「百学連環」を読む

第34回 「アート」を巡る大いなる伝言ゲーム

筆者:
2011年11月25日

西先生が、「術(art)」の定義を示した英文を、どこから引用してきたのかという問題を追跡しているところでした。

前回は、”(Art is )A system of rules, serving to facilitate the performance of certain actions”という文が、ウェブスターの『アメリカ英語辞典(American Dictionary of English Language)』(1828)に掲載されていることを確認しました(以下『ウェブスター英語辞典』と記します)。

この手がかりを踏まえて、もう少し見てみることにしましょう。前回は省略しましたが、『ウェブスター英語辞典』のARTの項目全体を眺めてみると、面白いことが見えてくるのです。

まず、項目の冒頭にこう見えます。

ART, n. [L. ars, artis; (以下略)

これ、どこかで見覚えがないでしょうか。実は、第27回で提示した「百学連環」の文中に、これと似た表現がありましたね。再掲しておきましょう。

學術の二字則ち英語にてはScience and Artsをラテン語にはScio ars又はartis.

(「百學連環」第2段落第11文)

なぜここでarsとartisという二つの形が並べられているのかということについて、第28回で推測を述べました。つまり、これはラテン語の辞書を引くと出てくる、主格と属格を並べたもの。西先生も、どこかからこのような表記を引いてきたのではないかというわけでした。そのarsとartisが、『ウェブスター英語辞典』にも記されています。

続けて『ウェブスター英語辞典』を見てゆきます。ARTの項には、三つの定義が掲げられています。前回は引用しませんでしたが、第一の項目はこのように記されています。

1. The disposition or modification of things by human skill, to answer the purpose intended. In this sense art stands opposed to nature.

Bacon. Encyc.

訳してみます。

1. 人間の技能によって事物に処理もしくは変更を加え、意図した目的に適うように仕立てること。この意味での「アート」は「自然」に対置される。

ベイコン、『エンサイクロペディア』より

「自然(nature)」と対比される「アート(art)」、つまり人が手を加えたものということです。この場合、「人工」や「人為」といった漢語がこれに相当するでしょう。「アーティファクト(artifact/人工物)」や「アーティフィシャル(artificial/人工の)」にもつながる意味ですね。

また、定義の末尾には”Bacon. Encyc.”と、出典と思しきものが記されています。18世紀、19世紀頃の欧米の辞書を見ていると、しばしば過去の作家が書いた文章からの引用がずらっと並んでいます。いま見た定義の場合は、定義全体をよそから引っ張ってきているということでしょうか。手がかりは、ベイコンと『エンサイクロペディア』です。

実は、この後、文献をどのように検索し、絞り込んでいったかという過程をもう少しお見せしようと思っていたのですが、不覚にもそういうわけに行かなくなってしまいました。

いえ、これぞという文献には辿り着いたのです。しかし、その過程で文字通り数百回の検索や閲覧を繰り返しているうちに、自分がどのようにして、その文献を探り当てたのかが判らなくなってしまったのでした。

もちろん、ブラウザーの履歴には、検索の日時や検索語などのデータが残っています。でも、量が多すぎて、ここからなにをどうやってある文献に辿り着いたのかを特定するのは至難の業。私の記憶力の問題もありますが、注意していないと、遭遇したものを読むのに夢中になって、どうやってそこまで来たのかを忘れてしまうのです。

調べている最中はまだしもなのですが、一晩寝てしまうともういけません。調べものをしたブラウザーで、各種サイトや文書を全部開いたままにしておいても、時間が経つともはやなにがなんだかごちゃごちゃになってしまいます。ですから、日ごろは手帖になにをどうしたかという手順ごと記しておくのですが、今回は怠ってしまったばかりに過程が失われてしまった次第です。

ただ、記憶に残る大筋だけ言えば、一方ではウェブスターが辞書をつくる際、大いに参考にし、下敷きにしたというサミュエル・ジョンソンの英語辞典を確認し、他方では『エンサイクロペディア・ブリタニカ』を調べてゆくうちに、ウィリアム・ハズリットが書いた「ファイン・アート」の定義に出合ったのでした。次回、このことを検討して、「百学連環」に戻りたいと思います。

筆者プロフィール

山本 貴光 ( やまもと・たかみつ)

文筆家・ゲーム作家。
1994年から2004年までコーエーにてゲーム制作(企画/プログラム)に従事の後、フリーランス。現在、東京ネットウエイブ(ゲームデザイン)、一橋大学(映像文化論)で非常勤講師を務める。代表作に、ゲーム:『That’s QT』、『戦国無双』など。書籍:『心脳問題――「脳の世紀」を生き抜く』(吉川浩満と共著、朝日出版社)、『問題がモンダイなのだ』(吉川浩満と共著、ちくまプリマー新書)、『デバッグではじめるCプログラミング』(翔泳社)、『コンピュータのひみつ』(朝日出版社)など。翻訳書:ジョン・サール『MiND――心の哲学』(吉川浩満と共訳、朝日出版社)ジマーマン+サレン『ルールズ・オブ・プレイ』(ソフトバンククリエイティブ)など。目下は、雑誌『考える人』(新潮社)で、「文体百般――ことばのスタイルこそ思考のスタイルである」、朝日出版社第二編集部ブログで「ブックガイド――書物の海のアルゴノート」を連載中。「新たなる百学連環」を構想中。
URL:作品メモランダム(//d.hatena.ne.jp/yakumoizuru/
twitter ID: yakumoizuru

『「百学連環」を読む 』

編集部から

細分化していく科学、遠くなっていく専門家と市民。
深く深く穴を掘っていくうちに、何の穴を掘っていたのだかわからなくなるような……。
しかし、コトは互いに関わり、また、関わることをやめることはできません。
専門特化していくことで見えてくることと、少し引いて全体を俯瞰することで見えてくること。
時は明治。一人の目による、ものの見方に学ぶことはあるのではないか。
編集部のリクエストがかない、連載がスタートしました。毎週金曜日に掲載いたします。