ムージルを読んでいたら etwas hinter den Sinnen (感覚の奥にあるなにか)という表現が出てきた。ムージルといえば現実や自我の解体をとらえた作家というふうに評価されることがあるが、むしろ、現実や自我を解体しても解体しても解体されえないものを見つめていた。この語句の置かれている文は、ihre Sinne waren ganz wach und empfindlich, aber etwas hinter den Sinnen wollte still sein, sich dehnen, die Welt über sich hingleiten lassen . . .(かの女の感覚はすっかり目覚めて敏感になったが、感覚の奥にあるなにかが静まって広がり、その上に世界を滑らせようとした…)である。そのつどの感覚は、その奥にあるなにかの上で生起している、と考えられている。そのつどの思考についても同じようなことがいえるのであり、言語化することのむずかしいこの「なにか」が、人びとの意識や感覚の奥にあるさまをムージルは見ていた。
それは各人の精神の構えのようなもの、あるいは人柄の地や骨組のようなものである。このところ日本では、いや世界でもそうかもしれない、わかりやすい言葉遣いや人びとに安心をさそう表現、つまるところは言語化され媒介されるものばかりが尊重されているから、そうした言葉の奥に控えているものにはあまり目が向けられないが、そもそも人の魅力とはそうした場所から発せられるのではないだろうか。このように書きながら、濱川祥枝先生(クラウン独和辞典第2版までの編修主幹で、第3版から監修にまわられ、2年前に逝去された)のことを思い出している。レッシングに心服され、ゲーテとシラー、トーマス・マンとムージル、フロイトとユングの翻訳にもたずさわれた先生には、いつも精神の大きな構えが感じられた。また、ルートヴィヒ・トーマやレーナ・クリストを愛されたことには、それぞれに固有の人生にとらわれた者たちへの温かいまなざしが感じられる。
辞書の仕事とは、まさに言葉自体を扱うものであるが、先生はけっして言葉だけを見ておられたのではなかったと思うのである。大学院生時代に出席した、辞書をよむ演習が忘れられない。Paul の辞書を主なテキストとし、各学生には、割りふられた語についてGrimm をふくむ他の辞書を調べて発表することが求められた。そのため学生は、ある一つの語が時代や作家によってどのように異なるニュアンスで使われたかを自分で整理しなくてはならず、辞書室にある様ざまな辞書におのずと触れるようになっていた。授業のなかで例文をとおして学んだのは、一つひとつの言葉の重さと同時に、言葉にあらわれた、その言葉を使う精神のかたちであり、時代精神のありかたであった。辞書の仕事に参加するようになっても、この演習の続きに出席していると思えるときがあった。それだけに、先生のいない編修会議は寂しい。
そんな先生がお好きだったお酒の話でこの拙文を閉じる。ドイツでは先生はいつもミュンヒェンに滞在されたが、そこから列車で一時間ほどのオーストリアのインスブルックに昼食に行った、と伺ったことがある。レストランで飲むワインがきれいな赤紫色で、うまいのです、と。古い映画を観ていたら、それとおぼしいワインが出てきた。「Valpolicelliというアルプスで採れる葡萄でつくられた」ワインで、「山の空気が沁みこんでいる」からおいしいという。このワインだったのでしょうかと尋ねてみたいが、もうかなわない。それから、北ドイツが話題に上ったときのこと。Pharisäer というラム酒の入ったコーヒーがあるのです、見た目にはアルコール入りとわからないので、そんな名前で呼ばれるのでしょう、と笑いながら話された。先日ふとそれを思い出したので、調べてみると、他の辞書には「パリサイ人」や「偽善者」といった意味しか載っていないのに、クラウン独和辞典には「ファリゼーア(ラム酒と泡立てたクリームを入れたコーヒー)」とある。これはきっと先生が書き込まれたにちがいない。いつの日かこのコーヒーを注文してみよう。