『三省堂国語辞典 第六版』に「術式(じゅつしき)」という項目が載りました。〈手術するときの、きまった方式〉のことです。大きな辞書を含めて、このことばを載せている辞書を知りませんが、医療に関する文章ではよくお目にかかります。
このことばは、ある世代の人にとっては、とりわけ身近なはずです。というのも、手塚治虫の名作まんが「ブラック・ジャック」に頻出することばだからです。ご存じのとおり、この作品は、無免許の天才外科医が主人公で、手術の場面がよく出てきます。少年チャンピオン・コミックス版から、主人公のせりふを拾ってみます。
〈術式終わり……/ピノコ……/どこへ いく? ここにいろ!〉(第2巻〔1974.8〕p.163)
〈術式すべて おわり!/しょくんに 感謝する……〉(第8巻〔1976.6〕p.171)
このように、手術後の場面で、「術式終わり」の形で使われる例が目立ちます。「手術のプロセスは終わり」ということでしょう。私が見たところでは、コミックスの1巻~24巻(著者の生前に出た巻)の範囲で、「術式終わり」は少なくとも5回出てきます。
『三省堂国語辞典』の編集委員会の時、編集部のOさんから、「術式」の用例として「術式終わり」を添える案が出されました。私はそれを聞いて、Oさんが「ブラック・ジャック」の愛読者だったことを確信しました。ただ、残念ながら、この用例は採用されませんでした。「術式」が〈手術するときの、きまった方式〉である以上は、「術式終わり=手術の方式が終わり」という言い方は意味をなさないと考えられたからです。手塚さんが、どうしてこのような使い方をしていたのか、それは分かりません。ともあれ、ほかの用例を探そう、ということになりました。
「術式」の用例には不自由しません。週刊誌などの実例はすでに10例以上たまっていました。でも、上記のような行きがかりから、ここは「ブラック・ジャック」の中から適例を探したいと、私は思いました。ページを繰っていくと、ぴったりの例がありました。
〈ヘフナー鉗子/縫合して!/ここまでは 従来の術式でよいが ここからが よく 見ていたまえ〉(第24巻〔1984.2〕p.36)
この例をもとに、「従来の術式」という用例が入りました。だれも気づくはずのないことですが、この用例は、手塚治虫へのひそかなオマージュ(賛辞)のつもりなのです。