山形県で(1)を「いちかっこ」、①を「いちまる」と読むことは、テレビでも取り上げられて、世に知られ、後者は『三省堂国語辞典第八版』の「まる(丸)」の解説にも記された。
山形県鶴岡市(日本海沿いの庄内地方)で生まれ育った筆者の体験を書くようにとある人に頼まれた。小学校の朗読は「いちかっこ」だった。しかし「いちまる」は使った覚えがない。テレビなどの報道で「山形県ではいちまると読む」と聞いて、本当かと疑ったほどである。それだけではそっけないので、周辺の事情を踏まえて、調べているうちに話題が広がりすぎた。途中経過としてまとめておこう。
いちかっこ
筆者は1942(昭和17)年生まれで、1949年に小学校に入った。小学校の朗読と(声を揃えて一斉に読む)斉読では「いちかっこ」だった。「いちまる」は使った覚えがないが、そもそも①のような丸付き数字が使われていたか、覚えていない。1961年に東京の大学に入ってすぐに、クラスメートが(1)を「かっこいち」のように言っているのに気づいて、採用した。訛りを直すのに懸命だったのだ。①は最初から「まるいち」としか読まなかった。
その理由を考えてみた。小学校6年間の担任は鶴岡市内と近郊出身の若手教師だった。中学校の先生もほぼ全員が山形県、それも庄内地方の出身だった。山形師範学校(山形大学教育学部)の卒業が多かったが、戦地帰りの代用教員もいた。
かたかっこの 1) 加藤大鶴氏の記憶
インターネットで検索すると、様々な関連情報、記事が出てくるが、加藤大鶴氏の情報が有益である。このほど氏にメールでうかがいをたてたところ、インターネット情報よりさらに詳しいことが分かった。許可を得て記述する。
加藤大鶴氏が東北文教大学(山形市)にいたときに、大正期の算数のノート(当時の言い方では「帳面」)を入手した。地域の方から図書館に寄付されたもので、その中に片括弧(かたかっこ)を使って 1) のように書いたものがあった。
これは読み上げるときに「いちかっこ」としか読めない。山形方言とされる「いちかっこ」の起源はこの書き方だと考えて、新聞社の取材に応えたら、記事になり、インターネットに乗って広がった。
何種類かノートがあったはずで、そのうちのひとつは縦書きで、横書きもあった。漢数字だったかどうかは記憶にない。
その後天童にある教科書図書館に行って、昭和20年代以降の算数教科書をかたっぱしから見てみた。すると、古いものは項目立ての数字にかっこ ( ) を使っていて、新しいものから丸数字になっていて、「いちかっこ」が古そうだと思った(これだけはメモが残っている)。
しかしいわゆる「かたかっこ」がルーツと言えるものは、昭和の教科書からは見つけられなかった。唯一、大正期の手書きのノートだけだったように思う。
以上が加藤大鶴氏の記憶だが、筆者は、かたかっこの 1) を使った覚えがない。
いちまる ①
筆者が教科書などで①や②という書き方を目にしたのは、高校に入ってからだった気がする。高校の先生には、東京の大学を出た人や西日本出身の人もいたので、たとえ山形県内陸地方で「いちまる」という読み方が広がっても、生徒たちに広がらなかった可能性がある。つまり、①や(1) (一)の読み方のように、学校でまず教わるような言い方には、教師の出身(大学)が関わる。「学校方言」の典型である。「学校方言」は近年着目され、論文もあるが、「新方言」の親戚と言ってよい(地方共通語の1種と位置付けることもできる)。
「まる」で文字を囲む書き方は古くからあった。京都の「洛中洛外図」は多数あるが、室町時代から丸で囲んだ「吉」などが描かれている。当時は有名な店だったのだろう。読み方は分からないが、当時の文書に出てこないだろうか。江戸時代からの商標などは今に伝わって読み方が分かるが、「まるい」「やまさ」「かくいち」「キッコーマン」などで、文字の外側の記号を先に読む。丸で囲む字は、商標以外にも広がったが、読み方は、まるひ㊙、マルサ査のように、まず外側の「まる」を先に読む。
①や(一)のような書き方は、明治以降広がったのだろう。そのときに商標のように文字の外側の記号を先に読むという原則を使えば、「かっこいち」になっていたはずだ。「いちかっこ」の誕生に片括弧の 1) が関わっていたという加藤氏の説は説得力がある。「まるいち」が伝統を踏まえた読み方で、山形県の「いちまる」は独特だ。
丸付き数字は、昭和以降広がったらしいが、パソコン入力では「環境依存文字」で、例えば英語のメールで使おうとしても出てこない。インターネットの自動翻訳サイトでも、出てこない。どうやら日本独自の書き方らしい。
なおワープロソフト「ワード」は、画面上端の「校閲」で「音声読み上げ」をクリックすると、声で読みあげてくれるが、①も(1) (一) 1)もすべて「いち」と読んで、括弧は読まない。この小論に役立たないし、原稿の読み合わせや校正にも役立たない。