常語が,悪いことだと怪しむことを意味しがちであることによるものです。検察官の証明の手続きを疑うのではなく,被告人の悪事を疑ってしまうわけです。
被告人に向けられた疑いの思いは,勢い,「合理的」という用語を,理の当然,間違いなく,という意味に解釈させてしまうことになるのです。このように,「疑い」という言葉は,疑う対象を取り違え,正反対の判断に導きかねない,危険な言葉であるわけです。
では,どうすればよいのでしょう。「疑い」の類義語に,「疑問」があります。日常語における「疑問」は,悪事として怪しむ意味合いが,「疑い」ほど強くはありません。はっきりしないことや,よくわからないことを,問いに発することという意味でもよく使われます。検察官の証明手続きにはっきりしない点が残っていないかをチェックする意味を表すには,「疑い」よりも「疑問」の方が,適切です。「合理的な疑問」と言い換えて,「合理的」の部分は,考え方を丁寧に説明するのがよいでしょう。
このような,一見何でもない言葉が,日常語の影響で誤解されてしまう事例は,少なくないと考えられます。日常語に開かれた法廷用語を確立するためには,日常語の語感で専門用語を点検してみる作業が大切になるでしょう。