場面:五節で殿上人が内裏を練り歩くところ
場所:平安京内裏弘徽殿と登花殿の西側
時節:承安元年(1171)11月中の寅の日
建物:①弘徽殿 ②登花殿 ③中門 ④半蔀(はじとみ) ⑤下見板 ⑥御簾 ⑦几帳 ⑧野筋 ⑨格子状 ⑩石畳の壇 ⑪溝
人物:[ア]~[オ]肩脱ぎした冠直衣姿の殿上人 [カ]~[コ]烏帽子狩衣姿の供人(太刀二本) [サ]~[ス]烏帽子狩衣姿の供人(太刀一本)[セ]~[タ]衵姿の童女 [チ]女房
衣装等:Ⓐ冠 Ⓑ衵 Ⓒ浅沓 Ⓓ指貫 Ⓔ烏帽子 Ⓕ袖括り Ⓖ当腰(あてごし) Ⓗ尻鞘 Ⓘ太刀の鞘 Ⓙ元結
絵巻の場面 今回は、第42回と第43回で扱いました五節の行事を描いた『承安五節絵』を再び採り上げます。第43回の「五節の淵酔(えんすい)」に続く同日になります。「淵酔」はひどく酔うことで宴会の意でした。この場面は、淵酔が終わってから、参会していた殿上人たちが、舞姫の控所(五節所)となった常寧殿(じょうねいでん)まで練り歩く、その途中の様子になります。
絵巻の本文 最初に今回の絵の説明になる詞書本文を確認しましょう。
淵酔果てぬれば、肩脱ぎて、渡殿の間でおのおの沓を履きて、後涼殿の東より、朝餉の御前より御湯殿のはざまを出でて、弘徽殿の細殿の前、登花殿を巡りて、宣耀殿の反橋の西より上りて、常寧殿五節所の東の壇の上を巡るなり。
【訳】 淵酔が終わると、肩を脱いで、渡殿の間(ま)でそれぞれ沓を履いて、後涼殿(こうりょうでん)の東から、清涼殿の朝餉の間の前を通り御湯殿のはざまで地面に出て、弘徽殿の前や登花殿を巡り歩いて、宣耀殿(せんようでん)西側の反橋から常寧殿に上り、その五節所の東の壇の上を巡るのである。
清涼殿の殿上の間で宴会をした殿上人たちが、常寧殿まで巡る道筋が記されています。殿上の間を出て沓を履いていますが、後涼殿や清涼殿の簀子を通ったようです。「御湯殿(湯浴みする部屋)」は清涼殿と後涼殿を繋ぐ渡殿に設けられ、その東側が切馬道(通行のための土間)になっていて、そこから地面に下りました。この夜は、再び清涼殿で天皇が五節の舞をご覧になる「御前の試み」が行われます。
弘徽殿と登花殿 それでは、建物から確認しましょう。絵巻には、①弘徽殿と②登花殿の西側が描かれていますが、線描では、左右をカットしていることをお断りしておきます。中央左寄りに、通路のようになっている所が境目の③中門になり、右側が①弘徽殿、左側が②登花殿です。中門の扉は内側に開き、奥は、壇(一段高くした所)になっています。
二つの殿舎は、同じような構造で描かれていて、窓のように見えるのが、幾つも並んでいます。これには諸説がありますが、④半蔀と思われます。二枚格子の上部だけのもので、小蔀(こじとみ)とも、単に蔀とも言います。今は外側に押し上げられているのでしょう。下部は壁になり、絵では⑤下見板(横板張り)で描かれています。半蔀からは⑥御簾に添えた⑦几帳の綻びを通して、[チ]女房たちが覗いています。紐のように見えるのは、几帳の⑧野筋です。
実は、両殿の西廂は細殿とも言い、外側には遣戸(引き違え式の戸)が幾つもありました。『枕草子』「内裏(うち)の局は」の段にも、登花殿と思われる細殿に「上の蔀」とされる半蔀と遣戸が出てきます。しかし、絵巻ではどうでしょうか。半蔀とした箇所を遣戸と見ることはできませんね。絵巻を見ると弘徽殿の中門寄りの部分だけが⑨格子状になっています。もしかしたら、ここが遣戸になるのかもしれません。そうしますと、他の半蔀どうしの間も遣戸であったのが、描き忘れたか、省略されたかと思われます。現存の『承安五節絵』はいずれも模写本で、他の本を見ても壁がすべて格子状だったり、逆に何の線も描かれなかったりして、まちまちです。模写の段階で、間違いが生じたのは確かでしょう。
両殿西側には簀子がなく、建物外側の地面は⑩石畳のように描かれています。この石畳が壇になります。その手前は、雨水などを流す⑪溝です。
男たち 続いて男たちの様子を見ましょう。男たちは、[ア]~[オ]肩脱ぎした五人の殿上人と、それ以外の人に分かれますね。五人は、糊で強く張った強装束(第21回参照)のⒶ冠に直衣姿で右肩を脱ぎ、下のⒷ衵を見せています。Ⓒ浅沓を履き、Ⓓ指貫の両膝の上あたりをつまんで、歩きやすくしています。マッチョな姿恰好で、イケメンといった感じでしょう。
他の人たちは、この五人を目立たせるために、やや小柄に描かれています。皆、殿上人の供人でしょう。Ⓔ烏帽子に狩衣姿で、その特徴となるⒻ袖括りやⒼ当腰(狩衣に用いる帯)を見せ、いずれも太刀を佩いているようです。しかし、ⒽⒾ二本佩いている[カ]~[コ]人がいますね。江戸時代の武士ではありませんので、大小の二本差しというわけではありません。これはどうしたことでしょう。太刀はⒽ尻鞘と呼ぶ毛皮の袋に入れられているのと、Ⓘ鞘だけのがありますね。[サ]~[ス]一本だけの人のには、尻鞘があります。また、二本の人は五人見えます。もうお分かりですね。[カ]~[コ]二本を佩く五人はいずれもそれぞれの殿上人に従っていて、その主人の分を預かっているのです。
女たち 次は女たちです。まず③中門にいる[セ]~[タ] 三人を見てみましょう。扇で顔を隠すようなことはしていませんね。いったい、どういう女性でしょうか。顔かたちからは何とも言えません。しかし、上に重ねて着ているものは、袿などではありません。これは殿上人が肩脱ぎで見せていた衵と同じ語になる、童女の衣装のようです。髪もⒿ元結で束ねていて、これも童女の表現です。第42回で扱った童女は、この上に汗衫(かざみ)を着た正装でした。今回の宮中で下働きをする童女たちは、主人の前にいるわけではないので、衵姿で殿上人たちを見に来ているのでしょう。
[チ]大人の女房たちは、姿を隠し、⑦几帳の綻びから大勢覗き見しています。①弘徽殿でも②登花殿でも同じようにどの④半蔀にも女房たちが描かれています。入内した后には、三、四十人の女房がつきましたので、大勢いてもおかしくはないのです。
綻びからの女性の覗き見は、第15回の『年中行事絵巻』闘鶏の家や、第31回の『源氏物語絵巻』「竹河(一)」段などにも描かれていました。複数の絵巻に描かれていたことからすると、女性たちは物見高く、男性たちを品定めすることもあったのでしょう。この絵巻では、肩脱ぎした殿上人やその供人たちにイケメンがいないかとささやきながら覗いているのです。この段は、意気揚々と歩く殿上人たちと供人たちに、その姿を覗き見る女房たちを配して、五節寅の日の光景を印象深く描いているのです。