漢字の現在

第129回 「東京ドームのドット文字」

筆者:
2011年9月16日

最近、ある新聞で、「変幻“字”在」と銘打ったささやかな連載を持たせてもらっているお陰で、ちょっといいチケットを頂いた。その切符のお陰で、スタンド前で事前に1時間も並ばなくて良さそうだ。

巨人の応援に、野球好きの家族と向かう。その駅は、出版社の多いところで、その都度降り立つときの気分が違う。野球はうまくはできないが、見ても真似事をしても楽しい。

球場では、巨大なスコアボードが偉容を誇る。100メートル以上離れていても、きれいに映えている。ただ、エラーや野手選択(フィルダースチョイス)を表す「E」「Fc」の表示までは出るのに、パスボールかワイルドピッチかの表示がそこに表示されないのはなぜだろう。あるいはプレー後に瞬時だけ出ていて、見逃したのだろうか。ともあれ、それ専用の表示板はない。球場内でスコアブックをつけおおせたことはほとんどないが、これではラジオなしだと困ることだろう。怪しげな球速よりも、記録には必要な情報だと思われる。

数字というものに、なにがしかの意味合いを今よりも感じ取れたころは、もっと個々に達成される記録そのものと、客観的にプレーを記録することが単純に面白かった。5と6とのもつ差など、文字に関する計量調査をしたり、調査結果を読んだりする際にも、面白さを感じていた。それが捨て去れたのか鈍ったのか、とにかく感じられにくくなった今でも、そうした楽しみはなおも残ってはいる。

その試合では、振り逃げがあった。振り逃げは、よく知られているように一般に三振のマーク「K」を左右逆に書く。会意文字風だ。それで、2、3塁の走者が一気にホームに滑り込み、打者も2塁へ。打点など付かないが、振り逃げツーランと呼べようか。野球は、こういう油断できないところも面白い。サッカー人気に押されてきたが、野球は実によくできたスポーツだと思う。

3時間ほどの試合中に、流れが大きく変わって10点差だって逆転する劇的なゲームも生まれる。0-0で延長戦引き分けもあれば、23-22なんていう伯仲した打撃戦、122-0なんていう大差の試合も起こる。延長戦に入ってから1イニングで6点ずつ取り合うなんてこともあった。さすがに1世紀以上の長い時間をかけて、ルールを大胆に変えてきただけのことはある。

デッドボール王だった我が子も、少年野球の大会の試合のときに、この種の珍プレーで、流れを変えて大逆転を勝ち取ったことがあった。アメリカで、ゲームが面白くなるように、ボールカウントなど規則も洗練されてきたものだが、日本人にも、投球動作などの間合いがぴったり合ったのだろう。

スタンドでは、重たいビールを背負った娘さんたちが段差を駆け回っている。重そうなので、軽くしてあげようと1杯は頼むことにしている。父も、神宮に六大学へ連れて行ってくれると、1杯は飲むことがあったような気もする。いや、夜までは何も飲まなかったかもしれない。投手戦の多かった六大学は、見ていて飽きてしまうものだったが、プロ野球は立体的で興が冷めにくい。

かつての後楽園球場には、一度だけ誘われていったことがあった。テレビで見るのと違って、外野のポール際の席は硬くて、左右も前後も本当に狭く、居心地の悪さに早々に引き上げた。球場も座席も狭隘だからこそ、都心で連日5万人も収容できたのかもしれない。当時、選手も驚いたそうだが、狭いのはグランドだけではなかったのだ。

そのスコアボードが大好きだった。1970年に電光掲示板となったそうだが、SBO(今のSOB)表示の色も他の球場とは違って輝いて見えた。その電光掲示板は、電球が7個×5個で、イニングスコアが表示される。2桁得点は、その球場ではなぜかプロ野球では一度もなかったそうだが、表示できなかったはずだ。なお、延長戦では、苦心の表示がよく見られ、パリーグで始まった指名打者にも、何とか対応して表示がなされたものだった。

大きなスクリーンも電球から成り立つものだった。長嶋引退や王の「756号」など、そこでは比較的自由に文字や絵(動画もあったか)の表現がなされていた。両脇には「パイオニア」の看板、上には「SEIKO」の時計と看板。大人の世界をよく描き写していた。

選手と審判の姓は、1字辺り15ドットの枠内で表示されていた。点々を数えてみたのである。のちのJISの16ドットでも24ドットでもなかった。「小ダカ」(鷹)「ワシ谷」(鷲)のように、字画を重ねず、つぶさず、間引きもせずに、カナ表記にしていたのはある意味潔く、漢字には縦線よりも横線のかさむ字が少なくないことを知らされた。これは、手書きだったころの映画字幕に関しても、語られている事実であり、物理的制約条件が字体や表記に影響を与える典型であった。

𨂊"

パリーグで審判をされていた「𨂊池」という方は、スポーツ新聞では、きちんと活字を作って印刷されていたが、後楽園では「ハス池」か「はす池」と表示されていたような記憶があるが、どうだったろうか。すでに他界なさったとネットで拝見し、ますます遠い日のこととなってしまったように感じられる。JISでは、第4水準に、NTTの電話帳データから姓の用字としてやっと採用された国字である。JIS第1・第2水準制定(1978)以前からある後楽園の独自のシステムでも外字とされていたのだろうか。いや、作字されて拡張新字体の形で、きちんと表示されていたようにも思える。

筆者プロフィール

笹原 宏之 ( ささはら・ひろゆき)

早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』、この連載がもととなった『漢字の現在』(以上2点 三省堂)、『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)、『日本人と漢字』(集英社インターナショナル)、編著に『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)などがある。『漢字の現在』は『漢字的現在』として中国語版が刊行された。最新刊は、『謎の漢字 由来と変遷を調べてみれば』(中公新書)。

『国字の位相と展開』
『漢字の現在 リアルな文字生活と日本語』

編集部から

漢字、特に国字についての体系的な研究をおこなっている笹原宏之先生から、身のまわりの「漢字」をめぐるあんなことやこんなことを「漢字の現在」と題してご紹介いただいております。