クラウン独和執筆の頃のことを再び記します。単語の一つ一つについて原稿を書いていました。一語一語について、そのつど、終りとしていました。
辞書どくとくの制約のなかで、語義や用例など、ノートに書き出した諸々について、選択をし決断をします。選択・決断という大きな言葉を用いましたが、しかし、優柔不断な私には日日の執筆のなかで殊のほかこの事が意識されていました。
このようなときには、Resignationという言葉が浮かんできて心をとらえます。しかし一方には、限られたなかで、なお究めたいという気持がいきいきとあります。
最後は、三省堂特製の原稿用紙に書き記し(また何度か書き直したりして)、これで終り、とします。語によっては幾日かを、幾週間かを費やしました。場合によってはもっと多くの日日を経ていることもありました。頭はまだこの単語で燃えています。そっと枕に横たえたいが、眠るにはあまりにはげしく燃えたつのを感じています。
ところで、ある時から論文の原稿などはワープロに打ち込み始めました。文章が活字となって眼前にあり、自分の文をより客観的に見られるようになりました。しかも文の修正が実に容易になりました。だが、何時でも・何時までも・容易に修正できる、ということが、つまり無限に修正可能であるということが、微妙に作用してきたのです。「未完」であるという気分がいつもつきまとうのです。
さて、かくして一つの語について「終り」とすることができました。だが原稿は他の執筆者の眼を経ていくのであり、「完成」ではありません。この一語は形を得ることで、いまようやくその「途上」にある、と言ったほうがよいでしょう。私は机の上に置かれている語彙表にしたがって次の単語に向かうのであります。