ジェスチャーの意味は、所によって変わります。D・モリスによれば、インドなどでは頭を左右にゆらすことで「はい」を、アラブ社会では頭を激しく後ろへ傾けることで「いいえ」を表すそうです(※1)。日本人が見ると、正反対の意味に解釈しそうです。
では、あごをなでるしぐさはどうでしょうか。世界各地で「考え中」、サウジアラビアで「尊敬」、ブラジルで「確実」を表すというのがモリスの説明です。
東山安子さんによれば、日本人の場合、あごに手をやるときには「熟考・疑問・思い出す・迷う・困惑」などを表し、あごをさする(=なでる)ときには「空想する・名案が浮かぶ・感心」などを表すといいます(※2)。ただ、文章から用例を集めてみると、「あごをなでる」と表現する場合、2つの意味で使い分けられています。
たとえば、次の例は、自分に恋人がいることがみんなの話題になったときの動作です。
〈「ふツふツふツ!」とワン之助は大得意の躰(てい)で天井を見上げつ頤(あご)を撫でた。〉(内田魯庵『社会百面相(上)』〔1902年刊〕岩波文庫 1953 p.21)
また、婚約者に贈った宝石がまるで無名なのを知ったときにも、この動作をします。
〈うーむ。/少し撫然(ぶぜん)として自分のあごをなでながら、正彦くん、心の中でうなる。〉(新井素子『結婚物語(上)』角川文庫 1986 p.240)
用例を見わたしてみると、「あごをなでる」が使われるのは、得意な場合と、考えこむ場合とに大別されます。このことを知らないと、解釈がむずかしい例が出てきます。
〈「してみると、お父さんもカンニングはやったわけだね」/〔と息子に問われて〕享介は顎を撫でた。「そりゃまあ、少しはな」〉(筒井康隆『俗物図鑑』新潮社 1972 p.175)
世界的常識から考えれば、これは「考え中」の動作ということになりますが、ここでは、昔、学生のころにカンニングをしたことを得意げに語っていると読み取るべきです。
『三省堂国語辞典 第六版』では、今回、新しく「あごをなでる」の項目を立てました。以上の事実を踏まえて、ブランチ(意味区分)は次のように2つ立ててあります。
〈1 得意なとき、余裕(ヨユウ)があるときなどの動作。2 ものを考えるとき、しかたがないときなどの動作。〉
ボディーランゲージ辞典の項目のようですが、文章を読むときに役立つはずです。
※1 デズモンド・モリス、東山安子訳『ボディートーク 世界の身ぶり辞典』(三省堂)。こちらも参照。
※2 東山安子、ローラ・フォード編著『日米ボディートーク 身ぶり・表情・しぐさの辞典』(三省堂)