●歌詞はこちら //lyrics.wikia.com/Janis_Joplin:Move_Over
曲のエピソード
1970年10月4日、滞在先のロサンジェルスのホテルで事切れているのを発見されたジャニス・ジョプリン。27歳という若さだった。死因はヘロインの過剰摂取と言われている。この「Move Over」は、彼女が死の直前まで取り組んでいたアルバム『PEARL』(1971/全米アルバム・チャートNo.1)のオープニングを飾る曲で、シングル・カットされなかったものの、ジャニスのヴォーカルが炸裂する名曲として今に聴き継がれている。イントロからして、一度聴いたら絶対に忘れられないほど強烈だ。なお、“Pearl”はジャニスの愛称。
ジャニスは恋多き女だった。バック・バンドの Big Brother & The Holding Company のメンバー数名、更には一般人の恋人もいた。が、どれひとつ実った恋はない。この「Move Over」は、特定の男性に向かって「私の目の前からさっさと消えてちょうだい」と言ってるのではなく、「お前とはもうお終いだな」と言いつつも、いつまでも彼女の周りをうろちょろする優柔不断な不特定多数の男たちに向かって啖呵を切っているもので、世の中に存在するそうした男性陣には非常に耳が痛い内容。
曲の要旨
口に出して「お前とはもうお終いだ」って言ったくせに、いつまで経ってもあたしの目の前を未練がましくうろちょろするアイツに腹が立つ。あたしにはちゃんとした男が必要なのに! 新しい恋人を作っちゃうかもよ、なんてほのめかしてみても、アイツは「好きにしな」って受け流すだけ。なのに今でもアタシの目の前からいなくなってくれない。ああ、鬱陶しいったらありゃしない! もう、とっととどっかへ消えて(move over)ちょうだいよ!
1971年の主な出来事
アメリカ: | この年の春までにアメリカ軍15万人をヴェトナムから撤兵させると発表。 |
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New York Times 紙がアメリカ国防総省の秘密文書を掲載して物議を醸す。 | |
日本: | 沖縄返還協定に調印。 |
世界: | 印パ戦争が勃発。 |
1971年の主なヒット曲
Imagine/ジョン・レノン
What’s Going On/マーヴィン・ゲイ
Me And Bobby Mcgee/ジャニス・ジョプリン
Joy To The World/スリー・ドッグ・ナイト
Maggie May/ロッド・スチュアート
Move Overのキーワード&フレーズ
(a) Lord
(b) hang around someone
(c) Dontcha(=Don’t you)+ V
(d) play with someone
少し前に、ジャニス・ジョプリンが生前に付き合っていた複数の男性たちの証言映像を目にした。みなそれぞれ年齢を重ね、今ではすっかり中年~壮年層のいいオジサンになっている。激しい気性の持ち主だったであろうジャニスと男と女の関係にあった頃は、それなりに衝突もあり、苦い思いもしただろう。が、彼女が非業の死を遂げて40年以上も経った今、彼らが口々にジャニスの思い出を語る時、その顔には優しい笑みが浮かんでいた。うちひとりが、しみじみとこう言っていたのが忘れられない。“Janis wasn’t pretty, but she was cute.(ジャニスは美人じゃなかったけど、魅力的だったよな)”。すると、全員が「そうだ、そうだ」とうなずいたのである。映像の何でもないヒトコマだったけれど、思わず目頭が熱くなるシーンだった。
非アフリカン・アメリカンの女性シンガーで、ジャニスほどブルース――単に音楽ジャンルを指す言葉ではなく、「憂鬱」の意味も含む――をヴォーカルに投影した人は他にはいない。これからもジャニスに匹敵するシンガーは登場しないだろう。太く短くを地でいくような、余りに刹那的なその生き方が彼女の歌には加味されているが、そのことを差し引いても、ジャニスの歌は聴く者の心を鷲掴みにして決して離さない。
初めてジャニスの歌声に触れたのは高校時代。もちろん、それまでにもFEN(現AFN)から流れる彼女の歌声を聴いたことがあったかも知れないが、もしそうだとしても、間違いなくアフリカン・アメリカンのR&Bシンガーだと思い込んだだろう。高校時代のクラスメイトにバンド活動に熱心な友人がいて、彼女が大のジャニス信奉者だったのである。ある時、筆者の手持ちのR&B/ソウル・ミュージックのLP(CDなんてない時代)を貸して欲しいとせがまれ、何枚か渡すと、「代わりにこれ貸してあげる」と言って1枚のLPを手渡してくれた。それが、ジャニスの遺作となった『PEARL』だったのである。
1曲目の「Move Over」を初めて聴いた時の衝撃は、未だに忘れられない。「何これ?! カッコいいじゃないのっ!!」というのが偽らざる感想。以来、R&B/ソウル・ミュージックのジャンル以外のシンガーの中でも、ジャニスは特別な存在であり続けている。この曲を未聴の方は、ぜひ一度だまされたと思って(苦笑)聴いてみて下さい。ノック・アウトされること必至ですから。
