サイバン語と日常語の間―法廷用語言い換えコトハジメ

「合理的な疑い」は,間違いなく犯人であることの疑い?

筆者:
2008年5月4日

専門用語が引き起こすよくある問題のタイプに,日常語の意味との混同があげられます。

同じ語形でありながら,専門家が使う意味と,日常語で使われている意味とが,ずれている場合に,この問題が起こります。一見,当たり前の言葉でよく起こるので,厄介です。

  弁護人:「合理的な疑いが残る場合は,有罪にしてはいけません」

このようにして使われる「合理的な疑い」は,裁判の基本概念の中でもとりわけ重要なものです。検察官の主張する,有罪であることの証明が,十分に確かかどうかを判断するときの考え方を表す言葉です。検察官の証明の手続きに,何らかの疑問点が残る場合は,有罪とする根拠がなくなるということを意味しています。

ところが,この言葉は,一般市民にとっては,とてもわかりにくいものです。わかりにくさの原因のひとつは,「合理的」という用語で表されている内容にあります。検察官の証明に厳密さを求める程度は,いったいどれぐらいなのか,ということの判断が難しいことにあります。ただ,これは言葉の難しさではなく,裁判の理念の難しさです。一方,別の原因として,言葉が引き起こしている問題が確かにあります。それは,「疑い」という用語にあります。

「合理的な疑い」という部分だけを聞き取ると,裁判員は,被告人が間違いなく犯人であることの疑い,という意味に誤解してしまうおそれがあるのです。これは,「疑い」という日常語が,悪いことだと怪しむことを意味しがちであることによるものです。検察官の証明の手続きを疑うのではなく,被告人の悪事を疑ってしまうわけです。

被告人に向けられた疑いの思いは,勢い,「合理的」という用語を,理の当然,間違いなく,という意味に解釈させてしまうことになるのです。このように,「疑い」という言葉は,疑う対象を取り違え,正反対の判断に導きかねない,危険な言葉であるわけです。

では,どうすればよいのでしょう。「疑い」の類義語に,「疑問」があります。日常語における「疑問」は,悪事として怪しむ意味合いが,「疑い」ほど強くはありません。はっきりしないことや,よくわからないことを,問いに発することという意味でもよく使われます。検察官の証明手続きにはっきりしない点が残っていないかをチェックする意味を表すには,「疑い」よりも「疑問」の方が,適切です。「合理的な疑問」と言い換えて,「合理的」の部分は,考え方を丁寧に説明するのがよいでしょう。

このような,一見何でもない言葉が,日常語の影響で誤解されてしまう事例は,少なくないと考えられます。日常語に開かれた法廷用語を確立するためには,日常語の語感で専門用語を点検してみる作業が大切になるでしょう。

 

筆者プロフィール

田中 牧郎 ( たなか・まきろう)

国立国語研究所言語問題グループ長。専門は日本語学(語彙論・日本語史)。
「公共的コミュニケーションの円滑化のための調査研究」の一環として、わかりにくい外来語をわかりやすくする「外来語の言い換え提案」にもかかわる。また、「日本語コーパス」の言語政策班班長として「語彙表・漢字表等の作成と活用」なども研究課題とする。2005年より「法廷用語の日常語化に関するプロジェクトチーム」委員。

編集部から

来年から始まる裁判員制度。重大な刑事裁判に一般市民が裁判員として参加し、判決を下す制度です(⇒「裁判員の参加する刑事裁判に関する法律」)。
もし突然裁判員になったら……さまざまな不安が想像されます。自分以外にもっとふさわしい人がいるじゃないか、とは言っていられません。
不安な要素の一つとして、法廷で使われることばがわからなかったら、裁判の内容がわからなかったり、正しい判断ができないのではないか、ということが挙げられると思います。
日本弁護士連合会では「法廷用語の日常語化に関するプロジェクト」を発足、「これまで法律家だけが使ってきたことば、法廷でしか使われないことばを見直し、市民のみなさんが安心して参加できる法廷を作ろう」と、検討が重ねられてきました。
その報告書とともに、法律家向けに『裁判員時代の法廷用語』、一般の方向けに『やさしく読み解く裁判員のための法廷用語ハンドブック』の2冊が刊行されました。
ぜひこれを皆さまにご紹介したいと思い、このたびプロジェクトチームの方々からご寄稿いただいております。次回は法言語学の専門家からです。