さて、大分間が開いてしまいましたが<(_ _)>、社会言語学者になるまでの続きを。
勇躍フィラデルフィアに到着して、学生生活が始まりました。聞かされていた通り、ほとんどの授業内容は最初の頃は簡単ですが、急カーブで難しくなっていきます。
しかーし!一番大変だったのは、以前ここでも書いたフィールドワークの授業です。憧れのLabov教授の担当で、4~5人のグループになり、右も左も分からない(おまけに治安が最悪な!)フィラデルフィアの地図を渡され、市内のある一画を担当し、毎週授業で出される課題とテープレコーダを片手に、担当地域の家々を一軒一軒訪ね歩くのです。治安も悪い中、郊外の大多数が白人という住宅街を、突然怪しげな東洋人が、「すみません、この地域のことを調べているのですが」などと言ってドアを叩いてくる。そう、当然誰も応えてくれません。もっとも私のグループは私以外皆白人だったにもかかわらず同じ結果だったので、人種はこの際関係ないかも知れません。
この授業では、「このリストを読ませて録音し、発音を分析してレポートに書いてテープと一緒に提出しろ」だの、「長時間のインタビューを取って来い」だの、「そのインタビューにあるナラティブを分析して来い」だのと、毎週課題が出されます(ひぃ)。次の授業では我々のレポートが全員に配られ、たまーに褒められ、たいていけなされます(泣) 訪ねた先では”Out!”と追いやられたり、被調査者を探しに入ったバーでは、「日本人は嫌いだっ!」と椅子を投げられそうになったりしながらフィールドから帰り、皆げっそりした顔で課題をやっつけたものです。ちなみにこの時苦労を共にした者は、私以外はみな立派な研究者になりましたヾ(・・;)ォィォィ この授業では他にも、「レストランに行ってオーダーを取られてから勘定を払って出るまでのやりとりを記録せよ」とか、「マクドナルドの店に行き、客の会話に出てくる-ingの発音を記録せよ」などといったユニークな課題も出されました。この授業では、フィラデルフィアという街、そしてアメリカ人との接し方も実践的に学びました。
フィールドワークの他にも音声学、音韻論、語用論、歴史言語学などの授業を取りましたが、たいてい教授が説明し、学生がどんどん質問しながら授業が進みます。リーディングの多さは前からさんざ言われていたので驚きませんでしたが、重要なポイントになると先生も早口になり、スラング交じりになるのには閉口しました。もっとも、そういう時こそ質問のし時です (^0^)┘
最後は試験のこともありますが、たいていペーパーを書かされます。授業で扱ったことに関連するテーマを取り上げ、自分で曲がりなりにも分析をします。学期末にこれが重なるのが非常に大変ですが、こうしたペーパーから博士論文に繋がっていくこともあるので気が抜けません。
日本では、「この道一筋」ではありませんが、一度決めたテーマは何があっても貫徹するのが尊ばれ、テーマを変えることがあまり歓迎されない傾向にあるようです。しかし、アメリカの学生・研究者はあまりそうしたことに頓着しません。極端な例ですが、有名な生成文法家として名を馳せた人が、いきなりばりばりの変異理論的な論文を発表するということも最近ありました。その人が以前何に関心を持っていようが、何年それをやってきていようが関係ない。要は面白くて重要な発見ができ、学界に大きな貢献ができるかどうかだけが問われてしまう。よって学生も学部時代は数学専攻でした、なんて人は珍しくありません。でもそうした人が参入することでどんどん新しい発想が生まれ、新たな発見やパラダイムが生み出されていきます。
これと関連することですが、特にペンシルバニア大では、コンピュータサイエンス、生成文法、社会言語学、歴史言語学の研究者が互いの研究に深く興味を持ち、共同研究も盛んでした。ここでは、「あれはパフォーマンスだから」とか「理想化された話者なんているわけないでしょ」などと言って排斥せず、その枠組みで何が分かるのか、目下の興味や関心にどのように生かせるのかと貪欲に考え、実際にプロジェクトを一緒にやって共著ペーパーを書いてしまうということが日常的に行われていました。日本ではなかなかあり得ないことでしょう。
さて、こうして授業をこなしていくうちに1年目は無事終了。2年目からはリサーチアシスタントとして指導教授の手伝いもすることになり、やがて学会発表をすることになりました。ここら辺はまた次回ということで ε=ε=ε=ε=