ジャニスは男なしでは生きられない女だった。彼女をモデルにした映画『THE ROSE』(1979/ベット・ミドラー主演)でも、そのことが克明に描かれている。そして、本物のジャニスの気性の激しさも。振り回される男たち。付き合っている男との関係がギクシャクし始めると、「アンタなんかとはもう別れてやる!」と啖呵を切ったことは一度や二度じゃないと思う。男と切れては寂しさに苛まれ、そしてまた別の男に走…。決して淫乱なのではない。どこまでもピュアで哀しい女、それがジャニスなのだった。
(a) は困ったときや面食らった時に口にする“Jesus Christ!(何てこった!)”と同じ。言葉にならない絶望感を表す時の“Lord have mercy!(ああ!)”にも近い。ジャニスはこれを、なかなか目の前から消えてくれない男に向かって「もう勘弁してよ!」という気持ちを込めて言う。ここを「神様!」と解釈してはダメ。“Jesus Christ!”を「イエス・キリスト様!」とうっかり直訳による誤訳をしてしまうことに等しい。その昔、日本では「しまった!」と言う代わりに「南無三!」と言った。宗教絡みの決まり文句や嘆息は、洋の東西を問わず、けっこうあるものだ。ジャニスの“Lord”は、もはや懇願に近い。……と、ここで初めて邦題「ジャニスの祈り」に合点がいった。常々これは何と的外れで珍妙な邦題なんだろうと思ってきたが、そっか、歌詞にある“Lord”からヒントを得たのね、きっと。
(b) には「(目の前を)うろちょろする」という他に「~と付き合う」という意味もある。後者に匹敵するイディオム (b) 以外にもいろいろあるので、以下に挙げてみる。
(1) keep company with someone
(2) get along with someone
(3) go around with someone
(1) は日常会話としてもよく用いられる言い回しで、“company”は“I enjoy your company.(君と付き合うのは楽しいよ)”といった風に日常会話でも「付き合い」の意味で用いられる。(2) と (3) は良く似たイディオムで、ほぼ同じ意味。その他、“I’m going out with him.(私、彼とデートする仲なの)”といった言い回しも。(b) は、どちらかと言えば「仲間とツルむ」といったニュアンスを持つので、恋愛関係を余り感じさせない。なのでジャニスは、自作のこの曲で相手の男を鬱陶しい存在として表すために (b) の表現を使ったのではないだろうか。
単語と単語がくっつき、その発音がそのままスペル化されるのはよくある。(c) もその一種で、実際に次のようなタイトルの曲がある。
○Betcha(=bet + you)She Don’t Love You/イヴリン・キング(1982)
○Baby Don’tcha(=don’t + you)Worry/マーヴィン・ゲイ&タミー・テレル(1968)
○I Gotcha(=got + you)/ジョー・テックス(1972)
“you→ya→(前の単語の語尾がtの場合)cha”という変化をたどってこうなってしまう。アポストロフィが付いている場合と付いていない場合がある。“betca”は辞書によっては載っているが、“don’tcha”や“gotcha”は載っていない場合が多い。それらのもとの英文を探るには、“cha”をいったん切り離すと解りやすい。
異性の浮気をテーマにした洋楽ナンバーの歌詞に十中八九、登場するのが(d)。“You are playing with my heart.(あなたは私の心をもてあそんでいるだけ)”というフレーズを、過去に数え切れないほど訳してきた。もう少し言葉が補足されて、“You’re playing the game with me.”というフレーズも多い。意訳すると、「あなたはただの遊びのつもりなのね」。
では、(d) でジャニスは何をいわんとしているのか。「あなたは私をもてあそんでいる」だけでは、ちょっと真意が伝わりにくい。言葉を補って意訳してみると、「別れを告げておきながら、いつまでも私の側から離れないなんて、フザケないでよ!」、とまあ、こんな風になる。
さて、この曲の主人公の女性(ジャニス)と、相手の男性の行く末はどうなってしまうのだろう? これは個人的な推測に過ぎないが、実際のところ、ジャニスは「とっとと消え失せてよ!」と大見得を切ってはいても、相手の男性にまだ未練が残っているような気がする。男性の態度をハッキリ見極めたくて、無理に毒づいているとしか思えない。そしてもし、彼が「やっぱりお前とやり直すよ」とでも言ってくれたなら、きっとジャニスは満面の笑みを湛えて男性を受け入れることだろう。ジャニスという女性には、そういう可愛らしい(cute)面があったから。そんな彼女が、たまらなく好きだ。