街はクリスマス一色となってきた。ちょうど1年前、2006年の暮れも押し迫ったころ、学生たちで賑わう早稲田の大隈通り商店街で、一つの食堂が店を閉じた。
“ボンマルシェ”というフランス語の名前をもつ洋食屋であった。45年とも50年ともいう永い間にわたって学生たちに食事を出してきたという。早大生は「ぼんまる」という愛称で親しんできたように、その洋風な店名とは異なり、人気メニューの太めで柔らかく香ばしくもあるスパゲティーは決して当今のレストランで出される「パスタ」ではなかった。
品の良い老夫婦が店を切り盛りしていたためか、店内では「スパゲテイ」と書かれていた【写真1】。それを頼むと豚汁がついてくる。それもフォークで食べるのが「洋食」らしいところだ。少し奮発すると、上にミートボールを乗せてくれる。この中の柔らかな肉団子【写真2】は、ボンマルランチほか、様々なメニューに登場し、和食にも洋食にも合う、万能の蛋白源であった。
私は、20年以上も前、まだ学生だったとき、よくふらりとその扉を押し、昼ご飯を食べた。行く先が見えず、時に孤独を背負ってそこに辿り着けば、当時既に年老いていた夫婦が決まって几帳面に店を切り盛りする姿があった。
私が早稲田に戻ってから、またそこに通いだすと、やはり何も変わっていなかった。しばらくして間もなく閉店になると知ったのは、偶然のことだった。その店は永遠にそこにあり続けると、何の根拠もなく思い続けていた私には、その事実を受け入れることが難しかった。20年前からお婆さんであったその方に、「来年も、やっていますよね?」と尋ねたところ、震える声で「今年で終わりなんです」、そして「長い間、皆さんに来ていただいて…」と涙ぐみ声を詰まらせた。それを聞き私は今の学生に、この洋食屋の店のたたずまいとこのご夫妻と洋食を伝えることを使命に感じ、ゼミ生や教え子たちを連れて何度も店を訪れた。おいしい、胃に優しい、そして懐かしいと、この店の前を通り過ぎるばかりであった現代の学生にも大評判だった。
そこには昭和があった。貼ってあるポスターも、木造の室内も、小さな便所も、時間が止まっていた。レトロな雰囲気なんかではない、本物の時の重みがあった。お店が最後の日、初めてお婆さんと少し話をした。間近で見たお婆さんの顔に時間の経過を感じた。「周りのお店がきれいになって、恥ずかしかった」という。確かに店に入って嗤う客もいた。いつもこぎれいなテーブル、清潔な白衣。「そんなことはないですよ」と返すのが精一杯であった。花束を置くお客さんもいたが、私も最後くらいはと、ずっと置かれていたコーラを注文した。今日で終わりなので少し余分に、と申し出たら、木の引き出しから小銭を出し、逆に今までのお礼と言って300円もおまけをしてくれた。
そのお婆さんの発音は、確かに“スパゲティー”であった。内閣告示・訓令の「外来語の表記」(*1)の規則を持ち出すならば、「スパゲティー」となるところであろう。あるいは「スパゲッティ」とか「スパゲティ」の方がオシャレだと感じられる向きもあろうし、「パスタ」(本来はマカロニなども含む)でなければ、という方もおいでであろう。三つ星がどうとかニュースになる昨今、学生時代のあの店は、薄れゆく記憶と写真の「スパゲテイ」だけとなってしまった。
【注】