「百学連環」を読む

第26回 術・技・藝の原義

筆者:
2011年9月30日

「學術技藝」の説明を始めるにあたって、西先生は「學術技藝」それぞれの字の検討から始めたのでした。前回は「學」を確認したところ。続いて「術」についてこう説明されます。

術の字は其目的となす所ありて、其道を行くの行の字より生するものにして、即ちの形ちなり都合克あてはめると云ふの義なり。

(「百學連環」第2段落第6文)

 

訳してみます。

「術」という字は、目的とするところがあって、そこへ向かう道を行くという字から生じるもので、という形をしている。これは「都合よく当てはめる」という意味がある。

前回、「學」のくだりでも「道」が出てきましたね。「術」とは目的に向かって「道」を行くことだという説明は、腑に落ちる感じがします。道があるということは、すでに先達が通った跡が残されているのでしょう。それは誰かがつけておいてくれた足跡を辿ることです。もっとも道なき場所に道を切り開こうという場合には、自分で術を編み出すことになるわけですが。

現在の辞書で「術」を引くと、「人が身につける技」とか「手段」「方法」といった意味が出ています。これとの関連で一つ面白いと思うのは、英語のmethodもまた道に関係する言葉であることです。

この語は、古典ギリシア語のμεθοδος(メトドス)に由来しています。由来するというより、それを音写したものであることが窺えますね。μεθοδοςは、μετα(メタ)とοδος(ホドス)を合成した語で、日本語では「方法」と訳されます。そして、合成される前のホドスは「道」や「旅」という意味を持ちます。また、メタはいろいろな意味を持つ前置詞ですが、ここでは「~にしたがって」と読めば、「メトドス」とは「道に沿ってゆく」という原義を持つと考えることができるのです。

これはたまさか連想したことに過ぎませんが、異なる文化において、「術」と「method」あるいは「μεθοδος」のように、「道に沿ってゆく」という似たような発想の言葉であることは、道というものが人類史や文化史において持っている意味を考えるうえでも存外重要なことであるかもしれません。ここに中国の思想でいう「道(タオ)」との関連も加えて、道の思想史を考えてみたいところです。しかし本題から外れすぎてしまいそうなので、ここでは我慢します。

さて、本文に戻ってもう少し見ておきましょう。こう続きます。

技は則ち手業をなすの字意にして、手ニ支の字を合せしものなり。支は則ち指の字意なり。藝の字我朝にては業となすへし。藝の字元トの字より生するものにして、植ゑ生せしむるの意なるへし。

(「百學連環」第2段落第7~10文)

 

現代語ではこうなるでしょうか。

「技」は、「手業、手仕事をする」という意味で、「手」に「支」という字を合わせたもの。ここで「支」とは「指」のこと。「藝」の字は、日本においては「業」のことである。「藝」という字はもともと「」という字から生じてきたもので、「植えて生じさせる」という意味である。

説明に判りづらいところはないと思います。ここでは「技」と「藝」の対比に注目しておきましょう。「技」のほうは、人が能動的に行う行為に重心があるのに対して、「藝」は植物を育てるように、なにか対象の世話を焼くというか、手をかけるというイメージがあります。

こうした漢語、日本語としての學術技藝の意味は、果たして西洋の文脈ではどのようなものとして解釈されるのでしょうか。

筆者プロフィール

山本 貴光 ( やまもと・たかみつ)

文筆家・ゲーム作家。
1994年から2004年までコーエーにてゲーム制作(企画/プログラム)に従事の後、フリーランス。現在、東京ネットウエイブ(ゲームデザイン)、一橋大学(映像文化論)で非常勤講師を務める。代表作に、ゲーム:『That’s QT』、『戦国無双』など。書籍:『心脳問題――「脳の世紀」を生き抜く』(吉川浩満と共著、朝日出版社)、『問題がモンダイなのだ』(吉川浩満と共著、ちくまプリマー新書)、『デバッグではじめるCプログラミング』(翔泳社)、『コンピュータのひみつ』(朝日出版社)など。翻訳書:ジョン・サール『MiND――心の哲学』(吉川浩満と共訳、朝日出版社)ジマーマン+サレン『ルールズ・オブ・プレイ』(ソフトバンククリエイティブ)など。目下は、雑誌『考える人』(新潮社)で、「文体百般――ことばのスタイルこそ思考のスタイルである」、朝日出版社第二編集部ブログで「ブックガイド――書物の海のアルゴノート」を連載中。「新たなる百学連環」を構想中。
URL:作品メモランダム(//d.hatena.ne.jp/yakumoizuru/
twitter ID: yakumoizuru

『「百学連環」を読む 』

編集部から

細分化していく科学、遠くなっていく専門家と市民。
深く深く穴を掘っていくうちに、何の穴を掘っていたのだかわからなくなるような……。
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時は明治。一人の目による、ものの見方に学ぶことはあるのではないか。
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