今回から、二つめの項目「第二 學術技藝 Science and Arts」に入ってゆきます。
この見出しは、西先生によるものか、講義を聴講して筆記した永見氏によるものかは不明ですが、Artsのほうだけ複数形になっています。講義の内容からすると、Scienceのほうも複数形にして、Sciences and Artsとしてみたくなるところです。「乙本」では、見出しにこそしていないものの、やはり「學術技藝」という言葉が、洋語のScience and artを指していることが述べられています。こちらはartも単数形です。
それはさておき、本文を読みましょう。
學の字の性質は元來動詞にして、道を學ふ、或は文を學ふとか、皆な動詞の文字にして、名詞に用ゆること少なし。實名詞には多く道の字を用ゆるなり。學の字は元ト師の兒童に教ゆるの辭義にして、則ちの如く師の兒童を保護し教ゆるの形なり。漢太古は道藝の二字を以てし、後に至りて道を行くの行字より生する所の術の字を用へり。學と道とは同種のものにして、我か本朝には和歌の學といはすして和歌の道、或は文{フミ}學ヒの道と云へり。
(「百學連環」第2段落第1~5文)
{ }内は振り仮名
つづいて訳を掲げます。
「学」という字は、もともと動詞であり、「道を学ぶ」とか「文を学ぶ」というように、動詞として用いる文字であって、名詞として使うことは少ない。名詞としては多くの場合、「道」という字を使う。「学」という字は、先生が児童に教えるという意味であり、「」という字そのものが表しているように、先生が児童を保護して教えるという形をしている。古代中国では「道藝」という二文字で表し、後になって「道を行く」という字の「行」の字から生じた「術」という字を使った。「学」と「道」は同じ種類のもので、日本では従来「和歌の学」とは言わず、「和歌の道」や「文学びの道」と言った。
「学術技芸」について論ずるにあたって、まずは字の来歴から確認しようというわけです。私たちが日本語で用いている漢字は、中国から借用してきたものですから、その元を辿ろうと思えば、話は自ずと古代中国語へと遡ることになります。この道は、古代漢字学の研究、金文や甲骨文字の研究へとつながっています。
ここで西先生は、とても大切なことを指摘しています。つまり「学」とは元来動詞だということです。「学ぶ」と書けば、誰もが動詞であると受け止めるところですが、「学術」や「学問」といったように漢語で記す場合、どうしても動詞的な側面が見えなくなりがちです。
これはあくまでも私が懐いているイメージに過ぎませんが、動詞が名詞になると、なんだか生きて飛んでいたチョウが標本にされて動きを止めるように、本来具えていた動きを失うか、見えづらくしてしまう、そんな気がします。例えば、「学び問う(学んだうえでなお分からないことを問う)」と言うのと、「学問」というのとでは、かなり印象が違わないでしょうか。この感じを言い方を換えると、動詞には動きや運動が持続する時間の要素があるけれど、動きを抜き取られた名詞では時間が止まって、いっそう抽象度合いが高まると言いましょうか。
そういえば、安田登さんの『古代中国の文字から身体感覚で『論語』を読みなおす。』(春秋社、2009)から教えられて目から鱗が落ちたことがあります。同書は、身体という観点から漢字を捉え直し、その観点から『論語』を読み直そうという試みですが、そうした観点から見ると「學」の字はどう見えるか。「學」という字の古い形では、人が子どもに向かって両手を伸ばすような姿をしています。つまり、「両手を使って、学校のようなところで、子弟に手取り足取り何かを教える」(同書、5-6ページ)という、まさに動きが示されているわけです。しかも、先生と子どもという二人の人が関わり合う動きです。
さて、名詞として「学ぶ」ということを言う場合、むしろ「道」の字を使ったという指摘について、少し補足しておきましょう。平安時代の学制を見ると、「明経道」「文章道」「紀伝道」「明法道」「算道」「書道」「音道」といった各首の「道」があります。これは、当世風に言えば「学」あるいは「学科」となりましょうか。桃裕行『上代學制の研究』(目黒書店、1947)などを見ると、この辺りがどうなっていたのか、詳しいことが分かります。西先生が「学」と「術」は同じ種類のものだというのは、このような意味でありました。なお、「道」については、「方法」という言葉との関係もあって面白いのですが、これはまた後にコメントすることにします。
「術」については、続くくだりで論じられますので、そこで検討しましょう。
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漢=漢(U+FA47)
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