前回と前々回で見たように,『ハリー・ポッター』シリーズでは,呪文はラテン語もじりのことば遊びになっています。表面上は,英語とは雰囲気の違った,分かりにくい難解なことばです。その点で,非日常的で難解であるという呪文の条件を満たしています。他方,まったく訳の分からないことばで読者を煙に巻くのではなく,英語の知識がじゅうぶんにありさえすれば,意味をある程度予測できるのです。
しかも,ラテン語もじりという一定の手順を見出せたので,この手順にしたがって作者は生産的に呪文を作ることができるわけです。
もっとも,levitateやpetrificationのような難しい単語だと,子どもは知らないかもしれません。だから,すぐに予想のつかないものもある。小説『ハリー・ポッター』は,すべてに気づくことを(とくに年少の)読者に求めていません。それぞれの理解に応じた楽しみ方がある。だから,大人もハマるわけです。とはいえ,呪文に込められた意味が分かると,年少の読者も,大人も,ちょっとうれしい。思わずにんまりとするわけです。
思えば,『ハリー・ポッター』はことば遊びに満ちあふれています。彼らが学ぶホグワーツ魔法学校のHogwartsは,warthog(イボイノシシ)の前後を入れ替えたものです。無理やり翻訳するなら,「ノシシイボイ魔法学校」ぐらいがいいでしょうか。
また,スリザリン学寮(The Slitherin House)には,ハリーの敵役の生徒が属していますが,このスリザリンは,蛇が滑るように進むことを表すslitherという動詞をもじってつけられています。そして,蛇はこの学寮のシンボルです。
ことば遊びや冗談は,話し手と聞き手とのあいだでしばしば入会テストの役割を果たします。遊びの部分に気づくかどうか,同じことで笑い合えるかどうか,そういうことがことば遊びのコミュニケーションでは確認されるわけです。話し手の冗談に笑えたら,聞き手は話し手と同じ世界観・価値観を共有していることが分かります。話し手と聞き手はこのようにして連帯感を高めます。小説でも同じことです。笑いを通して作者との密やかで親密なコミュニケーションが成立します。
ことば遊びを用いたことで,呪文作成の指針を定めるだけでなく,ことば遊びが分かった読者と一種の共犯関係を作る。読者はますます作品に引き込まれる。そういう仕組みになっているのです。とてもうまいやり方だと思います。
そうそう,前回,(18e)のobliviateに言及するのをすっかり忘れていました。oblivious(忘れっぽい)やoblivion(忘却)から予想できるように,記憶を消去する呪文です。この呪文,締め切りで原稿を迫られたときに使えるといいんですけど……