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曲のエピソード
この曲が誕生した1972年から約40年を経た今に至るまで、毎年のように様々なアーティストによってカヴァーされている。最も有名なロバータ・フラックのヴァージョンは、じつはオリジナルではない。もともとはローリー・リーバーマン(Lori Lieberman, 1951-)のために書き下ろされた曲で、1972年にレコーディングされた彼女のヴァージョンはヒットしなかった。翌1973年には、ロバータも含め、20人近くものアーティストがこの曲をレコーディングしている。彼女自身がこの曲を気に入ってカヴァーして大ヒットした。日本では、ネスカフェのCMソングに起用され、洋楽愛好家の間でも非常に馴染み深い曲。邦題を「やさしく歌って」という。人気ヒップ・ホップ・グループだったフージーズ(Fugees)のカヴァー(1996, 全米No.2)も有名。彼らとロバータはステージ上でこの曲を共演したこともある。
オリジナルを歌ったリーバーマンが、シンガー/ギタリストのドン・マクリーン(Don McLean, 1945-/1971年の全米No.1ヒット曲「American Pie」で知られる)のコンサートを観に行き、それに感銘を受けたことをソングライターに伝えて曲が出来上がった、というエピソードが長らく流布していた。が、先に曲が出来上がっていて、そのデモを聴いたリーバーマンが「ドン・マクリーンのコンサートを思い出すわ」と感想を述べた、というのが真相。ロバータのヴァージョンが大ヒットした1973年当時、情報が少なかったため、この曲のモデルが誰なのかを知る人はほとんどいなかった。
曲の要旨
巷で評判になっている、若い男性シンガーのコンサートに何気なく出かけた女性。名前も知らなかったそのシンガーは、あたかも彼女のことを以前から知っていたかのように、彼女の心情を映し出した歌詞を歌い、その指から繰り出されるギターの演奏は彼女の内なる苦しみを表現しているかのようだった。悲しみと絶望感の中で生きてきた彼女の人生を透かし見るような、彼の歌と演奏。不思議な感覚に包まれながら、彼女は彼の抗い難いに魅力に引き込まれていくのだった……。
1973年の主な出来事
アメリカ: | アメリカ軍が南ヴェトナムから完全に撤退。 |
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日本: | 韓国の政治家、金大中が都内のホテルで拉致される。世に言う「金大中事件」。 |
世界: | 第4次中東戦争に端を発する石油危機。 |
1973年の主なヒット曲
Superstition/スティーヴィー・ワンダー
Crocodile Rock/エルトン・ジョン
Touch Me In The Morning/ダイアナ・ロス
We’re An American Band/グランド・ファンク
Top of The World/カーペンターズ
Killing Me Softly With His Songのキーワード&フレーズ
(a) strum one’s pain with ~
(b) killing me softly with his song
(c) look (right) through ~
いきなり進行形で始まる歌詞は意外に多い。そうした歌詞を正しく理解するためには、その前に何が省略されているかを考える必要がある。まずは、歌詞全体をじっくりと読み、その曲の背景や状況に思いを巡らせることが肝要。この曲では、進行形以外の動詞はすべて過去形になっている点にご注目。歌い出しのフレーズは“… with his fingers”となっているので、ここでは頭の“He was …”の部分が省略されていることが判る。当然のことながら、タイトルにもなっている(b)も、正しくは“He was killing me softly with his song”。その他、この曲に登場する進行形で始まるフレーズは、すべて文頭の“He was …”が省略されている。
(a)は、曲の背景を知らなければうっかり誤解してしまうフレーズ。“strum”は「弦楽器を弾く、弦楽器を不器用にかき鳴らす」という意味の動詞だが、ここを「彼は指で私の苦しみをかき鳴らしていた」と直訳すると、意味が通じにくくなってしまう。あるいは、「彼のギター演奏が私の苦しみをかき乱した」と誤解してしまう恐れもあり。この「苦しみをかき鳴らす」を「苦しみをギター演奏で表現する」と解釈すれば、ここのフレーズの真意が見えてくる。“fingers”はギターの弦を弾く指を表しており、そこから紡ぎ出される演奏が、主人公の女性が抱える心の苦しみを代弁していた、というわけ。どこにも“guitar”が出てこないが、“strum”がここを正しく解釈するヒントになる。のっけから難しいフレーズだ。1973年当時、筆者はこのフレーズの意味がチンプンカンプンだった。
タイトルもまた、直訳するとギョッとする日本語になってしまう。「(彼は)彼の歌で私をそっと殺していた」。日本語としてもかなりヘン。“kill”には「殺す、命を奪う、やっつける、(病気などを)撃退する」などなど、様々な意味があるが、辞書で調べてみると、他動詞としての意味の最後の方に「~を陶酔させる、~を魅了する」というのがある。もうお判りですね? この曲のタイトルを意訳すると、「彼の歌声を聴きながら、私はジワジワと陶酔感に引きずり込まれた」といったところ。ここの“song”を「曲」と解釈してもいいのだが、この場合、「歌声」の方がしっくりくる。“song”には「歌うこと、唱歌」という意味もあり、その場合は“singing”と同意。その昔、デビー・ブーン(Debby Boone, 1956-/アメリカの有名なシンガー、パット・ブーンの娘)の一発ヒット「You Light Up My Life(邦題:恋するデビー)」(1977, 全米No.1/映画のテーマ曲)に“… with song …”というフレーズがあり、可算名詞の“song”がどうして冠詞ナシで用いられているのが不思議でならなかった。知ってるはずの単語なのに、これはおかしいぞ、と思い、辞書で調べてみたところ、“singing”の意味もある、と知ってビックリした次第。それ以降、(b)の“song”も“singing”なのでは、と思うようになった。
(c)は、辞書の“look”の項目にイディオムとして載っており、「~を通して見る、~を探るようにジロジロ見る、~を見抜く」といった意味。“right”はそれを強調している。この曲では、ステージ上のシンガーが主人公の女性が心に抱えている苦しみを「あたかも知っているかのように」歌い、客席にいる彼女が「まるでそこにいないかのように」ステージ上から彼女をジッと見た、と歌っている。初めて会った(観た)はずのシンガーが、あたかも彼女のことを以前からよく知っていたかのような演奏や歌を披露しているのだから、「まるでそこにいないかのように」凝視する、というのは何だか矛盾しているような……。むしろ彼女が「観客席にいる」ことを最初から知っているかのように振る舞う、とした方が曲全体の意味に合うのでは……? が、じっくり考えてみると、ここは「彼の強い視線が私を貫くようだった」、つまり「彼に何もかも見透かされているような視線を感じた」という解釈も成り立つのではないか、と思い至った。そしてそのことも、彼女をうっとりとさせた要因のひとつだったのではないかと。
今でも使われている「やさしく歌って」という邦題はなかなかいいと思う。でも、原題が命令形ではない、ということもお忘れなく。