漢字の現在

第130回 「後楽園球場のドット文字」

筆者:
2011年9月23日

後楽園球場の電光掲示板の選手名欄では、「桑」のように斜線が多い文字も表現が苦しいと、立ち読みした本に細かく記されていた。15ドットが横に3字分のパンチカードの実物写真も、そこに載っていたもので見た覚えがある。巨人には、当時、「○田」という姓の選手が多かったため、その「田」の部分は電球がよく切れて、線が途切れ途切れになっていた。夕闇には丸ゴシック体のように映るが、「田」の左右の縦線が下に出るように、ゴシック体の風情も兼ねていた。

少し遅れて登場した横浜スタジアムのそれは、字形の曲線や間、配置など、今ひとつ魅力に欠けるデザインで、違和感が消えなかった。球場以前から実用化されていた有楽町の電光ニュースの縦に流れる字形も、テレビで見る限り同様だった。甲子園球場も後に電光掲示板に変わった。

これはそれまでは、スコアボードの中で、おじさんたちがシャツ姿でレタリングされたプレートを取り変えていた。立てかけられた板、高校野球では石灰のような白ペンキのようなものを浸した筆で描き上げていく姿も、写真に残っている。その手書きによる明朝体の味わいを残そうとした労作で、そのドット文字のデザインは別格であった。

なお、神宮球場はもとは点数が回転式であって、父に伴われての六大学野球の観戦中には、回しすぎなどアナログらしく微笑ましい光景も見られた。名前の欄では、「西大立目」(にしおおたちめ しばしば、にしおうだちめとも)という姓の審判名もぎっしりになりながら、甲子園同様に表示されていた。

後楽園方式の字形は、斜めの線などに少し癖があり、もっとこの点をずらせばよりなだらかになっていいのになどと思いながらも、自分の中で標準のようになった。自宅で、ダイヤブロックを使って、その表現を1ドットずつ再現してみる。「藤」などは、字体が複雑なだけに、かえって全ドットの再現ができた。「ドカベン」などで漫画化されたそれには、違和感も覚えることがあった。

後楽園では、同姓がいるために、選手名でフルネーム(と言っても通常は名の1字目まで)に「慶」などの煩瑣な字が出れば、そうとう苦しくなっていた。「ウイリアムス」など、外国人選手の長めの名前も「特注」のようだった。ケータイでは、フォントデザイナーではなく、技術者が低ドット数のフォントを開発したという話を聞いたことがあるが、当時はどうだったのだろう。今では、新幹線の車内で表示される「京都」「新横浜」「東京」などには、低ドットながら明朝体風で、美しさを感じるときがある。

東京ドームのスコアボード

(画像クリックで周辺を含め拡大表示)

時代は変わって現在、東京ドームのスコアボードには、巨人の捕手、實松選手の「實」という字が軽々と表示された。ドームの選手欄では、横線には基本的に贅沢に数ドットも使って表現している。1本の線には1ドットしか使っていなかった後楽園球場の選手欄だったらどう表示したのだろう。

やむなく、「実」と置き換えをしたのか「サネ」と開いたのだろうか。あるいは、旧字体や異体字による姓名表記へのこだわりが、今ほど強くはなかった時代だったのかもしれない。その下の亀井の「亀」も横線が多いため、後楽園ならばぎりぎりだったように思う。

筆者プロフィール

笹原 宏之 ( ささはら・ひろゆき)

早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』、この連載がもととなった『漢字の現在』(以上2点 三省堂)、『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)、『日本人と漢字』(集英社インターナショナル)、編著に『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)などがある。『漢字の現在』は『漢字的現在』として中国語版が刊行された。最新刊は、『謎の漢字 由来と変遷を調べてみれば』(中公新書)。

『国字の位相と展開』
『漢字の現在 リアルな文字生活と日本語』

編集部から

漢字、特に国字についての体系的な研究をおこなっている笹原宏之先生から、身のまわりの「漢字」をめぐるあんなことやこんなことを「漢字の現在」と題してご紹介いただいております。